寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県福山市の樹榮山光政寺山門再建事業3

2017年10月16日 | 郷土史
山門が有ると無いでは大違い。真新しい山門奥の本堂(敗戦後の再建)が立派に見えてくるから不思議なものだ。再建事業は仕上げの段階に入った。福山市中心部はマンション・アパートの建設ラッシュだが、例外もあるということを市民には知っておいてもらいたい。

山門再建工事
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市西町1丁目11‐8・瑞雲山龍淵寺寺務所

2017年09月10日 | 郷土史
無住寺院(※私は龍淵寺が廃寺になったものと決めつけていた)にやって来た塚本泰禅住職。広島放送局(お好みワイド)が彼を取り上げ特集として流したのは今年の5月24日だった。墓地の東側の空きスペースにプレハブが建った。

寺務所

そこが龍淵寺寺務所として使用されているようだ。住職は最終的に寺の再建を目指すという。実現には莫大な金が必要だが、やってみる価値はあると思う。福山人の懐の深さが試されるわけだな。

寺務所(拡大)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市・西町1丁目東交差点北側の変化

2017年09月05日 | 郷土史
最初の写真は平成28年(2016)1月に西町1丁目東交差点から北方を撮影したもの。道路の左側が西町1丁目で右側が三之丸町だ。後方に「東横INN(福山駅新幹線南口)」が見えるが、オープン前の段階である。

現在

2枚目はそれから1年7ヶ月後の様子。今年6月に福永眼科医院の解体が終り、最近跡地に軽量鉄骨造(プレハブ工法)3階建アパート「コンフォート三之丸(9月中旬入居可能)」が完成した(工事の経緯についてはこちら)。香ばしい移民の間では何故か話題に上がる「リム」のすぐ近くである(笑)

新築アパート
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市松浜町1丁目の変貌(1年3ヶ月前との比較)

2017年08月23日 | 郷土史
約1年3ヶ月前に無駄橋の上から撮影した松浜町1丁目界隈。日暮れ時ゆえにくすんだ色合いの町という印象を持った人が多いかもしれない。

現在

2枚目の写真はほぼ同じ位置から現在の様子を捉えたもの。青空に竣工間近の家電量販店のロゴマークが映える。8が仕切る歓楽街のイメージが幾分かでも薄まるのはいいことだ。

竣工間近の家電量販店
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市の深津市営住宅3号棟周辺

2017年08月04日 | 郷土史
約3ヶ月前に完成した深津市営住宅3号棟(西深津町2丁目)。その時は建物の周りがまだグラウンドのような状態でやや殺風景だった。

市営住宅B

アスファルトが塗られ駐車場などが整備されたので団地としての一体感が出て来た。北側の老朽化した住宅は追々解体され建て替えられることだろう。

市営住宅C
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市の樹榮山光政寺山門再建事業2

2017年08月03日 | 郷土史
福山空襲(昭和20年8月8日)焼失家屋地図より旧街道筋:寺町~三吉町(南)を拡大してみた。寺町の寺院はほぼ壊滅(道證寺山門が残った)、焼失を免れたのは光明寺(現旭町)だけだったと思う。

山門再建事業

さて、光政寺山門再建事業の続報である。城下町の寺院の動きはやはり話題になるようで車を路肩に停めて現場を眺める人を何度も見た。ウダウダ言うことなくすぐに去って行くのが福山人らしい(笑)

山門再建事業2
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市の樹榮山光政寺山門再建事業

2017年07月27日 | 郷土史
寺町の日蓮宗樹榮山光政寺(こうしょうじ)、入口で工事らしきものが始まったのは5月の終わり頃だ。私は当初石畳にするくらいにしか考えていなかったのだが、山門を再建するらしい。

山門再建事業

寺町筋は昭和20年(1945)8月8日の福山空襲でほとんど丸焼けになっている(現在の三吉町南が焼失を免れたのとは対照的に)。戦前の写真を参考にして復元するのだとしたら喜ばしいことだ。施工者は寺の近くの甲田建設株式会社。

山門再建事業2
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

福山城公園に設置された案内板

2017年05月15日 | 郷土史
花見の時には無かった案内板(写真付き)。城公園の所々に設置されているのに少し驚いた。私は城博物館の展示を見るために本丸広場へ向かった。

案内板

展示

1階展示室には初めて目にする絵図や地図がたくさんあった。中でも私が注目したのは25番の福山市全図(昭和12年)だった。野上の火葬場の位置がはっきりと示されており、以前の記述が正しいことを証明できたのである。旧野上堤防の外側に出島のような場所があって、旧川口村の古老の証言通りにそのほぼ真ん中に○印がつけられていた(現在の沖野上町6丁目8周辺)

野鳥

駅前

展示の一通りに目を通してから天守に登った。福山駅南口のビルのいくつかは数年の内に消えるだろう。広島の愛友市場よりも再開発が遅れたのは間抜けと言うほかないが…(笑)

駅前(拡大)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続・備後福山藩の御仕置場跡

2017年04月02日 | 郷土史
水野家時代福山城下絵地図(現在はリム2F・セリア近くに展示)の最大の見所は實相寺の北西の方角に示された仕置場である。城と榎(木)峠との位置関係については学術論文の簡略図や地元の古老からの聞き取りで大まかに推測するしかなかったが、この地図は備陽六郡志の記述を裏付ける証拠であり近世警察の業績などを研究する人は必見だ。

地図(拡大)

榎木峠 磔塲、壹反四畝 除地
火屋
千人壼、火屋の上に有、寛文三年丙午、飢饉にて吉津龍興寺の前 大河と深津用水溝との間藪也、昔ハ平地也 に小屋を掛、大釜を七つ居、施行を行せらる此時の死骸を捨けるより行倒者を捨幷斬罪の塲となりける也。

寛文三年(1663)の干支は癸卯(みずのとう)が正しく、丙午では同六年となるが、いずれにせよ深津村の御仕置場が奈良津村に移されたのは17世紀の半ば頃だと分かる。久々に實相寺前から吉津の坂を上り旧奈良津村池田を目指した。道路脇に安置された合掌地蔵の上に見えるのが延命地蔵堂である。

坂

坂2

団地

私は団地の中に入って鼻毛を引っこ抜き「極悪人が野放し状態になっている現代は江戸期より酷いかもしれんな。屑どもの御仕置はそろそろ始まりそうだが…」と呟いた。そして己の分身に息を吹きかけると強風が巻き起こり忌み地の方へ飛んで行った。今時罪人の亡骸を埋めた千人壺の跡に手を合わせる者は私くらいだろう(笑)

団地2

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

水野家時代福山城下絵地図(複製)

2017年02月02日 | 郷土史
昨年の秋、広島県福山市西町の福山エフピコRim(2F)で「模型福山城と福山城歴史パネル展」が開催され郷土史研究家の間ではそれなりに話題になった。私は解説のサービスが無くなってから出掛けた。

模型

模型2

広島放送局に福山市民から城の模型の映像が寄せられ同局が編集したコンパクト版が「お好みワイド」で放送された。それが催しの目玉であるのは間違いないが、私には模型の後ろに掲げられた「水野家時代福山城下絵地図(複製)」の方がより重要だった。

絵図

戦前、県女(※広島県立福山高等女学校の略で現在の福山葦陽高等学校にあたる)で教材として使用されたという地図を初めて目にして興奮を抑えきれなかった。平井隆夫さんが(昭和57年2月に)模写した「水野家時代福山城下明細絵図」の外側にあたる部分が「ノーカット」で公開されたことはまさに画期的と言える。

解説

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市草戸町2丁目4・草戸千軒町刀鍛冶旧跡と髭題目碑

2017年01月11日 | 郷土史
旧鷹取川右岸堤防の近く、笠原商店と皿谷クリーニングとの間の空き地に建つ髭題目碑。同様の石塔は市内に多数存在するが、私の知る限りではJR福山駅から一番近い場所にある。

供養塔2

供養塔3

建立時期は昭和2年(1927)5月とわりに新しいもので西の役人村で仕置された罪人の供養塔ではなかった。佐野恒男さんの著作『新編「福山いしぶみ散歩」(1996年9月)』に題目碑が建立された経緯等が詳しい記述があるので町歩きの前に一読をおすすめしたい。

…草戸町二丁目四‐二五という三差路の角に、一、五mの石造基壇の上に高さ四、二mの「南無妙法蓮華経」の御題目碑がある。…大通りに面していないから、人目に触れることが少ない。

 次に建碑の一因となった日親上人霊跡という点を考えてみよう。
 久遠成院日親は、応永一四年(一四〇七)‐長享二年(一四八八)室町時代の日蓮宗の僧。上総の生まれ、法華修行、九州総導師職となり、諸国伝導には純正法華信仰を迫る。永享一一年(一四三九)『立正治国論』を著して、将軍足利義政を諫言したため、灼熱の鍋をかぶせられたり、舌端を切られる拷問をうけ、世に「なべかむり上人」と呼ぶようになった。
 日親は、東西に奔走すること九度、南北の往還六度、他宗との宗論六十有余に及ぶといい、全国を歩いて布教活動をし、三十有余の寺院を建てたと伝えられ、宗門弘道史上に顕著な功績を残している。
 備後の地には、九州往還の途次その足跡をとどめ、沼隈、松永、本郷、神石を経て山陰に至った形跡がある。よって日親は草戸あたりで説教をしたものと推量される。…刀匠の一乗が日親の徳を慕い、日親が摂津に建立した一乗寺の寺号を承け「一乗」と名乗ったことも首肯できる。
 草戸村字小松原を、久遠成院日親の聖跡として日蓮宗信者がこの地を大切にしていた。御題目碑を建てて、芦田川堤防決壊遭難者を供養したことは、日親の徳化と考えられる。

・「備後刀工一覧表」によれば、「法華一乗」を名乗る刀工は、草戸にも住居していた記録が見える。これは右の碑文通り「日親上人」に教化され、先達を襲名したと思われる。

石碑

地図

最近、石造物の傍ら(ポストの前)に「草戸千軒町刀鍛冶旧跡」の説明板が設置され道往く人が足を止めるようになった。鞆鉄道のルートが河川改修工事前と後では異なっていることが地図を見るとよく分かる(贅沢を言えば真ん中に2つの地図を配置して比較できるようにして欲しかったが)。現草戸大橋より上流に架かっているのが(今は無き)銭取橋である。

地図2

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

福山城あかりまつり始まる

2016年12月23日 | 郷土史
12月23日午後5時過ぎの福山城本丸広場。昼前から時折降っていた雨が漸く上がった。湯殿近くでイルミネーションを見てから天守閣前へ移動する。

イルミネーション

とんど

既に年配のカメラマンが数人来ており好みの場所を確保していた。とんどのライトアップは控えめな感じである。まつりの関係者が学区ごとの説明板(解説)を取り付けていた。日が暮れてからとんどを眺めるのも結構オツなものだ。

とんど2

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

広島県福山市多治米町6丁目1・五本松法界塔

2016年11月22日 | 郷土史
シダックス福山多治米クラブ(カラオケ)前から南方を望む。道路の向う側、民家の間に見える石造物が「五本松法界塔」である。江戸時代の御仕置場跡地近くに高確率で存在する「髭題目碑」と言った方が分かりやすいかもしれない。

法界塔B

法界塔は「五本松の観音堂」から南東へ約30mの位置(旧鷹取川左岸堤防上)に建っている。メイン道路から少し離れた場所なのであの世へ旅立つ迄に気付かない人も多いのだが、間近で眺めると立派な造りである。詳しい経緯が『福山市多治米町誌(平成五年・一九九三)』に書かれてあるので引用しておく。

五本松法界塔
 西の荒神社から五本松寄りの家と家との間奥まったところに『法界さん』が立っている。高さは台座を含めて一丈(二、八四メートル)近い石塔である。その位置は昔から動いていないと思うが、元堤防の一角であった。正面には独特の文字で、『南無妙法蓮華經』と刻まれている。この文字を『髭題目』という。吉津村妙政寺住職の筆と聞く。文化十四年(一八一七)丁丑十一月と側面に、反対側の面には『近邊信者中』ある。かつて『水呑千軒まる法華』といわれ、日蓮宗に大部分属していた。多治米村には水呑村移住者が多くあった。近辺信者中とあるように、当村の人もいたかも知れないが、水呑村の信仰団体『題目講』が中心で建立したものであろう。ちなみに水呑村の一番古い法界塔は正宝三年(一六七四)というのがある。(水呑町史)

法界塔C

法界塔D

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ふくのやまよさこい(福山市市制施行100周年事業)

2016年09月25日 | 郷土史
東桜町の市役所から(宮通りを経由して)霞町の中央公園に移動する。既に開会式は終わっており、ステージで福大生が学園祭の宣伝を行っていた。午前10時までの少しばかりの待ち時間が長く感じた。

中央公園

中央公園2

私は「備後ばらバラよさこい踊り隊(福山)」の演舞を頭だけ見て急いで久松屋台筋を北上して宮通りに戻った。こちらはかなりの人が沿道に詰めていた。

案内

宮通り

宮通り2

Aゾーン(西側)では「いよさこい!!華魅(愛媛)」の演舞がちょうど始まったところだった。こじんまりとしたチーム編成だが、見せ場がたくさんあって楽しめた。最後に笠岡町へ寄った。

とおり町交流館前

とおり町交流館前には若いチーム「神石踊娘隊きらきら星(広島)」がスタンバイしており元気な舞いを披露してくれた。昼食当番の私は長居をすることは許されずすぐに帰宅の途に着いたのだった(午後からは激しい雨になった)

とおり町交流館前

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大日本営業別住所入明細図(昭和初期の福山市)

2016年08月14日 | 郷土史
広島県福山市笠岡町の文具店・はぶ文泉堂のショーウインドウに大変貴重な古地図が飾ってある。私は復刻版のコピーを持っているのだが、本通筋の商店の並びがここまで詳しく分かる戦前の地図を他に知らない。



県立の名門中学校・誠之館(現中央公園・ローズコム)が東霞町に存在した時代で三吉町の師範学校が廃止されて跡地に移転することになる。この時盈進はまだ寺町に校舎があった(後に三吉町に新校舎が完成する)。当地図には香ばしい余所者が容易に理解出来ぬ福山の歴史がいっぱい詰まっている。

盈進商業実務学校


にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加