かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

フルーツ・パークを訪ねました。

2012-02-28 | 気ままなる日々の記録

 二日目、例の通り、ホテルのフロントに置いてあったパンフレットの中から適当に選んで「フルーツ・パーク」に出かけました。ホテルからは車で45分くらいだったでしょうか。正式には「天竜浜名湖鉄道」フルーツ・パーク駅から徒歩8分、といったところです。ここが私には思いのほか興味深く、何から何まで「目から鱗が落ちる」でした。広さはおよそ東京ドーム9個分で日本有数の規模を誇り、果樹はおよそ160種、4,300本。果樹農家の研修の場であり、研究者の実験の場であり、市民の観光のばでもある、というのです。私はワクワクしながら丁寧に見学しました。最初に注目したのは、「すもも園」、我が家ではプラムと言っている木の剪定! 運よく手入れをしておられた人にいろいろなお話を聞くことができました。

 驚きました。すべてが大人の背の高さ内に収まっていて脚立不要、その上、枝の数および長さが我が家の10分の1。天井には防鳥ネット、周囲は目の細かい防虫ネット。上の写真は果樹畑の端だから主枝が4本ですが、これが列に入ると全て2本となって“整然”並んでいます。

 1本の木で数百個の実を収穫するそうです。上の写真で2本の太い幹はこのままですが、次の中ぐらいの太さの枝は「新旧交代」を図らないといけないそうです。実は、中ぐらいの太さの枝から見て孫にあたる細い枝に付きます。「ふくろ実病」対策についてもお聞きしました。「こんなに切っては木が可哀そうだよね!」などという独白が頭に浮かび、自分と自分に「負け惜しみを言って、厭な性格だよな」と思い直していました。

 上の写真は、何と、何と、剪定を終えたキイウイです。これにも腰を抜かしました。枝を支える棚はすべて頑丈な針金で張られていて、枝は麻ひもで結ばれていました。こちらも枝の数が我が家の5分の1。“ズタズタに切って、北朝鮮の軍隊のように整列させて、キイウイが可哀そう。フムフム、帰ったらやり直そうかな?、と殆ど精神分裂状態。

 これはハウスの中だから、最初から諦めていて、ほとんど降参!・最敬礼!の状態でした。なんとこれがイチジク。今散水中だったが、水が無駄にならないように針のように細くてよく見ないと気がつかない噴水が根元周辺に降り注いでいました。

 柿! この剪定が、我が家の柿と一番似ていましたが、それでも残された枝の数は3分の1、それに地上30センチのところで主枝が分けられ、これも脚立なしで作業ができる高さに収められていました。しかし、親譲りの木では今更どうすることもできません。消毒について教えて頂いたには大収穫でした。親切な作業員の方に何度もお礼を言いました。

 最後は、ハウス内の二十世紀。奥に見える赤い機械は「暖房用熱風を送りだす装置」。ここまでくるともはや工場であり芸術であり精密機械だ、という気がします。


三ケ日温泉へ行って来ました。

2012-02-25 | 気ままなる日々の記録

 何時もの通り、突然思いついてネットで予約し、「三ケ日温泉」へ出かけました。2月21日から2泊3日(連泊)です。あえて理由をつけるとすれば、今流行の「自分へのご褒美」。例年になく寒い日が続きましたが予定通り庭木の剪定、施肥、消毒をこなし、あと少しで冬の作業も終了の見通しが立ったことによるにでしょう。

 

 本とノート型パソコンを持ち込み、名実ともに“ボーっとして”“ゴロゴロしている”時間を楽しみました。
小さな問題が一つありました。それはネットとメールの可否です。出かける前ホテルに問い合わせたところ、部屋では出来ないが、フロントの専用コーナーでいづれも可能ということでしたが、ネットはうまくいきましたがメールがダメ。どうしてそうなるのか分かりませんが、ホテルの専門家がサポートしてくれましたがダメでした。

 

 写真は上から順に、①「猪鼻湖」沿岸で左側の白い建物が滞在したホテル、②「猪鼻湖」に突き出た小さな半島で頂上にお社がありました、③浜名湖の北西、「猪鼻湖」の入口にかかる鉄橋、④ホテルから捉えた日の出、です。

 持って行った本は、①今季直木賞受賞の「蜩(ひぐらし)の記」、②手島龍一著の「ブラック・スワン降臨」、③雑誌「文芸春秋」。二日目のお昼に「フルーツ・センター」へ、三日目のお昼に「フラワー・センター」を見て来ました。おいおい報告します。

 最後は「うなぎ処」。三ケ日周辺は何処へ行っても“うなぎ””うなぎ”です。観光客ばかりではなく地元に人も“うなぎ”が好きらしい。まあ、話の種に私たちも入りました。注文したのは「うなぎ丼定食」1,750円。丼にお吸い物に小鉢として「うなぎの肝」と「お漬物」。やっぱり美味しい。ですが、ごはんの上に乗ってたうなぎは3分の1匹ほど、これには目を丸くしました。うなぎの高騰は続いているようです。


「雑学・乱読」の報告

2012-02-18 | 気ままなる日々の記録

 数日前、一歳年上の兄から小包が届きました。オヤッと思いながら開けましたら中から本と手紙が出て来ました。手紙には、同封の本を最近読み終えたが、大変面白いので贈る、とありました。このことだけ報告すると「お前たち兄弟は“文通の仲か”?」と言われそうですが、そうではありません。晩酌を終えた二人が長々と電話することもしばしばで、世に言う“文通の仲”(最近では、身分等の違いにより電話では失礼になるので、手紙にするという間柄を言うようです)ではありません。そして送られてきた本が一番左のです。

兄から送られてきた本

   

 

 以前にもよく似たことがありました。そのとき兄が薦めた本が立花隆著『天皇と東大』でした。
確か下巻は自分で買って読み、あまりの興味深さに思わず備忘のためのレジュメをつくり兄に贈ったほどでした。『天皇と東大』も十分面白かったですが、今度の本はそれに優るとも劣らぬ面白さです。

 半分ほど読んだ頃、犬山の友人から電話がありました。彼は今63歳くらいでしょうか、彼は若いころ、全く偶然の出会いからある期間生活時間を一部共有した仲で、それ以来交流が続いています。

 「えりゃあさぶぃが、元気にやっとりゃあすか」
 彼の犬山弁はいつも流暢で暖かく瞬時に暫くのご無沙汰を取り消してくれます。一通り世間話のあと、彼が突然話題を変えて「おもしりぇ~本を見つけたでよ、たゃァくつしてらすといかんで、推薦しようと思ってよぉ」と来た。「それは、ありがとう。どういう本?」と聞けば、何と、兄と同じ本を言ったのです。これには私も驚いたが、できるだけ冷静に、落ち着いた声で、「今、読んでます。本当に面白いね」と答えました。
 「ほおきゃあ。さすがだなも。よかった、よかった」と彼は電話を切りました。

 私は、昔、生活時間の一部を共にした若い友人合うと「最近君が読んだ本で面白かった本がある?」と聞くことにしています。犬山の友人にもよく訊いたのでそれを思い出して電話をくれたのでしょう。有難いことです。ここでこの本の面白さに触れるべきなのでしょうが、それは読もうと思っておられる方々に、浅薄な先入観を与えることになるので、差し控えます。

 上の岩波新書3冊も最近読みました。私の師匠が、友人から依頼を受けて、その友人の住む土地の氏神様の社殿の石積みの調査を始められました。拝殿の土台部分の3段石積みの中に「家紋」か「神紋」のような高貴な文様を彫り込んだ大きな石が組み込まれているからです。共同調査を依頼されて「手掛かりは全くありませんが、喜んで協力します」と言って、前例通り私は「文献調査」。鶴舞図書館に出かけ、手当たり次第コピーをとったり、メモしたりでウロウロし、行き着いた先が「幕末から明治にかけて、政治に翻弄された村々の神様や仏様」の様子でした。「廃仏毀釈」という言葉は知っていましたが、中身はさっぱり知らず、今読めばその面白いこと。上の3冊もお薦めです。

 写真はありませんが、私の学生時代からの畏友の推薦で、丸谷才一著『恋と女の日本文学』も読みました。これも大変面白い。テーマは「日本の文字文化の師匠である中国文学に全くない恋や愛に関する文学が、我が国では、万葉集から古今・新古今と連綿と開花したのは何故か」でありました。この本は全部旧かなづかいで書かれていて、ちょっと面喰いましたが、私の世代はすぐに慣れました。(わが畏友は、今も旧かなづかいで文章をお書きになります)「英雄は人を欺く」という中国の格言が日本に来るといつの間にか「英雄は色を好む」になるとか。 とにかく面白いです。

 最近は見ようと思うテレビ番組が少なくてよく本が読めます。有難いことです。残念なことと言えば最近は感激して読んだ本でも、細部については忘れることが多いということ。以上、雑学・乱読の記でした。


自家製温室をリニューアルしました。

2012-02-13 | 気ままなる日々の記録

 昨年の春まで使っていた「自家製温室」が、傷みが激しく使いものにならなくなりました。もう取り壊しにするか補修するか迷いましたが、上のガラス戸がまだ数年使えそうなので修理することにしました。このガラス戸は6年ほど前、古い「こーえ」(「小家」と書いて「こーえ」と読む。江戸時代に普及した隠居部屋。藤沢周平の世界で、家督を長男に譲った老夫婦が寝起きする処で、小さな床の間と居間と寝室、それと簡単な炊事場がありました。三度の食事は母屋で長男の家族と一緒にとりました)を壊したとき、残しておいたガラス戸です。

 材料費は2,900円(コンパネが1,050円×2枚、油性ペンキが一缶800円、4センチ角の垂木およびその他の木材と刷毛はあり合わせ)。垂木で骨組みを作り、コンパネを張ったのですが、3本の垂木が集まる角の部分をどうするか、先回はL字型留め金でごまかしましたが、今回は切りこみの組み合わせで作りました。(最近注目の「壁構造」も利用)そのため下準備に丸一日かけました。

 

 師匠のブログで、師匠が2月中旬に野菜の種まきをされることを知り、てっきりハウスでの播種と思い込み、自分も真似しようと温室を修理したのですが、実際はマルチとトンネルとのこと、それはそれで教えて貰うとして、この温室ではトウモロコシなど新しい挑戦をしてみようと思っています。

 


-5.2度で水道管が破損しました。

2012-02-07 | 気ままなる日々の記録

 少し報告が遅れました。事件は2月3日午後2時から始まりました。この日は小生、お留守番。昼食を終えて2階で本を読んでいると、呼び鈴がピンポン・ピンポン。2階から顔を出して門を見ると隣の叔母さんが、なにやら盛んに“手話”。「すぐ行きま~す」と言って駆けつけ、門を開けると、母屋の裏の水道管が破裂して水が漏れている! とのこと。仕事から帰ったご主人が「どこかで変な音がするぞ」といって自宅付近を見て回られ、生垣越しに我が家の裏の水道管から水が噴き出していることを見つけて下さったとか。            

 

 お礼を言ってて現場に駆けつけつと、上の写真の通り。午後からの西陽を浴びて凍結が緩み、水がぼたぼた落ち、シュウシュウトいう音もしていました。残念ながら母屋の水道管はこの部分が屋外配管、5~6年前にも凍結により破管を起こしたことがあります。急ぎ栓を止め、“ホームセンター・バロー”へ向かいました。ところが、水道関係コーナーで、家庭配管用の1.3ミリ塩ビ管は全部売り切れ、その他コネクターなどの部品も、細い管用はすべて売り切れ。皆さんの家では「気づき」が早く、もう修理も終わりました!、と笑っておられる様子が見えるようで、「ほぞ噛んだ」とはこのこと。すぐに“ケーヨーD2”に向い、最後の1.3ミリ塩ビ管(2mしかありませんでした。20㎝欲しいだけなのに。)を買い、帰宅。コネクターやセメンダインは、私の「ゴタゴタ入れ」(いろいろな修理で余った材料を放りこんでおく箱)の中から見つけ出して、修理に着手したのはもう薄暗くなっていました。

 上の写真は翌日撮ったものです。翌日の点検でも心配していた水漏れもなく、工事は完了。縦の配管が少し傾いているのが気にいりませんが、これは最初の工事の稚拙さで止むをえません。

 キイウイの剪定・下草整理、寒中元肥施肥が終わりました。庭の手入れ、後は樫、槇、キンモクセイの剪定を残すのみとなりました。

 キイウイは一昨年5個、昨年は30個ほど収穫しました。今年は180個以上というところでしょうか。もう少し後、根が活動し始めるころ「果樹用化成肥料」を、柿・プラムと一緒に施肥する予定です。


2月2日の朝は、大雪でした。

2012-02-02 | 気ままなる日々の記録

 雪は好きです。降っていても、晴れていても、どんより曇っていても雪景色は好きです。2月2日の朝は、少しワクワクしました。

 新潟県では積雪が3mを超えているとか、昼間必死に屋根の雪下ろしをしても一夜にして元の黙阿弥とかで、その人たちのことを思うと、とても「好き」などと言っておられない。

 除雪車が、徹夜フル回転で走り回り、雪捨て場では、何台ものユンボが土砂のように雪を掻き揚げている様子を見ると莫大な費用のことを思ってしまいます。青森県の国道で車100台が渋滞、5時間も車中に閉じ込められたとか、これも大変ですが、そんな中、地元消防団や公民館関係者の活躍には頭が下がります。

          

  昨日、気象情報はうるさいほど「寒波襲来」を告げていて、私など「寒波襲来までに済ませておくべきことは何か」と考えさせられ、突然「プラムの元肥にたっぷり鶏糞を散布しておくべきだ! その鶏糞の上に雪が積もれば、今年のプラムの豊作は間違いなし!」と、デタラメなことを思いつき、一端思いつくと、いつの間にかそれが本当のことに思えて、プラムの下の後片づけ(剪定した小枝がそのまま放置してありました。石灰硫黄合剤を切り落とした枝にもかけるため)を開始し、昼食もほどほどに精を出しました。家内が「こんな寒い日にしなくても……」と、少し蔑(さげす)んだ 注意をしてくれましたが、もう聞く耳がありません。そう言えば私は、子どものころ、夜、停電になると急に勉強がしたくなったものでした。停電になって、母が「今日はもう早く寝ましょう」というと、急に「国語の教科書を3回読んでくること、という宿題がある」などと言いだし、ロウソクを点けて貰って机に向ったものです。ロウソクの火で本を読むとすごく嬉しかったものです。そのくせ、電気がつくと急に教科書など読みたくなくなってしまうのでした。
 今の私の「鶏糞散布」もそれと少し似ています。鶏糞散布を終えた夕方、雪が降り始め、どんなに嬉しかったことか、晩酌が一段と美味でした。

   

 シートを張り替えた温室の向こうに見えるのがプラムの木2本 です。この雪の下に鶏糞4袋が散布してあります。