かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

オーストラリア西海岸のパースに滞在したことがあります。

2015-06-27 | 気ままなる日々の記録

オーストラリアへの旅もフライト&レンタルの旅でした。パースはイギリス人が初めてオーストラリア大陸に入植して最初に造った街で、アーケード街もイギリス風の雰囲気を漂わせている。ここでステイしたコンドミニアムは戸建てを数十軒持っている大手で入居者専用のプールもあり、昼寝から起きてひと泳ぎを楽しむことができました。オーストラリアの雨季は何時かと訊いたら一年中だという答えが返ってきて慌てたことがあった。つまりオーストラリアはそれほど国が広いわけで国土が5地域ほどに分けられていて雨季はその一つの地域が終わると隣の地域に移り、これを繰り返しているのでどこかの地域がいつも雨季になっているのだそうだ。

 雨季と乾季および日照時間の関係で、良質のブドウが取れる地方があり、ワイン醸造も盛んである。レストランで飲んだワインがおいしくて、銘柄を聴いたら、この地方で生産されているワインで、ワイナリーの場所までお聞きできた。そこで、早速ワイナリーを訪ねてしっかり購入して車のトランクに納めた。

 オーストラリア西海岸の景勝地は海岸線で、インド洋の彼方に沈む夕日が世界一である。赤みを帯びた色が格別で、彼方に雲があると、雲が染められ巨大な虹を見る趣である。海岸線沿いのコンドミニアムに宿を取って、ビニールシートとワインとグラスを持って砂浜に陣取り、早速、夕日を見ながらワインを嗜む。これこそ、まさに極楽である。

 我々がで楽しんでいると、サーフィンを楽しんでいた老人が頭からしずくを落としながら話しかけてくる、そこでまずワインを勧めて、雑談に興じる。年金生活者で夕方のサーフィンが唯一の楽しみだとのことだった。相変わらず何処から来たか、いつまでいるか、何の用事で来たかと云う質問は何処も同じだ。

  海岸線での日没までのひと時が楽しくて、この海岸線を南下して南極海まで出てみようと思い立ち、家内に地図を見てもらって南下した。途中レンタカーに備え付けられていた地図ではダメになり、急ぎ近くの書店に入り、必要な地図を買い込むという一幕もあった。

 インド洋と南極海を分ける半島の岬に着いたら、そこに大きな案内板があって、右側がインド洋で、左側が南極海ということが書いてあり、ついに来た!と感慨も一入であった。半島の最先端の灯台の上から、南極海をよく見ていると、やはり、波が違うし海の色も今までのインド洋とは違っていた。南極海のあの、不気味な色は今も思い出すことができます。

  この旅もいい旅であった。コテージのベランダで観た夕日も忘れられない。昼食後地元のスーパーへ食料品の買い物に出かけ、コテージのキッチンで家内が作ってくれた料理をベランダのテーブルに運び、例の通り夕日を見ながらのディナーという趣であった。

 オーストラリアは野菜もお肉も魚も安い。それだけ自然がゆたかということである。生活費は日本にいるより安いと家内が云っていた。オソマツ君はニュージーランドでもオーストラリアでも寛ぐとご飯が食べたくなる典型的な日本人で、パンでは心地よい満腹感が味わえない、その点、両国ともスーパーでお米を売っていて、家内がお鍋で上手にご飯を炊いてくれて全く問題がなかった。


ニュージーランド

2015-06-26 | 気ままなる日々の記録

  オーストラリア大陸の東側に位置し、赤道面に関して日本とほぼ対象の位置に南島と北島と云う二つの島からなる風光明媚な島国である。青い海と美しい草原に覆われた陸地には、ノンビリと草を食む羊たちが溢れ、国を挙げて「観光立国」宣言をし、観光客を暖かく迎えてくれます。国の政策で、牧場経営の農家の屋敷にバスとキッチンのついた離れが建てられていてそこが観光客に貸し出されます。普通は1週間単位とか1か月単位で貸し出され、お部屋の掃除やシーツ交換がついています。主な観光客は、北欧やヨーロッパからで、クリスマス休暇と新年の休暇を続けて家族で暖かいニュージーランドで過ごすという客である。

 12月に入ると日差しが強くなり、街も野山もあでやかな花が咲き誇ります。特に北島の海辺で見られるポフツカワの赤い花や、南島のレイク・テカポ周辺のルピナスの花畑などは、夏の到来を知らせる花として有名です。色鮮やかな風景が、旅の感動を倍増させてくれることでしょう。また、日没が遅いのもこの季節の魅力。夕方からセーリングに出かけたり、眺望のいいレストランでゆったりディナーを楽しんだりと、リラックスした時間が過ごせます。

  また美しい湖が多いのもニュージーランドの特徴で、若いカップルがゆっくりボートを漕ぎ出していたり、シートを敷いてスナックをたべていたりします。

  蛇足ながら、ニュージーランド観光に興味をお持ちの方は、インターネットでその旨を書き検索されると、ニュージーランド政府作成の観光案内に容易にたどり着きます。そこには、素敵な写真満載の上、経費の概算も記載されています。

  ニュージーランドをドライブする人に、絶対伝えなけれがならないことがあります。それは、郊外に出ると交差点に信号がないことです。代わりに交差点にはラウンド・アバウトと呼ばれる大きな円があります。この円内に車道に相当する円形の車道が同心円状に3車線ぐらい用意されています。一般の車道から円周上の車道に入るのにいったん停車し円周上の車道を90~180°廻ってまた一般道へ出る人は一番外側の車道を走り、270°以上廻る人は外から2番目の車道に入ります。自分が出たい一般道が近づいたら、外側の車道に移りそれから一般道に出て行きます。《文章で説明するのは大変難しいので「地球を歩く」というガイドブックを参考にしてください。

  なぜニュージーランドの交差点に信号がないかと云えば交差点の近くに電源がないからです。道路に沿って何本も電柱が立っているのは日本だけです。ニュージーランドは島国ですが、人口密度は少なく、郊外では、交差点の近くに民家もありません。逆に交差点の真ん中に半径15メートルくらいの円形車道を用意するくらいはいくらでもできます。それだけ自然が豊かです。

  ニュージーランドの魅力は文化が高く、衛生状態がよく、どんな場末の食堂に入っても衛生的で、上品な味の料理をだしてくれますし、お値段もたかくありません。国民の皆さんは大いに親日的で親切ですぐに「うちの洗濯機は日本製だとか、うちのエアコンは日立だ」とかいって親愛の情を示してくれます。

  またここには、氷河もあります。近世ヨーロッパ人で最初にニュージーランドへ来たのはハワイを発見したと云われているキャプテンクックです。彼が南太平洋を航海中、望遠鏡で島と山を見つけこの島に寄ったのが最初と云われています。その山がマウント・クックと呼ばれているニュージーランドで一番高い山で、ここには氷河があり、ヘリコブターで行くことができます。

  最後に一つ、南島に滞在中の体験談を一つご紹介します。朝食を済ませるとすぐに、海岸線に向かい、波打ち際をぼんやり眺めていることを日課にしていたころ、その波打ち際を馬に乗って楽しそうに毎日走っている白人の中年男と顔見知りになり、ある日その人が馬から降りて、何処から来たかと話しかけてきた。そこでこちらも同じことを聞き返し、共に下手な英語で話し合いました。それによると、彼はドイツの中学の理科の先生で、毎年同じ宿へ奥さんと来ていて、馬はその家主の家の馬で、自分が来ると馬がとても喜ぶので馬に惹かれて来ているとのことだった。波打ち際を乗馬で走るなんて、見ているだけで楽しそうだが本人はどんなに楽しいことか、ドイツ人の豊かさは、小さな家の家電の中に埋まっている日本人の豊かさと桁が違うと思ったものだった。

  云い忘れましたが、ニュージーランドの北島には温泉も露天風呂もあります。みんな、水着をきて露天風呂に入っていました。これは、日本の方がはるかにいい。

 

 

 


定年前の数年

2015-06-25 | 気ままなる日々の記録

停年前後にある予備校から選任講師として来ないかと云うお声が、ある人を通してかかりました。

 聞けばその予備校では浪人生に高校在学中に受けた授業で分かりやすかった先生の名前の調査をして、それを基礎データとして、いろいろ周辺調査をしその人が定年になるのを待って勧誘をしているということだった。オーバドクターや、大学の先生からの売り込みも多いようだが授業の面白さがその予備校の生命線だから進学校の教師を狙っているとのことだった。専任になると年俸2,000万円で、公開模試の問題作成と採点、夏休み冬休みなどの、特別講座も担当することとなっていた。

 オソマツ君は声を掛けてくださった方に申し訳ない思いだったが、お断りした。理由は当時①フライト&レンタルで英語圏の外国へ出かけることに夢中になっていたからである。

 航空運賃はゴールデンウイークやお盆の頃に、ぐーんと上がる。だから、気候のいいとき、気ままに旅に出たかったからである。

 到着地の空港を降りたところでレンタカーを借りて、自分で運転して目的地へ向かう、帰りも空港で車を返却して、日本への飛行機に乗るという旅である。

 こうした旅で、ニュージーランドやオーストラリアの西海岸方面への旅行もしたし、米国へも何度も出かけた。こんなことができたのも、子どもたちが二人とも国立大学へ進学してくれたおかげである。

 友人たちは子どもが東京の私学へ進学したので、自分たちの老後のために、退職金には手を付けないというだけで、やりくりが大変だと云っていた。

 当時どこの予備校も全国展開していて、公開模試を行っていた。現役高校生や自宅浪人をしている学生に模試を受けてもらって、目標大学の合格可能性を判定するというものだ。この、公開模試の問題を創るということは、なかなかたいへんな仕事である。ある高校の実力テストの問題作成はそれほど大変ではない。生徒たちがどんな参考書を使って今勉強しているか分かっているからである。有名大学の過年度問題に少し手を加えて新作問題とすればよい。ところが、全国公開模試でそんなことをすれば、必ず一人や二人、同じような問題を数日前に解いたという生徒が現れ、彼の学力を正しく判定したことにはならないわけで、そうしたニュースはすぐに話題になって、その予備校の全国模試の評判をおとすことになる。だから、国内の有名大学の過年度問題は利用できなない。現実にはドクターコースを卒業した人は語学が堪能だからドイツ語やフランス語の問題を種本にして適宜改編して新作問題にしている。公開模試の度に新作問題の提出を義務ずけられたらそれは大変な仕事である。これがお断りしたもう一つの理由である。

オソマツ君は、数学を教える時一番大切なことは生徒諸君に常に現在地を説明することであると思っている。GPS機能といってもよい。

数学の教科書はほとんど全て、学習者をある見晴らしの良い展望台へ案内しようとして書かれている。定理を10個学んだとしても。例えば、定理1~定理6までは定理7を証明するのに必要だから教えている訳で当面の目標は定理7を理解することである。という組み立てになっている定理7は見晴らしの良い展望台で、此処に立つと、展望がよく、ある種の問題はすべて解けるようになりホットする。高校1年生で最初沢山の計算を学ぶ。これは殆ど2次方程式の解の公式を導くための準備になっている。解の公式がここでいう展望台である。解の公式を学んだ時この公式の効用を大いに宣伝しこの公式は100万馬力エンジンだと教える必要があり。同時にこの公式へたどり着くまでの道順を振り返ることが大切である。これが、GPSだ。こつこつ式の計算をしているところは、岩場を登っているのに等しい。こんなことが続く時は、下手な冗談を言って、笑いを取る必要がある。ただし、同じネタを同じクラスで二度使わないようにすろことが肝要である。こんな時受けのいいネタになるのは海外旅行での体験談である。「お前たち、新婚旅行はニュージーランドにするがいいぞ」と話し出せばどんな暑い日の昼食後でも女子も含めてサッと起きて注目してくれる。


臨時ニュースを申し上げます。

2015-06-24 | 気ままなる日々の記録

臨時ニュースを申し上げます。というと「大本営陸海軍部発表、帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋に置いて米英軍と戦闘状態に入れり」を思い出す人も多いと思われますが、私の臨時ニュースはもっと、あどけなくオメデタイニュースです。「本日6月24日未明、蓮池の鴨の雛が5羽、見事に羽化しました。」というものです。今朝丁度朝食を終わったころ、同じ階の書家が知らせてくださいました。家内はお風呂か何かに出ていて、オソマツ君一人でカメラも持たずに駆けつけました。親鴨が子鴨を引き連れて泳いでいるところを想像していきましたが、賢い親鴨がそんな危険なことをするはずもなく、親も子も皆蓮の密集地の方へ移り葉の下に隠れていました。《追記》リハビリの理学療法士の人にお聞きしたら「大本営発表は分からないとのことでした。思えば当然で、こんな古いこと思い出すのはオソマツ君の世代より上の方々で、今ではもう少数派でしたね。謹んで訂正します。

上の写真は巣に残された卵です。未受精卵かもしれません。雛たちは少しもジーッとしていません。蓮の葉に乗り移ったり、母親の背中から顔を出したりしています。親の後を追って必死で後を追うところは健気です。

 

 

 


西は四国の大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)。東は東北の秋田市。

2015-06-22 | 気ままなる日々の記録

5階の東の廊下の突き当たりから、大好きな田園風景を眺めていると、元気だった頃のことを取り留めもなく思い出します。思えば当時は随分ドライブが好きで遠くまで車で出かけていたなあ、と我ながら呆れるほどです。

秋田へ出かけたのは、家内の母親が次女ご夫妻と同居しておられて、ご主人の転勤で秋田にお住まいでしたが、その母親が倒れて秋田の病院に入院され,その付添いのお手伝いに家内が出かけることに、なったからです。常識的には名古屋空港から秋田空港に飛び、リムジンで秋田市に入りそこからタクシーで、病院に向かうところですが、オソマツ君は考えました。付添いや泊まり込みのお世話は吝(やぶさ)かではないが、何と言っても婦人病棟である。そこへ、老人とは言え、男が泊まり込んでいては同室の患者さんから文句が出るのではないか、いずれにしても、シティホテルを取ることになるわけだから、家内が付添いをするときは、送って行って、少しお手伝いをして、病院を出て、近くの景勝地を訪ねるのがベストだ、

 とすれば、車で秋田まで行くべきだということになった次第です。おかげで、奥入瀬(おいらせ)渓谷を散策したり、十和田湖畔をドライブしたり、お岩木山を頂上まで登ったりできました。出発の日は起きたらすぐ出発して朝食もパーキングエリアの食堂を利用しました。確か長野五輪の前で、中央道と北陸道とを繋ぐ道が出来ていなくて、長野市内を抜けなければならなかったので、心配しました。市内の渋滞に巻き込まれたらすぐに、3~4時間は、ロスしてしまいます。今でもはっきり覚えていることは東北自動車道に入り仙台を超えたあたりから、高速道路の前方に一台も走る車なし、バックミラーにも、車の姿なしのところを時速150キロで走ったときの、心地よい振動です。クラウンが喜んでいる感じで、急ブレーキ、急ハンドルをしないようにして、走りました。始めはスピードメーターを見てワイワイ云っていた家内も、いつの間にか助手席でスヤスヤ眠りはじめていた。これで、当時の車内が如何に心地よい振動に恵まれていたか分かると思います。

 秋田から青森へ入った所の見事なリンゴ畑は今でもクッキリと思い出すことができます。一面に花が咲いていて、農家のおばさんたちが受粉の作業をしておられた。青森へ入ったすぐの古城は桜が満開で桜祭りをしていた。いい旅だった。

        ↑ 上の写真は、蓮池にある半夏生(はんげしょう)で、丁度見ごろを迎えました。

 大歩危・小歩危へ行ったのは多分僕が思いついて急に、鳴門の渦潮が見たいとか、本四国連絡橋を通過してみたいとか、大塚美術館へ行こうといいだしたから行くことになったものと思われます。

 当時娘が神戸にいて、夕食を一緒に取ろうということにして、翌日の都合などから、何と淡路島で宿をとった。明石の鯛とかが有名で、確かに、お刺身も、お寿司も、煮物も美味しかったです。翌日娘は本州に帰り、我々は大歩危の蔓橋を見に出かけた。

 深い山奥で平家の落ち武者が藤蔓を編んで橋を掛け、源氏の追手が追いかけてきたときは、その橋を切って身を護ったという言い伝えがあるとか、こういう話に弱いオソマツ君はすぐ観に行きたくなる性分である

 大塚美術館も素晴らしかった。創業何周年かの記念行事として世界に誇れる事業をしようと云うことで企画された美術館だという。世界にフアンの多い西洋絵画の名品を劣化しない方法で正確なコピーを造り保存しようという企画であったという。本物も油絵である以上空気に触れると少しずつ変色し、あと数百年後には、何の絵かさえ分からなくなるという。カラー写真も同様で、変色しないのは陶器の焼き物にしておくことだという。そこで大塚が持っている技術を総動員して、予算もたっぷり注ぎ込んで、モナリザやゴッホの「ひまわり」を陶器の板にしてしまったものを展示している。ルーブル美術館の学芸員が「本物と同じ色合いである」と認定したという、認定書つきである。この美術館はお薦めである。それらは全部、車で回った。こうした旅の一コマ一コマがが思い出されます。

 阿波踊りの徳島もいい街であった。徳島で人形浄瑠璃を初めて観賞し、いたく感動したおぼえがある。あれこそ、日本人の血であると思った。演目は「トトサマノナハ、アワノジュウロベイ、トモウシマス。」という例のあれであった。

淡路島はタマネギの産地である。畑のあちこちに竹を渡した、物干し棚が作られそこに沢山のタマネギが掛けてあったことを、よく覚えている。

最後に蛇足ですがネット検索していただくと、大塚美術館の概要をごらんいただけます


最近の鴨さんの様子。

2015-06-21 | 気ままなる日々の記録

今日も晴れ間を狙って鴨の様子を見に出かけました。母鴨はじーっと抱卵していました。雨の日は勿論、蒸し暑い日も今日のような日も24時間じーっと抱卵を続けている親鴨に胸をうたれました。!、生命の誕生に関わる母鴨の健気な様子に感動頻り、そこで、ここ数日の鴨の様子を寫した写真を掲載します。

 


過日、26候(腐草為蛍ーふそうほたるとなるーまで紹介しました。その続きです

2015-06-20 | 気ままなる日々の記録

 光陰矢の如しとか、もう6月の20日になりました。そこで、この時期の候を紹介します。

『26候』(腐草為蛍:ふそうほたるとなる)(6月11日~6月15日ごろ)

『27候』(梅子黄(うめのみきばむ)《6月16日~6月20日ごろ)梅雨は丁度梅の実が薄く黄色になるころ降る雨からこの呼び名が付けられました。黄色くなった梅を収穫し、梅干しや梅酒に加工し、あるいはジャムにすろのもこのころでした。与謝野蕪村の句に「梅干しを含んで眉寄せる美人かな」というのがあり、一枚の絵のようだ、と描いてあった文を読んだことがあります。

 10節気「夏至」 『28候』(乃東枯;なつかれくさかるる)(6月21日から6月25日ごろ)

                夏枯草(乃東:ないとう、とは、靱草(うつぼぐさ)の異称です。

此処まで来て残念ですが、特殊な読みや日常あまり見かけない漢字が多く、ナカナカパソコンに乗りませんので、この作業中断します。申し訳わけありません。

 

 


今朝早く、息子夫婦から小荷物が届きました。

2015-06-20 | 気ままなる日々の記録

 

何事かと思い開けましたが出てきたのは、細いプラスティクでできた首輪のようなものでしたが、何しろ見たことがありません。家内も顔を出しワイワイガヤガヤ、早速製品名(わらく、ネックエャーCタイプ)をネットに入れて検索を掛けた。メーカーは一社のようだが、各種のサイズがあり、商品の多さに仰天、そこへ丁度若い女の子のケアーさんがが入ってきたので「チョット見て、これなんだかわかる?」と聞いたらナニーすごいがね。有名なアイドルのスポーツ選手がよくやっている肩こり防止や首の疲れに効果があるとか云う、男性用ネックレスだがね。わたしも本物を見るのは初めてだけど、カッコウいいがね、凄いがね」とのこと。黄色のバラもよくできた高級品だ。

どうやら、「父の日の贈り物らしい」

しかし、ケアーさんの話を聞いていた家内が「私最近肩が凝ってチットモ治らないの。チョットお借りしていい?」とのこと。勿論異存はない。家内は嬉しそうに首にはめて出て行った。結構結構だ。


臨時ニュースを申し上げます。

2015-06-19 | 気ままなる日々の記録

ただ今、、同じ階の書家から蓮池の鴨の母親の羽の中から雛の顔が出ていたというニュースが入りました。早速カメラを持って蓮池へ急ぎたいところですが、生憎今日、16時15分から避難訓練があるとかで。エレベーターが止まり訓練で人員点呼がありそうですから、池へ行けません。訓練終了後。チャンスを見つけて出かけます。

追伸:避難訓練先で書家にお目にかかり、直接、雛のことを詳しくお聞きしました。①卵は3個ではなく、6個ぐらい、たくさんあったそうです。②雛が顔を出していたのは親の羽の間からではなく、卵の殻のなかからだそうです。順調にいけば、雛が5~6羽生まれる可能性が出てきました。

無事の誕生を祈れば親鳥の後を追う5~6羽の雛が見られる可能性が出てきたわけで、一層楽しみになりました。

 

 


当施設の五階からの眺め

2015-06-18 | 気ままなる日々の記録

オソマツ君は当施設の五階の廊下の突き当たりからの眺めが大好きで、朝も昼も夜も、何時もここへきてぼんやりとこの田園風景を見ています。上の田圃は田植え前で、田植えのためのすべての作業を終了しています。近々に見事に田植えがなされることでしょう。

 夜はこの水面が大きな鏡になって、近隣の民家の明かりを映し出して五階まで届けてくれます。そのとき、そよ風が吹くと水面が波立ち、民家の明かりが、小さな妖精になったかのようにダンスをはじめ、あたかも、ボリショイバレー団のアイスショーを見せてもらっているような素晴らしいステージを見せてくれます。

 大型の耕運機が作業をしていて、雑草を次々になぎ倒し土の中に埋め込んでいくのを見せてもらっているのも大変楽しいです。

夕方ぼんやり眺めているといつの間にか居眠りしていることもあります。そんなとき、この田圃の中に小学生くらいの男の子が二人出てきて泥んこになりながらも、走り回ったり腰をかがめて田植えを始めたりします。オヤ!と思ってよく見るとその二人は自分と一つ違いの兄だと気が付きます。

オソマツ君の小学校も中学校も「農繁休暇というのがありました。7月の上旬が田植えでした。この頃田圃に行くと、友達も来ていて田植えのお手伝いをしていました。田植えと云ってもそれほど簡単な作業ではありません。先ず、深植えは禁止です。深く植えると、稲が痩せて脇芽の出が悪く増産できません。しかし、浅く植えると苗が浮いてきてしまって失敗になります。中指と薬指の先で苗の根を意識して、泥に根が触れたときに、少し指を曲げて根を泥に貼りつけるようにして、そっと指だけを引き上げるというのが、田植えのコツです。それでも難しいのは列をまっすぐに植えることです。そのために、ロープを張ってそのロープに沿ってうえます。

1列植え終わるとロープの張替えが必要で、これがまた大変注意が必要な作業です。植えた苗に触らないようにロープを引き上げロープをゆるめず引っ張ったまま、新しい場所に落として、決められた間隔の位置に張り替えるわけです。これを兄と二人で両端を持って、息を合わせてしていました。勿論当時のオジサンで田植えのベテランの人はロープなしで、見事に美しく田植えをして於られました。腰を曲げたままロボットのような正確な動作で田植えをされ終わった後もロープを使った人よりキチンとしていました。

その息子さんも田植えの名人でした。オソマツ君は昭和27年中学1年せすからこの思い出は丁度そのころのことです。居眠りしながら、窓から田を見ながら昔のことを思い出していると、突然あの田植え名人もその息子さんも随分前に亡くなられたなと云う声が何処からか聞こえてきます。現実に連れ戻された証拠です。うたた寝に出てくる人たちは殆ど亡くなった人ばかりです(ただし、兄は元気です。) カクシャクトしています。今しばらくは頑張って貰いたいものです。

ここから見える田圃は、オソマツ君の家の方の田圃より1枚の広さがずいぶん広いです。少なくとも5倍の広さがあります。間もなくアメリカで見たような大きな機械がやってきて、田植えを済ませてしまうことでしょう。っそれをここから眺めるのを楽しみにしています。


ドキッとしました。

2015-06-17 | 気ままなる日々の記録

  

今日も昼食後決められた日程のように蓮池に出て鴨を探しました。もう一人オジサンが来ていてやはり、鴨を探していました。僕は発見できず。またブログでお詫びして[やはりいませんでした]と報告するしかないと決心するため「いませんねえ」と独り言を言いましたら、オジサンが「いやいますよ」と云われてビックリしました.

「ほら、ここからここから見てみなさい」と指差して下さったので、そこから見ましたら確かに鴨の頭が見えました。

 ここのところの、雨と気温の上昇で周辺の雑草が大きく伸びて見えにくくなりました。その分鴨のお母さんは安心でしょうね。早く雛が誕生しないかなあと思えてなりません。そのおじさんも私同様毎日カメラを持って見に来ていると云っておられました。お互いフラッシュは無しにしましょうね、と云って笑って別れました。

 


最敬礼3回、失礼シマシタ。

2015-06-15 | 気ままなる日々の記録

先刻の投稿で鴨の母親が育児放棄をしたように書きましたが、夕方家内が再度確認に出かけたら、チャント抱卵していたとのこと即断して決めつけたことを謝罪します。

 思えば今日は真夏日とかで、夕方3時頃は随分暖かく少し風はありましたが鴨のお母さんはこれなら大丈夫と判断して、食事とトイレに立ったものと思われます。謝罪の相手の第一番は鴨のお母さんです。スミマセンでした。これからまた、蓮池散歩が楽しみになりました。お母さんを驚かせないよう忍び足で車いすを漕ぎ、ソーと遠くから応援することとします。3羽の雛を連れてこのお母さんが蓮池を泳ぐところを早く写真にとってご報告したいものです。