かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

今日は1月31日。72候では「鶏初めて乳す」だそうです。

2016-01-31 | 気ままなる日々の記録

   文春文庫「日めくり72候」によると、およそ1月30日から2月3日ごろまでで、春の訪れを感じた鶏が卵を産み始める頃と云う意味を込めて、「鶏初めて乳す」というのだそうです。その昔、鶏には産卵期があり初春から初夏にかけて、産卵していたのだそうですが、人間による品種改良によって、1年を通して産卵するようになったのだそうです。

  今日はこの季語の通り暖かいポカポカ陽気でした。本当なら蓮池などへ行って十分に日光浴を楽しみ運動すべきところですが、生憎今,藤原正彦著「名著講義」(文春文庫)に夢中になっていて、先刻家内に急かされて、やっと蓮池へ出かけ日光浴をしてきたところです。

 そこで、「名著講義」から算数問題を一つ。

 「太郎と次郎が百m競争をしました。太郎がゴールした時次郎は十m後ろにいました。そこで次は、太郎がスタート地点を十m下げて走ることにしました。

 どちらが先にゴールしたのでしょうか。小学4年生の時だそうです。

 正彦少年は「太郎が1m勝つと答えて大いに褒められたと云います。どうしてだか、わかりますか?オソマツ君は分かるまでに3分ほどかかりました。

 この本で面白いところをもう一つ。藤原正彦氏のお父さんは新田次郎さんで今の気象庁の前身の気象台の技術者でした。

 周りは東大卒の偉い人ばかりでいつも肩身が狭い思いをしておられたそうです。

 その正彦氏が東大に合格したとき「お前のような馬鹿でも東大が受かるのか、これで俺の劣等感も消えたぞ」と云われたそうで、正彦氏はいい親孝行ができたと、書いておられます。

 微笑ましくも素敵なお話だと思いました。(T)

 


朝の出来事

2016-01-29 | 気ままなる日々の記録

  朝食前の7時半ごろノックがした。すぐに[訪問看護です]とおっしゃる。

  私は今まで訪問看護など受けたことがなく主人のことに関しての用事かと思いお話を聞いていると,私が予想外の顔をしたのか看護師さんの目が動いた。洗面台に置いてある薬入れにめがとまった。それには氏名と科名が記入してある。顔の反応から私が一言も発しないうちに名前を薬箱から確認するというわざはさすがである。

  突然「すみません。部屋をまちがえました」と云って隣の部屋へ入っていかれた。ケアさんなどはたびたびである。設計上そうなりやすいのだろうか。

 一度は本当に困ったことがあった。白衣を着た老紳士が現れた。服装から一目でお医者様と分かり、すぐ名前を云った。でも少しお耳が遠いのかなかなか信じてもらえず何度も名前を云わねばならなかった。生憎看護士さんは付いておらず、分かって貰うのに苦労した。

 人のことばかりいえたことではない。私などウッカリ階数を間違え下の階の男性の部屋をガラリと派手に開けてしまい実に恥ずかしい思いをしたことさえある。後で考えるとエレベーターの中でケアーさんが階が違うと云ったらしいがよく聞こえなかったので無視したようだ。よく間違えるのは数字を見ないで見当で開けてしまうからである。この辺と云う感覚がいけない。隣でなくて、一つ離れた部屋とよく間違える。距離感と云うのも老化するのだろうか。以後いつも部屋番号を確認するようにしている。(E)

           初雪


僕には呆ける傾向があることを発見しました。

2016-01-27 | 気ままなる日々の記録

  昨夜午前2時頃、目が覚めて「俺は何処で何をしているんだ。早く部屋へ帰ってもう寝なきゃ!」と思い、エッサカ、エッサカ、車いすに移って、動き出してから、ハッとした。

 俺は部屋にいるんだ。何処へ行こうというのか、今まで寝ていたんだ、と気が付いた。車椅子へ移るときは自分が何処にいて何をしようとしているのか、まるで考えなかった。

そうだこれが呆けるということだ、と気が付いた。

 僕の祖母は80歳を超えて派手に呆けた。よく行方不明になった。

 当時は道に車も少なく、田舎の人は同じ村のお年寄りをよく知っていて、

 おばあちゃんがうろうろしていると、上手に話しかけて家まで連れてきてくださったものだ・

 母がお礼を言うと、「しっかりしたお婆ちゃんだったが、年には勝てんでなも」と云って呉れていた。

 僕もこの祖母の血を引いていて徘徊を始める可能性がある。その点この施設は時間が来るとすべての出口が自動的にロックされて、事務室の前の玄関しか通れなくなるから安心だ。最低限、よく思い出して行動するように心がけよう。

 (追記》祖母の惚けぶりは1級品だった。

 ぐしゃぐしゃの自分の枕を風呂敷に包み大切そうに両手に抱えてお出かけだ.  僕は中学生ぐらいだった。「お婆ちゃん何処へ行くの?」と僕。「チョットおっか様に逢いに行ってくる」とのこと。祖母の実家は同じ字(あざ)で徒歩10分ぐらいの距離だった。

 「お婆ちゃんのおっか様はもうだいぶ前に亡くなったよ」「おっか様が亡くなった?、おみゃあさんは嘘ばっかり言ってワシを騙そうとしたって、そうは騙されんわな!」

 「お婆ちゃんは幾つ?」「80とチョットだぎゃあ。毎年替わるで忘れてまうわ」

 「お婆ちゃんが生まれたときおっかさまは幾つだった?」「そんなことしらんぎゃあ。30ちょっとだったろう」とこういう話はちゃんとできた。

 そこで「30チョットで産んだ子が80チョットになったら、おばあちゃんのおっか様は今幾つだね?」「そんなこと知らんぎゃあ。」「おみゃあさんは話を逸らして。邪魔ばっかりしやあす。チョットどいてちょう。わしは忙しいで、大急ぎで行ってくるで」と出かける・僕は大急ぎで母を探し母に知らせる。そんなことがよくあった。そんな祖母の遺伝子を僕も受け継いでいると思うとゾッとする。

 それはそれとして、此処では、僕が子どものときよく聞いていた生粋の尾張弁を再現しようとしてこの文を書きました。祖母たちが庭先で日常の雑談をしていた時の国宝級の尾張弁が聞けなくなって久しい。流暢な尾張弁を残す努力が足りなかったと思われる。(T)

(追記)今から20年ほど前だったでしょうか、毒舌お笑い芸人のタモリさんでしたか、「エビフライが、名古屋へ行くとエビフリャアーになる、名古屋弁はオミャアさんだの、はよ,イリャアだの、すぐに、ミャー、だのリャーだのと、春先の猫のようになって話します。とラジオで云って尾張弁が全国で話題になったことがあります。オソマツ君も学生の時、東京での会議に出て、美しい標準語で話していたつもりでしたが、東京の学生から、「君の流暢な聴き慣れない言葉は何弁ですか?と聞かれ気を悪くしたことがありました。「京都弁、大阪弁,に習っていえば、生粋の名古屋弁だよ」と答えてやったことを思い出しました。

   初雪


痒いところは意地悪ね。

2016-01-26 | 気ままなる日々の記録

 今日はお風呂の日、午前10時から出かけた。年末年始のごん雑も過ぎベテランのケアーさんたちのお世話になり少し熱めのお湯を楽しんだ。

 僕はここ1週間ほど右腕の肩の辺が痒くて苦労している。車椅子の両側にある手すりに肩を押し付け上下させて、かゆみを抑えている。もう一か所右足の小指の付け根が痒い。両方ともこの施設と密接な関係にある総合病院の皮膚科の診察を受け、水虫等の悪い菌は見当たらないが湿疹が崩れているのでお風呂から上がったらつけてもらうようにと云う塗り薬を貰っている。そのことを説明して体の方はこの薬足はこちら、と説明していた時、ケアーさんの口から飛び出した言葉がみだしの言葉であった。

  25日の朝

 僕はこのケアーさんの洞察力に感心した。確かに左腕や左肩が痒いときは右手で掻ける。しかし左腕が不自由な僕は右肩や右腕は掻けない。それを「意地悪だね」と云ってくれた優しさにも敬服した。連日の極寒だが、今日は終日ポカポカ陽気に恵まれそうです。(T)

 


新素数発見のニュース。

2016-01-25 | 気ままなる日々の記録

  今日は11時からリハビリだった。最初は杖を突いてヨッコラショ、ヨッコラショ、と歩く。歩きながら理学療法士の渡辺君が「凄く大きな素数が発見されたって新聞で読みましたが、そんなに凄いことですか?」と聞いてきた。かの有名な藤原正彦氏のご専門が数論で氏も素数の研究をしておられたと思う。

  素数とは二つの自然数の積に分解できない自然数のこと。たとえば15=3×5だから15は素数ではない。19は二つの自然数の積で表すことができないから素数である。素数を小さい順に書き出してみると2,3,5,7,11,13,17,19、23・・・・・。と続く。

  これ等の素数の間にある規則を見つけようとするのが数論の一つの分野である素数研究である。ある規則を見つけたとしてそれが、何かの役に立つかどうかは全く分からない。ただただ、知的好奇心というやつである。最近発見されたという新素数は220万桁の素数だという。一つ数を書くのに5ミリの幅が必要だとしても発見された新素数を書くだけで1100×1万ミリつまり、11kmのスペースが必要だ。

 この自然数が自然数の積で表せないことをどのように証明するのだろうか。多分大型コンピューターを何時間も使ってこの数を発見したのだから、発見プロセスの中に証明が含まれているのだろうが実用化が好きな人はこの発見された数がなんの役に立つかと聞いてくることだろう。

 答えは何の役にも立たない。だけど、大発見だということだろう。(T) 

 (追記》大学4年の時一緒に「ヒルベルト空間論」を勉強した友人から「素数の発見が何の役にも立たない」、とぼくが書いたことが間違いだとメールを呉れました。素数は暗号文を造るとき大いに役立つそうで現在も軍関係では大いに利用されているとのこと。謹んで訂正申し上げます。(T)

      初雪


都道府県対抗駅伝広島大会を見ていて思い出したこと。

2016-01-24 | 気ままなる日々の記録

  今日1月24日テレビで全国都道府県対抗男子駅伝広島大会を中継していました。広島は雪が降っていて駅伝日和だとは思いましたが選手の服装を見るととても寒そう。特に襷を待っている間が寒いだろうと想像していたら、自分も高校1年の時クラス対抗の駅伝に出たときのことをまるで昨日のことのようにおもいだしました。

 私が高校へ通った頃はアメリカ占領軍の命令によって(GHQ)、小学区制で高校の駅伝は自分たちの学区の市町村を全部回るという方針でコースが決められ、区間の長さも3キロから7キロまで不揃いで、各クラスとも誰をどの区の走者にするか頭を悩ませていた。

 駅伝の前に全校のマラソン大会というのもあった。これは1月の寒い日に学校の敷地の周りを10回ぐらい走って回るというもので初めの一周はクラスごとに並んで走ったが2週目ぐらいから自由競争になるという変則的な競技だったと思う。その時の順位を参考に各クラス選手を決め誰が何区を走るかを決めていたとおもう。

 兎に角今と違って道に車が少なく車と云えば荷馬車とバスぐらいしかなく、学生がマラソンをしていたら車の方が徐行して応援してくれた時代であった。

 私は当時から痩せ形で、畑仕事で鍛えた筋肉は少し自慢できた。マラソンに関しては早くはないが普通の速さで長時間走ることに少し自信を持っていた。クラスの選手に決まってから夕食後2時間ぐらい過ぎてから4キロほど走って密かにトレーニングもしていた。

 誰がどの区間を走るか決める会では①家の近くの道は走りたくない、知っている人に見られたくないという其れだけの理由で強く主張し②短距離を速く走るより長距離をマアマアの速さで走る方を希望し、ついに、自宅からは遠く離れた5キロの区間をはしることになった。

 当日は自分の自転車で襷を受け取る地点まで行き、服装を着替えて襷を待つ。その間の寒いこと、とてもジットしておられない。襷を受け取って走り出すと数台の自転車が僕を取り囲みイチ、二、イチ、二、と掛け声をかける。これを伴走と云っていて、彼らが夢中になって、鬼のように選手のお尻を打つ。「よーし、一人追い抜くぞ^-」などと気合を入れて選手を追いたてる。やっと区間を走り終え襷を渡すと伴走の連中は新しい選手を取り囲んで去ってゆく。一人残された僕は生理運動のつもりでその場で足踏みを続けて呼吸を整える。するとお腹がきりきりと痛くなる。もう道の脇で立っておられなくなり、道から降りて枯草のあぜ道に倒れ込んだ。どうしてお腹が痛くなるのか乏しい知識を総動員して倒れ込んだあぜ道で考えていた。低血糖値症で腸を動かしている筋肉が軽い痙攣を起こしているに違いない、とすれば、救急車をお願いしたり、大騒ぎするまでもない、なるべく丸まって体温の放散を避け、少し休もうと心に決めてうずくまっていた。

 すると、誰かが僕の体を揺さぶり「おい、生きているか返事をしろ」と云っているではないか。目を開けてみれば友人が心配そうにのぞきこんでいてくれた。その友人が最初に呉れたのが森永のミルク飴だった。友人は「疲れたときはこれが一番だと思ってくる途中でかってきてくれたとのこと。このキャラメルのおいしかったこと。もう一人の友人が水筒を渡してくれ、水筒のお茶を飲んで一息ついたところで友人が持ってきてくれたジャージを着てオーバーに身を包んで体の奥から暖かくなるのを感じたときの幸せ感は忘れられない。

 聞けば僕がいっこうに帰ってこないのでどこかで倒れ込んでいると思い探しに来てくれたとのこと。キャラメルと水筒と防寒具を持ってきてくれるとは完璧な友人たちだった。今も感謝している。(T)

    初雪


初雪

2016-01-20 | 気ままなる日々の記録

 先週末、関東地方に住む孫から月曜日は雪の予報が出ているから楽しみだというメールを貰った。

 今は寒がりの私であるが、子供の頃はやはり雪景色が大好きであったのを思い出す。

と同時に雪の詩が深く心に残っているのに気が付いた。小学校3年の頃だったと思う。

 私たち姉妹がお兄さんと呼んでいた小父さんから、[小学3年生]と云う雑誌をお土産に貰った。

 この小父さんは横浜の近くに住んでいて帰省するたび新しくて子供たちが喜ぶようなお土産を持ってきた。貰った本も珍しく大喜びして何回も何回も読んでいた。

 その中にあった詩が、何時までも心をほのぼのとさせたのを子ども心に覚えている。

 どうしてそんなに心を動かされたかは分からない。やさしくて暖かくてとにかく気になるとしか言いようがない。

 作者が誰かも,もちろん知る由もなかった。

 高校生になって学校の図書館でそれを見つけたときはアッと声が出るほどだった。

 作者は三好達治。意外な気がしたがそんなことはどうでもよかった。

 思いもよらぬ時に再び子どもの頃に出会った詩を目にしたことが嬉しかった。

 偶然であるが60数年経た今、初めてこの詩が夫婦の間で話題となり作者は誰かと話が飛びやっと思いだせた。詩の方は短い詩だから忘れるわけがない。70歳過ぎてもすらすらと云える。

          太郎をねむらせ、太郎のやねに雪ふりつむ。

          次郎をねむらせ、次郎のやねに雪ふりつむ。

 今朝めざめると東海地方は気象予報士の言葉通り初雪。一面の雪景色を綺麗だと思うが子ども時代のようなワクワク感は無い。詩の方はと云えばいまでも変わらずほのぼの感を心に残す。(E)

   

 

 

 

 

 

 

         


日本はどうなってしまったか。

2016-01-20 | 気ままなる日々の記録

  一宮市に本店があるカレーライスのチエン店「ここ一番」がそれぞれ訳があって廃棄した商品を横流しして、いつの間にかスーパーの安売りで売られていたという話には心底おどろかされた。

 食品である。わけありの食品をそれと知りつつ新製品のように売るという悪魔的行為を会社の役員をしている大人がするなんて、どうみてもおかしい、悪魔的である.

  子供が食べて死ぬかも知れない.それでも、儲かればいいというのか、儲けの前には良心も善悪もなくなってしまうのか。

 そんな人ばかりがいる国なのか日本は!。

 明らかになった以上その会社は直ちに倒産するほどの罰金を科せられ役員たちは10年ぐらいは刑務所に入ってもらわなければ示しがつかない。

 第一,世界に対して恥ずかしい。

 信用ならない御粗末な国ということになる。

 安部内閣も経済成長率のことばかり言って、下品か上品かを云わない。

 近年とみに、紳士にあるまじき下品な大人が増えた。

 国全体の形や上品さを考えている国会議員も官庁の役人もいないようだ。

 豊かな国にしたい。それはそれとして、まあ結構だろう、

 しかし、そのために、詐欺師のような大人が溢れる国にしては元も子もない。

 明治の始め初めて日本にやってきた西洋人《イギリス人》は,横浜の住宅街を見て、

 ①日本が子だくさんであること、

 ②町では老人たちが、何処の子かを問わず、まとめて子供の面倒を見ていること、

 ③どの家も鍵などかけていないのに盗難が全く無いことに驚き、

「素晴らしい国だと」絶賛していた国である。

 何という堕落だろう。大切なものを無くしたようだ。残念でならない。つい最近も、震災復旧の国の工事に談合も発覚したという。もう語るに落ちた国になってしまった。こうした不正に対する処罰が甘いのではないか?、立法府の怠慢である。(T)

 


「ひだる神」について。

2016-01-19 | 気ままなる日々の記録

  民俗学者柳田国夫の調査記録の中にあるそうである。

  峠越えの旅人が突然激しい空腹に襲われ自由が利かなくなることがある。手足がしびれ力が入らなくなり冷や汗が出て腹がこわばる。『ひだる神にとりつかれたのである。勿論昔からの伝承で「ダルダラン」と呼ばれることもあるが、この神に執り付かれたら、食べ物を口にするか手の平に米と書いてそれをなめるといいという。これは、人知れず行き倒れに逢った人の怨霊の仕業とされていたそうである。

  この「ひだる神」の伝承をどうするか?。今日的には勿論迷信である。しかし、この伝承を知っている人は日が暮れてからの峠越えを避け、無理な日程を組まないようにし快適な午前中に峠越えが終わるように配慮するだろう。この伝承にはこうした配慮を求める絶大な効果がある、昔の人はこの効果を十分計算に入れて大切にしてきたようにおもわれます。それを忘れて偉そうに迷信だと決めつけて、捨て去ってしまっていいのだろうかと思う近頃である。

 なおこの伝承は1月16日の毎日新聞の余禄から教わりました。(T)

 


ある散文に夢中になっています。

2016-01-17 | 気ままなる日々の記録

  今日は日曜日、リハビリもお風呂もなく24時間フリー。朝は私の好きなトーストしたパン。新聞を見に行ったり自主トレと称してリハビリコーナーへ行けば友人たちとのおしゃべりが始まる。そんな中で、もう少しまとまった仕事をしようとブログを書く気になりました。そしてタイトルに書きましたように最近夢中になっている散文を紹介させていただきます。先ずはその本文を!(本では2行になっているのに、此処では1行にして書きました。だから、左から右に読んで次に下の行へ移って下さい。)

 全てがずっと深かった     森の緑が深かった

 稲穂の黄色が深かった     川の流れが深かった

 人との交わりも深かった    昭和

 その時代に様々な事変があり  暗い記憶もいろいろ刻まれたが

 それらは常に         痛いものは痛く

 辛いものは辛く        楽しいものは楽しく

 だがそのいずれもが決して浅くなく 痛切に深く刻まれた気がする

 それにたいして戦後俺たちを  さまざま形で通過したものは

 政治も科学も気象変動も   うそも偽装も国家機密も

 それぞれ十分に深いはずなのに なんとなく浅薄にフッと過ぎ去り

 すぐに風化して風に溶けたことか 傷口は直ぐ癒え

 瘡蓋は素早く消え       あばたもケロイドも残らず

 それが世の中のスピードのせいか 科学医学が進歩したおかげで

 忘れることにぐいぐい馴らされ 認知症と云う厭な言葉で

 笑い飛ばされなんとなくごまかされ 深く思うこと

 こだわることは        現代に似合わないやぼだとされて《以下略》

これは、倉本総氏著の「昭和からの遺言」《双葉社発行定価1000円》の一説である。どの1行も味わい深く若いときのように全部を暗記しようと思うのだけれど老いた脳は受け付けて呉れません。

 倉本総氏は「北の国から」や「風のガーデン」等のシナリオを描き演出もされた東大卒の脚本家であり演出家としても有名なお方である。

 他のタイトルのぶんしょうでは、「この国が古代から培ってきたわび、さび、雅(みやび)、奥床しさ、蓄積してきた一切の文化を放棄して傲然と眩しく、ひたすら眩しく恥も外聞もなく光で染め上げたそれが最高と単純に考えて光を!もっと光を!光量の多さで世界一を目指そうと狂ったように列島を輝かした。」という一文もありオソマツ君が日ごろテレビを見ながらゲストを迎えて奇妙な答えを出させて笑いを取ろうとしている見るに堪えないクイズ系の番組を見事に切り捨ててくれた文章に感激頻りである。

 如何でしょうか?オソマツ君は上記二つのテレビは毎週欠かさず鑑賞しました。番組の時間に合わせて夕食を済ませテレビの前に正座して見ていました。

 倉本さんの言葉を借りればテレビ番組と云うのは今よりもっともっと重かった時代でした。学校へ行って昨夜のテレビの話になってもほとんどの友達が同じ番組を見ていて話が弾み、見ていないと肩身がせまいきがしたものです。そのうち民放ができ野球のナイターが中経されるようになると野球は見ない家庭も多くだんだんとテレビの存在も薄くなっていった気がします。(T)

       葉牡丹

 

 

 


孫の誕生日

2016-01-17 | 気ままなる日々の記録

  もうすぐ上の孫の誕生日がやってくる。たしか12歳になるはずである。小学校低学年になるまで誕生日、運動会、学習発表会と年に3回は必ずでかけていた。前日はホテルに1泊するので新幹線代と合わせるとかなりの出費になってしまうが背に腹はかえられぬといそいそと出かけてしまうのであった。

 何回も誕生日祝いを経験したわけであるがやはり一番記憶に残っているのは1歳の誕生日である。母方の祖父母、父方の祖父母、それに両親2人、計6人がそろっている席でのこと。

 昼食時になり寿司おけがテーブルに出された。孫は早速寿司おけを自分の方に引き寄せた。親が慌てて遠くへ離す。すると大人たちが、話に夢中になっている隙にまた自分の方へ引き寄せる、数回繰り返した後、母親がカップに入れたイチゴを手渡した。大好物らしく、すぐに食べてしまい、カップは空になる。逆さにして一生懸命振っている。またカップからイチゴが出てくると思ったのだろうか、それとも、ただの遊びでしているのだろうか、私には前者のように思えて1歳児の行動に感動してしまった次第である。

 あれから11年の歳月が流れ身長は今にも私を追い越しそうである。5か月前に逢ったきりだからひょっとしたら予想以上に伸びてはるかに高くなった居るかもしれない。本当に大きくなった。

 今年のイーメールには「あけましておめでとうございます、お年玉ありがとうございました」と昨年までなかった「ございます」「ございました。」が付いた。ここにも成長の跡を感じている。(E)

 


「脳出血の麻痺改善はなぜ?」

2016-01-16 | 気ままなる日々の記録

 1月14日の朝日新聞に見出しのような記事があった。

 わが身につまされ眼を皿にして読んだ。

 それによると、普通壊れた神経細胞は2度と再生しないと信じられていたのに、ラットを使った実験で脳の中に新しい神経細胞の網が形成されていたというのである。

 この研究をしたのは岡崎にあるある研究機関と名市大医学部の共同研究ということであった。

 動物実験とは、ラットの脳を破壊し、半身不随のラットを造りこのラットを狭い通路の中にある皿の上に乗せその近くに餌を近づけるとラットは落ちないように狭い通路を渡り餌を食べる。

 これを繰り返しているとだんだんと動作も機敏になり、スムーズに狭い通路が渡れるようになり気軽に餌をたべられるようになった。

 そこでこのラットの脳を調べたら新しい神経回路が出来ていてその回路は脊髄の上の方にある赤核と呼ばれるところと繋がっていた。つまりこれによって脊髄から出ている運動神経をうまくコントロールして安定的に餌のところへたどり着けるようになったと考えられる。ということだった。

 

 オソマツ君はこの分析に若干の不満を覚えた。

 この研究の「リハビリの効果」と云うタイトルが大きな誤解を招くと思うからである。

 着眼点は餌を使ってラットの意欲を引き出している点である。

 現在我が国のリハビリと呼ばれている訓練は、殆どが鍛練と云うか無理やり負荷をかけ筋肉強化ばかりが強調され自然な運動機能回復とは天と地ほどの違いがある。

 これでは脳の中に神経伝達回路が出来上がるはずがないと思われるからである。

 悲鳴を上げて泣いている患者に運動を無理強いして、大脳の中に素敵な神経回路が育つはずがない。大自然の摂理に反するからである。楽しいことやりたい意欲に満ちたことを繰り返すとそのことに関していつの間にか大脳の働きが良くなり運動も上達する。これは一般教科の学力強化にもいえることである。意欲こそが大切でありその裏には楽しさがあることを忘れてはならない。

 こうした考え方は我が国のリハビリ業界になく、一般に我が国の運動競技の訓練の世界にも乏しい。我が国では、精神主義的に真冬に裸になった瀧に打たれたり、俵を担いで土俵の周りを中腰で歩いたりする訓練が重視される。

 我が国が訓練に関して無闇にストイックになったのは、仏教の禅の修行の影響が大きいと思われる。仏教では人間の欲望を全て悪とみなしそれらを捨て去って全てを自然=仏に任せることによって悟りが開けると説き、座禅を始め滝に打たれて高僧への資格を手にした。これが運動部の訓練やリハビリの世界に大きな影響を与えたと思われます。

 楽しいとか面白いと思わなければ理科や数学の学力が付かないことは教育界では早くに明らかにされてきた。脳細胞の中の神経の発達と繋がりと関係するからです。

 リハビリも楽しくなければ効果は半減、と云う人間的な視点を大切にし研究発表もこうした視点を大切に分析してもらいたいものだ。

ここで思い出されるのが1歳前後の時である。はいはいが上達しky久力が付いてくると親が何もしなくてもヨイショと立ち上がり足を交互に前にだそうとする。最初はすぐにバランスを崩してドスンと尻餅をつく、しかし、すぐにもう一度立ち上がり足を前に出す。上手くいくと、キャキャと笑い喜んで何度でも自主的に練習を繰り返す。立ち上がって歩けると嬉しいのだ。自主トレが楽しいのである。あの時身に着けたバランス感覚で人は一生うまく歩けるのである。(T)

         夕焼け

   


「大丈夫ですか」が大流行していました。

2016-01-16 | 気ままなる日々の記録

  今日は土曜日だからお風呂へ出かけました。そうしたら、此処のケアーさんたちの間で「大丈夫ですか?」と云う言い方が大流行していました。嘗て「全然」が大流行して「全然ゴメン」と云われてしまって訳が分からず、そっと意味を聴いたことのある職場である。都会の若い女の子の間で流行っているという話し方をすぐに真似しようとするおばさんたちである。

 「お湯を入れて大丈夫ですか?」からはじまって「そろそろ出ても大丈夫ですか」など、なんでも大丈夫ですか?とくる。極めつけは「チョット立ってもらって大丈夫ですか?」とくる。「バカにするな!留まるとこさえあれば立つことぐらいできるは!とどなりたいところだが、本人は丁重に「チョット立ってください」の意味で云っておられるのだから怒ってはいけないと思い留まった。

 此処で思い出すのは永六輔さんがエッセーで書いていたコンビニの店員さんに『現金で大丈夫ですか?」と云われてしまったという話だった。その上パンを30個も買ったのに「お召し上がりですか、お持ち帰りですか?」と訊かれてしまったというはなしである。

 この調子だと近々に優秀なロボットが開発され全国展開しているコンビニは全部ロボットが対応するようになるだろうという話があるくらいである。そうなるとパートの職場はロボットに奪われて失業者があふれることになる。その時になって大変だと騒いでも手遅れでそれを招いたのもわが同胞だという気持ちで今から綺麗な言葉に対する感性を磨いておく必要がある。これを考えるのは勿論文部科学省だが、それに気が付いていないようである。(T)

 


オソマツ君がアメリカに嵌(はま)っていたころ。

2016-01-13 | 気ままなる日々の記録

  偶然が重なって高校時代の友人とメール交換が始まった。友人の息子さんがアメリカ勤務で10年近くアメリカに行っておられお孫さんがアメリカの小学校に通われた。高度成長の頃で、アメリカと云えども地域によって、大きな差があって一概には言えないが、多分アメリカの小学校では英語を母国語としない子供たちへの特別なプログラムを持っていて、お孫さんは、少人数で楽しく英語に親しまれたと思う。

 そういう配慮を全くしないのが残念ながら我が国で、日本に来たアメリカ人を始めとする外国人は子供の教育に頭を悩ませたことだろう、外国で育った日本人が帰国して地元の学校に通い始めても困ってしまう。いわゆる「帰国子女」の問題だ。国際都市とまで言われるようになった豊田市では日本語を母国語としない子供たちへの特別カリキュラムを相当充実させてきたという噂を聞いたことがある。

 アメリカの大きな都市には、日本人会があって、企業も参加、お金を集めて土曜日の午後日本語学校を開設し帰国後学年を下げなくてもいいように必要最小限の教育をしていたものである。

 オソマツ君がアメリカに嵌っていたころそうした大都市の日本人会にお世話になり、アメリカ人の家庭に1か月ぐらいホームステイ―をお願いしていたものだ。お礼がきわめて安く済む・どうしてホームステイを引き受けるか、決して主婦のお小遣い稼ぎではなく、ほとんどが自分の子供たちへの異文化体験のためだと云っていた。小中学生の自分の子供の将来のために言葉が通じない人や生活習慣の違う人とも仲良く一緒に仕事ができる人になれるための訓練の場を提供しようという趣旨だということであった。

 世話をしてくれた日本人の話によると、日本人は評判が良い。一番好評なのは使っている部屋の掃除や机やベッドの後片づけや机の引き出しの中まで気を使ってキチンと整理して使っている点だということだった。アメリカ人の母親は子供を呼んでそれを見せお手本にしているとのことだった。中国人が評判が悪いという話も聞いたがこのように人種によって決めつけるのが一番悪いことですよね。

 アメリカではいつもレンタカーを借りていて手元に置き、あちこちふらふらしていた。ヨセミテ国立公園やロサンゼルスのデズニーランド、カナダ国境のナイヤガラの瀧へも行った。この三つはアメリカ人が行ってみたいと思っている三大観光地だそうで私なんかが行っていては申し訳ないことです。

 ドライブと云えばアメリカの国道101号線をモーターインを使ってロサンゼルスからカナダ国境まで北上したこともあります。左手に太平洋の大海原、右手にロッキー山脈を見ながらの快適ドライブでした。

 同行したのはたいていのコースでアメリカ好きで酒好きの先輩でした。

 先輩は高齢で小便が近く、走行中に車をとめて道で立小便。

 ある時など急いで助手席へ戻り『すぐ出してくれ、そして曲がり角でどんどん曲がって逃げてくれ」と云われる。

 聞けば白いパトカーと目が合った。罰金を取られるといけないので逃げてくれということだった。

 逃げて捕まったら今度はドライバーに罰金だ。まあこのときは幸いにもパトカーに捕まえる意思がなかったようで助かったがとんだ弥次喜多道中でした。

 サンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジを渡った先の丘陵地帯[サウサリート]もアメリカ西部の高級別荘地と云われている。どうしてかと云えば見晴らしがいいこととすぐ近くの太平洋を夏は寒流が冬は暖流が流れて海からの風が心地よいからである。

 この地のある家庭に招待されて「航空ショー」を見学しアメリカ式パーテイーも経験した。また、サウサリートには東京築地の有名お寿司屋の支店がある。このお寿司屋さんが別荘地のアメリカ人に好評でいつも満席であった。和食がユネスコの世界遺産に登録される前の話しである。  

 アメリカの食事に飽きた日本人は是非行ってみたくなる。我々夫婦もそうした日本人で日本語で注文しながら日本酒も味わいつつマグロやヒラメやコハダをつまんだ時の喜びはとても言葉では表せない。こうして書いていてもあの時の感動が蘇る。

 (追記)ここまで書いたら是非書かなければならないことを書き忘れたのでそれを書きます。それは「カリフォルニアロールのことである。サウサリートのお寿司屋さんのメニュー表に「カリフォルニアロール」とありましたので「あれは何だね?」と聞いたところ「巻き寿司の芯の乾瓢の代わりにアボガドの果肉部分を使ったものです。アメリカの皆さんに好評で最近では東京の本店でも巻いていますよ」とのこと、試に食べてみたがオソマツ君には合わなかった。乾瓢の方が断然美味しい。しかし、アメリカ人にはこの乾瓢の美味しさは分からないだろうなあ、と思えた。民族の味というものがあって、是は簡単には変わらない。日本に帰って[カリフォルニアロール」を注文したことが無いのでどのくらい普及したか定かではない。だがサウサリートで流行したほどには流行らなかっただろうなあと思われます。

 ズッコケ旅ばかりではありません。家内と行った時などは真面目に観光地を巡り有名ホテルで高級料理も味わってきました。

 コロラド川の上流のグランドキャニオンへ行った時も上品ないい旅だった。何万年かの間コロラド川が台地を削ってできた渓谷とかで気が遠くなるほど深い谷底に青く美しい川が見え、その渓谷の間を観光客を乗せた飛行機が遊覧していた。

 カナダ国境沿いのウイスコンシン州へ行ったときなど美味しいメープルシロップに出会いたくさん買い込んだ。帰国後1年以上トーストパンに塗って楽しみ今でもメープルシロップを買い求めているくらいだ。この州の花の密も美味しかった。何しろ見渡す限りの草原で春には蓮華の花が咲き乱れ養蜂業が盛んでビン詰された此処の蜂蜜は世界に輸出されている。

 車で走っていて道が分からなくなり、休憩も兼ねて車から降りて地図を広げていると直ぐに世話好きのオバサンが寄ってきて何処へ行くか、今夜の宿はあるかと話しかけてきてくれる。アメリカ人らしいおおらかさで私が誘導してやるから後を付いて来なさいとまで言い出す始末だった。(T)


右手に筋肉痛が・・・・。

2016-01-13 | 気ままなる日々の記録

 昨日から右手の肘の内側辺りに筋肉痛だ出た。早速サロンパスをベタベタ貼って原因の追求となった。いろいろ思い出してみるが、心当たりがない。先週の水曜日音楽療法を受けたが随分前のことで、その結果ではないと思えた。昨日コンビニへ買い物に出かけたが、荷物がそれほど多かったわけでもない。

 1週間前にハイブリッド式加湿器が届いて使用し始めた。継続使用時間13時間タンクの容量5.5リットル、その割にコンパクトでとても気に入っていた。でもタンクの容量一杯に水を入れたことは無い。何時も3リットル位入れていた。ところが最近一度だけ3リットルより多くしたことがあった。どうもそのせいではないかと思い始めた。たったそれだけのことでこんな痛みとは、随分と体力が落ちたものである。

 体力低下は気にして足のためには階段の上り下り、器具での屈伸、ウオーキングと毎日自主トレを繰り返しているが、手の方まで気が付かなかった。トレーニングとしてはラジオ体操と音楽療法で使うくらいである。

 これからは、タンクの水量を少しずつ増やしていって毎日の自主トレに利用するのがいいのかもしれない。ケアーさんは、「何時でも云って下さい。水をいれますから」と云われるが、私の大切な自主トレ材料を渡すわけにはいかない。(E)