寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県内におけるお好み焼き文化の違い

2015年11月28日 | 食文化
関西のお好み焼きが具材を混ぜ合わせるのに対して広島のそれはタネを重ねて焼き上げるという大きな違いがある。広島県人全てがあの独特の焼き方を受け入れていると思う方がいるかもしれないが、県東部に位置する福山市の中心部は例外で関西とほぼ同じやり方である。

学生時代の4年間は重ね焼きをよく食べたが、ソウルフードにはならなかった。私は食に関しては結構保守的な人間なのだ。ただし、豚脂がだらしなく浮かんだバランスの極めて悪いラーメンについては早い内に捨てた(笑)。自分の舌に合うものを食べたいという気持ちは年を重ねるにつれ強くなる。

お好み焼き

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犬肉を食らう民族として

2015年01月12日 | 食文化
中国人と朝鮮人(韓国人)は有名だが、日本人も近世まではかなり胃袋におさめていたことが発掘調査の出土品や文献の記録などから分かっている。福山市の草戸千軒遺跡から出土した多数の犬の骨には刀のようなもので削られた形跡が見られる。つまり犬は中洲の集落で食用として飼われていたのである。

江戸時代には武士が精力剤として犬肉を好んで食べていた話は研究者の間では常識である。犬公方様が生類憐みの令を出したのはゲテモノ食いを止めさせたかったからと推測する学者までいる(笑)。普段はかわいい、癒されるとか抜かしている連中も飢餓状態に追い込まれた場合、愛玩動物を食材として見るのではないか、と偏屈な私は疑っているのだ。

実際、人間とは実に業の深い生き物である。敗戦直後タンパク質の供給が途絶え苦肉の策として、逃げ回る犬や猫を捕まえてバラしすき焼きにした話、煮込みにしてうどんの具にした話は何ともえげつない。後者は母から聞いた話だ。旨いと評判のうどん屋(闇市)に入り食事前に便所を借りたところ妙な鳴き声がした。裏では子犬が棍棒で殴られていたのである。飢えた人たちが嬉しげにかぶりつく犬肉うどんにはどうしても箸がつけられなかったという。

※本文と写真は全く無関係 

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関東の白ねぎ文化

2014年12月19日 | 食文化
広島を離れて関東で暮らすようになって食文化の違いに戸惑うことが多かった。肉じゃがには豚肉を使うのが普通、醤油と言えば濃口そしてネギは白を指した。 

スーパーで青ねぎ(所謂奴ねぎ)も売ってはいたが、マイナーな存在であった。私はそれまで白ねぎをすき焼き以外に使ったことがなかった。辛味のある白ねぎを針状に切ってから水に晒すという技法には驚かされた。行きつけの焼鳥屋ではハムエッグに小口切りにしてから水に晒した白ねぎをのせてポン酢をかけていたのを思い出す。地元に戻って来てからは青ねぎを多用する私だが、おつまみのチャーシュー(煮豚)には必ず白髪ねぎを添える。

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関東のやきとり文化

2014年06月29日 | 食文化
関東で言うやきとりとは豚も含まれる。やきとり=焼き鳥+焼き豚(やきとん)、その割合は地方によって微妙に異なってくるが、私が20年ほど前に暮らしていた北関東ではほぼ半々だった。

向こうはやきとり専門店だけでなく持ち帰りの店も非常に多かった。スーパーの駐車場の前などに小さなプレハブの店があり夕方からおじやんが10種類以上の串を焼いて陳列していた。

当時の1本あたりの価格は50~80円くらいだったと思う。豚のタンやハツの塩焼きは人気があった。私は時々串を6本程度買い求めて缶ビールのアテにしていた。海外からの出稼ぎ労働者や共働きのお母さん達が次から次へと注文に来て店は繁盛していたが、コンビニでありとあらゆるものが買えるようになってしまった今でも存在しているのだろうか?

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西新宿・しょんべん横丁入口にあった「うな丸」

2014年06月16日 | 食文化
地元に戻って来て鰻を食べる回数は激減した。理由は至って簡単である。蒸し工程が入る向こうの味には遠く及ばないためである。今から20年程前、私は北関東で暮らしていた。当時それなりの鰻屋に入り一杯ひっかけて重箱を頼めば勘定は2500円を軽く超えた。つまり蕎麦と違い鰻は贅沢品であった。

ただし例外もあった。西新宿・しょんべん横丁入口に店を構えていた「うな丸」は鰻丼などを安く食べさせるので野郎どもに人気だった。20代の私は海賊盤を買いに行く前にここで腹ごしらえしたものだが、女性客に出会ったことは一度もない。ほとんど待たなくてよいのでせっかちな人間にはありがたかった。

御世辞にも綺麗とは言い難い鰻のファストフード店は平成23年(2011)年5月惜しまれつつ閉店した。

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根深と油揚げの炊いたん

2014年02月24日 | 食文化
ねぎのことを年配者は根深(ねぶか)と言う。ねぎには青と白の2つがあるが、広島では青ねぎを指すと言ってよかろう。西日本では現在でも青ねぎが主流である。私が関東に赴任して食文化で一番ショックを受けたのは出汁の色よりもねぎの色だった。

薬味にも白ねぎを使うのが当たり前の土地柄であった。スーパーに奴ねぎは売っていたが、当時は非常に影が薄かった。関東人が白ねぎの先の青い部分を切り離してためらいもなくほかすのがまた異様であった(笑)

畑から抜いてきた青ねぎを洗い食べやすい大きさに切って油揚げと出汁で炊く料理は年寄がよく作っていた。牛すき焼きよりもあっさりしているので風邪気味の時に食べると実に美味しい。新鮮な青ねぎは先っぽまで甘いので出汁の味付けはうす口醤油と味醂で十分だ。

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CoCo壱番屋と日本人

2014年01月31日 | 食文化
時々ココイチのカレーを無性に食べたくなるのは何故だろう。サラサラのルーは好みの具材と合わせるのに適している。衣サクサクのカツにルーをしみ込ませてもそれほどしつこくないのがいい。またポークエキスの適度な旨味がリピーターを作る要因だと思う。つまり出しゃばらない味が日本人に広く愛されているような気がするのだ。辛みの度合いを注文できるのもまた魅力の一つ。ココイチのカレーはイスラム教徒の多い東南アジアでも受け入れられつつある。

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瀬戸内の小魚の南蛮漬け(昔の作り方)

2013年10月17日 | 食文化
大正生まれの祖母は魚の行商をするおっさん(カブで得意先を毎日回っていた)からギギなどを買って七輪で焼いては三杯酢に漬け込んでいた(保存食として重宝していた)。頭と内臓を取らずに素焼きするのが昔の作り方である。

最近は頭をはねて油で揚げるのが主流だが、魚の持ち味を活かすという意味では素焼きの方が適していると思う。酢につけて2日後くらいが食べ頃だ。写真は備中名物のワチ。

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飲みたかったレモン酎ハイ 

2013年05月22日 | 食文化
福山ばら祭の会場・中央公園そばの居酒屋は高根島のレモンを使った飲料を用意していた。飲酒運転はできないのでぐっと堪えたのだが、新鮮なレモン果汁をたっぷり絞って酎ハイを作ったら相当うまいはずだ。

私が言う酎ハイとはもちろん関東の甘くない焼酎ハイボールのことだ。グラスに甲類焼酎とかち割り氷を入れて炭酸水を注ぎ輪切りレモンを浮かべるのが正当な作り方である。切れ味抜群なのでもつ焼き(豚ホルモン)によく合う。有楽町のガード下には安く飲める焼きとん屋がいくつもあったことを懐かしく思い出した。

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山菜山かけそばを食べて栄養補給

2013年05月16日 | 食文化
北関東の暮らしで思い出すのが、向こうの人は冬でも冷たいそばを平気で啜っていたことだ。そば屋でかけそばを注文している場面に出くわすことなどほとんどなかった。「郷に入っては郷に従え」で私も風邪の時以外はずっと盛りそばで通していた。

しかし、生まれ故郷に帰って来てから5年ほど経って考えが少し変わった。温かいものが欲しい時には素直に本能に従おうと。ゆでたそばにワラビの佃煮、鶏もも肉の甘煮をのせ汁をかけ山芋のすりおろしを加えた山菜山かけそば。ワラビを平らげてから全体をよくかき混ぜると非常にまろやかな味になる。疲れ気味の体にはよく効きそうな感じ。

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野洋光さんの講演会「食はいのち、食は心 -相田みつをの詩に励まされて-」

2013年02月26日 | 食文化
野洋光さんが福山駅前のニューキャッスルホテルで講演することを「経済リポート」で知った。入場整理券を持ってホテル3階の会場に入ると席がほぼ埋まるほどの盛況である。

講演会会場(ニューキャッスルホテル3階)

忙しい中野さんは今朝東京から新幹線で福山入りした(その日の午後にはとんぼ返りのハードスケジュール)。ユーモアを交えた講演は1時間40分にも及んだ。内容について簡単にまとめておこう。

西麻布の総料理長は「笑って白いご飯が食べられるのは幸せ。しかし、ほとんどの人が(そのことに)気付いていない。…幸せだから。…私たちは望み過ぎている。本質が分からないのは…自分の足で歩かないから」と語り、TPP交渉参加の問題を引き合いに出して安心安全という食事を自分たちで守れるかどうかが最も重要と結論付けた。

我が国の高等な食文化(マナーなど)は徳川家光公の時代に鎖国政策によって確立(また醤油や磁器が誕生)した話は面白かった。江戸で暮らす庶民の楽しい食事と比べると現代人(猿)の立ち食いなどは確かに餌と言った方がよいのかもしれない。米の消費が減った背景にアメリカのPL480法案成立があると指摘した上で国産品を食べていない国民が非常に多いことを嘆いたのが印象的だった。

いずれ訪れる食糧難に備えて耕作放棄地の再生が急務であることを我々はもっと直視すべきであろう。野さんの発言「自家菜園(で収穫した野菜を調理して食べるの)が最高の贅沢。すぐそばに畑があれば冷蔵庫は要らない(し、)調味料が少なくて済む」は本当である。私は自分で作っているから自信を持って言えるのだ。メディア(新聞やテレビ)の流す情報には嘘がかなりあるのを見抜ける人がどれ位いるだろうか。

終盤に飛び出したダブルM(関西の☆☆☆店主と関東のテレビ司会者)批判に聴衆は大笑い。権威ほど実はあてにならぬことをさり気無く話す所は見事である。「真手(まで≒丁寧)」に生きている人は悪質な嘘を嫌う。今日は野さんと一緒に貴重な時間を過ごすことができて本当に幸せと思った。

講演会のちらし

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犬食について(朝鮮半島)

2010年06月22日 | 食文化

犬食文化について考える際に朝鮮半島の事例を外すわけにはいかない。『日本焼肉物語(太田出版 1999年)』の著者・宮塚利雄さんは韓国の大学院に留学した経験(昭和48~55年)があり、dancyu1999年7月号のインタビューで当時を懐かしく振り返っている。その一部を抜粋しよう。

 韓国では、ソウルの賄い付きの下宿にいたことが多いんですが、主に食べていたのはキムチや海苔や魚なんかで、肉はせいぜい週に一度ぐらい。それも主に犬の肉でしたね。当時、韓国では犬の肉はポピュラーで、夏場のスタミナ食として日常的に食べていました。その頃の韓国はまだ貧しくて、牛肉は特に値が張った。牛の骨付きカルビの専門店もありましたが、私などはほとんど口にできないものでした。七輪で焼いて食べるのは、犬の肉か、豚の三枚肉、あるいはホルモンでしたね。

そして『日本焼肉物語』では留学中の食生活について更に詳しく記している。

 …留学中に暑気払いに知人とポシンタン(補身湯。犬肉)を食べに行った時のことである。武橋洞のナクチコルモク(いいだこ通り)から、路地裏に入ったところにある古びた韓式家屋のこの食堂は、ポシンタン料理が有名で、この日も客でいっぱいであった。昼の1時ごろだというのに部屋は暗く、扇風機はあるものの動いていなく、七輪の中では炭火が赤々と燃えており、むっとする二酸化炭素の臭いだけが異常に鼻をついた。当然のことながら客は男ばかりで、ほとんどが上半身裸である。扇風機の風は「肉を焼くのにじゃまだ」とか、「肉の味が落ちる」とか、「七輪の炭火が消えやすい」とか、各自それぞれが理由をあげて、ポシンタンは汗を流しながら食べるのが“通”とのこと。
 汗をダラダラ流しながら、焼酎をグイッと一気に飲み干し、“クァッ”という声を発しながら食べたポシンタンの味はまさに「別味」であり、暑気払いとしては最高のものであった。

 留学時代に下宿していた家で、いつも見慣れている犬がいなくなったので、アジュモニ(おばさん)に聞いたら、「神様に召されたの」と意にも介さないように、いとも簡単に答えた。それにしても、自転車の荷台に籠をのせたアジョシ(おじさん)の、「ケーパラヨー(犬を売って)」という声が、路地裏に余韻を残して消えて行った時代が懐かしく思い出される。

 これも留学時代の思い出であるが、知人とソウル郊外の渓谷地に遊びにいった時のことである。われわれは渓谷の流れに足をつっこみながら、焼酎と持ってきたキムチやナムルなどで涼をとっていたが、犬を連れて鍋と薪を持って登ってくる連中に出会った。避暑に犬を連れてくるとはなかなか粋な人たちだなと思っていたら、しばらくして「キャン」という犬の悲鳴が上の方から聞こえてきた。私は留学したばかりであり、まだポシンタンを食べていなかったので、何が起きたのかと心配顔になったが、知人は別に気にしていない。しばらくして、この連中が下りてきたが薪がないことと犬がいないのに気づいた。
 知人に聞くと夏は犬に限るとのこと。みんなで金を出し合って1匹買ってきて、料理して食べるとのこと。今でもソウルに行くと知人が農協中央会の付近にある、ポシンタンチプ(犬肉料理屋)が連なっている路地裏に案内してくれる。

「汗をダラダラ流しながら」という件を読んで唾を飲み込んだ私も似たような経験を浅草でしている。韓国語の飛び交う「KR」でサイコロステーキよりも大きなミノ(牛の第1胃)を七輪で焼いて食べた日のことを思い出した。ミノはジューシーでやわらかかった。舞い上がる煙に包まれ汗だくで食らいつく楽しさを教えてくれたこの店には今でも感謝している。

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犬食について(敗戦直後の日本)

2010年06月21日 | 食文化

敗戦直後の食料難について様々な人から話を聞いたことがある。中でも犬の肉を食べたという回想が一番印象に残っている。大正の初めに生まれた男性(故人)は「赤犬の肉は美味かったのぅ。腹が空いとったんを差し引いても兎よりははるかに上等じゃった。子どもに言うても分からんじゃろーが(笑)」と言った。

現代の感覚で犬の肉を口にする行為を悪食と決め付けるのは愚かだと思う。少なくとも江戸時代までは武士が精をつけるために犬肉を食べていた。我が国の犬食文化が衰退した理由としては犬公方の登場が大きいと思われる。綱吉は犬食を止めさせるためにあの悪法を出したという説もある。文明開化で日本人は徐々に牛肉などに慣れていくが、まさか再び犬肉を食べることになろうとは思いもしなかったろう。

「青春風土記 旧制高校物語2(週間朝日編 朝日新聞社 一九七八年)」に興味深い記述があるので引用しておこう。

 そのうち戦争が終わり、食う物がいよいよ少なくなった。四高生を行列の先へいれようとすれば、自分が食いはぐれるかも知れない。四高生のほうでも、町の人の温情をあまりあてにできなくなった。

 そのころ、水泳塾の学生は赤犬をたべるという風評が立った。それを聞いた山岳塾の学生たちが、ある日、赤犬を一匹つれて来た。この犬は、英語の神保教授の飼い犬なのだが、山岳塾の学生によく馴れて、ちょいちょい遊びに来ていたものである。

 水泳塾の学生が手際よく処分し、ちょうど来合わせた金沢医大の先輩に解剖してもらって、すき焼きにして食った。部長の牧野信之助教授まで招待するという師弟の情誼の深さであった。

 なんにも知らない神保教授は、愛犬がいつまでも帰って来ないので、北国新聞に尋ね犬の広告を出した。それを見て、水泳塾の連中は首をすくめた。

 犬は一匹だけではなかった。水泳塾の周辺で、四、五匹の犬が姿を消しているはずである。

 塾のおばさんも、犬すきのお相伴にあずかった一人である。しかし彼女はいかにも金沢人らしく、信心深い人だったので、仏壇に犬の絵をさげて、朝夕念仏をとなえていた。

極度の飢えは人間の眠っていた本性を呼び覚ました。食欲が理性を抑える特殊な事例を私は笑うことができないのである。

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食文化の違いを知る旅

2010年03月05日 | 食文化

若い頃の関東での暮らしは不満を言い出すときりがなかった。初めのうちは愚痴をこぼしてばかりだったが、やがて口にするだけ無駄だと思うようになった。

私は気分転換をはかるために旅に出ることを覚えた。頻繁に遊びに行ったのは当然東京である。「金さえあればこれほど楽しい街はない」と評した同級生がいたが、私は「あまり金を使わなくても面白い所だ」と感じた。

新宿、渋谷、神田神保町はとりわけ刺激的で知的好奇心を大いに満たしてくれた。食事は築地でとることが多かった。そこで人肌の酢飯と本マグロの美味しさを初めて知ったのである。この体験が食文化の違いを研究するきっかけとなった。

旅の範囲は首都圏から東北、北陸、信州、東海へと広がっていった。私があらゆる面で高い点数をつけたのが石川県、次点は鯉・そば・馬肉・ネマガリダケといった食材のすばらしさを教えてくれた長野県になる。

淡水魚料理で卓越した技を見せる島根県(松江市)や滋賀県はもっと評価されるべきだと思う。両県から私は以下のことを学び取った。

一見地味だが、自己主張し過ぎることのない街は眼力あるリピーターをつかむ。資金力だけに頼ったワンパターンな戦略がもろに裏目に出た広島県西部の都市とは対照的である。やはりポイントで球に緩急をつける勘こそが最も重要なのだ(笑)

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恐ろしき有鉤条虫(豚の寄生虫)

2007年02月02日 | 食文化
もうずい分前のことだが、“HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP”でジュディマリのYUKIが「豚の生肉はおいしい」と言って、松っちゃんをドン引きさせた事件があった。松っちゃんは豚肉の生食が危険であることを重々承知していたものと思われる。さすが、関西人。

私が食べる生レバーというと、牛か鶏(これはごくたまに)である。豚に関しては絶対に口にしない。豚のトキソプラズマによる被害がよく知られているが、最も怖いのが豚肉中に潜む有鉤条虫という寄生虫だ。

これが人体に入ると、いたるところに卵を産みつけ、体中に醜いブツブツができる。虫が脳にでも移動すると、アーパーになってしまうのだ。有効な治療法は確立されておらず外科的な切除しかない。イスラム教徒が豚を不浄の動物と忌み嫌うのは、古にこの被害にあったことが原因ではと考える学者もいる。

安いだけがウリの場末の立ち飲み屋で、メニューに【豚生肝】を見つけるとぞっとする。無菌豚の臓物を使っているとは到底思えない。危険性を理解した上であえて食べている強者に意見する気はない(笑)が、無知ゆえに、そういう行為に及んでいるとしたら、すぐに止めるべきだ。あの病気のグロテスクな写真を見れば、私の言うことも分かっていただけるだろう。

人体に影響を与える有鉤条虫(東京都衛生局生活環境部食品保健課)

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