かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

今日は2月29日、4年に一度しかない日でした。

2016-02-29 | 気ままなる日々の記録

  貧乏性の僕としては,何か儲けたような気がして、 終日娘から頼まれた校閲の仕事をした。

 聞けば地球が太陽の周りを一周するのに365日と6時間かかるのだそうだ。同じ位置に戻るのに365日と6時間というのは、どうやって観測したのだろう.  ニュートンの理論と望遠鏡だけで観測できたのだろうか、

 あるいは動いている物から、動いている物を観測したのだから、アインシュタインの相対性原理を使ったのだろうか、

 そんなことが、気になって新聞コーナーへ行って朝日、毎日、読売、日経、中日と追いかけたがどこにもその答えは載っていなかった。

 日本の新聞も質が落ちた。くどいほど書いていることは景気のことばかり。

 知的好奇心に欠けている。之もアメリカの大衆紙の真似か、

 明治時代横浜へ来たヨーロッパ人が農民や職人が新聞を読んでいた日本人に驚き日本を激賞していたのにその日本人がオソマツなアメリカの大衆紙の真似をして、

 日本の知識人たちはどうしてしまったのだろうか。金儲けに目が眩んだか。

 ところで365日と6時間の件だけど、多分ニュートン天文学だけで十分だと思う。

 そういえば、アインシュタインの入門書をよんでいて、コラムに書いてあった記事だけどアメリカが月へ着陸に成功して人間が月面を歩いた時月面に大きな反射板を置いてきたのだそうだ。

 空気がないから風で飛ばされないような工事は不要だろうけど。現在地球からその反射板に光を当て反射してきた光を地球上で観測できるのだそうで、

 その実験によっていろいろ新しいことが発見されつつあるそうだ。

 思っただけで精密な操作が必要な実験で気が遠くなりそうです。(T) 


梅の季節になりました。菅原道真を思い出します。

2016-02-27 | 気ままなる日々の記録

東風(こち)吹かば、匂いよこせよ梅の花、主無きとて春な忘れそ。(菅原道真 )

   時代は平安初期醍醐天皇の御代「書」に優れ、今までに天皇名で出された各種の勅命に詳しかった菅原道真は右大臣にまで上り詰め、有力貴族の藤原氏の反感を招き讒言により九州の大宰府に左遷され、そこで失意のうちに読んだ歌が上記の歌で春になったら忘れずに花を咲かせその香りを東風に載せて九州の此処まで届けてくれと云う壮大な短歌である。

 しかし、道真は大宰府で失意の死を迎えた。この年の夏には京都で落雷が多く御所にも落雷があり火事になったし、有名な寺の山門や神社の鳥居にも落雷があり、人々は元右大臣の祟りだと恐れ雷が鳴ると「くわばら、くわばら」といった。桑原は菅原家の邸宅があった地名でそこには落雷が無かった。

 時の天皇は罪もないのに大宰府に左遷したことを反省し、菅原家の屋敷のあった北野に大きな社をつくり北野天満宮として菅原道真を祭った。これが現在の北野天満宮であり、「北野の天神様の愛称で全国に学問の神様としてまつられた天神様である。

 そのことを承知でオソマツ君は自分の家の庭にもっと紅梅白梅を増やそうと思い立ち可児の花木センターに通いいい苗木を探した時代があった。あのころは紅梅も白梅も枝垂れが好きで垂れた枝に沢山花芽を付けている苗をさがしたものである。

 昨日師匠からメールがあって僕の家の庭の梅が綺麗に咲いているとのこと、正に菅原道真の心境です。

師匠がそれを写真に撮ってご自身のブログ(「グーブログ「私の70台」)に貼られたそうです。「連鶴」のときのように「私の70台」にアクセスして白梅紅梅をご覧ください。(T)

 


ラジオ体操に問題が・・・。

2016-02-27 | 気ままなる日々の記録

   数日前の新聞を見て驚愕 した。とても気になる題名の本が売り出されたからだ。広告によるとラジオ体操は65歳以上の人にとっては体に悪いということらしい。

 確かにホームで行われている音楽療法やダンス療法に比べるとハードな部分があると感じてはいたが・・・。これだけはっきりと云われるととても気になる.ある種類の運動が膝や腰に負担をかけすぎるということらしい。

 でも学校時代から慣れ親しんだラジオ体操、急にそんなこといわれても信じられないし、やめる勇気もない。

 60歳まではダンス、腰痛でダンスを断念してからは1日5キロのさんぽとガーデニング、72歳で入所してからはラジオ体操がそれにかわった。当然1日も休まず第一、第二と続けてしている。

 65才以上と云われれば私にとっては危険度はとても大きいはず。周囲の人々は全く気にする様子もなくいつもと同じように続けておられる。

 兎に角全部が悪いわけではない。腰やひざに負担が大きい部分だけ手抜きでやり過ごしつづけようかとおもっている。(E)

 散歩道で  


昭和11年2月26日を思う。

2016-02-26 | 気ままなる日々の記録

  今日はいわゆる2.26事件の日である。新聞は何を書いているだろうか、といそいそと新聞を読みに出かけたらなんと読売が少し書いていただけで他紙は無言、あたかも何もなかったがごとしであった。

 日本人は本当に忘れっぽい。厭なことはどんどん忘れて何もなかったかのようにケロッとしている。

名古屋の本町通りに通称長者町と呼ばれている一角がある。そこの老舗問屋のご主人が日本人は感情と勘定で動く人種だと云われたと聞いたことがあるがけだし名言である。

厭なことを忘れる速さもこの言葉の中に含まれている。呆れるばかりは明治維新である。

 あの時,討幕運動が起きた原因は幕府がアメリカに開港して鎖国をやめることを朝廷の許可を得ずに決めたことへの抗議であった。

 薩摩と長州の連合軍の合言葉が「尊王攘夷」であった。彼らが幕府を倒し明治政府を造ったとき東京へ天皇を迎えて尊王は確かに実現した。が攘夷はどうだったかといえば、

 ご存じのとおり開国してイギリスから軍艦を買いまくり海軍の強化を図った。

 「あれ?攘夷はどうなったの?」と国民の誰も聞かなかったし薩摩や長州の人たちの間からもそんな疑問は起きなかった

  此処に日本人の危うさがあります。

 美空ひばりの歌に「お祭りマンボ」という歌がありますが、日本人はあの歌の通りでわっしょいわっしょいのお祭り騒ぎが大好きで火事の最中もわっしょい、わっしょい、をやっています。

 昭和天皇だけが、軍部をあまり懲らしめるとまた反乱を起こすかもしれないと実録の中で述べておられたということを読んだ記憶があります。 

 此処も難しいところで、天皇的な反省だけが独り歩きすると軍は事件の効果を高く評価することになります。

 こうゆう場面での優れたリーダーを我が国は育てることが下手な国である。

 若い人たちよ心しておいて欲しい。さらに補足すると7月7日の日清事件へとつながる昭和史に中で、忘れてならないことは当時モスクワに有ったコミンホルムと云う秘密組織から出ていた指令である。

 日本は長い間蚊帳の外でコミンホルムからどんな指令が出ていたかを知らなかった。尾崎・ゾルゲ事件を知りながら国際共産主義運動の指示通りに清国との戦争を拡大し結果は毛沢東に利益供与的戦争を拡大した。

 国際的にみてオソマツを絵に描いたような外交であり戦争に明け暮れた。有能な外交官が育たず世界の秘密が何と一つも聞こえてこない国であった。それでもイギリスと同盟関係を結んでいた間はそれなりに情報が入りイギリスのアドバイスで何とかなっていたが、

 ドイツとの友好を優先して日英同盟を破棄してからは、井の中の蛙となった我が国は破滅への道を突き進んだ。外務官僚も国会議員も国際感覚の乏しい連中ばかりで手の付けようもない盲目の国家となっていった。(T)

               2月の夕焼


学生時代の思い出

2016-02-25 | 気ままなる日々の記録

  学生時代、ただ何となく気の合った友人が集まって「読書会」というのをやっていた。伝統もなく自治会からの補助金もない泡沫的なサークル活動と云う奴だった。

  ルールは簡単で皆に推薦したい自分の好きな本[文庫本程度》を云い次回までにみんなで読んできて感想を言い合い、帰宅時間になるとそのまま屋台店に席を移し安酒を飲みながらワイワイ言い合うというサークルであった。

  哲学科の友人はいわゆるマルクス主義と云われる主義の基本文献を推薦し国語科の女子学生は詩集などを推薦した。そんな会合で読まされ僕が一気に好きになった詩人がいます。「吉野弘」さんです。先日アマゾンで遊んでいて「吉野弘詩集を見つけ早速注文しましたらその本が今日届きました。その詩集から好きな詩を一つ書きます。丁度今の季節の詩だと思います。

春  二月の小舟

   冬を運び出すには

   小さすぎる舟です。

   春を運び込むにしても

   小さすぎる舟です

   ですから、時間が掛かるでしょう

   冬が春になるまでには

   川の胸乳(むなじ)がふくらむまでには

   まだまだ、時間がかかるでしょう。

作者の吉野弘さんは大正15年、山形県酒田市で生まれ、酒田尋常小学校を総代で卒業、昭和13年酒田市立商業学校に入学しておられます。昭和17年戦時のため商業学校を繰り上げ卒業となり、昭和18年帝国石油に入社しておられます。昭和32年31歳のとき、処女詩集「消息」を刊行しておられます。その間特に詩の勉強をされたり、同好の士と研究会をされたとか先生を囲んで指導を受けられとかいうことは特になかったようです。勿論雑誌を購読されたり推敲に推敲を重ねて詩を書きためたりしておられたとは思いますが、もはや天与の才能に恵まれた詩人であったと思われます。

山形県とと云えばシベリヤ方面から吹き付ける北風が日本海を渡ってくる間にたっぷり水分を含みその風が本州の背骨ともいえる山々に突き当たりそれを超えるために上空へ向かう。そのとき水分が雪になって吐き出されるので県全体が豪雪地帯となります。詩人吉野青年は一面の雪で埋まった田畑を見ながらこの冬を船で運び出すとイメージして春を待ったのでしょう。(T)

 

 


お見舞い

2016-02-25 | 気ままなる日々の記録

  先週土曜日に孫たちがお見舞いに来てくれた。お正月には上の孫が熱をだし帰省できなかったので私立中学の入学報告を兼ねて今回やってきたようだ。私立中学入学は最近になって聞いたので驚いたがもうそんな年齢になったのかと感無量であった。

  ついこの間まで、4歳違いの下の子と電話のとりあっこをしていたのに・・・・・・・。また誕生日のお祝いに好物のイクラを送ると嬉しそうに報告する時期や手造りのマフィンを喜んでいた時期はあっという間に通り過ぎてしまったようだ。

 電話は下の子の独占となり上の子はイーメールばかりになった。文も高学年らしく漢字が多くなり文体も大人っぽくなって可愛らしさがすっかり消えてしまった。それはそれで嬉しいことであるが、何かさびしく物足りなく感じるのも正直な気持ちである。

 遠く離れて住んでいると何かをしてあげることもできず痩せすぎの孫の姿を思い健康で、と願うばかりである。(E)

 

 


皆様「連鶴」と云う言葉をご存じでしょうか?「折り紙」の一種です。

2016-02-25 | 気ままなる日々の記録

   インターネットで「ぐうーブログ、『私の70代」を検索していただくと見つかると思います。之が私の師匠のブログで今見事な「連鶴」が紹介されています。更にその歴史まで調べてあるのがステキです。謹んでご一読をお薦めいたします。ユネスコの文化遺産に登録してもらいたいほどです。(T)


豊かになるということについて考える。

2016-02-24 | 気ままなる日々の記録

   人類も日本人は長い間行きたいと思うところへは歩いて行っていた。その後馬に乗っていくようになりやがて、馬車が造られ貴婦人は馬車でお出かけになった。それが、自動車になり鉄道になり新幹線が走り空を飛行機が飛ぶようになった。

   飛行機は発着に広い飛行場が必要である。人は小さな島の中央に飛行場を造り、自分たちの家は危ない崖の上に造った。それが現在だ。そして人々は幸せになっただろうか。

   介護の職員がビルの5階から老人を下へ放り投げたり、「成年後見人の弁護士が認知症の老人の全財産を横領したりする、或いは、訳ありで廃棄を頼んだ製品を横流し安くして売られていたという。食品をですよ?口に入れてお腹を壊す人が出ることは誰にでも想像できるじゃないですか。油断も隙もありゃしない社会になってしまった。こんな社会は豊かでも何でもない詐欺士と泥棒の溢れる社会だ。

  どこかで日本は進む方向を間違えたようだ。よく考えてみると、戦争に負けてアメリカの真似を始めた頃が大きな分岐点であったようだ。昔も今もアメリカなんか最低の国でどこもお手本なんかにはならない。キリスト教とセットでやっと何とかなっていると云ったところだろう。おおらかな神道と慈悲の仏教国の日本がアメリカの真似なんかしたらもう社会全体が壊れるのは当然である。そのことにあのころの日本人は気が付いていなかった。当時の評論家や左翼系学者は日本をアメリカに売った犯罪人というべきだろう。

  合わせて文部科学省に寄生して甘い汁を吸っている怪しげな教育学者たちも同罪である「人格の完成」はいかにされるべきか、特に我が国ではどうあるべきか、現在は、後世に大失敗の標本として伝えられるだろう。幼児期のにおける人格の完成の必須項目は何か、それをどう教えるべきか日本の伝統文化の中で研究する必要がある。外国の有名な学者の受け売りはやめてほしい。(T)


記憶の不思議。

2016-02-21 | 気ままなる日々の記録

  お見舞いに来てくださった方からの頂き物の中に見事なリンゴがあったとき、島崎藤村の詩の中に「リンゴのもとに見えしとき・・・」と云う詩があったなあ、と思い始めた。高校生の頃全部暗記して友人に云って見せ得意がっていたなあ、と思い始めたがナカナカ思いだせない。いくら努力しても出てこない、間もなく80歳だから、これが80歳になるということだ、などと余計なことを考えていたりしていた。ところが、今朝突然ツルツルと出てきた。

   「初恋」  島崎藤村

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君とおもひけり

 

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

ひとこひ初(そ)めしはじめなり

 

わがこころなきためいきの

その髪の毛にかかるとき

たのしき恋の盃(さかづき)を

君が情[なさ]けに酌(くみ)しかな

 

林檎畑の樹の下に

おのづからなる細道は

誰(た)が踏み初(そ)めしかたみぞと

問たもうことこそこひしけれ。(T)(一部ネット検索による)

      散歩道で。

    


やっぱり重力波がわからい。

2016-02-21 | 気ままなる日々の記録

   今日は日曜日。普通なら嬉しくてわくわくするところだが、どこか落ち着かない。「重力波」が分からないからだ。  

   昨日読売新聞が「天文学新時代へ」と云う特集記事を組んでかなり丁寧に重力波の解説をしていた。そこで、その新聞を持って事務室へ行って「この記事」全部をコピーしてほしいと頼んだら、「明日でよかったらこの新聞をお部屋へ届けてあげる」と云ってくれた。新しい新聞が届いたら入れ替えて古い新聞は古紙として廃棄するので・・・・」とのこと。

   喜んで今日を待ったら今朝それが届いた。その記事は今まで目にしたどの記事より優れていて、重力波はどうやら、電磁波らしい。つまり、光やX線やテレビ用電波と同じ仲間の様だ。重力があるとその物体から放出される電磁波の一種が重力波らしい。

  僕の理解と全然違っていた。と云うことは、僕が呼んだ「相対性理論と量子論」の読み方に問題があったということになる。そこで、そのことを意識して上記の本をよみかえしている。どうにも落ち着かない。科学者は文章表現力が乏しいのだろうか。多分科学の心理は数式で示されるので式の内容を説明するのが下手なのだろう。

  しばらく、重い課題を背負ってしまった感じだ。(T)

 


散歩

2016-02-20 | 気ままなる日々の記録

  先週木曜日、13度と暖かい日差しに誘われて久しぶりに散歩に出た。

 蓮池の散歩はしていたが敷地外へ出るのは2か月振り位だろうか。周りはすっかり変わり、数本の梅の木が7分咲きになっていた。いつも散歩する田圃の中の道は、用水路がなくなり、歩道の工事をしていた。そのため通学する児童で賑わう道路も工事のため一本北の道に代わっていた。

 何より驚いたのは西洋タンポポが冬を越して咲いていたことだろうか。

 部屋の中から見えないことが外に出ると沢山見えてくる。早くオソマツさんを誘って二人で散歩したいものだと思った。

 2月も終わりに近づき花粉対策も必要で本日鼻用洗浄器を注文した。(E)  

  

      散歩道で。

 


以下のブログが届きました。丁度1年前です。

2016-02-16 | 気ままなる日々の記録
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 2015年02月16日 に書かれた記事をお届けします。
 
初心に帰って
このブログを始めたころ、師匠に教えて頂いて作った画像。「もう少し井戸の底の水の部分(蛙の下の白いところ)を多くするように」とご指導いただいたのにごちゃごちゃになって修正できないまま今日に及んでいます。「右脳視床下部内出血によって左半身不随」になったとき、丁度落とし穴で古井戸に落ちてしまった感じと私が何度も師...
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2016-02-16 | 気ままなる日々の記録

このブログを始めたころ、師匠に教えて頂いて作った画像。「もう少し井戸の底の水の部分(蛙の下の白いところ)を多くするように」とご指導いただいたのにごちゃごちゃになって修正できないまま今日に及んでいます。「右脳視床下部内出血によって左半身不随」になったとき、丁度落とし穴で古井戸に落ちてしまった感じと私が何度も師匠に云ってこの絵の構想が浮かんだことを覚えています。今も同じ気持ちですが、この蛙さんのように目に力が入っていません。虚ろな眼差しの蛙です。宇宙の大神の思召すままに!

 

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tatsuro1129 さんが 2015年02月16日 に書かれた記事をお届けします。
 
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○○建設名古屋支店長SK様

2016-02-14 | 気ままなる日々の記録

激励頂き有難うございました。

   絵にかいたような「豚もおだてりゃ木に登るタイプの小生」のことですから、あれから以前に読んだ本を引っ張り出して読み返したり、高校時代に習った物理法則を思いだしたりと大忙しで例のノーベル賞級大発見とされた重力波やアインシュタインの最後の宿題と云われた理由などを追いかけてきました。参考文献はPHP研究所 発行の「相対性理論と量子論」佐藤勝彦監修と云う本です。

 ①はじめに。どの新聞も大きく取り上げそれぞれに「解説」を付けていましたが、これがサッパリわからない解説でした。良くわかっていない人が書いているな、と云うことがすぐわかる解説でした。第一に「重力波とは何かに触れていないのです。次にどのようにしてそれを測定したかを書いていないのです。どの新聞も強調していたのが、新しい望遠鏡を手に入れたようなもので、今後宇宙の仕組みや太陽系誕生の頃の様子が次々と発見されるだろうというお祝いの言葉でした。まるで、お祭り騒ぎです。

 ②相対性理論とは何か。ご存じのとおりアインシュタインが1905年に発表したのが特殊相対性理論でした。もっと砕けて云うと、時間と云うものは永遠の過去から永遠の未来に向かって絶対的な正しさで刻まれることは無い。時間を図っている人の立ち位置によって相対的に決まる. 

早さも同じで絶対的な速さと云うものは決められない。それを測定している人の置かれた状況によって速さも変わるという理論でした。

 これ等を論ずるバックグランドは勿論宇宙です。何を道具に使ってこれらの結論を得たかと云うと、「光」です。ニュートンが確立した運動法則も望遠鏡を駆使して導き出されています。つまり、光を使っての測定でした。

 ところがこの光がなかなかの曲者で一筋縄ではとらえられません。例えば、光の先頭に立って懐中電灯を前方に向けて点灯すると懐中電灯の光は光速の2倍のはやさになるかというと、やっぱり始めの光と同じ速さだというのです。後ろ向けて点灯すると、懐中電灯の最先端の光は一点にとどまっているかというと、そうではなく、光速で後方へとびさるそうです。こういう奇妙な測定器具を使って宇宙を観測するわけですから、地球上の常識では考えられない方式が次々と導かれるわけです。多くの科学者が何とか地球上の常識に合うようにいろいろな解釈をつけようとしていたとき、アインシュタインは、あっさり観測結果を認め、例えば「早く動く物体の上では時間はゆっくり進む、それでいいじゃないか」としたのが相対性原理です。

 最初に発表されたのが「特殊相対性理論」でこちらは、観測者が等速直線運動をしている場合で、その欠点を補う形で10年後に発表されたのが「一般相対性理論」でした。こちらは観測者は放物線上を動いたり楕円状を動いたりする場合も使えるように修正されました。いずれも初期条件は微分方程式で提示されそれをとくことになります。一般相対性の方は偏微分方程式で示されこれをとくわけです。偏微分方程式になると、解の存在が問題になります。此処で登場するのが「ヒルベルト空間論」のようです。

 貴兄と1年間「ヒルベルト空間論」を勉強しましたが実はよくわかりませんでした。ある集合に演算を定義します。これを、構造をいれるとかいっていましたね。この演算によって造られた方程式の解がこの集合の中にあるかどうかを証明するのが「ヒルベルト空間論でしたね。同型写像とか、準同型写像とかワイワイいっていましたね。また、脱線してすみません。

 ③光は質量の大きな物体の横を通ると少し質量の重心を中心とした円周方向に曲がる性質がありますから。仮に質量が大きくなったり小さくなったりする物体があったとして、その横を通る光は曲率が変化しますから、この波を「重力波」といっているのではないかなあ、と思っています。

 そうだとすれば、重力波を伝えるものは光で、この光を解析して質量が変化している巨大な物体を研究できるということではないでしょうか。駄文ををここまで読んでくださいましてありがとうございました。小生も少し疲れました。(T)