“昔は良かった-。こう言うのは孤独をかこつ老人の口癖だと思われてしまうだろうか。その時々の文明の利器は私たちの生活を変えた。洗濯機の登場が主婦たちの井戸端会議を終わらせ、テレビの出現で向こう三軒両隣が「隣は何をする人ぞ」になった。最近はスマートフォンの普及により、多くの家庭で家族の会話も少なくなっていると聞く。
支え合って生きるはずの家族をないがしろにさせる現代の利器は私からすれば「凶器」だ。せんえつながう今こそ、祝日として「家族の日」を提案したいと思う。一年のうち唯一祝日ない六月に設け、仕平や学校を休んで家族と過ごす日にしてはどうだろう。確か政府は十年ほど前に「家族や地域の絆を再生する」と目標を掲げた施策を展開していたような気もするが、成果はあったのだろうか。絆を見直す「家族の日」は今の日本にとって意義ある祝日になると私は思う。”(6月27日付け中日新聞)
三重県亀山市の主婦・岡田さん(86)の投稿文です。家族の絆は確実に薄れてきているでしょう。家族ばかりではありません、地域の絆も確実に薄れてきています。政府は十年ほど前に「家族や地域の絆を再生する」と目標を掲げた施策を展開していたようだが、と岡田さんは言われていますが、ボクはよく覚えていません。どこにそんな施策があるのか、ボクは知りません。あったとしてもそれは多分形だけでしょう。ボクも今年老人クラブ連合会長になり、いろいろな会議によく出ます。あて職の人が多く出席しています。顔ぶれはほとんど同じで、組織だけが違っているものもあります。もう少し理解しないと意見が言えませんが、理解した頃には任期切れです。これでは効果は上がらないでしょう。それより日本人の向いている方向が個人尊重、自由尊重、そして個人情報保護です。これらが良い方向に向けばいいのですが、どうも内向きばかりです。新たなものを作るどころか、既存のもの存続さえ難しいことになっています。ボクの地域では町内会も怪しくなってきています。老人クラブは10年後には壊滅状態になると、ボクは思っています。良くなるどころか悪くなると思っています。
さて、家庭の日ですが、必要でしょう。人をもう少し、家族や地域に戻さねばなりません。早急にすそうすることに、何の疑義もありません。遅きに失しているくらいでしょう。
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