かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

白菜のその後

2010-09-22 | 気ままなる日々の記録
              

9月3日に書きました白菜のその後を報告します。左が防虫ネットをかけた今の状態で、右が写真撮影のためにネットを取った姿です。全部で6箱作りました。ネットをかけるための木枠も古材使用の手作りです。右の写真の下の方に写っているのは、右側がセルシートで種を蒔いたときに使ったもの、左が、本葉が4枚になったので移植した口径10センチポットです。


               

ついでに、5月31日に書いたキイウイのその後を報告します。8月20日前後の異常気象と連日の猛暑で、葉も蔓も萎れてしまい、あわや枯れるかと思いましたが、気がつくのが早く、早速たっぷりと水を遣りましたので、危機から脱出し、お陰さまで順調に育っています。今年の秋は10個ほど収穫できそうです。

                                 

雌株からの新芽も順調に育ち、今では雄株の枝に負けないほどに育っています。来年は沢山の実をつけてくれることでしょう。枝からぶら下がっているキイウイの実を見ながら思ったことですが、こんな小さな実のくせにキイウイは成熟までに一年もかかります。一方、瓜もスイカも5ヵ月ほどで大きな実を結びます。柿も一年です。樹木の方が実を熟させることに関してはのろまだなあ、と。でもこれは親の寿命と関係があって、寿命の短い野菜は急いで子孫を残すのに対して、樹木はゆっくり実らせても間に合うということでしょう。
そういえば、人間も寿命が長くなったら子育てに時間をかけるようになったので、最近では20歳になってもまだ子どものような奇妙な若者が多くなったのかも知れません。

沖縄へ行って来ました(その3)

2010-09-19 | 
                            

約500年もの長きに亘って琉球王朝の宮殿であった首里城は、あの凄惨な沖縄戦によって焼失。1972年の本土復帰以来、何期にも分けた復元工事が続けられ、2000年に世界遺産に登録され、今日では殆どの建物が精緻に復元されています。私たちは名古屋に帰る最後の日にこの世界遺産を訪ねました。

           

石段が続き、幾つかの門をくぐり、右折左折を繰り返したのち、眼前にドンと現れた正殿にまず圧倒されます。高さ16m、幅28m、正面の唐破風妻飾りに牡丹唐草、朱塗りの背面に浮き立つ金箔の龍。正面に玉座を配した「儀式の間」をはじめとする気品に満ちた「首里城正殿」、続いて「南殿」、「番所」と巡るうちに、視線が隅々にまで届くようになり、改めてその文化度の高さに圧倒されます。沈金で鳳凰を描いた丸櫃、螺鈿で龍を描いた大盆、見事な染色と描画が施された衣装など琉球王朝に仕えた職人の技の凄さに驚かされます。


           

「守礼之邦」の名に相応しく琉球王朝は、洗練された儀式と行き届いた接遇によって平和外交を展開し、東アジアの物流の拠点として繁栄を続けました。下の写真は、外国からの客人をもてなすとき舞われた琉球王朝独特の「歓迎の舞」で、現在は、服装も所作も当時のままの舞が観光客のために舞われています。この舞から琉球王朝の文化の高さと平和外交の心意気が読み取れます

           

しかし、1609年の島津の琉球侵攻から明治12年の沖縄県設置(琉球藩廃止)までの歴史や、1946年以降の米国による占領から1972年の本土復帰、そして今日の基地問題と、常に世界情勢の変化と東京の対応の間で翻弄されている沖縄の歴史を考えると、私たちは孫の世代と共にもっともっと沖縄の歴史を学ばなければならないと思いました。  

沖縄へ行ってきました(その2)

2010-09-12 | 
                 

                 

今回は、沖縄でカメラに収めて植物や動物を紹介します。上の二枚はホテルの生け垣で撮ったものです。赤い方はハイビスカスだと思いますが黄色の方の名前が分かりません。そこで勇気を出してフロントで訊ねましたが「チョット待って下さいよ」と言ってあちこちに電話をしてくれました。そして答えは「詳しい者が出かけていて分かりません」とのこと。沖縄の人にとってはあまりにもありふれた花で名前など気にもしていないようでした。私も身近な雑草の名前はほとんど知りません。下の二枚は散策した公園で撮ったものでマンゴウとバナナです。

                                

                

上の写真は「沖縄美ら海(チュラウミ)水族館で撮ったものでジンベエザメやマンタです。とにかくデッカイ水族館で度肝を抜かれた感じでしたが、写真撮影は失敗の山となりました。巨大な水槽の透明な壁面にも驚き「この技術はただごとではない!」と思いましたが、何と、この壁面を作っている工場は四国の町工場で、世界中からの注文を受けているとのこと。この町工場では、現在も技術開発を進めていて、最近では、狭いところを通り抜けることを好むアザラシのために波打つドーナツ型の水路を作ることにも成功したそうです。

                 

美しい動植物に溢れる沖縄ですが、危険も潜んでいます。名前を聞いただけでも恐ろしい「ハブクラゲ」が左で、右が「ごンズイ」です。ハブクラゲに刺されると激痛・ミミズ腫れ、そして水泡・壊死と進み、稀には呼吸困難に陥るそうです。刺されたら酢をたっぷり塗って氷で冷やすこと、と書いてありました。ゴンズイも同様で背ビレと胸ビレに毒があり、この毒はゴンズイが死んでも消えることがなく、死んだゴンズイを踏んで被害に遭うこともあるそうです。

                         

左はお馴染みのミノカサゴで海で釣りをする人が最も恐れている魚、右はイソギンチャクの仲間でこれも要注意。海に入る時も野山を散策する時も注意書きをよく読み、地元の人に教えていただいてから行動するということは、基本中の基本です。 

白菜の芽が出ました。

2010-09-03 | 日記
「沖縄だより」の途中ですが、白菜の芽が出ましたので今までの作業を報告します。芽葉の幅は5ミリぐらい、「こんにちわ、赤ちゃん」の心境、ほっとしています。
                         

種を播いたのは9月1日の夕方、それでもひと汗かく作業でした。この日の午前中に種と土を買って来ました。以下にその時の記録を掲載します。

            

左が種と小ポット(あだ名)です。一つのポットは縦横4センチ深さ5センチほどで、一枚のシートに36個のポットがついています。このポットの中に播種用の土を丁寧に入れていきます。あまり抑えすぎても土が堅くなりますし、あまりガサガサでも給水によって土面が沈んでしまいます。作業台をトントンと叩いたり、移植ごてで軽く押さえたりして平らにします。

                         

上の写真は、種を播く直前のポットです。中央部分に少し凹みを作っています。ここへ種を二粒播きます。白菜の種は小粒で直径1ミリほどでしょうか。これを二粒指でつまむのは殆ど無理です。そこでハガキを二つ折りにしてその溝に種を落とし、土の窪みの上で微かにハガキを傾け釘先でコントロールしながら二粒づつ落として行きます。なぜ二粒かというと、ひと粒は予備で二本育った時はひ弱な方を間引き(ハサミで切る)します。ハガキを使っても、もちろん、失敗もあります。そんな時は集中力不足の自分を恥じながら、種を拾い播きなおします。(数日後、沢山の芽が出たり一本も出なかったりで、自然は正しく私を評価してくれます)
最後に土をつまんで種の上に置き、表面を平らにし、目の細かいジョウロで水をやって一枚のシートが完成です。今年はこのシートを4枚作りました。昨年、なぜか調子が良くて良質の苗ができましたので、光栄にも今年は二人の人から育苗を頼まれました。だから気合いが入っています。気合いが入っていますから、芽が出た時の喜びもひとしおです。




沖縄へ行ってきました。(その1)

2010-09-01 | 
                             
息子夫婦から航空券が届きました。彼らは羽田から、私たちはセントレアから那覇に向かい、ホテル・コスタビスタで4泊5日のバカンスを楽しもうというものです。その時の記録から今回は「沖縄の空と海」を紹介します。

                 

抜けるような青空の彼方に力強く湧き上がる雲、その下には、地球の丸さを感じさせるほどの広がりを見せる紺碧の海。沖縄のビュー・ポイントでは、どの地点に降り立っても、その地名を問う気さえ起きない圧倒的な美しさにたじろいでいました。

                 

セントレアからの飛行機は臨時便で、機内は子ども連れの若い夫婦で溢れていました。そんな中、偶然隣の席につかれた気安そうな同年輩のご夫婦に「どちらからですか?」と声をかけると「豊田からです。あちらに娘夫婦と孫がいます」とのこと、「私たちも羽田から来る息子夫婦と現地で合流します」と言いながら、つい「ありがたいことです」と言っていました。このご主人は沖縄返還の年、バスの改造のための技術者として沖縄の工場に派遣され、突貫作業に従事されたとか、「もう当時の面影はないでしょう」と感慨深げでした。
圧倒的な美しさの中に立ちすくみながら、やがて、自分は沖縄のことを何も知らないなあ、ひめゆりの塔、戦艦大和、壮絶な地上戦、明治の沖縄処分、薩摩の侵攻、琉球王朝、そして最近では何ともお粗末な鳩山迷走、などなど断片的なことを思い出すだけではこの風景に申し訳が立たない、などと思っていました。