かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

欠陥と血管

2015-08-31 | 気ままなる日々の記録

血管に欠陥があるって、まるで僕の脳のようです。
脳血管に欠陥があるっ人が文章を書くと脳の欠陥に血管があるとなってしまいます。手書きの同音異字の洒落を書くのは難しそうですがパソコンでは簡単。つまり、誤変換を使って遊んででいるだけ。ついでに、もう一つ。

社長が云いました「君の所管は書簡の整理と、社内報に所感を書く欄を設けていろんな社員に所感書かせることだけだ。」と。この例だと誤変換があると文章にならない。

 


灯点し(ひともし)ころ

2015-08-30 | 気ままなる日々の記録

 立秋から処暑に代わり天地始めて寒しの言葉がぴったりする季節となった。

夕食後、虫の声に誘われて散歩に出ると、マツムシやスズムシの鳴き声が聞こえ、8月中旬とは全く異なる自然を感じる。

 また、珍しくシラサギの大群が羽ばたく光景を目の当たりにして一瞬足が止まる。

 明らかに季節の移ろいが足元にある。(E)

 

  

 

 

  

   


チャキチャキの昭和老人になりました。

2015-08-29 | 気ままなる日々の記録

今日は土曜日、予定は午前10時からのお風呂だけ、明日は何もなし。こうなると、どこか嬉しい。手元の本に熱中し、疲れたら、ネットで懐メロ観賞だ。今まではピアノ曲が多かったが、昭和の歌謡曲サイトを見つけたので「お気に入り」登録がしてある。これを開いてボーっと聞く。流れる曲は「湯の町エレジー」は勿論だが「芸者ワルツ」「月がとっても青いから」「赤い靴のタンゴ」「見ないでちょうだいお月様」「悲しい酒」「「東京ラプソデー」、和田弘マヒナスターズの「小樽の人よ」と続く。

 驚いたことにそれらの曲を全部懐かしく感じることだ。勿論ユーチューブで映像も流れる。これがなかなかいい。違和感がない。例えば女性は日本髪で和服が多い。でむしろ、最近のテレビの方が違和感があって、文句の一つもいいたくなる。

 昭和演歌の主人公は先ず「芸者」と呼ばれた人たちであり、次が「酒場の花」と呼ばれた女性たちである。今の若い人たちには分からないであろう。今のように一般の女性が流行歌に読み込まれることはなかったと思われます。「芸者」さんも「女給」さんもいなくなりましたねえ。普通の女性がアルバイトでそんな仕事をしているのでしょう。ホテルで何かの祝賀会を企画すると担当者が「コンパニオンは入れますか」と聞いてくる。そして、「うちがご紹介するコンパニオンは全部身元の分かった女子大生たちです。」という。

 平成の熱狂ドラマが韓国の「冬のソナタ」なら昭和の熱狂ドラマは「君の名は?」だそうです。前者はテレビドラマで、後者は、ラジオドラマです。両者ともにその放送時間には東京の銭湯の女性湯がガラガラになったと聞いています。何と、この昭和の老人は両方とも欠かさずテレビの前やラジオの前にいた。「冬のソナタ」はテレビで観なかった人も主人公の男性を演じたぺ・ヨンジュを知らない人はいないだろう。すごい人気で町中そのポスターで溢れた時代であった。政治の世界まで日韓友好が前進したほどだった。

 家内は「あなた相当にミーハーだったねえ」と云うが。その「ミーハー」と云う言葉も昭和の懐メロ級の言葉である、語源はドレの一つ上と云うことらしいが定かでない。

 昭和と云う時代はなんにでも序列があった。上が「高級で上品」で下が「下品で下等」ドレは奴隷と重なるらしい。音楽ならベートーベンが高級で、演歌は下品と云った寸法だった。

 

 


ニューヨークの友へEメールを。

2015-08-28 | 気ままなる日々の記録

  正確に言えば、メイン州ポートランド沖のクリフアイランドと云う小島にいる友へ、誕生日祝いのEーメールを打ったと云うべきかもしれません。何故なら友達夫婦は8月から9月にかけてニューヨークのクリニックを1か月夏休みにして、カナダ国境近くの辺鄙な島へ避暑に出かけてしまうからです。

 昨年までは、エヤーメールを送っていたのですが、2015年4月やっとEメールアドレスがとどいたのです。(今どき、米国人としては珍しくタイプライターだけで仕事上の処理を済ませていた様子で、夫婦とも自宅をクリニックにしてまだ働いています。年齢は確か80歳近いはずです。)

 先月、久しぶりに私の方から写真添付で雛誕生のニュースを送ったら、

 It  is  a  small  world. と云う返信が来ました。何かと思ったら、彼らの住んでいるコテージの近くにも雛が生まれ、よく一列に並んで水浴びをしているというのです。

 誕生日のEメールだけは普段より少し気を使います。何故なら着信記録が画面に出てしまうからです。時差を計算して日付が替わって現地時間に合わせて打たなければなりません。誕生日前日に着信となるのは、まだよいとしても、1日遅れで届いたのでは、折角のお祝いの言葉も、効果が半減してしまいます。

 数か月前、こちらの誕生日に1日に二度もEメールが届きました。一通目は普通通りの誕生日祝いで、二通目はお遊びのEメール。日本時間ではとうに日付が変わってから届いたのでどうしてかと思いきや、米国ではまだ数時間誕生日の時間があるから、これからワインで祝うというもの。

 米国人のウイットというか、子ども心のような茶目っ気に苦笑しながら、それでも2度もお祝いしてくれたのだからとまんざらでもない気分でした。(E)


稲穂が見事に出揃いました。

2015-08-28 | 気ままなる日々の記録

田植えが6月初旬でしたから、見事な成長ぶりです。心配された台風15号も無事通り過ぎ、今年も大豊作のようです。農家の皆様方の丹精の賜物と喜んでいます。思えば長さが15センチ程の小さな苗4~5本が3か月ほどでこれだけ見事な株になり、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の通り、見事な実を付けてくれました。6月の梅雨による水と7月になっての連日の暑さと日照りが全て稲の生育を助けてくれたものと思われます。

 ここで思い出すのがお正月に神社や各家庭の門口に張り替える「しめ縄」は、

 収穫直前の稲を刈取り稲穂を切り落とし、袴を取り払った藁で縄をなって、つくるということです。

 そうすると、青みを帯びた美しいしめ縄ができるのだそうです。何とモッタイナイことをするのでしょう。しめ縄の起源は天照大神が天岩戸にお隠れになってこの世が夜ばかりになってしまったとき、神々が、アマテラスがまた、その岩戸を開けてお隠れにならないように、岩戸にしめ縄を作ってお張りになったことだそうです。その時も収穫直前の稲穂を切り捨ててしめ縄をおつくりになったのでしょうか?。よくわかりませんが。

 以前このブログに書きました「稲妻」→「稲夫」→「稲殿」→「雷なり様は男で稲は女性」説によると天におわします神様は経産婦はお好きじゃない」ということになりますか、稲作文化の弥生人にとって、しめ縄は随分高価なものであったと思われます。(T)


小6の孫からメールが届きました。

2015-08-27 | 気ままなる日々の記録

その孫は男の子で、学校ではパソコン・クラブに入っているそうです。

 スマホのメールはよく聞きますがパソコンと聞くと我々世代は驚く。

 返事を書くことになったが、ジジババ顔を並べて文章表現ら使う漢字まで、アアデモないコウでもないと大騒ぎだ。小6だとどんな文章がわかりやすいか、漢字はどこまで習っているかわからないからである。最低限誤字だけは避けたいと思うのだが、これが意外に難しい。例えば,

 訊く、聴く、、聞く、と実に多い。「聴く」と、、「聞く」の使い分けだ、およそは分かるが、厳密にと考えるとナカナカ難しい。勿論、パソコンで使い分けのヒントはでてくるが、境界が明確ではない。「間違いのない文章を書くことの難しさを改めて知らされた。今まで気楽にブログを書いてきたのが恥ずかしい限りだ。こういうことに気付いたのも、孫のおかげだ。(T)

 


「かわたれ」と「たそかれ」について。

2015-08-25 | 気ままなる日々の記録

新聞を読むときいつもメモ帳を持っていて気に入った記事があるとメモするオソマツ君であるが、このときはな何故かメモすることを怠って、以下の記事が何月何日のどの新聞に載っていたか不明である。多分毎日新聞の「余禄」だったような気がするが、定かでない。

 「たそかれ」は「誰そ彼は」であり「かはたれ」は「彼は誰?」だそうである。そして、「たそがれ」は夕方で、「かわたれ」は明け方だそうだ。

昔の人は夜と昼の境界の時刻に鬼が辺りをうろうろして人間は神隠しに逢ったり妖魔に乗り移られたりすると考えていて、変な気配がしたら、誰か訊ねなければならないと思っていたそうだ。

そして、どちらにも星をつけると、その時刻に大空に輝く星になって詩・歌に好んでも用いられたという。「たそがれ星」は「宵の明星」となり「かわたれ星」は「明けの明星」となるという。なかなか詩情があっていい話だが、チョット不満なのは誰だか分からないのは男ばかりか?という点である。昔は、明けにせよ、暮れにせよ薄暗くなったら女性は家の中にいて外を歩かなかった!と云う答えが返ってきそうだが、それなら、今日流に言葉を変えるのが「ことば」と云うものだ、と反論したい。「たそがれ」と同じ意味で「たそじょ」と云う言葉を造ったらどうだろう。

    「なつかしき、コロンの香や、たそじょどき」オソマツ太郎。後世に残る名歌となりませんかなあ。いやいや、「ついに残りの脳まで半分壊れたようだ」という評判になる程度でしょう?

台風15号による土砂降り。

 

 


週刊文春で面白い記事を見つけました。

2015-08-23 | 気ままなる日々の記録

  先回のブログで「教育も経済界もアメリカの真似はもうやめよう」と書きましたが8月27日号の「東芝の堕落」「ソニーの凋落」と云う記事です。記事の論点は2社共にいち早くアメリカ式経営を取り入れ社外取締役を導入した注目の経営陣だったと云います。ところが、伝統を誇った2社共に、どこかにほころびを見せているといいます。理由は会社をどう見るかと云う出発点のところで文化の違いがあるというのです。

  以前会社は株主の者か従業員の物かと云う議論がありましたが、株主の物と云う見方がアメリカ式で従業員の物と云うのが日本式だそうです。正解はもちろん、「法人」という抽象的で法的・制度的な擬人化された法人のもので、銀行借り入れも法人の印鑑でおこなわれています。その法人を管理しているのが株主から委託されたやくいんたちです。

 一方法人を構成しているのは従業員と云う人間集団で、この人間集団をうまくリードすることも役員の使命です。従業員集団をうまくリードすることに重点を置く経営が日本式で、株主からの委託をを重視するのがアメリカ式だそうです。注意すべきは日本式も経営も株主の委託にじゅうぶんこたえようとしている点です。

  創業以来100年以上の歴史を誇る株式会社が日本にはたくさんあるといいますが、アメリカアでは経営不振に陥ると直ぐに倒産させてしまうそうです。つまり、日本人は情厚く、アメリカ人は理に徹するというのです。


最近の犯罪について思うこと。

2015-08-22 | 気ままなる日々の記録

 中学1年の少女の殺害から、同じ1年の男子生徒の殺害まで全くよくわからない犯罪が目立ちます。

 それ以外でも女性が理不尽な被害者になっているケースが多いように思えます。日本の社会が何処か病んでいる証拠ではないでしょうか。

 そんな気分の時今日[8月22日]の毎日新聞で気になる記事を見つけました。

それは、米国の景気予測に関する記事で、寄稿者は中央大学の宮本太郎先生でした。その記事によると、米国の受刑者数は230万人で、全世界の受刑者の4分の1にあたるそうで、米国の成人の3分の1に当たるそうです。大多数が黒人ではないかと想像していますが、、背景に貧困があると思います。刑務所の維持・運営にかかるコストが520億ドルで、これは米国が高等教育に支出している金額を上回っているというのです。

 ここに、アメリカが抱えている問題の根深さがあり、世界のリーダーたりえない、お粗末さがみえます、もうそろそろ教育界も経済界もアメリカの真似をすることをやめないと日本は取り返しのつかない事態に陥りそうです。

 ちなみに、日本の受刑者数は6万人を切って年々減少傾向にある中、増加傾向にあるのが、高齢者の犯罪で、最近の20年で約5倍に増加、罪状は万引きだそうです。正に高齢化、貧困化が目に見えてきました。高齢者の生活困窮による万引きで累犯傾向も強いといいます。正に大きな政治課題だと思えますが我が国の政治家は大丈夫でしょうか?心もとないかぎりです。

 景気刺激と云う名目で土木建築業界へ注ぎ込んだ赤字国債がかれこれ1000兆円、これは景気回復による税収増で返済できるという話でしたが、そうなりませんでした。そして、その責任を取った人も聞いていません。堂々と選挙で当選してこられる見事さ、絶望的有権者というべきでしょうか。若い人たちに赤字国債だけを残して私たち老人は去っていきますが、どうかよろしくお願いいたします。

 


鴨の雛たち。

2015-08-20 | 気ままなる日々の記録

午前中雛たちを見に出かけたら、親鴨のすがたが、見当たらない。小鴨たちだけで、ピーピー泣きながら泳いでいました。

 気になったので「お茶会」の後で再度見に行きました。やはり親鴨はいなくて、雛が体を寄せ合い一塊(かたまり)になって、あたかも「押しくらまんじゅう」をしているようでした。

 しばらくすると、突然親鴨がフェンスの上に現れ、一声鳴くと子鴨たちは大急ぎで親の方へ泳いでいきました。みていると、とても微笑ましい感じがしました。(E)


雛鴨に朝のあいさつ。

2015-08-18 | 気ままなる日々の記録

今朝は快晴で、久しぶりに湿度も低い感じ。お盆も終わり、確実に秋に向かっていると思えた。今日火曜日はお風呂の日だ。午前10時からだから、朝食後急いで子鴨に朝の挨拶をしに出かけた。日差しは強かったが、空気は肌に心地よかった。

雛たちは極めて元気でキビキビと動いていて、見ているだけで夢と希望が広がる。「子供は3歳までに生涯のお礼を親にしてしまう」と云う諺がある。つまり、可愛さを振りまいて親たちに生きる喜びを与え、その後親たちにかけてしまう心配や経済的な負担のお礼を最初にしてしまうというのである。

雛に見とれているうちに後頭部が暑くなり家内が日傘を差し掛けて呉れたら心地よくなった。日傘の効用をこの年になって初めて体験した。これから、度々雛鴨にあいさつに来ようと思った(T)

 


埋め草で失礼します。

2015-08-17 | 気ままなる日々の記録

どうしたことか、ブログの1回分が飛んで、記事一覧に「タイトルを記入してください必須です」と云うタイトルが入ってしまいました。つまり、1回分を詰めて順送りしたいのですがうまくいきません。そこで、此処に記事を書いて埋めて全体の形を整えるために此処に何かを書こうということです。

今年も8月15日が近くなって敗戦70周年の総理大臣談話に「植民地支配」や「お詫び」や「反省」を入れるか入れないかマスコミが騒いでいます。安部総理は村山談話や小泉談話を引き継ぐといいながら、自分は直接「植民に支配」や「お詫び」と云う言葉を使わない方針だとか、此処がよくわからない。あるいは、マスコミが騒ぎすぎているのかもしれないが。

歴史を書き換えることはできません。「盧溝橋事件」や「満州国皇帝(愛新覚羅溥儀さん)だったと思いますが、安部総理はをどう説明するつもりでしょうか。総理は総理ではっきり論陣を張ればいいと思いますが、そうはいかないのでしょうか。確かに中国や韓国は我が国のマスコミの主張をにくいほど注目しうまく利用していると思われます。『張作霖」事件の時も関東軍の関与がすぐにばれました。

戦前も我が国の外交は稚拙でしたが、今なおわが国の外交は稚拙で北方四島はソ連に取られっぱなしで、アメリカの愛犬を演じていてもアメリカは本気で我が国の利益を考えていてくれません。その付近もよく勉強しないとまた、戦前の二の舞を演じそうです。若い人よ要注意だよ。頼むぞ。!おわり。


大発見しました。

2015-08-17 | 気ままなる日々の記録

ただ今夕方4時、、雨も止んで、外は秋風そよぐ風情に誘われ、蓮池に散歩に出ました。蓮の葉も繁り、以前と大分様子が変わっていましたが、葉の陰にお母さん鴨の後を必死に追う可愛い子鴨を見つけ全身に活力がみなぎるのを感じました。5羽は数えましたがすぐに蓮の葉に隠れてしまって、見えなくなってしまいます。以前いた、子鴨にしては、大きくなっていませんから新しく卵から孵ったと推定されます。事務のスタッフに話しましたが誰も知らないということで、僕が第一発見者のようです。また餌のことが心配になります。鯉の数が減ったので少し希望が持てますが係りの人の健闘を祈るばかりです。


高校時代の漢文の先生について。

2015-08-15 | 気ままなる日々の記録

最近、頭の中を空っぽにしてボーっとしていると、あれは、「どうだったかなあ?」と何の脈絡もなく若いころのことを思い出し、

 忘れそうになっていることを一生懸命、思い出そうとしていることが多くなった。

 そんなことの中で圧倒的に多いのが、高校時代のことである。

 そんなことの一つに漢文の授業のことがある。僕が漢文を習ったのは「古典国語乙」とかいう教科で週3時間程だったと思う。

 先生はご高齢の大柄な男の先生で漢文を朗々と楽しそうにお読みになる先生だった。

 あの先生は検定上がりの先生だといううわさがあった。

 旧制の中学校の教員養成は高等師範学校で東京と広島にあり旧制の高等女学校の教員用養成は女高師と云う学校があって、東京と奈良にあった。そのほかに文部省が実施していた検定というのがあって、合格すると中学や女学校の教員になることができた。ところで、戦前の中学や女学校の先生の給料は結構高く女中さんを雇って家を1軒借りても残る程の給料をもらっていた。

 人事は全国区の文部省人事でそのあたりは漱石の「坊ちゃんに」に詳しく描かれている。だから、勉強好きの人は独学で本を買ってきて勉強し、検定に挑んだので、それに合格したら中学や高女の免許状が与えら旧制中学や高女の教師になることができた。だから、検定の先生は学力があり、人間的にも面白い人が多かった。

 明治時代我が国を先進国として世界に羽ばたくために教育こそが国力だという考え方で教育勅語を基本方針として予算をつけ、力を入れていたからだ。敗戦後占領軍によって、我が国の教育は骨抜きにされ我が国の左翼思想家は教育を壊すことに夢中になり、今や取り返しがつかない状況となっている。

 ところで、漢文の授業であるが、先生は実に楽しそうに朗々と教科書を読まれ生徒たちはうっとりしていた。丁度「長恨歌」を習っているときだった。隣の席の友人から身振り手振りで先生を見るようにと云うサインが届いた。そこで、先生を見ると左手に教科書を開いてお持ちだけれども、目は完全に閉じておられ、それでも声は乱れることなく出し続けておられた。

 つまり、先生は「長恨歌」は全部暗記しておられ、教科書を見なくても朗々と読めるのだった。体は軽く前後に揺れていい気分で「長恨歌」を歌っておられる感じだった。しばらくして、最後まで読み終わられた時には生徒はクラス全員が拍手をした。先生は恥ずかしそうに笑われ、マアマアと広げた手のひらを上下させ拍手を止めようとされたが、その仕草が可愛くて生徒は余計に拍手していた。続いて口語訳であるが、

回眸一笑百媚生だが、瞳を巡らせ微笑めば、媚が溢れて零れ落ち、だが先生は楊貴妃さんが可愛い瞳をぐるっと回してにこっとされると、色気があたりに溢れ、男どもは全員がコロッと参ってしまった。と訳されクラスの男どもはこの一節を覚えようとした。続いて「夜專夜」(よるはよるをもっぱらにし)だが、先生はニット笑われ「わかるな!」と云って生徒の方を見られた。誰か豪の者がいて「分かりません!」と云ッたら先生がどう説明されたか面白かったが、純情な我々生徒の中にそんな生徒はいなくて、みんなドット笑ったが「分かりません!」とは言わなかった。今思い出しても生徒も先生も純情で微笑ましい。

蛇足をⅡ点お許しください。

①世界三大美女をご存じですか。答え①クレオパトラ:連戦連勝の猛勇シーザーを籠絡して出身地のエジプトへ攻め込ませなかった。②「長恨歌」の楊貴妃③小野小町。ただし小町の名を挙げるのは日本人だけで、世界的ではない。世界的と云うことになるとマりー・アントワネット、ではないでしょうか。オーストリア帝国の皇帝の娘マリーはほとんど政略結婚でフランス皇帝家に嫁いだ。でもその美貌でフランス国民の人気を得て両家の平和と共存に貢献しましたがフランス革命によってギロチンにかけられるという不幸にあった。

②「長恨歌」の歴史的背景と作者について。長恨歌に出てくる皇帝は中国唐の時代の玄宗皇帝です。玄宗皇帝が楊貴妃に夢中になっていて政治をないがしろにしていたために安禄山が謀反を起こした。

 これを鎮圧するために、部下に出陣を命じたが、命令に従わず楊貴妃を殺し皇帝が先頭を切って出陣して下さらなかったら誰も従いません、というので、

 やむを得ず楊貴妃を殺させ自ら出陣してそれに大勢の武将が兵士を連れて参加したので反乱軍を制圧でき、嘗てのように、唐の繁栄を取り戻した。

 其れを唐の詩人白居居が長編の詩に書いたのが「長恨歌」です。紹介した文脈の他に、平和を取り戻した玄宗皇帝がやはり、楊貴妃が恋しくなり、

 有名な占い師を呼んで冥界の楊貴妃を呼び出しどうしているか尋ねさせました。その占い師が冥界へ行って楊貴妃に合い皇帝の命で様子を見に来たと告げると

楊貴妃は、恨み言は一切云わずだだ、はらはらと泣き崩れたといいます。その様子は「梨花一枝春雨を帯びた」ようであったと「長恨歌」で謳われています。

 さらに、この「長恨歌」は我が国の平安時代に遣唐使によって持ち帰られ、源氏物語の紫式部も「枕草子」清少納言もすでに読んでいたとのことです。以上参考までに。失礼シマシタ。

 

 


「稲殿」について、無手勝流拡大解釈。

2015-08-14 | 気ままなる日々の記録

8月13日の毎日新聞「余禄」に「稲妻」に関する日本語の派生的造語と古代人の宗教・信仰に関して面白く書いてていました。「稲妻」は中・韓国でも使われていた言葉の様だが我が国へ来て「稲夫」と云う字が使われるようになり、さらに「稲殿」さえ使われはじめたという。つまり妻→夫→殿と遊んだ訳だ。この背後には天の神は男で稲は女、天の神が稲と交わると米がとれるというイメージがあった。雷が良くなった年は豊作だと信じられていたといいます。これは事実で高電圧の放電は空気中の質素を固定する作用があるとかで、酸化窒素が雨と一緒に水田に降り注ぐとこれが絶好の肥料にになって、稲を育て、確かにお米の増産に役立つ。今のように「土砂崩れに注意などと云うことは誰も云わなかった。昔の人は以前に何処で土砂崩れがあったかをお年寄りに聞いてよく知っていたのでそんなところへ、家を建てていない。最近になって安い土地を買いあさりブルトーザーを入れて宅地造成をした業者が宅地として売り出しそれを買って家を建てた都市部のサラリーマンが被害にあっている、ある意味、儲け主義社会の陥穽がここに表れている。日本の土地に原住民として住みついていた縄文人の中へ稲作農耕民として侵入してきた弥生人が漢字も取り入れ、稲殿をつくり、男の天の神と女の稲が交わるという物語を作った所が面白い。神話は縄文的、漢字は弥生的だ。これが我が国の文化の母体である。