韓国では、なぜ「日本隠し」が行われてきたのか、なぜそれが必要だったのか。
「そんなことは償いにならない」と思ったからだろうか。
韓国人からするとそうかもしれない。
しかし最大の理由は「償っていない!」と主張し続けることによる、韓国にとっての物心両面の利益とかプラスがあるせいだ。
たとえば物的には日本に対し「まだ償っていないじゃないか」ということで、さらなる利益をせしめることができる。
そういわれ続ければ、日本としても韓国に対するサジ加減が甘くならざるをえない。
とくに戦後的価値観というか情緒というか、韓国に対する贖罪意識が残る中でそれは有効だった。
だから日本の韓国に対する経済・技術・その他・・・・・・官民両方で各種の支援が続いた。
韓国は日本にとってはいつも特殊な国、特別な相手だったのだ。
しかし時間の経過とともに歴史がらみの贖罪意識は後退する。
日本側でも近年、韓国に対しては言いたいことは言うという雰囲気だ。
となると過去がらみの贖罪意識をあてにした“物取り“的な効果より、心理的な優越感の方がしだいに比重は大きくなる。
つまり「日本は(罪を)償っていない」と思うことによる日本に対する精神的優越感が、韓国人を大いに満足させるのだ。
韓国的な表現で言えば「道徳的優越感」である。
これが韓国人にとってはこのうえもない民族的快感なのだ。
そして1945年8月15日の“恨(ハン)“があるだけに、韓国人はこの「道徳的優越感」によってその“恨(ハン)“を癒そうとするのだ。
いわゆる従軍慰安婦で韓国があれだけ執拗なのは、日本に対する「道徳的優越感」を維持したいからだ。
問題が女性および性にかかわることであるため、この問題は日本を「道徳的低劣」と非難するには絶好のカードである。
慰安婦問題は彼らの日本に対する道徳的優越感をくすぐる。
だから“慰安婦カード“は、韓国としてはなかなか手放せないのではないでしょうか。