かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

久しぶりの夕方散歩

2014-09-27 | 気ままなる日々の記録

       

茜 (あかね)雲に魅せられて家内がカメラを向けました。茜雲といえば、岸恵子の『パリの空は茜色」が有名ですがここは愛知県北部の茜雲です。

そういえば、この日(9月27日の午前11時頃御嶽山が噴火しました。この散歩中も東の方を探しましたが見えませんでした。蛙くんの自宅から犬山高校補方面へ行くには木曽川の左岸堤防を東に向かって走るわけですが、ある時期、毎朝フロントガラスの中央に白銀に輝く御嶽山を見ながら走っていました。

蛙君が初めて御嶽山に登ったのは大学1年の時,高校時代の友人とでした。麓の山荘で前泊、ゆったりした日程で夕方までに頂上の山小屋にたどり着こうという計画でした。御嶽山は信仰の山です。山頂には御嶽教の総本山にあたる荘厳な神社があり信者さんたちの参拝が続いていました。そんな中、私たちの目をくぎ付けにしたのは、赤ちゃんを抱いたお母さんが神殿前にうずくまり、そのお母さんを取り囲むように立っている白装束の男たちの姿でした。男たちは先達を務めるようなリーダー格の人たちでしょうか。低い声で祝詞のような言葉を一斉に唱えていました。途中で激しく鉦を打ったり団扇太鼓のようなものを鳴らしたり、突然ほら貝をブオーと吹いたりして気を引きます。岩山の社の前でこうした祈りをささげるということに鬼気迫るものがあり私たちも打ちのめされていました。あの山から噴煙が上がったら間違いなく神様の怒りです。それもそうでしょう。大人が幼児をころすような社会になってしまいましたから。
 帰り名古屋駅に着いてから名鉄百貨店の屋上へ階段を登ろうという友人がいてエレベーターを使わず一歩一歩階段を上って屋上に到着、大ジョッキを傾けました。聞けば名鉄百貨店の屋上が標高92mとかでこれで3000m踏破達成となったということでした。だから御嶽山は標高2900mちょっとということでしょう。《数字は少しあいまいです.ゴメンナサイ》今考えれば当時私たちは全員19歳と何か月という年齢であったのになぜかビールの美味しさを十分知っていました。

 

     

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昭和老人の思い出

2014-09-25 | 気ままなる日々の記録

孫たちが何かをしてはコロコロ笑い転げているのを見て自分にもそういう時代があったなあと、小学校低学年時代を思い出しました。その頃のクラス定員は50人で男子25女子25人でした。その男子が自然発生的に二つのグループに分かれ12~13人がまとまっていました。運動場に出てもそのグループは同じところにいたものです。そこで一人の男子が相手のグループの誰かの前へ行って「やい○○、ドジ、ノロマのとんま、ケツでも喰らえ。」と云って自分のお尻をその男子の方に向けズボンの上からポンポンと叩き自分の仲間がいる方へ逃げて帰ってきます。逃げ帰ってからゲラゲラ笑うという遊びが流行し毎日やっていました。

 戦後になって水戸黄門の映画が流行りだして子どもたちは『ケツでも喰らえ』の代わりに「見ろ!肛門」と云うようになり云った本人が一番おもしろがり自分のグループに逃げ帰ってから一人笑い転げていたものです。

 蛇足ですが、男子の二つのグループが乱闘の喧嘩をしたという記憶はありません。突然、下品な思い出で失礼しました。でも、昭和老人にとって、「見ろ!肛門」!の時代は至福の時代でした。

古井戸へ落ちた蛙君こと昭和老人は、戦後のインフレと食糧難の時代にも両親に守られお腹いっぱいご飯を食べさせてもらい、、「見ろ!肛門」!の遊びに興じていた頃を今慈しみを持って思い出しています

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施設紹介(2)

2014-09-24 | 気ままなる日々の記録

 

左の写真は2階のリハビリコーナーで10種類のリハビリ用器具が並んでいます。手前の平行棒は歩行訓練用です。オソマツ君も以前はこれで練習をしました。右は囲炉裏コーナーで、サークル活動の談話に使われています。

 

下の写真は、施設内の蓮池です。モネのスイレンを思い出させてくれます。この池に鯉がいます。 

2~3日前5階から西を見ると茜色に染まった夕焼雲が見えました。急いで1階まで下りて写真を撮ろうとしましたがオークマの倉庫群に阻まれて残念な風景となりました。目を北に点ずると表玄関の街灯が灯り、夕暮れ空に映えていました。

                                      

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関東から孫たちが見舞いに来てくれました。

2014-09-23 | 気ままなる日々の記録

上が男の子で小学6年、下が女の子で小学1年生で、同じ小学校へ通っています。お陰様でいわゆる『いじめ問題』は全然ないようで学校が楽しくて楽しくて、という毎日のようです。事実孫たちは頭の上に何か載せて歩き笑い転げ、何かの真似をして笑い転げています。人生で一番楽しい時を過ごしているように見えます。実はここ数年この子達と毎年8月中旬に1週間以上寝食を共にしてきました。最初の年が沖縄、次の年が富士五湖の河口湖畔、その次の年はグアム、沖縄とグアムはホテル、河口湖はコテージでした。河口湖では、毎朝、富士山を正面に仰ぎながら湖畔道への散歩は快適でした。私は孫たちと手をつないで歩ながら童謡を大声でうたいました。おてて、つないで、野道を行けば、みんな可愛い小鳥になって歌を歌えば靴がなる・・・・・すると孫娘が「お爺ちゃん歌はやめて」と笑い転げていう。「どうして?」と聞けば「街では誰も歩きながら歌をうたわないよ」という。「どうしてかな、街の人は歩くのが楽しくないのかなあ」と私。

このあたりの別荘にお住まいと思しき老夫婦と出会いおばあちゃんの方が声を掛けてくれた。『お孫さんですか?」『はい。この子達は関東方面から私たちは愛知県から来てこの先のコテージでお世話にjなって、往く夏を楽しんでいます。富士山は本当にいいですね。何時見ても毎回表情を変えて何かを私たちに語りかけて呉れています」と私。続けて『実は孫娘から「お爺ちゃん歩きながら歌を歌わないで街の人は歩きながら歌を歌わないから。と云われて困ってるんです」『あら、お嬢ちゃん。ここでは歌を歌っていいのよ。沢山お爺ちゃんに歌ってもらって。さっきの『お手手つないでもよかったわよ」とお婆さん。孫娘は恥ずかしそうにしていた。こんなやり取りを昨日のことのように思い出しました。

 

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 子供たちがいるのはオソマツ君がお世話になっている施設内の「蓮池で緋鯉真鯉が沢山泳いでいて餌をやることができます。子どもたちはこの餌やりを楽しみにしています。

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散歩から

2014-09-22 | 気ままなる日々の記録

ネット越しの写真でゴメンナサイ。珍しい無花果(イチジク)畑です。畑全部が細かいネットで覆われています。中央縦の窪みには水が張ってあります。毎日夕方になると軽トラに乗ってお婆さんが手入れに訪れます。出いれ口は鍵がかかったドアです。無花果の注意事項は出荷前に昆虫が実に入らないことと幹にカミキリムシがはいらないことです。収穫は朝でしょうか。まだ収穫作業を見ていません。たぶん、駅弁売りのような駕篭を首から下げて一つずつ丁寧に収穫しておられると思われます。近くの八百屋で売られている無花果の値段と推定される収穫量から考えると、お婆ちゃんの仕事としては相当の収入があると思われます。

 

今年のお彼岸の中日は9月23日です。土の中にいても彼岸花はちゃんと暦をを知っているから大したものです。日照時間の長さから察知するのだそうですが、大自然はたいしたものです。同様に稲も実り、頭を垂れ始めました。どうか収穫まで台風が来ないようにと祈る気持ちで一杯です。

 

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夕方の散歩から

2014-09-18 | 気ままなる日々の記録

 

ここ丹羽郡大口町は豊かな田園地帯であり、耕地整理も見事に成功させています。何しろ田圃の間に作られた幅20センチ程の用水路でもサラサラ水が流れていて見る人の心を和ませてくれます。更に、見渡す限りの緑の絨毯の上をシラサギの群れが舞うのも優雅です。ここ「太郎と花子」に勤めている女子従業員の間には、朝出勤の途中でシラサギのペアのラブダンスを見かけるとその日はいいことがあるという言い伝えがあるそうです。
この用水路の橋の上で釣竿を持った小学生に逢い「何が釣れるのと聞けば「鯉」という返事が返ってきた。ちょっと無理な気もしますが子どもの夢は大きい方がいい。子どもたちにはいい自然環境である。

   

オソマツ君は手すりに捕まって歩く練習中。場所は「太郎と花子」内の蓮池の中。オソマツ君の足の下は池で沢山の鯉が泳いでいる。池ノ上に作られた遊歩道には手すりが付いていて湖面に映る夕焼雲を見ながら涼風に吹かれて必死に歩き回るのは至福の時である。オソマツ君の場合右足が劣化したらもう寝たっきりとなります。そうなってからいくら泣いても手遅れで、ここでの歩行訓練は今や最重要訓練です。

右の写真は散歩の途中で見かけた看板で赤字の部分が面白くって撮りました。最初に見たときは罰金が1000万円でしたが、次に見たときは100万円になっていました。

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施設紹介

2014-09-14 | 気ままなる日々の記録

 

左の石像はギリシャ神話の女神ニケ。航海の安全を守る女神だそうで当時地中海を航行する船の舳先に飾ってあったようです。

海底から発見された像は大切に掘り出され現在ルーブル美術館で保管されているそうです。上の像はそのㇾブリカ。相当のお金がかかっていると思われます。

この像があるのはお世話になっている住宅型介護施設1階、メインエントランスの正面広場です。

 

 

  ←  ホームのの全景

オソマツ君の部屋。↑

発病後救急車で運ばれた総合病院から次々と転院させられ、今、三つ目の介護施設に入ってお世話になっています。

やっとインターネットにつながるようになって、ブログの更新に挑戦していますが、10か月の間に忘れてしまったり、頭も壊れていたりしてうまくできません。お許しください。

今まで呟いていた蛙くんはオソマツ君に変身したようです。瘋癲 (ふうてん)君にもなるようです。オソマツながら投稿します。

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お詫びとご報告

2014-09-03 | 気ままなる日々の記録

 ビジターの皆様に何のご連絡もせず、かれこれ1年近く更新せずに放置していたことをお詫び申し上げます。実は『蛙の呟き』を呟いていた蛙くんが、昨年12月15日深い落とし穴に落ちてしまいました。経過は次の通りです。12月15日未明、蛙くんはトイレに行こうとベッド横に立ち上がった瞬間に崩れ落ち、以後ベッドに捕まっても立ち上がることができませんでした。

両足に力が入らなかったのです。「何か変だぞ」蛙くんは落ち着いて考えました。ひょっとすると脳内出血かも知れない。とすれば、出来るだけ早く専門病院に駆け付けた方が事後がいいのではないか、とすれば救急車のお世話にならなければと、思いながらも体が思うように動かないし、声も出ませんでした。何とか動くのは右腕だけ。そこで渾身の力を振り絞って右手で床を叩きました。階下で寝ている家内を起こそうとしたのです。15回ほど叩いたところで家内が見に来てくれました。『あなた、何やってるの?』そこで救急車を呼んでくれと頼み、救急車で近くの総合病院へ病院へ。病院で頂いた病名は「右脳視床下部内出血による左半身不随」というもので、即入院。それから、リハビリ設備が整った施設とかを転々として現在は住宅型介護施設というところでお世話になっています。ここは24時間ナースコール可で入浴食事つきというところが魅力です。

     

現在のところへパソコンは持ち込みましたがネット環境が悪く手も足も出ませんでした。手すりに捕まって少し歩く練習をしただけで酷く疲れてすることもなく昼間からベッドで寝ていると自分があまりにも情けなく枕が涙で濡れます。ブログの更新を思い立ちパソコンを開いても忘れてしまって作業が思うように進みません。やはり、頭も少し壊れたようです。そんな私の前に彩雲に乗って来てくださったのが「わたくしの師匠菩薩様でした。菩薩様のお導きによって更新ができました。写真の加工に使ったソフトは『フォト・ショップ」です。師匠は蛙の近くにお住まいで、私の「野菜つくり」から「パソコン」まで全てのことについての師匠で何から何まで教えて頂いています。師匠のブログのタイトルは「私の70代』です。是非アクセスして見てください。師匠は70代でブログを始められたのでこういうタイトルにされたわけで現在は80代後半です。精神年齢つまり好奇心と向学心は20代後半、有名大学の大学院の学生さんぐらいとお見受けしています。

 

               

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