かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

小浜の常高寺(旅の二日目)

2011-02-28 | 

 今日は朝から雨。一昨日、イチゴとエンドウの除草と施肥(醗酵鶏糞を根元に埋め込む)をしたので恵みの雨です。そこで旅の二日目に訪れた小浜の常高寺について報告します。

 このお寺はJR小浜駅の近くの国道27号線沿いにありました。NHK大河ドラマの主人公「お江」のすぐ上の姉「お初」が眠る寺で、ドラマにあやかって観光客誘致に力を入れているようです。山門は江戸時代のもので歴史を感じましたが本坊は数年前の再建でイマイチでした。

 でも案内に出て下さったここの和尚さんが話芸の達人。格式の高い臨済宗のお寺で、多分、説教師としてのご経験も豊富ではないかと推察しました。「お初さんは京極高次の正室でしたが、残念ながら子どもに恵まれませんでした。ところで今日ここにお越しのご婦人方は、皆さん正室ですか、側室の方はおられませんか?」と言った調子。これだけで私たち一行は大騒ぎ。元気なおばさんが「ワタシ、どっちだか分らん」と大声で答えられて、また大笑い。しばらく真面目な説明が続いたあと突然声の調子を変えて「1609年、夫高次は小浜城内で病を得て没します。享年46歳、お初は41歳。若いですねぇ~。夫の死を悼んでお初は落飾して高常院と名乗ります。偉いですねぇ~。ところでお越しのご婦人方で、夫が亡くなったら出家しようと思っておられる方はおられますか?」と。この声が名調子で、またまた大笑い。

 上の写真はこのお寺で頂いた観光案内「お初が愛した小浜」からスキャンしたものです(以下の写真も同じ)。高次の死後京極家は高次の側室の子忠高が後を継ぎますが、後継者忠高の正室はばっちりお初の姪初姫(妹お江の娘、父は二代将軍)です。これは子どもの無かったお初が妹お江の娘を養女にしていたからで、忠次が認め推進した養子縁組でした。以下に浅井三姉妹に関する家系図を載せておきます。

 お初は、夫と自分の両親(浅井長政とお市)の霊を弔うために高常院を建てます。私が感心したのは、お初のきめ細かな心使いが分かる遺言状が残されていることです。「かきおきのこと」がそれで、亡くなるひと月ほど前に書かれ、城主忠高に宛てられたものでした。お初は晩年江戸の京極屋敷で大勢の侍女や侍に護られて暮らしていましたが、自分の死後その者たちの身の振り方をきめ細かく頼んでいました。例えば、年老いた侍女たちには常高院の近くに家と扶持を与え出家させて寺を護らせること、若い侍女には本人の希望をよく聞き結婚させるなどの面倒をみてやった欲しい、というようなことです。

 訪ねたお寺には「おかきおきのこと」の拡大写真が掲げてありました。ここで再度解説の和尚さんにご登場頂きます。「お初の直筆がこの寺に残されていて、その拡大写真がこれです。達筆ですねぇ~。きちんと書かれていてお初の性格がよく現れていますねぇ~。ところで皆さんはこれが読めますか? 私にはチンプンカンプン、さっぱり読めません」「英語より難しい。英語は辞書を引けば大体のことは分かりますが、お初の字は辞書の引き方も分からない」。一同納得。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

京都の東寺から小浜の常高寺までの旅

2011-02-23 | 

 JA愛知北が主催した「農事組合長会の親睦旅行」に参加した。バスで京都→丹波→福井と巡る一泊二日の旅で、農協婦人部長も加わった賑やかな旅でした。最初に訪れたのが、日本一の高さを(55m)を誇る五重塔を有する東寺。この寺は弘法大師空海が嵯峨天皇から賜ったもので、受け取るにあたって「真言密教の根本道場にしたい」という条件を付けたという。

 この日は特別公開の期間に入っていて、五重塔の一階部分の拝観が許されていた。この五重塔には空海が唐から持ち帰ったという仏舎利(釈迦の遺骨)を心柱の基部に埋めたという伝承があり、いわば釈迦の石碑にあたるという。そこで一階部分に安置されたのが阿弥陀如来坐像など四如来坐像と諸菩薩の立像などであった。石段を登り重厚な木扉をくぐって歴史の重みを感じる薄暗い部屋に入るや、それまで賑やかだった私たちの一行が俄かに沈黙の石像群に変わる。眼前に現れたのは薄暮にも似た空間に浮かびあがる金色の如来像。その華麗なお姿と溢れる慈愛に私自身も身を震わせた。室内は撮影禁止で、以下に掲げる写真は東寺で求めたガイドブックからスキャンしたものである。

 「人は物語りながら自らの生(せい)を生きている」。この言葉に接したのはもう十数年前で、ユング派の心理療法士といて世界的に有名な河合隼雄氏の本の中であった。その時はカウンセリングの世界での特殊な見方だと思ったものだが、最近読み終えた大沢真幸著『「正義」を考える』NHK出版では、今日の日本の混沌は、日本の社会が「自分の人生を物語化できない社会」になってしまったからだと規定し、リストラ・派遣社員・会社の倒産・孤独死などを切り口に、このテーマを多角的に論考していた。この本の論考はそれなりに興味深いものであったが、私にとっては、そうなんだ、 「人は物語りながら自らの生(せい)を生きている」という見方は、今では社会学全般で常識なんだ、ということの発見であった。そして、この四如来坐像を拝観したときも、この如来像のお姿が、当時の人々の人生の物語の中に確実に溶け込んでいたに違いないという思いに達し、感動を深くした。(最初の五重塔は883年完成、以後落雷等により焼亡を繰り返し、現存のものは徳川家光の寄進により1644年に完成したもの。四如来像の制作年代は手元の資料では不明)

 「人々が、自分の人生を物語化できない社会」に関して言えば、今日的に最も困難な課題は「死後の物語り」だろう。「千の風になって」の流行がそれを物語っている。法然から親鸞にいたる時代の人々が、重厚にして華麗な仏像を容易に自分の人生の物語りの中に取り込むことが出来たのに比して、私たちは曲がりなりにも科学的という思考を身につけているので困難を伴う。ただ、ここで見落としてはならないことは、科学的な思考も、人生の物語りを求めているのも、ちっぽけな人間の脳の仕業に過ぎないという点だろう。そしてその脳自身も、宇宙的な大自然の中の一部なのである。厳然として存在する宇宙的な大自然の営み、これをどう自分と結び付けるか、それが私に問われている気がする。写真上は東寺の金堂、下は金堂内の薬師如来坐像。下はガイドブックからのスキャン。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

キイウイの豊作を祈って

2011-02-14 | 気ままなる日々の記録

キイウイの棚の拡張と剪定が終わりました。そこで得意の自画自賛。寒肥えとして鶏糞を散布。ここで寅さん映画の幕開けの定番である寅さんの夢のシーンにならって、僕は今秋、突然の心筋梗塞で明日をも知れぬベッドの上、見舞いに来た家内に「キイウイは順調か?」と問い、家内が「ええ、すごく順調、300個は収穫できそうよ」というと、「そうか」とほほ笑み「傷がつかないように一つ一つキッチンペーパーで包んで全部孫のところへ送ってやれ」といって、息絶える、というようなシーンを思い描いて苦笑する。

作業中、一羽の小鳥が僕の近くに来て離れない。小鳥に関して全く無関心な僕だが、あまりに奇麗で人懐っこいので目を留めた。最初、鳥かごから逃げ出した鳥で、餌を欲しがっているいるのだろうかとも思ったが、手を出すと逃げる。そのくせ遠くへは行かない。よく観察していると、庭作業に伴い飛び出してくる何かがこの小鳥の好物らしく、すばやく何かを啄ばんだりしている。それにしても奇麗で可愛い小鳥だ。たぶん幸せを運ぶ神の御使い(私にとっての瑞鳥)で、今年のキイウイは豊作に違いない。

 

 

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

棚の拡張が完成しました。

2011-02-10 | 気ままなる日々の記録

今日の午前中に、キイウイの棚の拡張が完成しました。これで棚面積は40%増となりました。剪定作業はコンクリートが固まるまで待ちます。最初の写真は工事前、次が工事中、最後が終了時の写真です。なお最初と最後は北側から、中央は南側から撮りました。

工事中に気付いたことがあります。3年前突然雌株が枯れてしまった理由です。当時からキイウイの近くには決して除草剤を使わないことにしていましたが、今回工事中に発見したことはキイウイの根が予想以上に広く延びている上に、地表に近い部分を走っているということです。これまで除草剤使用の範囲を、「前年悪影響が出なかったので今年もこの範囲まではよいだろう」という安易な考えで判断していました。この軽率さが最悪の事態を招いてしまったのではないか。根が延びてきている範囲が予想以上に早いスピードで広がっていることに気付かなかった軽率さに、猛反省しました。

購入した資材は塩ビ被覆パイプが150㎝3本、200㎝2本、ジョイント部品12個で、費用はボンドと簡易セメント2㎏(500円弱)を含めて約5,000円、後は全部廃材を利用しました。今秋、完熟キイウイが50個以上収穫できれば初年度にして黒字。最低100個の収穫を目指して施肥・剪定・給水・除草に精を出すつもりです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

松の剪定が終わりました。

2011-02-07 | 気ままなる日々の記録

ようやく3本目の松が終わり、今季の松の剪定は完了です。例年のこととはいえ、3本目が一番足場が悪く苦労しました。梯子から転げ落ちてはジョークにもなりません。しかしその分仕上がりがお粗末です。最初が剪定前の松の上部、次が剪定後です。

     

     

次の仕事はキイウイの棚の拡張です。昨春ひ弱な幹にやっと数個の実をつけてくれたキイウイの雌株が、初夏にずいぶん枝を伸ばし大きくなりました。そこで今年の夏には一杯実をつけてくれるよう棚を広げようという作戦です。市販のものと違って完熟のキイウイは孫が喜んで食べるとか、棚の拡張には孫へ送る楽しみがあります。今日のところは今の姿を報告しておきます。完成までの日数は5日ほどを予定しています。

      

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

舞露愚事始め

2011-02-04 | 随想

舞露愚(ブログ)事始め 

 

 

インターネット上で溢れているブログに「愚かさを露出して、それでも、楽しく舞うもの」という意味を込めて、こんな字を当ててみました。その上、その愚かな舞を私も始めてしまいましたので、その経緯と効用を初心者の目で書いてみます。

ブログとは何のことでしょう。実は英語の造語で、インターネット(Wb)上で記録(Log)するという意味で初めはWb log(ウェブログ)と呼ばれていた分野が、いつの間にか短縮されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになったものです。ちなみにLogの意味は、①丸太、②航海日誌、③運転記録、などです。つまりログ・ハウスのログに日誌とか記録という意味もありました。しかし、これではまだ何のことか分かりません。手短に命名すれば「公開日記」のことです。

ブログの最大の特徴は筆者の匿名性と読者の不特定多数性ということでしょう。中にはタレントや政治家・評論家などが実名でブログを出している場合もありますが、圧倒的に多いのは簡単なプロフィールとニックネームで公開している人たちです。

作り方は簡単です。トイレット・ペーパーのような長い巻紙を思い浮かべて下さい。最初に、筆者だけが書き込めるようにパスワード決めて登録します。続いて、業者が用意した表紙の写真やページのレイアウトなど指定し、タイトル入力すると、自動的に目次や索引が表示されます。つまり、これだけでもう「公開日記」の装丁ができあがりました。後は、中央部分にお気に入りの写真を載せたり文章を書き込んだりすれば完成です。出来上がったブログは、インターネット上の巨大な無料公開図書館に並べられます。こうした図書館は世界中に沢山あって、例えばヤフーやグーグルにも日本語対応コーナーが用意されていまが、私はNTT系の「goo:グー」を使っています。実は、この図書館は上記の巻紙、つまり書き込むだけでカッコいい日記帳になるノートを無料で貸してくれるのです。業者は、ブログの両サイドに企業の広告を小さく載せ、その広告料で儲けています。

 

最初に書きましように、ブログは今、日本中に溢れています。最近の話題と言えば「毎日新聞英語版事件」でしょうか。「ちょっと見てよ。許せない!」とブログで若い女性が声をあげました。対象は毎日新聞社が海外向けに英語で配信している『毎日デイリーニュース』で、そこには「ファストフード店で女子高校生が性的狂乱」とか「息子の成績向上のために、勉強時間の前に性的関係をもつ母親」とかいう低俗な記事が溢れていました。最初のブログを見た読者が『毎日デイリーニュース』で確認し、自分のブログにも「許せない!」と書きました。こうして英字紙を気楽に読む女性たちの怒りは頂点に達します。「日本人を貶めている」「三大紙の一つが何たることか」。そんな中で「この英語版に広告を出している企業に抗議と不買のメールをしよう!」と呼びかける人が現れ、この提案が爆発的な支持を集め広告主へ抗議が殺到、ついに企業は広告掲載を中止します。ちょっとお粗末なのは当の毎日新聞で、事態の推移にまったく気づかず、どう対処すべきかも分からぬまま時間を浪費しました。労組の中には「報道の自由」を盾に担当のオーストラリア人記者を守ろうとする声もあったとか。途中で「毎日新聞は名誉棄損など、明らかな違法行為に対しては、法的措置を取る方針」という声明を出したから治まりません。炎はますます燃え上がり、結局、担当記者が懲戒休職3ヵ月、担当常務も減給となりました。この事件以後も「ブログ論壇」ともいうべき世界は盛況で、中国漁船衝突映像や米国公文書の漏洩事件も、こうしたブログ世界でのありふれた小さな出来事の一つと見るべきでしょう。[参考文献:文春新書「ブログ論壇の誕生」佐々木俊尚著]

 

それはさておき、現在一番多いグログは、猫や犬などペットの日常を紹介するもの、外食した料理を写真入りで論評したもの、自宅の庭の草花を自慢げに公開しているものなど、いかにも庶民的な自画自賛型のブログです。読んでいてそれほど面白くもありませんが、書いている人は多分ワクワクして書いているだろうなあと思えるものたちです。自画自賛型のブログは、あるいは、路傍の名もなき小さな草花にも似て、道行く人は誰も目にとめてくれませんが、一生懸命咲いている、と言えるかもしれません。そして私が始めたブログも、もちろんこの自画自賛型で、昨日こんな庭仕事をしたとか最近こんなことを思っているということを淡々と書いています。

 私は、自分のブログのタイトルと接続方法を、兄と子どもたち及び親しい友人に知らせています。千葉と兵庫に住む子どもたちへの近況報告であり、兄や友人への心境報告でもあるのです。ブログのいいところは、電話や手紙あるいはメールと違って押しつけがましくない点です。子どもたちは、私のブログを見ているのかいないのか、会ったときも直接話題にすることはありません。しかし、帰省して夕餉の食卓で杯を汲みかわしている時などに、突然「『聞く』と『訊く』くらいはきちんと使い分けてよ」とか「うちの生垣はイヌマキだよな」と言うのは子どもたちだし、「接ぎ木をした柿の木を見せてよ」というのは我が家に立ち寄った兄嫁です。こんな時、一瞬戸惑いますが、すぐにブログに書いたことを思い出し、なぜか訳もなく嬉しいものです。

 

 私がブログを始めたのは、近くに住む84歳の「野菜作りの師匠」に教えて貰ったからです。この人の職業は農業兼撚糸業、74歳のときにワードを覚え、「これは面白い!」とパソコンを購入、基本操作を自学自習。2年後にはブログを開かれました。私は数年前、この人と一緒にある仕事をしたのを機会に親しくなり、それ以後この人を野菜作りの師匠と仰ぎ、季節ごとに、播種・施肥・耕作と何から何まで教えを乞うようになっていました。ある時師匠が「わし、ブログをやっとるで、見てちょう」とのこと。見せて頂くと、農作業や野菜の生育状況が写真入りでていねいに書いてありました。とくに使った肥料の袋や散布した薬剤の瓶の写真などは、本当にありがたい教科書です。この人のブログの定期閲覧者は今では1000人を超えているとのことです。

 

 分析哲学の泰斗大庭健氏の著書に『私はどうして私なのか』(岩波現代文庫)という名著があります。私たちの世代は、自我について、デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」から始まると教わったものですが、どうやらそれは間違いのようです。詳しくは本書に譲るとして、正しくは、まず他者の存在を認識し、その他者が自分をどう見ているかを考える中で自我が芽生える、というのです。つまり「他者あり、ゆえに我あり」だというのです。世俗を捨て、孤独を愛し、独自の美意識の中で日常を過ごそうとする自我も、実は他者の存在を意識しての自我であるという指摘には、重いものがあります。「人間は社会的な存在である」と言われる所以です。

悪化する自分の病状を克明に報告しているブログもあります。ブログを始めたら、草花や昆虫を見る目が冴え、日々が発見の連続であると書いている高齢者のものもあります。そうしたブログには出会った時は、自ずと頭が下がります。

 私たちの世代は今、未だ経験したことのない年齢を積み重ねながら毎日を送り、そのことを意識する年齢になりました。その上、私たちを取り巻く「世の中」は世界的な怒涛にさらされ大きく変貌しつつあります。そしてこの変貌は、誰の性でもないのに、私たちが今まで安心して身を置いていた「人の(ぬく)もり」という台地を揺るがし、身を寄せていた「常識としての価値観」という柱さえ引き抜こうとしています。こんなとき「ブログを書く」ということは、改めて自分の毎日を確認し、時には鳥の目で自分を眺めて見るということ役立つのではないか、毎日充実呼び寄ないか、と考えています。ブログ更新200閲覧者訪れてくだってい

これからブログをお始めになる会員の方、もしよろしかったらそっとアドレスを教えて頂けませんか。私もお教えします。

 

(本稿は、所属する同好会の機関紙に寄せた一文を、一部加筆・修正したものです)

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加