かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

徒然なるままに。

2018-06-30 | 気ままなる日々の記録

  朝起きてから、夜寝るまで、全部の時間が自由と云う恵まれた環境に置かれて毎日を送っています。「小人閑居して不善をなす」と云われないように心がけてはいるが、自分が小人であることに、代りはない。そこでふと思いついた疑問が、地球上で最大の大陸であるアジア大陸に人類が住み着き、アジアでもヨーロッパでも農業始めその上小麦を栽培し始めた人類が、その小麦を石で潰し「おから」と呼ばれるところは家畜の餌にし「うどん粉」と呼ばれるものに加工した。

  そこまでは中国もドイツやフランスも同じであったのに、それから、ヨーロッパではパンに加工され中国ではうどんにされたのは、どうしてだろうと考え始めた。これがなかなかの難問で数日考え続けたが結論が出ない。これは「文化人類学」と呼ばれる学問分野の問題だと思われますが。なかなかの難問で容易にそれらしい答えが見つからない。それでも一応それらしい答えにたどりついたので、其れを記して、読者諸兄のご批判を仰ぎたいと思う。勿論時代は我が国では縄文時代とよばれる有史時代の最古のじだいである。

  収穫した小麦を石で潰して「小麦粉」にするまでは、東西おなじであった。ところがこれが西洋ではパンにされ、東洋ではうどんにされた。これはどうしてだろう。というのが根底の問題である。

 先を急ぐと、ヨーロッパでは容易に石炭が手に入り、洞窟の奥には人間の寝るところと石炭を燃やして要る場所があって、洞窟の奥にはいつも石炭が燃やされていたのに対して中国(東洋)では近くに石炭は無く枯れ木を燃料にしていた。

  従って小麦を石で潰して小麦粉にしてから水を加えて練ってうどんにしたのに対してヨーロッパでは水を加えて暫くしてから焼いたらパンができた、ということだろうとおもうことにした。

 自然環境に支えられて人類はそれぞれの地域でたくましく生きぬき今日に至ったということでしょう。(T)

  

                       瑠璃菊


最寄りの駅で見かけたこと。

2018-06-24 | 気ままなる日々の記録

  事の始まりは隣の奥様から送られてきた写真だった。写真は花壇の周りに植えてある山茶花の消毒を依頼したのでその様子を寫したものである。私はその写真を一目見て山茶花の消毒よりその根元に生えている雑草が気になった。毎晩夢に見るし自分の体力を試すためにもよいきかいだと考え家に帰ることにした。体力が衰え仕事をするために数年家に帰っていないから。

 出かける時は曇りでこのまま同じような天気が続くと思ったら除草液を作ったところで、雨が降り出した。雑草も意外と大きくプロに任せるより方法はないと思った。雨戸を閉め庭のプラムに目をやると木の下に雑草が生えている。これだけは、抜かないと、と思い雨がっぱを着て抜いた。プラムの実を見ると例年より半月もはやく色づき始めている。台風が来ると聞いていたので、出来るだけ収穫した。家に帰るととにかく雑用が多い。気が付くと5時すぎ、バスに乗り最寄りの駅に着いたのは6時30分だった。

 荷物があるのでエレベーター用の改札を出ようとしたとき、ヒスパニック系の4人組の男女を見かけた。最初の男性は乗車券を入れて改札を出た。次の女性二人は前の人が乗車券を入れ後ろの人が抱きつくような格好で改札を出た。最後の一人は乗車券なしで、15センチほどのレバーの隙間をこじ開け大きな荷物とともに通過した。何をしているのか理解できなかった。

 声を掛けようか。駅員に知らせた方がよいのか。

大勢の人がいたが皆気にかけていない様子、80歳近い私も大勢の人々の一人になった。

 しかし、ふだん見かけない光景を目にした所為か私の頭の中に何時までも残りあれこれ考えた。

結局結論は出ずじまいである。(E)

    

                              宮崎からのマンゴー


ドクダミの花

2018-06-10 | 気ままなる日々の記録

  ここの施設の蓮池のドクダミが満開となった。そうは云っても池の中心にある花菖蒲と比べるととても満開とは言い難い。菖蒲の長い葉の根元にひっそりと咲いて白い十字の花びらを付けているだけだから。

 我が家は槇の木で四方が囲まれている。その木々の根元の日陰になるところによく自生していた。草取りの時に間違って、茎を切ってしまうと白い汁が出てとても強い悪臭が周囲に漂った。本当に嫌な思いをしたのを覚えている。毎年抜いても、また次の年にはやはり生えていて同じ失敗を何回も何回も繰り返していた。

 ところが昨年あたりから、そのドクダミに対する感じ方が変わった。目立たないが、20株、30株と根元に固まって咲いているのを見ると、清楚できれいだな、と思うようになった。それは草取りをする立場から、眺めるだけの立場に変わったからと思うのだが。

 昨年だったか。新聞紙上でドクダミについての文を寄せている人を見つけた、60代の男性だったと思うがその文からドクダミに対する好意的なまなざしを感じて、私まで嬉しくなったのを覚えている。最近では、ドクダミが不妊治療に効くという記事を読んでビックリした。

薬草と云う認識はあったが、呼吸器系か消化器系に効果があると思っていたので。

 このように歳と共にいろいろな好みが変化していく。(E)