九度山町(和歌山県伊都郡)で開催された2010「真田祭り」(5/4~5)と第2回「町家の人形めぐり」(4/1~5/5)が、成功裡に閉幕した。今年は人形めぐりとタイアップして2回目だったということや、天候にも恵まれたことから、例年以上の沢山の方が町を訪れた。撮ってきた写真をずらずらと並べながら、このお祭りを振り返ってみたい。
※5月4日、5日は真田祭り(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/f36870629be557328537ef3ca5c78f5c
真田庵(幸村が隠棲した場所)のボタン。4/18撮影
人形めぐりの世話役のお1人で、お祭りにも「手作り甲冑隊」として参加された松本商店さんのブログ「真田の隠れ里通信」によると《4月1日より始まりました、第2回「町家の人形めぐり」・5月4、5日の真田まつりも沢山の方々にご来町頂き無事終了しました。4月29日から始まった連休は、気候も良くなり、少々汗ばむ陽気で五月の新緑の風も心地よく吹く中、雨にも降られず絶好の行楽日和となり、たくさんの観光客で賑わっていました》。
http://www.k-matsu.com/mt/2010/05/post-341.html
特設会場の武者人形。4/18撮影
《町家の人形めぐり最後の特別イベントが5月3日に街なかで、アマチュアバンドのコンサート、ジャグリング、風船アート、それにお茶会、真田幸村物語の紙芝居等盛り沢山のイベントで終日街なかで沢山の方々に楽しんで頂けたようです》。
※2010年町家の人形めぐりin kudoyama(松本さんが作られたスライドショー)
《それに5月4日は、真田まつりのイベント「ふれあい広場」が入郷町民駐車場でおこなわれ、舞台ではクレヨンしんちゃん等がおこなわれ沢山のお店も並び終日たくさんの親子連れで賑わっていました》。
真田庵の藤棚。5/5撮影(トップ写真とも。以下すべて)
手作りの甲冑を身にまとった松本さん(向かって右)
《そして、5月5日は真田まつり本番の恒例の武者行列 今年からは、昌幸、幸村そして大助の甲冑が新調され、よりリアルなものになりました。それに、私も仲間に入れて頂いている「手作り甲冑隊」(昨年8月からこのblogでも話題にしている手作りの紙の甲冑を着用)が12名参加で行列を盛り上げてくれました。今年の武者行列は、例年になく充実したものになったような気がします。また、例年にもまして沿道の観客、カメラマンも多かったような気がします。みなさんご声援ありがとうございました、楽しく武者行列に参加させて頂きました》。
地元の尺八愛好家による托鉢(たくはつ)
川風に吹かれて泳ぐ「鯉のぼり流し」(九度山橋のたもと)
確かに今年はカメラマンの姿が目立ったし、歴女ブームのおかげか、若い女性もたくさん町を訪れていた。5/5の様子は、和歌山放送ニュース(5/5付)が、詳しく報じている。タイトルは《九度山町の真田祭 武者行列行われる》だ。
http://www.wbs.co.jp/news.html?p=13064
入郷(にゅうごう)駐車場で出番を待つ笠田高校ブラスバンド部の皆さん
同じくミセス九度山踊り連のおばちゃんたち
九度山町長・岡本章くん(中学の同級生)の挨拶
《戦国武将真田昌幸(まさゆき)幸村(ゆきむら)親子ゆかりの九度山町できょう5日、2人を偲ぶ真田祭の勇壮な武者行列が行われました。「真田祭」は、戦国時代の武将・ 真田昌幸・幸村親子をしのんで、 毎年5月4日と5日に行われています。きょう(5日)、午後1時から、出陣太鼓を合図に武者行列が始まりました》。
いよいよ出発。ブラスバンドが先導する
武者行列の先頭は、真田昌幸(幸村の父・トップ写真とも)
幸村が登場。拍手と歓声が巻き起こる
《真田親子や幸村の長男大助の親子3代に扮した3人がよろいかぶと姿で馬に乗り、九度山町入郷(にゅうごう)から、真田親子の屋敷跡「真田庵(さなだあん)」までおよそ2・5キロを練り歩きました。行列には架空の忍者猿飛佐助や霧隠才蔵ら真田十勇士を演じる町民ややりを持った少年らが続きました》。
あれっ、猿飛佐助はくノ一(くのいち)?
りりしい少年武者
雑賀鉄砲隊
《およそ300人の行列を見ようと沿道には大勢のカメラマンや見物客が詰めかけ、勇壮な戦国絵巻に声援を送っていました。この武者行列に先立ち、午前10時から、真田庵で真田昌幸の400年忌碑(きひ)の除幕式と真田親子の法要が行われました。また、会場近くの丹生川(にうがわ)で、丹生川と紀の川の合流地点に渡したおよそ120匹のこいのぼりが春風になびいて泳ぐ「こいのぼり丹生川渡し」も行われました》。
とてもパワフルなミセス九度山踊り連
カメラを向けると、こんなにたくさん集まって下さる
《このほか去年から始まった、町内の家に眠るひな人形やよろい、かぶとなどを商店や空き店舗などに展示した「町家(まちや)の人形めぐり」も行われ、訪れた観光客は、写真を撮ったり町の人との交流を楽しんでいました》。
ウチの分家の長男も「手作り甲冑隊」に参加。イヨッ、大統領!
《この催しは、住民自らの手で地域おこしをしようという九度山町住民クラブ」の呼びかけに、およそ70世帯が協力して開かれたものです。今年は、去年夏から行っていた「よろいかぶと手作り教室」の完成品を展示し、記念撮影に使ったりしたほか、「真田物語」という紙芝居を作成して発表するなど新たな試みに挑戦していました》。
手づくり甲冑のことが産経新聞(和歌山版 2/24付)に取り上げられ、話題になっていた。見出しは《鎧甲(よろいかぶと)で町おこし 幸村ゆかりの九度山町》だ。《戦国武将・真田幸村ゆかりの和歌山県九度山町で、幸村一族が身に着けていた「赤揃え」(赤色)と呼ばれる鎧甲を住民たちが作り、入郷児童館で披露された。町まちなか活性化協議会が呼びかけ、約半年間で作り上げた。今後は商店街にも展示するほか、5月の真田祭の武者行列には希望者に貸し出し、最近の“戦国武将ブーム”に便乗したい考えだ》。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/100224/wky1002240233003-n1.htm
《3年前の真田祭で、町内の鉄田義之さん(44)が手作りの鎧甲で武者行列に参加したのが評判を呼び、協議会が住民に制作を呼びかけると、17人が申し出た。1人1対で昨年8月から取り組み、京都の業者から材料を求め、指導を受けた。厚紙にセメントを塗り、磨いてなめらかにしたあと赤い塗料を吹き付ける。完成した鎧甲は、大人用14体、子供用3体。本物なら30キロの重さだが、厚紙で作ったため3キロと軽く着用にはそれほど負担にはならない。幸村の旗印の「六文銭」やそれぞれの家紋も取り付けた》。
休憩タイムに松本さんと記念撮影
《同協議会が商店街で昨年始めた「町家の人形めぐり」に合わせて4月から5月まで展示し、観光客に着けてもらい、記念写真をプレゼントする。鎧甲作り体験は今回の17人が講師となって今年も継続する。事務局の田村宏さん(30)は「九度山に来てもらえば幸村が生きた時代を体験できるようにしたい」と話している》。
解散後もモデルに引っ張りだこ。写真は、真田グッズが揃う「招福庵」さん前で
さらに今年の真田祭りでは、美味しい手打ちの「紀州真田そば」が1杯200円で振る舞われた。岡本町長が昨年から準備されてきたものだ。東信ジャーナルBlog版(09.7.14)によると《「そば打ち職人」養成で、長野県上田市で5人が研修》《和歌山県九度山町は13日、そば打ち職人を養成するため、上田市へ研修に訪れた。同町は、そばを特産品にしてまちなか観光を充実する計画があり、同市で研修する5人は、同町が来年開設する第1号そば店へそば打ち職人として入る予定だ》。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000289106.html
《両自治体は、ともに真田幸村ゆかりの地が縁で姉妹都市提携を結んでおり、そば店の多い同市が研修生を受け入れた。研修の5人は同町が公募。 20~65歳で、定年退職やリストラを機に申し込んだという。5人は、17日まで真田の郷振興公社が運営する「ゆきむら夢工房」でそば打ちやつゆづくりを学ぶ》《岡本町長は「将来的にはまちなかにそば屋が何軒も並ぶ関西のそば処にし、食べ歩きしてもらいたい」と話していた》。
九和楽の柿の葉寿司。鯖と鮭以外に、椎茸がある(写真はお店のサイトから拝借)
http://www.kuwaraku.jp/
真田氏発祥の地・上田市は、信州そばの本場である。そばは麺(そば切り)の製法が確立する以前は、粒のまま食べられていたそうだが、一説によると、そば切りは天正2年(1574年)、木曽の定勝寺で仏殿修理の際の振る舞いに出されたのが始まりで、それを真田昌幸だか幸村が食べた、という話がある。いずれにしても幸村ゆかりのそば店が九度山にできるのは、面白い試みである。九和楽の柿の葉寿司と組み合わせれば、メニューもバラエティ豊かになる。途中でギブアップしないよう、ぜひうまく経営していただきたいものだ。
人形めぐりから武者行列まで、1か月以上に及ぶ長丁場で、協力された町民の方は大変だったことだろう。招福庵の西田さんのブログには《真田まつりが終わって 実は ばててました 今年は お父ちゃん(真田昌幸)の400回法要のおかげで 人が多かった それと色んな事が重なって もう 大変でした》。
女性は、招福庵ご店主の西田さん
※西田さんのブログ「紀州九度山奮闘記」
http://plaza.rakuten.co.jp/kisyurokumonsen/diary/201005090000/
《兄ちゃんの学校に呼び出されたり ばあちゃんが 転んで肩を打って 手術をしたり まあ とっても 忙しかった 我が父ちゃんの法事もあって もう 盆と正月と祭が一期に来た感じ 真田まつりに来てくだっさったみなさん バタバタしてて どうもスミマセンでした ぜひ ごゆっくりいらして下さいませ 今は 九度山は 「祭の後の静けさ」ってとこです》。
九度山の皆さん、人形めぐりと真田祭りの成功、おめでとうございます! 温かいおもてなしと感動を、有り難うございました。
※5月4日、5日は真田祭り(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/f36870629be557328537ef3ca5c78f5c
真田庵(幸村が隠棲した場所)のボタン。4/18撮影
人形めぐりの世話役のお1人で、お祭りにも「手作り甲冑隊」として参加された松本商店さんのブログ「真田の隠れ里通信」によると《4月1日より始まりました、第2回「町家の人形めぐり」・5月4、5日の真田まつりも沢山の方々にご来町頂き無事終了しました。4月29日から始まった連休は、気候も良くなり、少々汗ばむ陽気で五月の新緑の風も心地よく吹く中、雨にも降られず絶好の行楽日和となり、たくさんの観光客で賑わっていました》。
http://www.k-matsu.com/mt/2010/05/post-341.html
特設会場の武者人形。4/18撮影
《町家の人形めぐり最後の特別イベントが5月3日に街なかで、アマチュアバンドのコンサート、ジャグリング、風船アート、それにお茶会、真田幸村物語の紙芝居等盛り沢山のイベントで終日街なかで沢山の方々に楽しんで頂けたようです》。
※2010年町家の人形めぐりin kudoyama(松本さんが作られたスライドショー)
《それに5月4日は、真田まつりのイベント「ふれあい広場」が入郷町民駐車場でおこなわれ、舞台ではクレヨンしんちゃん等がおこなわれ沢山のお店も並び終日たくさんの親子連れで賑わっていました》。
真田庵の藤棚。5/5撮影(トップ写真とも。以下すべて)
手作りの甲冑を身にまとった松本さん(向かって右)
《そして、5月5日は真田まつり本番の恒例の武者行列 今年からは、昌幸、幸村そして大助の甲冑が新調され、よりリアルなものになりました。それに、私も仲間に入れて頂いている「手作り甲冑隊」(昨年8月からこのblogでも話題にしている手作りの紙の甲冑を着用)が12名参加で行列を盛り上げてくれました。今年の武者行列は、例年になく充実したものになったような気がします。また、例年にもまして沿道の観客、カメラマンも多かったような気がします。みなさんご声援ありがとうございました、楽しく武者行列に参加させて頂きました》。
地元の尺八愛好家による托鉢(たくはつ)
川風に吹かれて泳ぐ「鯉のぼり流し」(九度山橋のたもと)
確かに今年はカメラマンの姿が目立ったし、歴女ブームのおかげか、若い女性もたくさん町を訪れていた。5/5の様子は、和歌山放送ニュース(5/5付)が、詳しく報じている。タイトルは《九度山町の真田祭 武者行列行われる》だ。
http://www.wbs.co.jp/news.html?p=13064
入郷(にゅうごう)駐車場で出番を待つ笠田高校ブラスバンド部の皆さん
同じくミセス九度山踊り連のおばちゃんたち
九度山町長・岡本章くん(中学の同級生)の挨拶
《戦国武将真田昌幸(まさゆき)幸村(ゆきむら)親子ゆかりの九度山町できょう5日、2人を偲ぶ真田祭の勇壮な武者行列が行われました。「真田祭」は、戦国時代の武将・ 真田昌幸・幸村親子をしのんで、 毎年5月4日と5日に行われています。きょう(5日)、午後1時から、出陣太鼓を合図に武者行列が始まりました》。
いよいよ出発。ブラスバンドが先導する
武者行列の先頭は、真田昌幸(幸村の父・トップ写真とも)
幸村が登場。拍手と歓声が巻き起こる
《真田親子や幸村の長男大助の親子3代に扮した3人がよろいかぶと姿で馬に乗り、九度山町入郷(にゅうごう)から、真田親子の屋敷跡「真田庵(さなだあん)」までおよそ2・5キロを練り歩きました。行列には架空の忍者猿飛佐助や霧隠才蔵ら真田十勇士を演じる町民ややりを持った少年らが続きました》。
あれっ、猿飛佐助はくノ一(くのいち)?
りりしい少年武者
雑賀鉄砲隊
《およそ300人の行列を見ようと沿道には大勢のカメラマンや見物客が詰めかけ、勇壮な戦国絵巻に声援を送っていました。この武者行列に先立ち、午前10時から、真田庵で真田昌幸の400年忌碑(きひ)の除幕式と真田親子の法要が行われました。また、会場近くの丹生川(にうがわ)で、丹生川と紀の川の合流地点に渡したおよそ120匹のこいのぼりが春風になびいて泳ぐ「こいのぼり丹生川渡し」も行われました》。
とてもパワフルなミセス九度山踊り連
カメラを向けると、こんなにたくさん集まって下さる
《このほか去年から始まった、町内の家に眠るひな人形やよろい、かぶとなどを商店や空き店舗などに展示した「町家(まちや)の人形めぐり」も行われ、訪れた観光客は、写真を撮ったり町の人との交流を楽しんでいました》。
ウチの分家の長男も「手作り甲冑隊」に参加。イヨッ、大統領!
《この催しは、住民自らの手で地域おこしをしようという九度山町住民クラブ」の呼びかけに、およそ70世帯が協力して開かれたものです。今年は、去年夏から行っていた「よろいかぶと手作り教室」の完成品を展示し、記念撮影に使ったりしたほか、「真田物語」という紙芝居を作成して発表するなど新たな試みに挑戦していました》。
手づくり甲冑のことが産経新聞(和歌山版 2/24付)に取り上げられ、話題になっていた。見出しは《鎧甲(よろいかぶと)で町おこし 幸村ゆかりの九度山町》だ。《戦国武将・真田幸村ゆかりの和歌山県九度山町で、幸村一族が身に着けていた「赤揃え」(赤色)と呼ばれる鎧甲を住民たちが作り、入郷児童館で披露された。町まちなか活性化協議会が呼びかけ、約半年間で作り上げた。今後は商店街にも展示するほか、5月の真田祭の武者行列には希望者に貸し出し、最近の“戦国武将ブーム”に便乗したい考えだ》。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/100224/wky1002240233003-n1.htm
《3年前の真田祭で、町内の鉄田義之さん(44)が手作りの鎧甲で武者行列に参加したのが評判を呼び、協議会が住民に制作を呼びかけると、17人が申し出た。1人1対で昨年8月から取り組み、京都の業者から材料を求め、指導を受けた。厚紙にセメントを塗り、磨いてなめらかにしたあと赤い塗料を吹き付ける。完成した鎧甲は、大人用14体、子供用3体。本物なら30キロの重さだが、厚紙で作ったため3キロと軽く着用にはそれほど負担にはならない。幸村の旗印の「六文銭」やそれぞれの家紋も取り付けた》。
休憩タイムに松本さんと記念撮影
《同協議会が商店街で昨年始めた「町家の人形めぐり」に合わせて4月から5月まで展示し、観光客に着けてもらい、記念写真をプレゼントする。鎧甲作り体験は今回の17人が講師となって今年も継続する。事務局の田村宏さん(30)は「九度山に来てもらえば幸村が生きた時代を体験できるようにしたい」と話している》。
解散後もモデルに引っ張りだこ。写真は、真田グッズが揃う「招福庵」さん前で
さらに今年の真田祭りでは、美味しい手打ちの「紀州真田そば」が1杯200円で振る舞われた。岡本町長が昨年から準備されてきたものだ。東信ジャーナルBlog版(09.7.14)によると《「そば打ち職人」養成で、長野県上田市で5人が研修》《和歌山県九度山町は13日、そば打ち職人を養成するため、上田市へ研修に訪れた。同町は、そばを特産品にしてまちなか観光を充実する計画があり、同市で研修する5人は、同町が来年開設する第1号そば店へそば打ち職人として入る予定だ》。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000289106.html
《両自治体は、ともに真田幸村ゆかりの地が縁で姉妹都市提携を結んでおり、そば店の多い同市が研修生を受け入れた。研修の5人は同町が公募。 20~65歳で、定年退職やリストラを機に申し込んだという。5人は、17日まで真田の郷振興公社が運営する「ゆきむら夢工房」でそば打ちやつゆづくりを学ぶ》《岡本町長は「将来的にはまちなかにそば屋が何軒も並ぶ関西のそば処にし、食べ歩きしてもらいたい」と話していた》。
九和楽の柿の葉寿司。鯖と鮭以外に、椎茸がある(写真はお店のサイトから拝借)
http://www.kuwaraku.jp/
真田氏発祥の地・上田市は、信州そばの本場である。そばは麺(そば切り)の製法が確立する以前は、粒のまま食べられていたそうだが、一説によると、そば切りは天正2年(1574年)、木曽の定勝寺で仏殿修理の際の振る舞いに出されたのが始まりで、それを真田昌幸だか幸村が食べた、という話がある。いずれにしても幸村ゆかりのそば店が九度山にできるのは、面白い試みである。九和楽の柿の葉寿司と組み合わせれば、メニューもバラエティ豊かになる。途中でギブアップしないよう、ぜひうまく経営していただきたいものだ。
人形めぐりから武者行列まで、1か月以上に及ぶ長丁場で、協力された町民の方は大変だったことだろう。招福庵の西田さんのブログには《真田まつりが終わって 実は ばててました 今年は お父ちゃん(真田昌幸)の400回法要のおかげで 人が多かった それと色んな事が重なって もう 大変でした》。
女性は、招福庵ご店主の西田さん
※西田さんのブログ「紀州九度山奮闘記」
http://plaza.rakuten.co.jp/kisyurokumonsen/diary/201005090000/
《兄ちゃんの学校に呼び出されたり ばあちゃんが 転んで肩を打って 手術をしたり まあ とっても 忙しかった 我が父ちゃんの法事もあって もう 盆と正月と祭が一期に来た感じ 真田まつりに来てくだっさったみなさん バタバタしてて どうもスミマセンでした ぜひ ごゆっくりいらして下さいませ 今は 九度山は 「祭の後の静けさ」ってとこです》。
九度山の皆さん、人形めぐりと真田祭りの成功、おめでとうございます! 温かいおもてなしと感動を、有り難うございました。
グーグルで、かつての学生時代のお友達や
知人など、冗談半分で検索しては
懐かしい皆の名前が載っているブログや
ページに辿り着いては
今、元気にされている事を知り
たくさんの人達の近況を知ることが出来る
ネットのすごさに感謝している今日この頃です。
大昔、10数年前になるでしょうか?!
鉄田義之さんと知り合い
イギリスに仕事で行かれた事を懐かしく
思い出しました。
あの頃とお写真を拝見しても
ほとんど変わっていなくて
ただただ、ビックリしました。
手作りの鎧甲で武者行列に参加され
評判を呼び、注目されている所が
鉄田さんらしいと思いました。
ご親戚になるのですね(^^)
お元気そうでなによりです。
ついつい、懐かしくて
コメント書かせて頂きました。
> 大昔、10数年前になるでしょうか?! 鉄田義之さんと知り合い
> イギリスに仕事で行かれた事を懐かしく思い出しました。
そうでしたか、それは奇遇ですね。彼がルーツの「手づくり甲冑隊」は、大好評でした。
私は故郷を出ましたが、頑張って地元を盛り上げてくれている様子は、頼もしい限りです(彼は男ばかりの3人兄弟の長男で、1人だけ地元に踏みとどまっています)。近々、九度山のことをやや詳しく紹介したいと思っています。
有り難うございます(^^)
tetsudaさまは、奈良に住まわれて
もう30年になるのですね。
素晴らしいご活躍ですね(^^)
tetsudaさまのような優秀な方が
奈良の良さを話して下さったら
説得力がありますもの。
和歌山市から結婚で岸和田市在住になり
『だんじり祭り』を初めて見た時は
かなり衝撃的でした!!!
9月18日・19日は、大勢の人達が
一つになって、盛り上がってくれます。
そ~りゃぁ~!そ~りゃぁ~!とうちわ
を振るのが大好きなうちの息子も
大きくなったら、だんじりがしたいと
言い出すかもしれません。
その土地、その土地にたくさんの
素敵な文化が根付いていますね。
鉄田さんも、長男として
地元におられるようで
ご両親も心強い事でしょうね(^^)
tetsudaさま、これからも、素敵なブログ
続けて下さいね(^^)
> その土地、その土地にたくさんの素敵な文化が根付いていますね。
はい。「観光」とは「国の光を観る」、つまりその土地の良いものを見る、というのが原義だそうです。うまく「光」を発して、遠来のお客を引きつけていただきたいものです。
> tetsudaさま、これからも、素敵なブログ 続けて下さいね
「継続は力なり」をモットーに、微力ながら続けていきます。またコメント、お願いいたします。
温かいコメントには、素敵なお人柄が
感じられます!!!
また、ブログ覗かせて頂きますね。
本当に有り難うございます(^^)
> 岸和田にも、来て下さったのですね
地物のお魚、美味しくいただきました。また和歌山の話題も書かせていただきますので、引き続き、拙ブログにお付き合い下さい。