産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、今日(4/26)のタイトルは「中将姫と中将湯 当麻寺練供養は5月14日」、書いたのは私である。私は最近、この欄の「チェック役」から外していただいたので、せっせと原稿を書こうと思っている。これはその第一弾である。
「中将湯(ちゅうじょうとう)」の思い出話から、中将姫伝説と物語の舞台、毎年5月14日に開かれる「練供養会式(ねりくようえしき)」のことまでを約1300字にまとめたので、ぜひお読みいただきたい。では、全文を紹介する。
中将姫(ちゅうじょうひめ)のことを何も知らなかった子供の頃でも、「中将湯(ちゅうじょうとう)」の名前は記憶に刻まれていた。
私の故郷の銭湯にお姫様のマークがついた「中将湯」の看板があり、永らくそれが銭湯の名前だと信じ込んでいた。しかし、それは「浴剤中将湯」を導入した「特約浴場」を示す看板だったと、最近になって知った。この入浴剤が後に、「バスクリン」に発展する。主成分は婦人薬「中将湯」原料の生薬で、温泉のように温まると評判だったそうだ。
入浴剤も婦人薬も、株式会社ツムラの製品で、そのネーミングは中将姫に由来する。
※ ※ ※
中将姫とは、当麻(たいま)寺(葛城市)の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語は、継子(ままこ)虐待と「当麻曼荼羅」の話だ。
継母が家臣に姫の殺害を命じたことで、姫は雲雀山(ひばりやま)で殺されることになった。しかし姫は、家臣の夫妻にかくまわれて命をつなぐ。
後年、雲雀山で狩りの途中、父・藤原豊成(とよなり)は偶然姫を見つけ、再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美貌だったが、仏道への志が深く、ひそかに館を抜け出して当麻寺に入って尼となる…。
豊成の邸宅跡には誕生寺、徳融寺、高林(こうりんりん)寺という3寺が残る。いずれも奈良市の奈良町にあり、奈良時代、姫はここで生まれ育ったと伝わる。
姫が捨てられたという雲雀山の所在地については、諸説ある。
宇陀市の日張(ひばり)山、和歌山県有田市の雲雀山、謡曲「雲雀山」に「大和紀(やまとき)の国の境なる雲雀山」(奈良と和歌山の県境)とあることから、和歌山県橋本市の雲雀山。私は故郷・和歌山県九度山町に近い橋本説をとりたいが、一般的には宇陀説が有力だ。そこには姫が建てたという青蓮(せいれん)寺も残る。
※ ※ ※
ツムラ創業者の津村重舎(じゅうしゃ)は宇陀の出身で、青蓮寺の有力な檀家(だんか)だった。津村の母親の実家には逃亡中の中将姫をかくまったお礼に製法を教わったという秘薬が伝わり、それが、後に中将湯になったそうだ。
姫が蓮糸(はすいと)により一夜で織り上げたと伝えられるのが、俗に「当麻曼荼羅」と呼ばれる浄土変相図だ。
浄土変相図とは浄土の様子などを描いた仏教絵画。当麻曼荼羅は智光(ちこう)曼荼羅、清海曼荼羅とともに、日本の浄土三曼荼羅として知られる。近年の調査によれば、当麻曼荼羅は絹糸の綴(つづ)れ織りで、唐からの伝来品ともされる。
※ ※ ※
姫にまつわる伝説の残る当麻寺では、毎年5月14日、「聖衆来迎練供養(しょうじゅうらいごうねりくよう)会式」が営まれる。二十五菩薩来迎(らいごう)会ともいうが、一般には当麻のオネリ、当麻レンゾとして知られる。
観音菩薩、勢至(せいし)菩薩などの二十五菩薩に扮装(ふんそう)した人々が、西方極楽浄土に見立てた曼荼羅堂から、人間世界である娑婆堂(しゃばどう)へ赴き、姫を蓮台にすくいあげて再び浄土に戻るさまを表現した宗教劇だ。
◇
NPO法人奈良まほろばソムリエの会は5月14日、「当麻寺練供養の日、中将姫ゆかりの地を巡る」と題したウォーキングツアーを実施する。姫ゆかりの石光(せっこう)寺や墓所を参拝したあと、当麻寺で練供養を見学する。参加費は1人300円。詳しくは会ホームページの「まほろばソムリエと巡る大和路ツアー」。(http://www.stomo.jp)。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
中将姫のことは、たいていの人が「知っているような知らないような」「歴史のような伝説のような」という曖昧な知識しか持っていない。藤原豊成(藤原不比等の孫)という歴史的人物の娘ということなので、実在したかのように思えるが、一夜で当麻曼荼羅を織り上げることなど、到底できないことであろう。しかも最近の調査では、蓮糸ではなく絹糸で織られていたということだ。
中将餅(中将堂本舗)
しかし、そんな中将姫伝説にちなんだ「練供養会式」は、古くから(平安時代末とも)続けられてきた厳粛な仏教行事である。日にちが決まっているので参加はしにくいのだが、今年は休みを取って、久々に間近で拝観したいと思っている。
当麻寺はJR東海のCMが功を奏し、参拝者が増えている。皆さんも、ぜひこちらのHPからお申し込みいただきたい。参加費は@300円。お弁当と拝観料は、お忘れなく。お土産には中将餅をぜひ!
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「中将湯(ちゅうじょうとう)」の思い出話から、中将姫伝説と物語の舞台、毎年5月14日に開かれる「練供養会式(ねりくようえしき)」のことまでを約1300字にまとめたので、ぜひお読みいただきたい。では、全文を紹介する。
JR東海のCM「うましうるわし奈良」
中将姫(ちゅうじょうひめ)のことを何も知らなかった子供の頃でも、「中将湯(ちゅうじょうとう)」の名前は記憶に刻まれていた。
私の故郷の銭湯にお姫様のマークがついた「中将湯」の看板があり、永らくそれが銭湯の名前だと信じ込んでいた。しかし、それは「浴剤中将湯」を導入した「特約浴場」を示す看板だったと、最近になって知った。この入浴剤が後に、「バスクリン」に発展する。主成分は婦人薬「中将湯」原料の生薬で、温泉のように温まると評判だったそうだ。
入浴剤も婦人薬も、株式会社ツムラの製品で、そのネーミングは中将姫に由来する。
※ ※ ※
中将姫とは、当麻(たいま)寺(葛城市)の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語は、継子(ままこ)虐待と「当麻曼荼羅」の話だ。
継母が家臣に姫の殺害を命じたことで、姫は雲雀山(ひばりやま)で殺されることになった。しかし姫は、家臣の夫妻にかくまわれて命をつなぐ。
後年、雲雀山で狩りの途中、父・藤原豊成(とよなり)は偶然姫を見つけ、再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美貌だったが、仏道への志が深く、ひそかに館を抜け出して当麻寺に入って尼となる…。
豊成の邸宅跡には誕生寺、徳融寺、高林(こうりんりん)寺という3寺が残る。いずれも奈良市の奈良町にあり、奈良時代、姫はここで生まれ育ったと伝わる。
姫が捨てられたという雲雀山の所在地については、諸説ある。
宇陀市の日張(ひばり)山、和歌山県有田市の雲雀山、謡曲「雲雀山」に「大和紀(やまとき)の国の境なる雲雀山」(奈良と和歌山の県境)とあることから、和歌山県橋本市の雲雀山。私は故郷・和歌山県九度山町に近い橋本説をとりたいが、一般的には宇陀説が有力だ。そこには姫が建てたという青蓮(せいれん)寺も残る。
※ ※ ※
ツムラ創業者の津村重舎(じゅうしゃ)は宇陀の出身で、青蓮寺の有力な檀家(だんか)だった。津村の母親の実家には逃亡中の中将姫をかくまったお礼に製法を教わったという秘薬が伝わり、それが、後に中将湯になったそうだ。
姫が蓮糸(はすいと)により一夜で織り上げたと伝えられるのが、俗に「当麻曼荼羅」と呼ばれる浄土変相図だ。
浄土変相図とは浄土の様子などを描いた仏教絵画。当麻曼荼羅は智光(ちこう)曼荼羅、清海曼荼羅とともに、日本の浄土三曼荼羅として知られる。近年の調査によれば、当麻曼荼羅は絹糸の綴(つづ)れ織りで、唐からの伝来品ともされる。
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姫にまつわる伝説の残る当麻寺では、毎年5月14日、「聖衆来迎練供養(しょうじゅうらいごうねりくよう)会式」が営まれる。二十五菩薩来迎(らいごう)会ともいうが、一般には当麻のオネリ、当麻レンゾとして知られる。
昨年(2013年)の練供養。豊田定男さんが撮影された
観音菩薩、勢至(せいし)菩薩などの二十五菩薩に扮装(ふんそう)した人々が、西方極楽浄土に見立てた曼荼羅堂から、人間世界である娑婆堂(しゃばどう)へ赴き、姫を蓮台にすくいあげて再び浄土に戻るさまを表現した宗教劇だ。
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NPO法人奈良まほろばソムリエの会は5月14日、「当麻寺練供養の日、中将姫ゆかりの地を巡る」と題したウォーキングツアーを実施する。姫ゆかりの石光(せっこう)寺や墓所を参拝したあと、当麻寺で練供養を見学する。参加費は1人300円。詳しくは会ホームページの「まほろばソムリエと巡る大和路ツアー」。(http://www.stomo.jp)。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
中将姫のことは、たいていの人が「知っているような知らないような」「歴史のような伝説のような」という曖昧な知識しか持っていない。藤原豊成(藤原不比等の孫)という歴史的人物の娘ということなので、実在したかのように思えるが、一夜で当麻曼荼羅を織り上げることなど、到底できないことであろう。しかも最近の調査では、蓮糸ではなく絹糸で織られていたということだ。
中将餅(中将堂本舗)
しかし、そんな中将姫伝説にちなんだ「練供養会式」は、古くから(平安時代末とも)続けられてきた厳粛な仏教行事である。日にちが決まっているので参加はしにくいのだが、今年は休みを取って、久々に間近で拝観したいと思っている。
当麻寺はJR東海のCMが功を奏し、参拝者が増えている。皆さんも、ぜひこちらのHPからお申し込みいただきたい。参加費は@300円。お弁当と拝観料は、お忘れなく。お土産には中将餅をぜひ!
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奈良が分かる絶好の手引き書! 奈良「地理・地名・地図」の謎 | |
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」監修 | |
実業之日本社(じっぴコンパクト新書) 762円 |
僕は昔話研究が好きで、今から9年前、奈良市の中心、ならまちにある中将姫誕生寺に行って尼僧様から中将姫のお話をしていただき大変勉強になりました。
中将湯も実は、仏事の一環で薬学の知識を習得することから生まれたともいわれています。また、新しい資料を探し歩いてみたいと思っています。
> ならまちにある中将姫誕生寺に行って尼僧様から中将姫
> のお話をしていただき大変勉強になりました。
それは良かったですね、誕生寺、高林寺、徳融寺と、ならまちには中将姫ゆかりの寺が集まっています。
> 中将湯も実は、仏事の一環で薬学の知識を習得
> することから生まれたともいわれています。
そうでしたか。新情報があれば、またご教示ください。
コンピュータで検索したら
大蓮の石経法華塔(伝中将姫供養塔)
金岡公園横の金岡中学校すぐ西側大蓮東一丁目にある石経法華塔が当麻寺の曼荼羅で有名な中将姫の供養塔であることはあまり知られていない。
大蓮には昔、大きな蓮池があり、中将姫がここからとれるレンコンの蓮糸を近くの井戸で洗い五色に染めて何日もかけて立派な曼荼羅を織り上げたいう話がある。中将姫という人は奈良時代の右大臣藤原豊成の娘で文芸に秀でていたが継母の嫉妬心から遠くに追いやられ大変苦労されたという。大和の当麻寺で仏門に帰依し美しい曼荼羅を蓮糸で織り上げた。大きな曼荼羅を織るためにはたくさんの蓮糸が必要であった。河内・大和をはじめ各地の池の蓮糸が献納されて織り上げたという。
この辺りに東西40m、南北26mの大きな蓮池があったことは事実のようで、大蓮の地名はこのことに由来しているようだ。なお、この供養塔の南200mに蓮糸を洗ったという清水井という井戸があった。
現在、当麻寺には古曼荼羅、文亀曼荼羅、貞享曼荼羅の3本の曼荼羅がある。
と出てきました
参考までに…
> 近鉄弥刀駅下車大蓮辻(おばつじ)にも中将姫の供養塔
弥刀(みと=東大阪市友井三丁目)にしても大蓮辻にしても、難読地名ですね。このあたりには英田(あかだ)、衣摺(きずり)、孔舎衙(くさか)、水走(みずはい)などもあり、深い歴史を感じます。