かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

お詫びとお礼(近況報告)

2015-01-30 | 気ままなる日々の記録

 夕日に染まる御嶽山

「近況報告」暫くブログの更新を怠って居たら、「生きているか」「脳内出血が再発したのではないか」とメールや電話で問い合わせを頂いた。ありがとうございました。以下に近況をご報告申し上げます。先ずネット環境ですが、ここ「太郎と花子」には光回線が入っていません。だから、原則インターネットができないのですが、現在は、ルーターと呼ばれる小さな機器があってこのルーターを介してやっとネットを楽しみブログをアップしています。ところがここ数日ルーターの調子が悪く「接続されていません」と云うメッセージばかり出てネットが思うように使えませんでした。

その上、ここも、インフルエンザが、流行して、部屋へ籠りがちの生活をよぎなくされていました。

 人が集まる行事は中止され、看護師さんによる徹底指導がなされ、マスクの着用や手洗いの励行などが護られ、最近になって以前の行事も復活して、日常を取り戻した感があります。その間に小生も体温37.3度、鼻水たらたらという通称「鼻かぜ」を発症し、お風呂を中止し、できるだけ、安静を保ち〈おかげで読書三昧〉ブログの更新を怠ったという次第です。今現在「鼻かぜ」も治癒し、お風呂も復活したところです。ご心配をおかけして、スミマセンでした。

        

                            真冬の夕焼

 

 


秋の日のヴィオロンのため息

2015-01-22 | 気ままなる日々の記録

 窓の外は、終日の氷雨、見ている者の心まで 寒さに震えさせる。訳もなく以下の詩が口をついて出て、あわてさせる。おいおい、今はバンバンの冬だぞ!その上、この詩は「白銀の山並みを見て思い出すこと」で触れた詩じゃないか。5階の窓から氷雨を見ていると頭の中まで寒くなり混濁が起きる。

落葉 

  作:ヴェルレーヌ
  訳:上田敏

秋の日の ヴィオロンの ためいきの 
身にしみて ひたぶるに うら悲し

鐘のおとに 胸ふたぎ
色かへて 涙ぐむ
過ぎし日の 思い出や


学生百人一首

2015-01-16 | 気ままなる日々の記録

刈り田の詩霜

  2015年1月15日の朝日新聞の「天声人語」に東洋大学が編集したとかいう「現代学生百人一首』からの数首が紹介されていました。ここでそれを紹介します。ただし、老人の狂首が一首まぎれこんでいますので、ご注意ください。

「正義って何だろうネ」と呟いて歴史の教科書をめくっている君」

「鴎外さんちょっと脳みそをお借りしたい、3月中にはお返しするので」

「レンタカーのようなレンタルボデイーはないかなあ。真っ先に借りたいが」。

レンタルボデーで不具合のない体になって、雪見灯篭を置いた庭のある源泉かけ流しの大露天風呂へ入りたい。温泉では、岩を枕に寝そべり,目を細めて、思いのほか近くに見える、白銀の山並みをいつまでも見ている。湯上りは当然大ジョッキのビール。冷酒を頼む頃にはイワナの塩焼きも注文、頑張ってくれたボデーの労を慰める。

「勉強は?と聞かれる度に見せる中指にある膨らんだ皮膚」

「将来の夢は?と聞かれる度に黙りこむ、幼い頃は三つもあったのに」


オソマツ君の慙愧の念

2015-01-13 | 気ままなる日々の記録

1月11日の読売新聞の「編集手帳」に次のような文章があった。

「……何事に寄らず「すごい」と「ヤバイ」などで済まそうとする風潮が若者世代にみられる。恩師から「字引」はまず「序文」と「凡例」を読め、と教えられた。辞書の内容は様々だが序文には大抵迫力がある。長年の苦労に加えて先達の業績も背負って筆を執っているからであろう。敬愛すべき序文たちの居場所は紙の辞典にしかないと思い込んでいたら、どうやらそうでもないらしい。……」

 私はここで、視線を外してわが身を振り返った。恩師からこんな言葉をお聞きした記憶が全くない。思い出されるのはもっと酷い記憶ばかりである。オソマツ君は昭和24年に新制中学校に入学し、初めて英語と云う教科を習った。しかし、オソマツ君が入学した田舎の中学校には英語の先生が一人も居なかった。戦争中,軍の命令で英語教育が日本の学校から消されていたためである。曰く「敵性言語の教育は不要!」そこでオソマツ君の中学校には県内の国立大学の学生がアルバイトとして英語を教えにきておられた。

 この学生先生は、今では見なくなった角帽をかむって萌歯の下駄をはいてギシギシいうおんぼろ自転車にのって駅から中学校へ通っておられた。自分は一応経済学の本を英語で読んでおられただろうが、教育実習の経験もなければ、学習指導要領に書かれているミニマムエッセンシャルズと云う考えも知ない。授業中マリリンモンロー主演のアメリカ映画の話ばかりして、生徒の人気をとり、英語については、教科書を読んで、続けて日本語訳を云われるだけだったから、生徒はその日本語訳を必至でノートに取るという授業ばかりだった。関係代名詞も文の五型も教わらなかった。そんなオソマツ君が驚いたのは高校へ入ってからであった。都市部の中学から来た生徒や私立中学から来た生徒との英語の学力差は瞠目に値し語彙、文法、発音から作文まで、田舎の新制中学卒業生とは天と地ほどの違いがあったのです。。チョット目先の利いた大人たちは新制中学の教師の力不足は気が付いていた節があります。一番よくこの差を知っていたのは教育委員会であり文部省《文部科学省の前身)だったでしょう。

 そしてまた現代も同じ状況が再生産されているようで心を痛めています。第一、教員免許状が安易に発行されすぎています。 教育実習で指導教官から授業のレベル、授業展開、生徒への叱咤激励の仕方、テスト問題の作成など教師生活の一から十までを徹底的に教え込んでから免許状を授与するシステムを重視すべきです。文科省が行う学力テストの結果を公表すべきかどうか毎年議論されていますが、これも当然公表すべきで、授業改善の貴重なデータとして活用すべきだと思います。

 

 

 

 

 


白銀の山並みを見て思い出すこと

2015-01-08 | 気ままなる日々の記録


            

正月三が日雪雲に覆われていた我が国の山々は

見事な雪化粧を終えて美しい山並みを見せてくれている。この白銀の山並みを見ていて突然思い出したのが高校2年の頃暗記したカールプッセ作上田敏訳の次の詩である。

『山のあなたの空遠く

幸い住むと人のいう 

ああ我人と 尋(と)めゆきて

涙さしぐみ帰りきぬ 

山のあなたのなお遠く

幸い住むと人の言う』

カールプッセは1872年《明治4年か?》生まれのドイツの詩人だったと思う。江戸末期から明治の初めに生まれた人でこんな詩を書く人がいたのかとドイツとヨーロッパをいたく尊敬したことを覚えている。その頃私の友人で、「いい詩や言葉に出会ったら全部覚えてしまおうと友人を誘う人がいた。暗記しておけば何かの折にそれを思い出し、そのことがきっと人生を豊かにしてくれると思うんだと彼は言った。私は「そんなに、覚えられないよ」と云ったものだ。でも彼は「心を込めて3回も読めば覚えられるよ」と笑っていた。上の詩もそのような会話の中で覚えた詩だ。

「ああロッテさんさようなら。時計が12時を打ちます」というセリフも文庫本半ページは暗記し合っていた。これはゲーテ作の小説「若きヴェルテルの悩み」の主人公が自殺寸前に恋人ロッテに贈った言葉(日記に書かれていた)である。詩や小説の名文を片っ端から覚えていた友人は大学卒業後地元新聞の記者になり晩年はその新聞の文芸欄を担当していた。

 蛇足ながら寒さには2種類あると思われることを記しておこう。幸田露伴の娘の幸田あやが酒飲みの父の夕食の献立を考えるエッセーで書いている。気象情報で今夜は寒いと云っているとつい鍋物にしようかと考えがちだが、私はそこで思いとどまって、吹雪の夜は鍋物、しんしんと冷えそうな夜は逆にパリッとした野菜の浅漬けを出して、熱燗にして貰う。しんしんと冷える時は丹前を着てもらい熱燗にした方が料理もお酒も美味しいと思うからだという。さすがである。寒さには「吹雪」と「しんしん」の二種類あって「しんしん」の方が御しやすい。白銀の山並みの寒さは勝手ながら「しんしん]の方に思われる。

ところで、当時「山のあなたの空遠く」とセットになって友人と競って覚えたのが次のヴィオロンの溜息や島崎藤村の「初恋」だった。何とか思い出せた感じだが少し怪しい。オソマツ君のオソマツな青春の一コマではある。(一部ヤフーによる検索を含む)

上田敏 『海潮音』より

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ

落ち葉かな

島崎藤村「初恋」

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのずからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


娘夫妻が車でお年始兼お見舞いに来てくれました。

2015-01-04 | 気ままなる日々の記録

娘夫婦は兵庫県加古川在住、2日に出発、既に高速道路の渋滞が報じられていたので、神戸・大阪を通る高速道を避け何と若狭湾へ抜ける道を選び、まあまあ順調に福井県に入り、三方五湖辺りから江南市を目指したとのこと、この選択が正解で2日の日に実家に到着。(それでも渋滞で10時間以上かかった)。お風呂にも入ったとのこと、、三日の午前中に顔を見せてくれた。婿さんは若いころ冬山に登っていた岳人でピンチの時の冷静な情報収集力と判断力は信頼できる。

 

婿さんは長男で、12月30日に、親戚一族が集まって餅つき大会を開くという伝統行事をお持ちのご家庭で、長男の嫁は餅つきの時「手返し」ができないと治まりが悪いが、御嬢さんは手返しが上手で喜んでいます、とは、お父様のお言葉。

 そういえば、我が家でも、親戚から頼まれたお餅を幾臼もついてその全部手返しを母がしていた。娘はそれを見て育っているのだ。いつどこで、何が役立つかはさっぱりわからないのが人生というものか、何事にも興味を持ち、もし自分がするとしたら、と云う態度で観察しておくのが良いのかもしれない。我が家も母が健在の頃は30日が餅つきの日で、私と兄はへとへとになっていた。

 

私がブログに書いた「大晦日と元日に生家を離れたことがない」と云う一文に二人からクレームがつきました。一人は家内でもう一人は娘です。オソマツ君の名に恥じない失態ですが、正直に告白します。

家内からのものは、去年の大晦日と元旦は病院だったことをもう忘れたの?というもの。ギャフン!

そういえば、救急車で運ばれたのが12月15日の未明で、それ以後一度も家に帰っていない。

二人目は娘で「私が大学生だった頃の大晦日の日に東京のホテルへ泊まりに行って、初詣は明治神宮だったことを忘れたの?あれは一体何だったの、とんだ散財じゃなかったの?」というものだった。

そういえば、私が提案してそんなことをしたことを思い出した。あれは、どこかの旅行社で手に入れた広告に僕がとびついてしまったからだ。そのパンフレットには、江戸時代末期の江戸商店街のお正月の情緒を再現します。お獅子の厄払い・筝曲演奏・町内会の名刺交換会等々。とあり僕は急に覗いてみたくなってしまったのだった。ホテルは銀座東急だったか、品川か赤坂のプリンスだった気がする。行ってみて分かったことだが、年末年始の東京のホテルは、会社や役所の出張がないため、ガラ空きで、各ホテルは独自のイベントを計画して客集めをしていて、「正月の江戸情緒」というのもそのイベントの一つに過ぎなかったまあ、手短に言えば、客不足に困ったホテル側が、田舎者の野次馬を狙って疑似餌を撒いたところ、田舎者の野次馬の見本のようなオソマツ君が家族まで引き連れて釣り上げられたという構図でした。それでも、二人一組の獅子舞は圧巻で、子どもたちの頭を噛む真似をして厄をおとしてくれたし、筝曲の生演奏もこころを和ませてくれた。名刺交換会の会場をホテルが提供した格好で、お金持ち風の商店主たちが紋付羽織はかま姿でお年始のあいさつを交わしお屠蘇を勧めあっている光景もいい感じだった、確か宿泊客も部屋番号のバッチを付ければ参加できたと思うが、私は参加しなかった記憶だ。娘が、この旅行をよく覚えていてくれたことは。嬉しい限りだ。息子は覚えているかどうか怪しい。

蛇足ながら、偉い人が年始客をにご自宅でなくホテルでお受けになるという話を聞くようになったのも、このころからである。


元旦の日エレベーターの中で。

2015-01-02 | 気ままなる日々の記録
  • 元旦の日エレベーターの中で顔なじみのケアーさんに声を掛けられた。
  •  「オソマツさん、格好いいレグウヲーマーだね、手編みじゃない?。奥さんに編んで貰ったの?」
  • 「違うよ、家内の妹さんに編んで貰ったようだ。」
  • 「すごいねえ」
  • 「うん、妹さんは手編みを機械編みもすごく上手らしい。それで、お姉さん風を吹かせて頼んだらしい」と私。
  • 「そうそう、私にも姉さんがいるが、お姉さん風がすごいの。何時もビュービュー吹いてる。幾つ違いなの」
  • 「2歳かな?」
  • 『一番風が吹く年齢差だよね」
  • 「そお。私には一歳年上の兄がいるけど、兄貴風は吹かないよ。女だけお姉さん風が吹くのかなあ」
  • 「そうみたいね。何でもいいけど、凄くカッコいいよ」
  • 「そお、ありがとう。それにすごく暖かいの。今年もよろしく。次で降りますので」
  • 今年は元旦から縁起がいいと鼻歌です