寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

余命三年時事日記 共謀罪と日韓断交 / 余命プロジェクトチーム (著)

2017年03月18日 | 書籍
余命本シリーズ第5弾が発売された。非常に面白い内容のため10分ほどで読み終えた。近い内に灰となる運命の愚かな団塊にではなく有能な若者に刺激的な良書として薦めたい。

 一部メディアや法曹団体などは「かつての治安維持法と同様に取り締まり対象が拡大される危険性がある。一般市民も逮捕されるようになる」と主張し、さらには「サラリーマンが居酒屋で飲みながら『上司を殺したい』と冗談をいっただけで逮捕される」といった類の馬鹿げたデマを流すなどして、国民に共謀罪についてのマイナスイメージを植え付けようとした。彼らはなりふり構わず必死になって法案を攻撃して、廃案に追い込むことに成功してきたのだ。
 いうまでもなく治安維持法の時代と現在の日本とでは、社会も政治状況も全く異なっている。左翼の連中は自分達と意見の異なる相手を「ヒトラー」「ファシズム」などと決めつけて言論封殺することを得意としているが、「共謀罪は現代の治安維持法」と叫ぶのは、それと同様な幼稚なレッテル貼りにすぎない。

 共謀罪で取り締まりの対象となるのは、犯罪集団である指定暴力団、極左テロ団体である革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)や日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)、日本人拉致事件に関与した朝鮮人団体である在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)などであると思われる。

 …安倍総理の考えはテロ防止だけに留まらず、その真の狙いは一貫して国内反日勢力の除去であり、そのために共謀罪は有効な武器のひとつとして機能するはずである。共謀罪が成立すれば、国際組織犯罪防止条約を締結できることになり、在日犯罪組織が壊滅的打撃を受けることになるだろう。極左団体も当然として、それに繋がる政党や勢力も同様である。国際組織犯罪防止条約が国連において国際テロリストの再指定に進み、日本の指定暴力団(朝鮮ヤクザ)まで対象になれば、一瞬で在日社会は壊滅するだろう。

 インターネットの普及によって、情報の入手と発信の手段を一般大衆が手にすることができるようになり、日本人は特に若い世代は容易にメディアに騙されなくなってきた。インターネットの普及がなければ余命ブログも存在しなかったし、それがもう少し遅かったら日本は完全に売国奴と在日の手に落ちていたかもしれないのだ。

キョクサが連日国会で馬鹿騒ぎを続けるのは新法案「テロ等準備罪」成立阻止を目的としているのは誰の目にも明らかだ。虚言癖のある理事長の証人喚問が終った後に偏向マスコミと一部の野党議員はどう責任を取るのだろうか(※【Vlog】ワイドショーに乗っ取られた国会、は必見)。さて本書は次の冷淡な一文で終わる(笑)

 筑波大学大学院の古田博司教授が「韓国を助けるな、教えるな、関わるな」という「非韓三原則」を提唱している。この素晴らしい非韓三原則の精神で、韓国を助けず、教えず、関わらず、韓国が滅びる日を楽しみに待つのがいいのではないだろうか。今こそ日韓断交が求められているのである。

南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…(パヨ)チーン!

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余命三年時事日記 外患誘致罪 / 余命プロジェクトチーム (著) 

2016年09月19日 | 書籍
平成21年(2009)9月初旬に私は滋賀県大津市を旅した。ポッポ内閣発足直前にあたり、大層憂鬱だった。マスコミの大擁護と大震災発生によってトクアの傀儡政権によるろくでもない政治ごっこが3年以上も続いた。そしてついに日本国民の怒りが頂点に達し無能な連中は追放されたのだった。

R4の経歴詐称(二重国籍)問題が浮上した後に刊行された余命本シリーズ第4弾には旧眠巣の悪行が(頭のいい小学生に理解できるように)経時的にまとめられ売国奴のリストまでついている。名前の挙がった(二重国籍も疑われる)関係者はガクブルだろう。

揺れに揺れまくった平成28年は遵法精神の欠如したゴミ溜め共の大掃除で終わりそうである。私達が梅安先生の如く冷淡にド悪党の首筋に仕掛針を打ち込む時がもうじき来る。時代遅れとなった新聞・テレビがネットのスピーディーな調査力とバランス感覚に白旗を上げる日は意外に早いと思う。

梅安

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余命三年時事日記2 / 余命プロジェクトチーム (著)

2016年05月19日 | 書籍
本当にいい時代になったものだ。旧眠巣の悪行が記された書籍が多くの人の手に渡り情報が共有されると思うと胸が熱くなる。余命さんが言われるように潮目は完全に変わった。

 選挙とは意中の政党や候補者を選ぶという制度だが、反面でふさわしくない政党や候補者を落選させ、入れ替えるという役割もはたしている。平成21年民主党政権成立後の期待への失望は、単に政策の違いによる二大政党交代の意味合いを飛び越えて、民主党が朝鮮傀儡政党であったことが明るみに出てくるに従い、国民の民主党嫌悪、排除の流れとなった。
 平成24年衆院選の結果は自民党がすばらしい政党であったからではない。民主党議員を落選させる一つの受け皿になったに過ぎない。自民党の得票率、得票数がほとんど伸びていないことからも明らかだ。都議選も全く同様であった。民主党議員を落選させる投票行動が各所に見られた。民主党議員を落選させるために他の候補に投票したのである。
 今回の参院選も同様の結果となるだろう。昨年10月時点で、今後の政局、日本の政党でありながら朝鮮民団丸抱えが国民みんなにばれたからだと切り捨てたが、メディアの関連報道がない中、周囲では疑問をもつ者ばかりであった。その後、数々の予想が完璧に現実になることによって、今は、多くの方々、組織、機関に信頼をいただいている。もうネットを利用している方々はご承知のように、現在のマスコミ報道は偏向している。
 (中略)冷めた目で客観的に報道内容を読んでみると偏向報道を見破ることができるようになる。
 大多数の国民がわかってきているのに、それがわからないメディアがまだいくつもある。国民のフラストレーションはたまりつつある。いずれ近いうちに爆発するだろう。

垢卑・変態・トンキンなどの売国報道機関への国民による御仕置(不買運動)は益々きつくなり、これらに広告を出す企業への眼差しもより厳しくなろう。先ずは選挙で屑を叩き落とし、その太鼓持ちを次々に獄門にかけなければならない。選挙権を得る若者は本書を読んで夏の戦いに備えてもらいたい。

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余命三年時事日記ハンドブック / 余命プロジェクトチーム (著)

2016年03月20日 | 書籍
既存マスコミが総スルーする新刊について簡単に紹介しておこう。本書には反日勢力にとって知られたくない事実が多数列記されている(黒歴史てんこ盛り)のだ。

あとがき
 まえがきでも述べたように、前著は予備知識のない読者にはたしかにハードルが高かったと思う。ただ反日勢力の出版包囲網の中では最初で最後の本となる可能性もあったので、重要なテーマについては可能な限り入れておこうという方針だったのだ。そのため個々の事象の説明や背景などについては、おろそかになったことは否めない。
 本書はそのフォローという意味合いで出版されたのである。余命ブログにもない資料や新しい情報も入っており、過去ログにとらわれずに切り口を変えて読みやすくしている。「覚醒」から程遠い日本人にも対応した「入門書」「拡散に使いやすい本」になるよう心掛けたつもりだ。
 前著が発売された時には陰湿な出版妨害が展開されたが、本書については現在(2月末)のところ出版妨害は確認されておらず、すでに各書店で予約受付が開始されている。余命包囲網はすでに崩壊し、風穴が空いているのだ。

64~87頁は必読。非国民(与太者など)による凶悪犯罪、眠巣と知性劣化の著しいマスコミ(枠採用の大きな弊害)との密なる関係を偏差値50程度の日本人であれば容易に理解できよう。私は悪夢の政権交代前に滋賀県大津市石山寺を旅してバスの中で考えたことがあった。あれから6年半の月日が流れた。眠巣(最近改名したが犯した罪は消えぬ)の悪行によってお花畑的脳の国民がどれほどの迷惑を被ったことか…思い出してみるがいい。極悪人を我々の手できっちり仕置きする機会が今年は2回(おそらく1回となるだろうが)ある。結果が非常に楽しみだ。

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廣島縣警察史

2016年03月16日 | 書籍
何気なく手に取った本が大当たりだったことを私は何度も経験している。つい最近見付けた価値ある文献(発行は大東亜戦争勃発前)について紹介したい。「第五節 備後中津領の警察」には近代司法警察が果たした役割についての詳しい記述がある。

 小畠代官所裏庵寺の下に牢屋を築き(現に牢屋敷と呼ぶ)法度に觸れ罪を犯したる者は入牢は懲誡し、重罪にありては中津藩の指揮を待ち或は奉行出役して打首の刑に處することも往々あり、明治四年放火罪に依り打首にせられたる男一人あり、牢締方龜太郎牢屋より引出し小畠蝙蝠橋河原に連れ來り頭なき肴を以て最後の酒を飲ましめ、代官以下假小屋に列座し近在の老若男女環視せる中にて牢番人榮三郎、目隱後手にしたる罪人を一刀の下に斬り捨て、首を洗つて掌上に載せ目付佐竹嘉六の面前に差出し檢分を乞ふ、目付は「見事々々」と云いて檢分濟となり杓の柄を切りて首と胴とを繫ぎ遺族に引渡せり。

小畠代官所の跡は現在神石高原町役場になっているが、中津藩の飛び地になる前は福山藩の所領(水野家時代)だったことを知らぬ人が多いらしい。時代が変わろうとも国の治安維持は最も重要な仕事の一つである。また極悪人を法で裁き仕置(し記録を残して万人が閲覧できるように)することも同様だ。

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余命三年時事日記 / 余命プロジェクトチーム (著)

2015年12月20日 | 書籍
今年私が買った本は2冊。池田信夫さんの『戦後リベラルの終焉』と本書だ。価値があると判断した物には身銭を切るのが自分のスタンスだから。内容については偏差値50以上の生徒ならば理解出来よう(28はダメよw)

若者に特に読んで欲しいところは、マイナンバー受け取り拒否をする人々・公安資料流出(72~77ページ)かな。無能衆・眠巣の強力な応援団の一つが与太者共だったという笑えない話など、現在のオツムの弱い(かつ尊敬されない)年寄りには教えられないだろうし。私の世代は明治・大正生まれの(泥を思いっ切りなめて生きてきた)祖父母と一緒に生活した者が大勢いたが、今はそういった社会勉強の先生が殆どいないのでかわいそうだ。

もっとエグイ現実を知りたくなったら、ミラーサイトへアクセスしよう。知識不足だと何かと損をするよ。

著者

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戦後リベラルの終焉 / 池田信夫(PHP新書982)

2015年04月18日 | 書籍
久々に本を買った。池田さんのつけたタイトルがいいので(笑)。著者の学生時代の話はある意味悲喜劇だ。マルクス主義に強い影響を受けたという回想にはゼネレーションギャップを感じるが、70年代のキャンパスライフを理解する上では興味深い記述が多い。進歩的文化人の消滅からインターネットの普及までの流れについては次のようにまとめている。

 学生運動が華やかだった六〇年代までは、大学生はまだエリートだった。アラブの「ジャスミン革命」でも見られるように、発展途上国では学生が知識人として大衆を指導することが多い。六〇年安保は、そういう典型的な「途上国型」の運動だった。しかし今では大学進学率が五〇パーセントを超え、私立大学の半分以上が定員割れだ。
 このような知識の大衆化が知識人の劣化の最大の原因だろうが、それは地方では多くの大衆が情報ネットワークを通じて自由な言論活動ができるようになったことを意味する。かつては街頭デモや暴力によって発散させたエネルギーを、今ではインターネットが発散させているのかもしれない。

私が最も笑ったくだりは団塊と眠巣の関係である。賢そうに見えて実は愚か、不用意な発言で墓穴を掘り続ける連中、まさに嫌悪の対象だ。

 団塊世代の特徴は新憲法バイアスである。生まれたのが終戦直後だから、戦争は絶対悪で、平和憲法は人類の理想だという教育を子供のころから受けた。自民党は大資本とつながっていて、大資本は帝国主義の元凶だから、戦争は資本主義があるかぎり必然だ。
 したがって戦争をなくすためには、資本主義を廃絶するしかない。それが過激化すると連合赤軍のような武装闘争になるが、べ平連のような市民運動にも共通の感覚だった。つまり民主党政権の中枢にいるのは、資本主義=悪だと信じて、それをなくすことを最終的な目的にして人生を過ごしてきた人々なのだ。
 もう一つの特徴は、民主党の場合は朝日バイアスである。子供のころから優等生として(やや高級な)朝日新聞を読み、世の中より少し進歩的な意見をもち、政府を批判することがインテリの条件だと思っている。民主党の国会質問を聞くと、朝日新聞とそっくりの言い回しがよくある。
 人生の途中で彼らはその間違いに気づいただろうが、それを認めることは自分の人生を否定することになる。

池田さんはあえて触れていないが、サヨクの反政府(≒反日)運動の裏には非国民が常にいることを忘れてはいけない。知的レベルの高い若者こそが読むべき本だ。

戦後リベラルの終焉

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私の「漱石」と「龍之介」 / 内田百(ちくま文庫)

2015年01月14日 | 書籍
岡山市古京町出身の内田百(本名:内田栄造)のエッセイが好きで学生時代にはよく読んだ。彼の作品は頭に入るようで実は入らないのが魅力なのである。内田は旧制の岡山中学から六高を経て東京帝大に進む。憧れの夏目漱石の弟子となり彼の家に出入りすることで数々のネタを得た。

本作に収録された「漱石先生の来訪」は傑作の一つだ。内田は漱石に頼んで書いてもらったものを自宅に大切に飾っていたが、ある時師匠が不意に訪ねて来た。そして自分の書の不味さが気になり始めて書き直すから破かせろと言い出して内田を困らせる。ついにしぶしぶ承諾するが、当分の間師匠には腹が立って仕方がなかったという話である。

久々に偏屈な二人のやり取りをユーモラスに描いた作品に目を通して案の定ふき出してしまった。私は昔からこの繰り返しである。

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在日・強制連行の神話 / 鄭大均(文春文庫 平成16年)

2014年07月18日 | 書籍
NW9キャスター犬越健介は7月17日(木)番組内で「在日一世の方たちというのは、韓国併合後に強制連行または職を求めて移住してきた人たちで、大変な苦労を重ねてきた」と発言した。私は一瞬耳を疑った。朝鮮半島から内地への移住の主たる原因があたかも強制連行であったかのような確信犯的言い回しは大問題である。球遊びが好きな男はおそらく鄭大均(ていたいきん)さんの著作を読んでいないと思う。いくら左にバイアスがかかっていても知識があればあんな恥を全国にさらすことはなかった(笑)。怒りを覚えた聡明な若者の為に重要な部分を紹介しておこう。

〈敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力の警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずり下ろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。くどく言うのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、著書『回顧録』のなかで「今もその時のことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする」と書いていることから想像して頂きたい。そうした姿は「朝鮮人=無法者集団」という印象を日本人の胸に強く植えつけた。外国人の指紋押捺制度が一九五五年に採用されたのも、上記のことと関連があった。朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収がからむ)それを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給食料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった〉(「一日本人の見た戦後日韓関係」『現代コリア』一九九二年一二月号)

 ある座談会での大宅壮一の発言を借りるなら、この時代の日本人には、「朝鮮人と共産主義、朝鮮人と火焰ビン、朝鮮人とやみ、朝鮮人と犯罪」を結びつけて考える心の習慣ができあがっていて、それを解きほぐすのは容易なことのようには思えなかった(「在日朝鮮人の生活と意見」『中央公論』一九五二年九月号)。事実、その後、日本人や在日を取り巻く状況は大きく変化したように見えるが、日本人の在日に対する「悪者」や「無法者」のイメージや印象は強度や傾度を弱めながらも、六〇年代や七〇年代の調査にも現れているのである(拙著『韓国のイメージ』中公新書、第一章参照)。
 …「加害者」から「被害者」へという在日イメージの転換に最も強い影響を与えたのはメディアの動向であり、具体的には八〇年代以後、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日の犠牲者性を語る過程で、在日は無垢化されるとともに、「被害者」や「犠牲者」の神話が実現していくのである。学校教科書や辞典の類に「朝鮮人強制連行」についての記述が登場するのは八〇年代以後のことである。在日コリアンに対する「悪者」や「無法者」という言説は、今や書き言葉の世界では周縁的なものとなり、政治的に正しくない言説として封じ込められるようになっているのである。

 ここで私自身の立場を明らかにしておくと、私が共感するのは「強制連行」論よりは、それに対する批判のほうであり、「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。
 今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への「労働動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性が朝鮮人の被害者性を誇張しすぎているからと思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にいなかったのだということを想起されたい。

 …そもそも在日一世たちの渡日とはどのような性格のものであったのか。

 …森田が他の論文で用いた表現を借りるなら、当時の内地と朝鮮半島の間には「出かせぎ的」に往来する朝鮮人がおり、その数は昭和に入って往復とも各年間十万人を超え、一九四〇年以降は年間二十万人を超えていた(森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店、一九九六、一八頁)。朝鮮人と日本人の間には差別があり、その内地移住には規制があったが、それでもこの時代の朝鮮は日本帝国の一部を構成していたのであり、朝鮮半島の南部に住む人々が、新しい人生をはじめるというときに、機会を提供したのは京城というよりは内地であったのである。

明日から海外出張(笑)という犬越にはぜひとも暇を見つけて本書を読んでもらいたいものである。自民党政権下の茶坊主として生きる彼には以下の文章が最も役に立つだろう。

 …かつての日本には不利な立場で生まれてきたがゆえに、他人よりも努力して自分を鍛えるとか、理不尽に向き合う過程で、ある種の奥行きを備えた人間が生まれるという「逆境の効用」とでもいうべき状況もあった。それに比べると、今日の日本に見てとれるのは、コリアンであることを自己表示するや、ある種の権威や権力を得るという状況で、これでは自分をスポイルすることになりはしないか。

 より良い生活をするために、私たちは、祖国や日本との関係をどのように変えていったらいいのか。これがおそらくは多くの在日コリアンが共有する関心ごとであると思われるのだが、被害者アイデンティティに身を任せた人間は、前向きの人生を選択しない。…

一応政治部記者上がりなのだから反日一辺倒の女性指導者を直接取材した上で渡日した済州島の人々(一世)が祖国でどのような酷い扱いを受けていたのか、とか李氏朝鮮時代の庶民は肉食とはほとんど無縁の生活水準だったことなども掘り下げていくべきだと思う、巨大なブーメランが顔面にかえって来る前に。

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永遠の四一 歩兵第四一連隊の足跡を訪ねて / 大田祐介(福山健康舎 平成26年6月)

2014年07月08日 | 書籍
大日本帝国陸軍・歩兵第四十一聯隊の兵営は現在の福山市緑町(緑町公園及びココローズなど)にあった。大田さんの力作には聯隊の関係者の手記がまとめられており珍しい写真も多数掲載されている。緑町公園内に残る石柱は「将校集会所の通用門の門柱」ということを初めて知った。

門柱

大学跡地

兵営の跡には国立の広島大学ができたのだが、聯隊の歴史を後世に伝える仕事を放棄したという新事実には驚くとともに少し呆れた。また大田さんが指摘する市政の問題点についてはその通りだと思う。

連隊跡の碑

 戦友会としては、昭和五三年三月二六日に兵営北側の陸軍病院跡地に「福山歩兵第四十一連隊跡」の碑を建立しました。揮毫は山田鉄次郎第十九代連隊長です。残念ながら山田元連隊長は碑の完成を待たず、昭和五一年九月一四日に亡くなられました。
 しかし、建てられた場所は正確には連隊の跡地とは言えません。ここに建てた理由は、当時、兵営跡地にあった広島大学が構内に記念碑の設置を認めなかったからと聞いています。…
 広島大学が西条に移転して二〇年以上経ちますが、いまだに本来の場所に移設する動きは無く、記念碑は誤ったメッセージを発信し続けています。市制施行百周年を機に緑町公園に移設してはいかがでしょうか。

連隊の門柱

 福山市は戦後、「ばらのまちづくり」を進めて来ました。昭和三二年に福山空襲の焼け跡に千本のばらを植えた(現在のばら公園)ことから始まり、連隊の跡地にも大きなばら花壇「ローズヒル」が完成して、現在は「百万本のばらのまち」を目指しています。ばらは戦後復興のシンボル、平和の象徴を位置付けられ連隊跡地の「緑町公園」をメイン会場として、毎年盛大な「ばら祭」りが開催されています。
 しかし、ここに集う市民の一人でも、かつてこの地で訓練を重ね出征していった四一連隊の将校に思いを馳せている人がいらっしゃるのでしょうか。単なるお祭り騒ぎに思えてなりません。どうも「ばらのまちづくり」には重みが感じられません。

 …私達はそのような歴史を継承することなく「平和」という観念的な想いを唱えるだけになってしまったため、福山市のばらのまちづくりに「重み」が増してこないのではないでしょうか。

 まもなく福山市は市制施行百周年を迎えますが、本書の執筆にあたり痛切に感じたことは四一連隊あっての福山市という歴史を忘れてはならないということです。戦死した多くの英霊に応えるためにも、私達はいつまでも慰霊の気持ちを忘れることなく、また世界平和の実現に向けて行動しなければなりません。その気持ちを永遠に持ち続けたいと思います。(終)

今が旬の塩村問題と密接な関係がある極左反日恫喝団体が福山の評価をすこぶる下げてきた黒歴史と合わせて市民一人一人が考え(反省す)る必要がある。得手勝手にタブーを作り上げては飯の種にする輩の横暴を決して許してはいけないのだ。言論の自由を勝ち取るために戦う市民が増えれば、まともな市に変わることができるはずだ。

別冊

緑町公園

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続神辺風土記 菅波堅次遺稿集(1999年12月1日発行)

2014年07月07日 | 書籍
著者の菅波堅次氏は大正七年一月生まれ、旧制広島二中・旧制高知高校(現高知大学)を経て京都帝大法学部卒、昭和五十八年九月永眠。当時としては最高の教育を受けた人物で神辺宿に関する知見には脱帽する。彼のおかげで私は神辺宿の構造及び特徴について深くまで学ぶことができた。本書は高屋川の増水時の対策について詳しい記述があり郷土史に興味がある福山市民に読んでもらいたいと思い紹介することにした。

 古市地区の高屋川には二箇所の「水越(みずこし)」がある。
 その一つは、橋本橋の上手(かみて)のものであるが、その左岸つまり平野川には樋(ひ)門があり、それは高屋川が増水したとき平野に流れ込まないようにするためであった。この辺りの川岸は低くしてあった。そして、前記名越方面から雨水が増水してくると、この部分を越えて高屋川に流れ込み、高屋川上流からの流れと共に、対岸に低く設けてある石畳の水越部分を越えて、下湯野の方面に遊水となって流れ出る仕組みになっていた。遊水は、対岸の裏を流れ下り、深水川に流れ入ることになっていた。
 しかし、このように都合よくいくとは限らない。膨大な流水に、水越は機能し切れず、高屋川に出られない水が多量に低位置の古市を直撃してくる。古市側は、名越境のあぜ道の上に土俵を積んで、増水を水越に出そうとする。これに反対する名越川の住民との間で、裁判沙汰も起きている。土俵の高さで決着がつき、一尺余りの高さを示す石柱が最近まで二、三個所残っていた。
 もう一個所の水越は、町水道課跡地裏の高屋川岸にあり、平野地区で最も標高の低いところであった。平野全域から集まる水で、都合よく、この水越を越えて高屋川に流れ出ればよいが、増水により高屋川の水位が高くなれば、川水は反対にこの水越を越えて古市に侵入し、名越方面からの水と渦を巻いて合流したという。

古市の板樋

 古市住民にとって、やりきれない事情がもう一つあった。神辺との境にある道路上の板樋(いたひ)である。
 古市地区が増水してくると、神辺側はこの石堤に板を二筋入れ、その間に土俵を積み込み、古市側から神辺への侵入を防御するわけである。「道路は水を通す溝ではない」「チョンマゲ時代からの習慣である」の言い分に、古市側は泥水の中で涙をのんだという。
 江戸時代に島津藩が本陣(東本陣)に止宿した際、水害があり、大量浸水によって、大きな被害を出した。これをきっかけにして、神辺宿域を現在の地点まで拡張、堰(せき)を設置、その代償として高屋川対岸の畑を古市に分譲したとも伝えられている。古市の胡(えびす)が現在の境界から九十メートル西の神辺側に鎮座しているのも、その辺の事情によるのかと思われる。

 水越とは、川の堤防のうち、その部分だけ低くつくられており、大量の降水等があって、川の水位が高まると、自然に川水がこの個所から横の田んぼに流れ込む。そのような役割を担う堤防の低い部分をいう。俗に「胴切れ」とも言われている。一方、川の水が減水すると、それにつれて田んぼに引き入れられた水も徐々に川に流出する。急激な流れによって下流地域が損害を被ることを防ぐことを狙いとしたもので、これによっていわゆるダムの作用が行われることになる。
 高屋川も改修前は、旧神辺を巡る内側の堤防が外側よりわずかに高く、そのため、土手を越す水は常に徳田、新茶屋方面にあふれ出ていた、と伝えられる。河川の管理にも力の原理が作用していたと言えるであろう。

昭和54年(1979)に高屋川沿いに古市排水機場が完成して藩政時代から続いた水争いが漸く終結したのであった。このような悲話は福山市内にいくつもある。私が育った場所も低地で大型台風が来るたびに冠水(昭和50年代前半までの話)して犬の○ソがプカプカ流れてきて閉口したことを覚えている。

高屋川沿いの風景

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地図中心 2005 号外被爆60年増刊号(財団法人日本地図センター)

2014年06月08日 | 書籍
広島市中区本通9‐20の「中国書店」は県内でも珍しい地図専門店である。私はここでこの本を購入した。平成17年8月1日発行で定価は480円(税込み)だった。

特集:米軍が空撮した広島・長崎(※原爆投下前と投下後の比較)は当時それなりに話題となった。アメリカが日本の都市を空爆をする前に写真を撮り綿密に計画を練っていたことは明らかである。

広島市の空中写真(原爆投下前と後)

大量無差別殺戮行為の最たるものが広島・長崎への原爆投下であった。一瞬にして都市を壊滅させた原爆の威力をアメリカは写真でも記録した。爆心地から千田町(拡大)を見ても原形を留めた建物(日銀・広島文理科大学本館など)はほとんどない。


長崎市の建物も同様にひどく破壊されたことが分かる。福山市の昭和20年9月初旬の空中写真(現在ローズコム3階で展示中)が残っているということは空爆を予告するビラを撒いた時(警察や特高が回収したという)におそらく市街を撮影しているはずだ。できることなら焼失前の故郷の空中写真も見たいものだ。

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続備後物語 / 村上正名(昭和四十九年)

2014年03月11日 | 書籍
南海トラフ大地震発生を想定した自主防災訓練が今週土曜日に行われる。福山市民も漸く津波に関して注意を払うようになってきた感じだが、過去の災害の歴史認識はまだまだ不十分である。続備後物語には明治17年(1884)8月25日~26日の巨大台風接近(岡山県南部を直撃)による高潮が干拓地を襲ったことがまとめられている。大正8年の大水害の件と一緒に読む価値がある。

ある資料(文献名が判明せず)には明治期最大級の台風(中心気圧960hPa)が九州西岸に上陸し、九州から東北地方まで被害が広がり、特に瀬戸内海を中心に高潮が起こり、死者1,992名、倒壊家屋4万3,894戸、大小船舶の沈没620隻などを数えた、とある。高潮発生の原因は満潮と台風通過が重なったためではないだろうか。本書には新涯西土手決壊(六五間)の記述がある。

 …「明治十七年八月二十五日八月二十五日大風雨、夜十一時ごろから二時にかけて大津波が起こり、芸備沿岸各地の家屋を流出し、人畜を毀(き)傷し、田畑を陥没し、みぞうの惨事を呈す」(沼隈郡誌)とあり「記録のよるべきなく、当時の被害統計を掲載し得ざるを遺憾とす」と書かれています。
 時代を遠ざかるほど、こうした記録、記憶は忘れられてゆきます。ところが、うれしいことに最近、福山市新涯町に住まれる橋本源一郎さんが「郷土のむかし話」という著書を送ってくださいました。「歴史として記録に残らない、多くの口から耳に伝えられてきた昔話が、老齢者が次第次第に世を去られるにしたがい永久に消滅するのを惜しく、そのままにするにしのびず」と、多くの聞き書きを収録されています。本当に、私たち民衆の歩みや心の動きは、記録として伝えられることが少なく、時代とともに埋もれてしまうのです。悲惨だった災害も、年とともに忘れられ「忘れたころに天災がくる」と嘆かれるのです。
 「郷土のむかし話」に、今はなくなられた藤井のおばあさんの話として、明治十七年の津波のことがあり、どんなにひどいものであったかを知ることが出来ます。
 わたしは、ちょうど十六歳でした。津波の夜、父がふと目をさまして、母に、「コウ(妹の名)が小便しているぞ」と申しました。みんなが目をさましてみますと、コウの小便ではなく、みんなの片身がぬれていて、潮水が床まできていました。
 「助けてくれ」と叫びましたが、外はまっ暗で、だれもきてくれません。隣の新庄屋へ、海水の流れる中をようやくたどり着き、屋根に登りました。次第に水位は増しましたが、ワラ屋根だったので浮き、屋根の上で夜を明かし、翌朝舟がきて助けてもらいました。
 とあります。新涯のあたりは全戸浸水したようです。…ある老婆の話…大津波で堤防が切れて半年ばかり修理も出来ず、潮が出たりはいったりして庭木の間でボラがはねていたこともかかれています。
 松永町誌を見ても、機織新開の堤防が切れ、すべての塩田に砂や小石が流れ込み、田畑の被害は全町にわたっています。内海沿岸の埋め立て地は防波堤が決壊し、湾港ふ頭も破壊され、ただ一つ鞆の玉津島の波戸だけ助かったと記されています。人畜被害、家財の流出は限りなく、人々は路頭に迷って他国に流れる人も多く、船はほとんどこわされて漁民は生計の道を断たれたと、松永町誌は続けていますが、「郷土のむかし話」は、これを裏付けてくれます。
 お年寄りの話は、早く収録しておきたいものです。

著者は旧制の福山誠之館中学OB。中学校で彼から歴史を教わった私の母は「先生は草戸千軒の話ばかりしとったなあ」と苦笑まじりに当時を回想してくれた。

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商店街再生の罠‐売りたいモノから、顧客がしたいコトへ / 久繁哲之介(ちくま新書 1027 2013年発行)

2014年01月21日 | 書籍
大型ショッピングモールの進出で苦戦を続ける商店街の主が読むべき本である。内容は極めて刺激的だが、私としては昭和37(1962)年生まれの著者の意見に共感する部分が非常に多い。見出しをざっと以下に列記してみよう。

商店街内の格差‐レトロ商店街で利益を得るのは、一部の店だけ P.22~24 
地元の客のニーズに応えているのは、大型店 P.27~29 
「大型店に客を奪われた」論のウソ P.29~31 
人より自動車を優先する商店街は必ず衰退する P.36~39 
自治体は補助金を出すなら、運営に責任を持て! P.47~49 
戦略とは「勝てない土俵では戦わない=勝てる土俵を探すか創る」P.121~122  
公務員と議員は、身銭を切って「顧客目線、市民感覚」を感じとれ! P.147~150 
商店街を金融商品と考える困った人たち P.176~178 
不動産オーナーが私益を追求すると「まちは滅びる」P.181~184 

私が最も興味深く読んだところは3つだ。厳しい指摘がバンバン続き店主でもないのに思わず苦笑した。

商店街問題は、個店が解決すべき問題から着手 P.71~72
 水木しげるロードはまず、個店が工夫や努力を重ねているから、個店の努力に報いる意図も含めて、商店街全体で格差問題を解決する取組も行っています。一方、ダメな商店街は、個店に意欲・工夫がないまま、いきなり「商店街の個店が平等に結果・利益を得られるような取組」だけを実施したがります。
 このように、「結果の平等ありきの発想」だから、効果がでないのです。なぜなら結果の平等ありきの発想からは、成功事例を表面的に模倣する取組しか導くことができないからです。
 …私は全国の商店街を見ていますが、水木しげるロードほど「個店が知恵を絞り、その知恵を自らリスクをとって行動に繋げる」商店街はありません。…

支援する側と支援される側だけ意見を聞くから、成果が出ない P.156~158
 ①支援する側と支援される側だけ意見を聞いて、市民(顧客)の意見を聞いていない。
 ②市民の意見は、役所が実施したい施策を誘導するアンケートでは把握できない。
 ③視察は、目的と視点を明確にしてから、自腹を切って行かないと結果は出ない。 
 …商店街が衰退し続ける最大の要因は、顧客目線の欠如という認識をもつ…

まちを守るために、商店街の「再生策は利用者が創る」P.186~187
 自治体が補助金を投入する商店街に関しては、不動産オーナーが店舗を「誰に貸すか、貸さないでシャッターを閉じてしまうか」を、自治体が責任をもって管理すべきです。自治体がそれを怠ると、商店街を救済する名目で補助金を使ったのに、まちを破壊する悲しい結果をもたらしてしまいます。
 商店街の衰退理由が「商店街を金融商品と考える不動産オーナーの私益追求行為」にあるのに、自治体が更に別の補助金を出し続ける実態は本末転倒と言えます。

地元の駅前の再開発が失敗した(広島市南区・愛友市場の取り壊しの方が先になったという現実)要因がすべて当てはまるのである。また何の知恵も絞らず補助金ばかりをあてにする田舎町の悲しい未来もここに描かれている。結局のところ、欲深過ぎる地主や店主(市全体の利益を無視して己さえ儲ければいいという浅はかな考えを持つ)は顧客(や観光客)にそっぽを向かれ自滅していくほかない。失敗の原因は自分にあることを深く反省して悔い改めていけるかどうかが運命の分かれ道なのだ。

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聞書き東学区物語・復刻増補版(福山市東学区まちづくり推進委員会)

2013年11月27日 | 書籍
福山市中心部の古代から現在に至るまでの歴史(特に戦前の話)を手早く調べるのに最適の書である。原本は昭和62年(1987)6月の発行。私が言論の自由のある広島市へ移住した直後にあたる。このため本書の存在を知ったのは随分後のことだ。古書店で高額で取り引きされていたところへ復刻版が出た。冒頭の一節を紹介しておく。

 今、私たちが住んでいる福山の中心部は、大昔はどんな土地だったのだろう。城下町ができる前はどんな様子だったのだろう。おそらく芦田川の河口にできたデルタ地帯で、十分には固まっていない、人の住まない砂地または沼地であっただろうと想像できる。
 古くは、万葉集にうたわれた深津島山の深津郷があり、穴の海のころから海辺の港であった吉津があり、奈良へ向けて背後の神辺方面から運ばれてきた米を積み出したと伝えられる奈良津があった。
 常興寺山(今の城址)とそのまわりには人が住み、半農半漁のくらしをしていただろうと思われる。

 東学区に関係する地域は、職人町の米屋町・桶屋町・上魚屋町・品治郡府中から移住させた府中町・天下橋に通じる大通りの本町、北郊の集落吉津町、のち、通り町になった胡町・大黒町、そして武家屋敷の西町(天神川筋を本町まで)と東町。さらに東に大きく広がっていた三吉村である。

東学区町内会の地図

主要な街道

古老の回想と添付された昔の地図は大変貴重で街歩き(穴場巡り)が一層楽しくなるはずだ。東公民館の人の話では2200部印刷したという。城下町育ちの人達のマストアイテムとなることだろう。ちなみに広島銀行福山胡町支店の雑誌コーナーに本書が置いてあるので購入前に内容を調べることも可能だ。銀行振込に訪れた年寄が手に取って熟読するだけのことはある。

さすり大黒

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