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奈良ものろーぐ(16)谷崎潤一郎がこよなく愛した柿の葉ずし

2017年09月18日 | 奈良ものろーぐ(奈良日日新聞)
奈良日日新聞に毎月1回(第4金曜日)連載している「奈良ものろーぐ」、7月(7/28)に掲載されたのは「柿の葉ずし 谷崎も愛した南和の行事食」だった。この美味しい柿の葉ずし、大手メーカーのご努力によって販売網が広がり、今や伊丹空港、羽田空港や博多駅で買うこともできる。私もこよなく愛する柿の葉ずし、まずは全文を紹介する。
※トップ写真は、「季節料理・山菜料理 静亭」(吉野町吉野山952)の自家製柿の葉ずし

夏になれば思い出すのは、はるかな尾瀬と遠い空だけではない。私はまっ先に、青々とみずみずしい葉に包まれた柿の葉ずしを思う。今のような市販の柿の葉ずしが出回るまでは、夏祭りから柿の葉が赤くなる10月末頃まで各家庭で作られた行事食だった。

御所、五條、吉野、そして紀北(和歌山県北部)の紀の川流域で作られた。これがもっと南へ下ると、さんま寿司になる。私の実家(紀州九度山)にも、木の押し箱と鉄の重石(おもし)があり、秋祭りのときにはこれが活躍した。

柿の葉ずしを有名にした功労者は、なんといっても谷崎潤一郎だろう。谷崎が食べたのは塩鮭の柿の葉ずしだった。『陰翳(いんえい)礼賛』には「吉野へ遊びに行つた友人が余り旨いので作り方を教はつて来て伝授してくれたのだが、柿の木とアラマキさへあれば何処でも拵(こしら)へられる」「鮭の脂と塩気がいゝ塩梅(あんばい)に飯に滲(し)み込んで、鮭は却って生身(なまみ)のやうに柔らかくなつてゐる工合が何とも云へない」「こんな塩鮭の食べ方もあつたのかと、物資に乏しい山家の人の発明に感心した」。これはまるで谷崎の「吉野にうまいものあり」だ。

この行事食は、どのような経緯で生まれたのだろう。奈良の食文化研究会の『出会い大和の味』は「山深い吉野地方から紀州へ木材等の行商に出かけた折、塩漬けした鯖を持ち帰り、また、紀州の漁師が行商に来て渋柿(貝殻等の漁網への付着防止)とも物々交換に持ってきた」という説を紹介している。寿司を包むのは、渋柿の葉である。抗菌作用のあるタンニンが多く含まれ、しかもしなやかで扱いやすい。

岡田哲著『たべもの起源事典 日本編』には、こんな逸話が登場する。「南北朝最後の後亀山天皇(在位1383~1392)の玄孫・尊秀王は、北山御所を創建したときに、里の婦女がすしを作り、山柿の葉に盛り祝ったとする挿話がある。いつの代にか、柿の葉で包むようになる」。

今も飛騨高山では朴の葉は「葉皿」として、また調理用(朴葉味噌など)に使う。宮中の新嘗祭では、柏の葉を食器として使う。柿の葉は、もとは葉皿として使われていたものが、のちに押し寿司のラッピングに転用されたということになる。

柿の葉ずしの具といえば塩鯖や塩鮭が知られているが、最近は鯛や焼き鯖、椎茸(醤油などで甘辛く煮たもの)も広まってきた。私の実家では子供向けにナルト(かまぼこ)も使っていた。家によっては、桜エビやちりめんじゃこ(いずれも甘辛く煮たもの)もあったようだ。
 
一度にたくさん作るので、日にちが経つと鯖の傷みが心配になる。わが家では、葉をむいてフライパンで軽く焼いて食べた。鯖を焼くといい香りがして、これも美味しいものだ。時間のないときは葉に包んだまま電子レンジで温めると、蒸し寿司のような風味になる。伝統ある行事食、末永く受け継いでいただきたいものだ。


宇陀市に住んでいる同僚に話すと「ウチの家にも、押し箱と重石がある」と教えてくれた。吉野の山伝いに、宇陀まで広がったのだろうか。こないだはかつらぎ町(和歌山県伊都郡)で、甘辛く煮た川じゃこを具にした柿の葉ずしを見つけたので、こちらは追って当ブログで紹介することにしたい。

家で柿の葉ずしを作る習慣が廃れているので、今、川上村では手作りの柿の葉ずしを復活させるプロジェクトが始まっている。「わが家の柿の葉ずし」、末永く伝えていきたいものである。

※奈良日日新聞、購読のお申し込みは、こちらをご覧ください。


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