かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

多度山(402.7m)に登りました。

2012-09-30 | 気ままなる日々の記録

 翌24日、多度山に登りました。多度山と云えば多度大社の鎮座ましますお山ですが、この多度大社(多度大神)は日本宗教史に燦然と輝く貴重な資料を残した由緒ある大社(神宮)です。

 岩波新書「神仏習合」(義江影夫著)によると、奈良時代の後半に入った763年、多度大神(たどのおおかみ)は人にのりうつって、次のような託宣を下されたというのです。(古文書「多度神宮寺資材帳」に記載)
 「我れは多度の神なり。吾久劫を経て、重き罪業をなし、神道の報いを受く。いま、こいねがわくば永く神の身を離れんがために、三宝(仏教)に帰依せんと欲す」 (ざっとの意味:私は長い間神であったがいつの間にか沢山の罪を犯してしまった。それで仏教に帰依して罪滅ぼしをしたい) これが我が国の宗教の特徴である「神仏習合」の原点であり、当時の人々の宗教的心情だったのです。大神の氏子たちはこの声を聞いて、お宮の中に小さなお寺を造り、神宮寺と呼びました。こうした動きは弥生時代から古墳時代にわたって各地で生まれ守られてきた神社で起こり、各地の神社で神宮寺が造られました。

 私は、登り始めてすぐにこのことを思い出し、踏みしめる足にも感慨を込め登りました。

                   

  快晴の恵まれ足取りも軽く(?)登りこと2時間と少々。途中のハプニングといえば、野生の猿の群れに遭遇したことです。私の近くにデンと座って動かない猿がいたので急いでカメラをとりだしてシャッターを押したら、フラッシュが光って、その猿が私めがけて襲いかかって来たことです。どうやらボス猿で、群れを護るために我々の前に陣取って睨みをきかせていたようです。 

  

 それにしても立派なボス猿だと尊敬しながらも、私はハイキング用のストックを持っていましたので、このボスを居合抜き一本で打ち倒してやりたかったのですが、すぐに逃げて行きました。

  

 標高が300mを超えたころから眺望が開け、風が心地よく、快適なハイキングとなりました。上の写真で、一番手前が揖斐川、そのすぐ向こうが長良川で、少し離れて木曽川が見えます。右手の彼方はもう桑名であり伊勢湾です。

  

 頂上は小さな公園になっていて、“ベンチ”や“あずまや”があり先客が数人楽しそうに笑談していました。

                     

 頂上に設置されていた各種の案内板で、右が「宝暦治水」の工事現場、左が「三本杉の相場振り」とかで、六華苑でお聞きした旗振りに寄る情報伝達拠点図のようです。もちろん、こんなに拠点が整備されたころには、コメ相場の世界にもう諸戸家の姿はなかったと思われます。 

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1泊2日の小旅行のハシゴをしました。

2012-09-27 | 気ままなる日々の記録

 所属する2つのグループが計画した小旅行が偶然連続日程となり、チョット迷いましたが、両方に参加しました。最初が「山歩きの会」の9月行事で、23日桑名~24多度山コース、続いて「平成17年度区長会」の行事で、25日黒部・宇奈月~26日荘川クルーズ・五箇山のバスの旅行でした。以下4回に亘って見どころを紹介します。

 桑名地方の23日は正午ごろまで小雨。私たちは歴史好きなリーダー(この旅行の企画・担当者)の案内で、旧東海道五十三次の宿場町・歴史街道を歩きまわりました。この地は伊勢湾台風の直撃地。今に残る爪痕と復旧による巨大なコンクリート壁に改めて仰嘆ぜざるをえませんが、それでも昨今の予想は、この壁を軽々と乗り越える津波が来るといいます。改めて今、大自然への畏敬の念が求められていると思われます。

 今回のご報告は桑名が生んだ大富豪・山林王の豪邸「六華苑」(旧諸戸清六邸)とします。まずはパンフレットからスキャンした広角画像を。

 

 この豪邸は大正2年、2代目諸戸清六邸として竣工したものですが、この館の最大の特徴は和風建築と洋風建築の融合を意図し、それが見事に成功している点だといいます。上の写真が洋風の庭から母屋を見たもので、中央の写真が巨大な池を配した裏側の和風庭園から住宅を写したものです。下の写真は宴会場にも使われた和風のお座敷を写したものです。この他に幾つもの蔵や離れが配されていました。

 和風と洋風の融合。その成功は日本文化を愛し、書院造りや数寄屋造りの良さを知りつくしながら、鹿鳴館なども設計し「日本近代建築の父」と呼ばれているジョサイア・コンドルが設計を担当したからで、今では地方都市に残る彼の唯一の作品だそうです。歴史好きな友人たちが、おしゃべり好きなボランティアガイドに次々と質問を投げかけ、脱線に次ぐ脱線の解説を聞きながらの見学でした。

             

             

             

 私の写真を並べましたが、殆ど説明の必要はないと思われます。ボランティア・ガイドさんからお聞きしたお話を少し紹介します。

Q 諸戸さんはどうやって大金持ちになったの?
A 最後は“コメ相場”で財をなしたと云われています。“商品市場
”としての米取引の最大の場所は大阪でしたが、実は桑名にも市場があって、諸戸さんは桑名の相場と大阪の相場との関連性に着目して研究され、「桑名の相場を誰よりも速く大阪に伝えれば確実に儲かる」という計算式を編み出し、情報伝達の方法を研究された。電話も電報も使い物にならず「飛脚」が最大の手段だった頃、「狼煙(のろし)」にヒントを得て山頂から山頂へ大きな旗を振らせて通信をするという方法で、何と15分で桑名の情報を大阪へ伝えることに成功された、といいます。
Q そうか。曇りや雨の日は手を出さなきゃいい訳だね。
A  そうです。間違いが起きないように確認しながらの伝達だったそうです。
Q  相場で儲けた人は、相場でスルとしたものだが……。
A  そこが偉い人なんですよ。「お金は子や孫には毒だ。しかし万が一の時には子  や孫が使えるようにと考えられ、儲けたお金で山林を買われた。広さでの山林王は山形の方におられますが、金額(評価額)での山林王はズーット諸戸さんでした。何しろ鈴鹿の自分の山から出発して熊野大社まで他人の土地を踏まずに行けたそうですよ。どうしても木材を売ってほしいと云われて売れば、それだけで大儲けという商売だったそうですし、戦後の農地改革でも対象外でした。
Q 金持ちは意外にケチと云いますからね。
A いいえ、いいえ、諸戸さんは桑名にドンドン寄付されました。桑名は水郷で何処を掘ってもすぐ水が出ますが、全部濁っていて飲み水には使えない。だから桑名の人は飲み水は買っていたんですよ。それを諸戸さんが鈴鹿の山に貯水池を作り、水道を敷いてくれたんです。全部寄付。すごい人でした。
A コメ相場で儲けたといっても、最初の資金がなければコメ相場なんて手も出ないんじゃない?
Q ご先祖は「総百姓」って言うんですか。大勢の庄屋さんのまとめ役みたいなお家柄だったそうです。この地方は「一向宗」の信者が多くて信長の一向攻めのときは大変だったそうです。家には火を放ち逃げまどう人々を馬の乗った兵士が弓で射殺す。信長は一向宗に関しては女子供まで皆殺しにした。諸戸さんの先祖はこの信長の作戦をよく知っていて、信長が攻めてきたときに「家の中にいるな。戸を担いで逃げよ。馬が来たら戸板の陰に隠れろ!」と命令され、多くの百姓が命拾いをした。後の世にこのときの功績が認められて「諸戸」という姓を賜ったとのことですよ。先祖代々情報通だったんですね。

 とまあ、こんな調子で楽しいお話は延々と続きました。 

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白菜の本植えをしました。

2012-09-17 | 気ままなる日々の記録

 非常に強くて大きい台風16号が、昨夜から今朝にかけて、奄美地方を縦断して鹿児島・熊本をかすめて韓国に上陸とか。お陰で一昨日から不安定なお天気。その前は太平洋高気圧の勢力が強かったとかで遅くまで猛暑が続き、今年は「秋物野菜」の作付が難しい初秋でした。

 そんな中ですが、タイミングを狙って、ダイコン、ホウレンソウ、コマツナと種をまき、最後に白菜の本植えを進めて来ました。作付を断念したのはニンジンだけ。

          

 右の写真が今日(17日)午前中に本植えしたハクサイの苗。その右に見えるのが昨日本植えしてネットをかけたハクサイで、左の写真がそれです。播種シートに蒔きつけたハクサイの種が、今年は順調に発芽し成長。そのせいで、今年は沢山ハクサイを本植えすることになりました。(夜盗虫にやられなければ、白洲次郎のように「抜き打ち配達」という事態になるかもしれません)

        

 上の2列はダイコンで、猛暑・晴天続きで、ちょっと発芽率が悪かったのですが、まあ順調、発芽しなかったところへ最近また種を落としました。

 ずぶ濡れになって作業を完了。その雨が恵みの雨に思えて、気分も爽快でした。

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庭と畑からの報告

2012-09-08 | 気ままなる日々の記録

 9月に入って何日も過ぎたのに、連日30°Cを超える猛暑続きでぐったり。秋物野菜の播種もどうしたものやら。

 そんな中最初に手を付けた仕事が「枝垂れ柳の枝打ち」。去年の台風で倒れ、何とか起こして一応立派に枝を伸ばしている柳ですが、まだ根が弱く少しの風でまた倒れる可能性が大です。午前中に30°Cを超えた日に、汗1000㏄を流した作業でした。

       

 左は落とした枝を刻んで束ねたもの。5束も出来ました。
 次が「ハクサイの種まき」!!
 昨年から“種まき用シート”を使っています。昨年は成育好調で、いろいろな人に苗を貰って頂きました。今年もそうありたいと願って、張り切って播種。

 0.5ミリほどの種を、縦横3センチほどのセルの中央に2粒ずつ落とすという作業です。ハガキを折った谷の部分に種を並べ、爪楊枝で誘導するのですが、落ちた瞬間にもう種と砂の区別が付きません。息を殺しての作業でした。写真は播種から5日ほどすきたシートです。四六時中防虫ネットをかけています。現在のところ成育状況はは上々。後5日ほどで第2回目の種まきをする予定です。

 

 今日午前中、雨の中でダイコンの種を蒔きました。恵みの雨ですし、涼を呼ぶ雨で、1畝蒔く心算でしたが、途中で計画を変更して2畝蒔きました。2週間後にもう1畝ダイコンを作る心算です。

 最後がネギの植え替え。チョットお粗末ですがこれで十分です。暫くすると親葉は全部枯れて、新しい芽がどんどん出て来ます。今後的確に施肥すれば、鍋物の季節になったころ豊作間違いなし、です。

   

 写真は畑の片隅で咲く「小雨に煙る酔芙蓉」です。もう10年も前になりますが、友人から小鉢に入れて頂いた酔芙蓉の苗が大きく育ち、毎年見事な花を咲かせてくれています。

 今度晴天が見込まれる日は、「耕作断念地」への除草薬散布開始日になります。トホホ。

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