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寮管理人の呟き

河原町地蔵尊に手を合わせる

「高信寺」から西へ約90mのところに「河原町地蔵尊」がある。古くから火除けの神様として地元民の信仰を集めてきた。本堂入り口の支柱左に「満願成就 火除守護」、右には「学業成就 安産繁栄」と書かれてある。赤い涎掛けをした地蔵の前に賽銭箱があるのだが、監視カメラが設置してあるのを見て「心無い人間は増えるばかりだ」と寂しくなった。

本堂には同町の原爆犠牲者並びに「竹の鼻刑場」の刑死者を祭っている。地蔵尊は明治の初めまで「奥川医院」の少し南にあったということだから、刑場はその近隣にあったと考えてよかろう。「忌み地」の痕跡を消し去ろうとする風潮が強い中、詳しい由緒書きを残しているのは珍しい。やはり河原町には「歴史を直視する度量」のある人達が多いのだろう。

本堂左脇に安置された被爆石灯籠には嘉永七年の文字が読み取れる。石以外は燃え尽きてしまった惨状を思い浮かべて「平和大通り」を渡り北に向かった。

※備考 竹の鼻(中区河原町)について

 船入村内の河原町にあった地名で、藩の材木屋敷が設けられ、そのうちには御歩行組以下の多門が建てられていた。…この地の奥には刑場があり、寛文三年(一六六三)以前より処刑が行われていたとされる(知新集)。
 城下ではこの地のほかに刑場として古江村樽ヶ崎(現西区)が使用された。
 「広島県の地名 日本歴史地名大系35」

被爆した石灯籠

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