JA愛知北が主催した「農事組合長会の親睦旅行」に参加した。バスで京都→丹波→福井と巡る一泊二日の旅で、農協婦人部長も加わった賑やかな旅でした。最初に訪れたのが、日本一の高さを(55m)を誇る五重塔を有する東寺。この寺は弘法大師空海が嵯峨天皇から賜ったもので、受け取るにあたって「真言密教の根本道場にしたい」という条件を付けたという。
この日は特別公開の期間に入っていて、五重塔の一階部分の拝観が許されていた。この五重塔には空海が唐から持ち帰ったという仏舎利(釈迦の遺骨)を心柱の基部に埋めたという伝承があり、いわば釈迦の石碑にあたるという。そこで一階部分に安置されたのが阿弥陀如来坐像など四如来坐像と諸菩薩の立像などであった。石段を登り重厚な木扉をくぐって歴史の重みを感じる薄暗い部屋に入るや、それまで賑やかだった私たちの一行が俄かに沈黙の石像群に変わる。眼前に現れたのは薄暮にも似た空間に浮かびあがる金色の如来像。その華麗なお姿と溢れる慈愛に私自身も身を震わせた。室内は撮影禁止で、以下に掲げる写真は東寺で求めたガイドブックからスキャンしたものである。
「人は物語りながら自らの生(せい)を生きている」。この言葉に接したのはもう十数年前で、ユング派の心理療法士といて世界的に有名な河合隼雄氏の本の中であった。その時はカウンセリングの世界での特殊な見方だと思ったものだが、最近読み終えた大沢真幸著『「正義」を考える』NHK出版では、今日の日本の混沌は、日本の社会が「自分の人生を物語化できない社会」になってしまったからだと規定し、リストラ・派遣社員・会社の倒産・孤独死などを切り口に、このテーマを多角的に論考していた。この本の論考はそれなりに興味深いものであったが、私にとっては、そうなんだ、 「人は物語りながら自らの生(せい)を生きている」という見方は、今では社会学全般で常識なんだ、ということの発見であった。そして、この四如来坐像を拝観したときも、この如来像のお姿が、当時の人々の人生の物語の中に確実に溶け込んでいたに違いないという思いに達し、感動を深くした。(最初の五重塔は883年完成、以後落雷等により焼亡を繰り返し、現存のものは徳川家光の寄進により1644年に完成したもの。四如来像の制作年代は手元の資料では不明)
「人々が、自分の人生を物語化できない社会」に関して言えば、今日的に最も困難な課題は「死後の物語り」だろう。「千の風になって」の流行がそれを物語っている。法然から親鸞にいたる時代の人々が、重厚にして華麗な仏像を容易に自分の人生の物語りの中に取り込むことが出来たのに比して、私たちは曲がりなりにも科学的という思考を身につけているので困難を伴う。ただ、ここで見落としてはならないことは、科学的な思考も、人生の物語りを求めているのも、ちっぽけな人間の脳の仕業に過ぎないという点だろう。そしてその脳自身も、宇宙的な大自然の中の一部なのである。厳然として存在する宇宙的な大自然の営み、これをどう自分と結び付けるか、それが私に問われている気がする。写真上は東寺の金堂、下は金堂内の薬師如来坐像。下はガイドブックからのスキャン。
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