いよいよ4/1(水)から、九度山町(和歌山県伊都郡)で「町家の人形めぐり」というイベントが始まった。会期は5/5(火)までで、人形を見せていただける時間帯は10:00~16:00である。
※参考:もてなしの街・紀州九度山で人形巡りと真田祭(JanJan)
http://www.news.janjan.jp/area/0904/0904292378/1.php
九度山町は、戦国時代の武将、真田昌幸・幸村父子(豊臣方)が関ヶ原の敗戦のあと14年間、配流・軟禁された地である。その屋敷跡は「真田庵」(正式名称は善名称院=ぜんみょうしょういん)という尼寺として残されている。なお、昌幸はここで亡くなっている(幸村は、大坂夏の陣で敗死)。
九度山町では真田父子を偲んで、毎年5/4~5に「真田祭り」を催している(昭和11年開始)。とりわけ5/5のこどもの日には、武者や稚児の行列が出て町は大賑わいとなる(下の写真)。
※真田祭り(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4613f3793a860f5c7eef5c6cf1085fba
真田祭り「武者行列」(06.5.5撮影)
この祭りに先立つ1か月間、九度山町の商店街などの家々で、五月人形などを飾って訪問客をもてなそうと、今年から始まったのが「町家の人形めぐり」(世話役代表は阪井賢三氏。県・町・南海電鉄など後援)である。この企画のお手本となったのが、毎年3月、高取町(奈良県高市郡)で行われる「町家の雛(ひな)めぐり」だ。
※Coming Soon!町家の雛めぐり(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4e0c5d77c2a61268519120b6fb835d8d
私は、たまたま所用で初日(4/1)の夕刻、実家に立ち寄ったのだが、ご覧の通り、商店街では、さまざまな形の五月人形や展示品が町を彩っていた。
※イベントのパンフレット(PDF形式)
http://www.page.sannet.ne.jp/ja3ifa/pdf/matiie_p.pdf
イベントの世話役の1人、松本宜雄(よしお)さんが作られた「真田まつり~端午の節句~町家の人形めぐりと街中コンサート」というHPによると《4月1日~5月5日までの期間九度山の街中の民家、商店、空き店舗、施設などに、その家その家の謂れのある五月人形、雛人形、つるし雛、創作人形、自作甲冑他自慢のお宝人形等を玄関や店頭に展示して頂きご訪問頂いた方に見学して頂き、また謂れなどをゆっくりと住民の方々とお話されたりと、お楽しみ頂けるようなイベントになればと思います》とある。その松本さんのお店(松本商店)に飾られた人形が、以下の4枚の写真である。
※「真田まつり~端午の節句~町家の人形めぐりと街中コンサート」のホームページ
http://www.k-matsu.com/kudoyama/
人形を飾られたお宅には、説明書きが掲示してある。松本商店さんの島津の「有職五月人形(鎧飾り)」には《当店は、娘が2人と言う訳で、雛飾りはありますが、武者人形はありません(笑)。そんな折、ちょうど娘の嫁ぎ先の旦那が、この人形を持ち合わせていました》《人形も久しぶりのお目見えで、それに、たくさんの人に見て頂き喜んでいる事と思います。驚いているかもしれませんね》とあった。
私の実家でも、母が蔵から子や孫の五月人形を出してきて飾ってあった(以下の写真およびトップ写真)。面白いもので、大きな鎧甲(よろいかぶと)より、張り子の虎や桃太郎などの小物に見覚えがあった。
実家にも掲示があって《二世代の人形が混じっています。古い方は昭和29年~35年のもので繊維の部分は所々虫が食い、木のケースには染みがついています。この様な機会が無ければ近年中に処分されていたと思います。新しい方は昭和59年で時々部分的に床の間や玄関を賑わせていました。何れもお祝にいただいたものが殆どで、過ぎし日をふり返り感謝の気持ちをこめて飾りました》。
何だか面はゆい気もするが、展示する側は人形にまつわるエピソードなどを思い出す良い機会になるし、見る側は、「へぇ、こんな人形もあるんだ」と素直に驚いたり感心したりする楽しみがある。
高取町の雛めぐりでは、商店が潤っただけでなく、「訪問客と町のお年寄りの会話が弾み、お年寄りが元気になった」と「福祉効果」を強調されていた。今回の試みがどのような成果に結びつくかまだ未知数だが、事前に新聞に報道されたり、4/4(土)朝にはNHKの「ウィークエンド関西」に取り上げられたりと、話題になっていることは確かである。
※「町家の人形めぐり」和歌山・九度山町で企画(3/17付産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/090317/wky0903170225005-n1.htm
世話役の松本さんは《生き生きとした故郷づくりには、私たち住民発意による行動が必要との思いから発起しました。街中を舞台にして、まちの生活文化にテーマ性を持たせた演出で、九度山に賑わいを取り戻し、住民同士のより温かい心の交流の場と住民活力爆発の機会にしたいと願っています。どうか皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます》。
《更に後年には、町内の名所や南海電鉄の観光列車(天空)との連絡も考慮しながら、私たち住民が協力し会って内容の充実を図り、町外からも多くの観光客を招き入れ、住民との交流と住民によるおもてなしで賑わう「観光のまち九度山」に発展する礎になるよう、長期展望で取り組んで参ります》。
今年は初回とあって準備も行き届かなかったが、これからは町外・県外にも広くPRして多くの人に来てもらいたい、という趣旨のようだ。今は戦国武将がブームだし、中高年ばかりでなく歴史好きの若い女性が増えて「歴女(れきじょ)」などと呼ばれている。幸村や五月人形には、ファンも多いのではないだろうか。
招福庵(09.1.3撮影)
九度山町の人口は、私が住んでいた頃(昭和40年代)は8千人台で推移していたが、今は5千人台に落ち込み、しかも高齢化している。商店街にも空き店舗が増えたが、その一方で、このようなイベントが開かれ、また「松山常次郎記念館」や、「招福庵」という新感覚のお土産物屋さんもオープンしている。
※招福庵のホームページ(4/1、お店は紀陽銀行九度山支店隣に移転した)
http://kisyu-kudoyama-rokumonsen.com/
これまで、帰省するたび故郷が過疎化・高齢化していく様子を目にして心配していたが、地元に残られた先輩・友人・知人が、逆風をついて立ち上がっておられるのは、とても頼もしいし有り難いことである。今回は旧友の不幸事という突発事項で帰省したのだが、私ももう少し頻繁に郷里を訪ね、何かお手伝いをしなければ…。
※参考:もてなしの街・紀州九度山で人形巡りと真田祭(JanJan)
http://www.news.janjan.jp/area/0904/0904292378/1.php
九度山町は、戦国時代の武将、真田昌幸・幸村父子(豊臣方)が関ヶ原の敗戦のあと14年間、配流・軟禁された地である。その屋敷跡は「真田庵」(正式名称は善名称院=ぜんみょうしょういん)という尼寺として残されている。なお、昌幸はここで亡くなっている(幸村は、大坂夏の陣で敗死)。
九度山町では真田父子を偲んで、毎年5/4~5に「真田祭り」を催している(昭和11年開始)。とりわけ5/5のこどもの日には、武者や稚児の行列が出て町は大賑わいとなる(下の写真)。
※真田祭り(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4613f3793a860f5c7eef5c6cf1085fba
真田祭り「武者行列」(06.5.5撮影)
この祭りに先立つ1か月間、九度山町の商店街などの家々で、五月人形などを飾って訪問客をもてなそうと、今年から始まったのが「町家の人形めぐり」(世話役代表は阪井賢三氏。県・町・南海電鉄など後援)である。この企画のお手本となったのが、毎年3月、高取町(奈良県高市郡)で行われる「町家の雛(ひな)めぐり」だ。
※Coming Soon!町家の雛めぐり(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4e0c5d77c2a61268519120b6fb835d8d
私は、たまたま所用で初日(4/1)の夕刻、実家に立ち寄ったのだが、ご覧の通り、商店街では、さまざまな形の五月人形や展示品が町を彩っていた。
※イベントのパンフレット(PDF形式)
http://www.page.sannet.ne.jp/ja3ifa/pdf/matiie_p.pdf
イベントの世話役の1人、松本宜雄(よしお)さんが作られた「真田まつり~端午の節句~町家の人形めぐりと街中コンサート」というHPによると《4月1日~5月5日までの期間九度山の街中の民家、商店、空き店舗、施設などに、その家その家の謂れのある五月人形、雛人形、つるし雛、創作人形、自作甲冑他自慢のお宝人形等を玄関や店頭に展示して頂きご訪問頂いた方に見学して頂き、また謂れなどをゆっくりと住民の方々とお話されたりと、お楽しみ頂けるようなイベントになればと思います》とある。その松本さんのお店(松本商店)に飾られた人形が、以下の4枚の写真である。
※「真田まつり~端午の節句~町家の人形めぐりと街中コンサート」のホームページ
http://www.k-matsu.com/kudoyama/
人形を飾られたお宅には、説明書きが掲示してある。松本商店さんの島津の「有職五月人形(鎧飾り)」には《当店は、娘が2人と言う訳で、雛飾りはありますが、武者人形はありません(笑)。そんな折、ちょうど娘の嫁ぎ先の旦那が、この人形を持ち合わせていました》《人形も久しぶりのお目見えで、それに、たくさんの人に見て頂き喜んでいる事と思います。驚いているかもしれませんね》とあった。
私の実家でも、母が蔵から子や孫の五月人形を出してきて飾ってあった(以下の写真およびトップ写真)。面白いもので、大きな鎧甲(よろいかぶと)より、張り子の虎や桃太郎などの小物に見覚えがあった。
実家にも掲示があって《二世代の人形が混じっています。古い方は昭和29年~35年のもので繊維の部分は所々虫が食い、木のケースには染みがついています。この様な機会が無ければ近年中に処分されていたと思います。新しい方は昭和59年で時々部分的に床の間や玄関を賑わせていました。何れもお祝にいただいたものが殆どで、過ぎし日をふり返り感謝の気持ちをこめて飾りました》。
何だか面はゆい気もするが、展示する側は人形にまつわるエピソードなどを思い出す良い機会になるし、見る側は、「へぇ、こんな人形もあるんだ」と素直に驚いたり感心したりする楽しみがある。
高取町の雛めぐりでは、商店が潤っただけでなく、「訪問客と町のお年寄りの会話が弾み、お年寄りが元気になった」と「福祉効果」を強調されていた。今回の試みがどのような成果に結びつくかまだ未知数だが、事前に新聞に報道されたり、4/4(土)朝にはNHKの「ウィークエンド関西」に取り上げられたりと、話題になっていることは確かである。
※「町家の人形めぐり」和歌山・九度山町で企画(3/17付産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/090317/wky0903170225005-n1.htm
世話役の松本さんは《生き生きとした故郷づくりには、私たち住民発意による行動が必要との思いから発起しました。街中を舞台にして、まちの生活文化にテーマ性を持たせた演出で、九度山に賑わいを取り戻し、住民同士のより温かい心の交流の場と住民活力爆発の機会にしたいと願っています。どうか皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます》。
《更に後年には、町内の名所や南海電鉄の観光列車(天空)との連絡も考慮しながら、私たち住民が協力し会って内容の充実を図り、町外からも多くの観光客を招き入れ、住民との交流と住民によるおもてなしで賑わう「観光のまち九度山」に発展する礎になるよう、長期展望で取り組んで参ります》。
今年は初回とあって準備も行き届かなかったが、これからは町外・県外にも広くPRして多くの人に来てもらいたい、という趣旨のようだ。今は戦国武将がブームだし、中高年ばかりでなく歴史好きの若い女性が増えて「歴女(れきじょ)」などと呼ばれている。幸村や五月人形には、ファンも多いのではないだろうか。
招福庵(09.1.3撮影)
九度山町の人口は、私が住んでいた頃(昭和40年代)は8千人台で推移していたが、今は5千人台に落ち込み、しかも高齢化している。商店街にも空き店舗が増えたが、その一方で、このようなイベントが開かれ、また「松山常次郎記念館」や、「招福庵」という新感覚のお土産物屋さんもオープンしている。
※招福庵のホームページ(4/1、お店は紀陽銀行九度山支店隣に移転した)
http://kisyu-kudoyama-rokumonsen.com/
これまで、帰省するたび故郷が過疎化・高齢化していく様子を目にして心配していたが、地元に残られた先輩・友人・知人が、逆風をついて立ち上がっておられるのは、とても頼もしいし有り難いことである。今回は旧友の不幸事という突発事項で帰省したのだが、私ももう少し頻繁に郷里を訪ね、何かお手伝いをしなければ…。
もとはと言えば、tetsudaさんのヒントにより立ち上がった企画です、ほんといろいろとありがとうございました。
先例の高取町があるとはいえ、まだまだ手探り状態でプレッシャーがいっぱいです。
お母様も趣旨を良くご理解頂き熱心にご協力頂いております。
今日の早朝よりのテレビのご出演や、もてなしにも丁寧にご協力も頂きお疲れも多いと思いますが、お疲れが出ませんようによろしくお伝え下さい。
ここまでこられるのはたいへんなご苦労があったことと存じます。関係者の皆様、九度山の皆様、おめでとうございます。これからですよね、がんばってください。
私も最近は九度山町へ帰ることが多く、ふるさと再発見の思いを強くしています(トシのせいかなぁ)。
私の生まれた河根(峠)の高みからは、紀ノ川の蛇行まで一望できる所があります。絶景です。
次回の帰省の折りには九度山のまちを歩きたいと楽しみにしています。
> もとはと言えば、tetsudaさんのヒントにより立ち上がった
> 企画です、ほんといろいろとありがとうございました。
いえ、お役に立てて光栄です。高取町にご一緒したのが1/24ですから、わずか2か月でここまでこぎ着けられたのは素晴らしいです。
> お母様も趣旨を良くご理解頂き熱心にご協力頂いております。
NHKの「ウィークエンド関西」、拝見しました。トラックバックも打たせていただきました。西畑さんは出演されていましたが、松本さんや阪井さんさんは写りませんでしたね。
http://www.k-matsu.com/mt/2009/04/nhk.html
このイベントには、もっと報道機関の方に注目していただきたいです。たくさんの人が来られるようになれば良いですね。
> 紀ノ川の蛇行まで一望できる所があります。絶景です。次回の
> 帰省の折りには九度山のまちを歩きたいと楽しみにしています。
そんなビューポイントが河根(かね)にあったのですか。九度山の人形めぐり、ぜひお訪ね下さい。
このイベントは、今九度山を一つにして、元気にしつつあるように思います。
怪我のないように、最終日まで頑張りたいと今日も
阪井さんと話しました
招福庵に 先日から 新宅のご長男さん(○之さん)にもお立ちよりいただき、今度、甲冑を作りましょうって事に!!講師をお願いいたしました
鉄田様もご一緒に如何ですか?
住民が、最近イキイキしてるように思います
とってもいい空気です
> 今日はお天気にも恵まれて200人近くの方が お越し下さいました^^
NHK効果でしょうか、これは幸先が良いです。
> 招福庵に 先日から 新宅のご長男さん(○之さん)にもお立ちより
> いただき、今度、甲冑を作りましょうって事に!!講師をお願いいたし
> ました 鉄田様もご一緒に如何ですか?
それは良いですね。私も4月中にもう一度帰省しようと思っていますので、立ち寄らせていただきます。
土曜日のニュースをたまたま見た会社の人から「良いイベントですね。でも、登場していたのがお年寄りばかりでした」と言われてしまいました。
お年寄りに加え、西田さんはじめ、阪井さん、松本さん、分家の長男などが登場すれば、「九度山にもまだまだ人材がいるんだ」をアピールできたかも知れません。
> 父親の武者人形と 平越に嫁いだ叔母の雛人形を 飾らしてもらってます
4/1、突然お宅にお邪魔して、上から3枚目の武者人形の写真を撮らせていただきました。4/25~26にも帰省しますので、今度はお父様と叔母様の人形を拝見させていただきます。
> 子供の人形はだしてかざることがあっても 親の人形を
> だすことは みなさん あまり経験のないことだと
その通りです。人形の展示は、自分や子供のことだけでなく、親や祖父母のことなどに思いを巡らす良い機会ですね。高取町の野村さんが「福祉的効果」とおっしゃったのは、こういうことなのですね。
昨日はお母様にお会いできてほんとうにうれしく思いました。ご両親が私の実家へ来られたこともあるそうで、いろいろな思い出話などをうかがい楽しいひとときを過ごすことができました。
お向かいの松本商店さん、招福庵さんへもご案内いただきました。松本さんにいろいろと教えていただきました。残念ながら招福庵さんはお休みだったのですが、その直後に開けられたようで、お母様がお土産を買って私の後を追っかけてくださいました。ほんとにお世話になりました。ありがとうございました。よろしくお伝えくださいませ。またお伺いさせていただきたいと思います。
お母様はお元気で、多趣味で、素敵な方でした。これからインターネットを始めたいとおっしゃっていたのにも感心しました。ぜひご指南してさしあげてください。お母様とメールのやりとりができる日を楽しみにしております。
昨日はそれからあちこちの人形を見せていただきましたが、皆さんやさしく親切でおもてなしの心を感じました。何よりも自らが楽しそうなのがいいですね。まちはきっと元気になるでしょう。
次回の帰省の折りには、中学の同級生と町石道を歩きます。
http://8322.teacup.com/kagiroi/bbs
> 松本商店さん、招福庵さんへもご案内いただきました。
実家の向かいの松本さんは、自らのHPやブログを駆使して、一生懸命「人形めぐり」を全国にPRしておられ、熱心さには頭が下がります。招福庵の西田さんは、とても良いセンスで品揃えをされていて、これからの展開が楽しみです。
> 皆さんやさしく親切でおもてなしの心を感じました。何よりも自ら
> が楽しそうなのがいいですね。まちはきっと元気になるでしょう。
そうでしたか、それは良かったです。真田祭りでも「町民の盛り上がりが感じられない」と言われてきましたから。
> 次回の帰省の折りには、中学の同級生と町石道を歩きます。
私は高校時代、慈尊院から矢立まで歩きましたが、結構キツかったのを覚えています。今は人が多いそうで、隔世の感があります。
私は、九度山に生まれて高等学校を卒業以来、大学と会社勤めで13年間故郷を離れて生活をしていました。事情で父の家業を継ぐために九度山に戻ったのは3人目の子供(長女)が誕生する年でした。高校時代までは町の住民性などは知る由もなく、故郷でありながらまさに35才にして風光明媚な新天地九度山の住民になったのでした。
やがて、他所で社会人を経験してきた者にとって、不可解なことが気になり始めました。
・・・敢えて以下略・・・
住民が心を一つにしないと町が駄目になる。そんな思いで過ごしてきました。
現在の九度山町の人口は5,300名ほどで、35%は65才以上、50%超は55才以上の方々です。20才未満の子供や青年は15%に満たない。他の地方に劣らない(?)少子高齢・過疎と化しています。私の昭和35年九度山中学卒同窓生は172名でした。それが現在では中学の全校生徒数が150名弱となっています。商店も少なくなりました。
このことを悲観的に捉えているのではありません。現状(時代の流れ)をそのまま認識して、住民が元気でいられる最大限の努力をすべきと考えています。
高齢者には知恵があり、九度山の一人ひとりの住民は思いやりが人一倍です。人間同様に町にも自然治癒力があるはず。そう信じて、単発の「する人と見る人」のお祭りごとでなく、まちが一つになる仕掛けを長年思いあぐねて来ました。
そこに、松本氏を通じての鉄田様ご紹介の「高取町での雛めぐり」でした。
「これだ!」と飛びつきました。高取町役場の観光課に電話して野村様をご紹介頂きました。(後に鉄田様とご懇意だと知りました)
おりしも、平成20年度の県と町の事業に、私が会長として携わっていて、行政関係以外の住民が私も加えて29名いました。彼らに私の九度山への思いと「~端午の節句~人形めぐり」の趣旨と企画を提案したところ、行政の町づくりの手法に業を煮やしていた彼らは、待っていましたとばかりに賛同、行動へ。それからのスタッフの皆さんの頑張りようは凄まじいものでした。本当にありがたく、感謝と敬服の気持ちで一杯です。
住民の方々への分かりやすいキャッチフレーズも、反応を見ながら変遷がありました。
当初『住民による 九度山の まちおこし』だったのが、『まちが舞台 おもてなしのまちづくり』に分かりやすく変えました。「住民参加で、まちを住民交流の舞台にしましょう」(今回の目的)の意味です。
展示参加の町家は、呼びかけ当初十数軒だったのが、現在では60軒になりました。
参加されている家々のお方から、久しぶりの人形の展示の喜び以外に「まちの皆が仲良くなった」との声を聞きます。これが最も聞きたかった言葉です。
スタッフの皆さんもこの目的意識は同じです。だから2ヶ月余りの短期間で、しかも和気あいあいと楽しく、開催の日にこぎつけられたのです。
舞台の主役は住民と見学者であり、あくまでも私たちはお世話役で主催者ではありません。そのこともスタッフ全員が心得ています。
催し内容や集客戦略にはまだまだ学習の余地が沢山あります。将来には観光産業に発展すればと願って努力を重ねて参ります。
年齢を意識せず、日々青春の思いで楽しく取り組みを続けたいと思っています。
野村様、高取町の皆様、鉄田様、そして九度山町住民クラブのスタッフの皆様・・・ありがとうございます。今後共よろしくご指導をお願い申し上げます。
長々と申し訳ありません。