寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県津山市院庄388・八幡神社

2018年01月23日 | 
「美作国七福神霊場毘沙門天清眼寺」の標柱から西へ約10m、旧街道南側に津山市消防団院庄分団第三機庫がある。その隣に八幡神社の石鳥居が建っている。

社殿

社殿(側面)

社殿(背後)

鳥居を潜り奥に入って行くと右手に社殿が見える。木々が茂る裏手には稲荷大明神や荒神社などたくさんの境内社が横一列に並んでいた。

摂社
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市院庄779・真言宗極楽山清眼寺

2018年01月22日 | 
旧街道を更に進むと「美作国七福神霊場毘沙門天清眼寺」の標柱と「奉納大乗妙典六十六部供養」という文字が彫られた石塔があった。ここから北へ延びる道が極楽山清眼寺(ごくらくざんせいげんじ)の参道である。

門前

門前2

当寺はぼたん寺とも呼ばれ4月下旬頃には境内のぼたんを見に大勢の人が訪れるという。山門脇に「美作八十八ヶ所霊場第五十六番」の幟が立っていた。

本堂

参詣を済ませた私は七福神の後方にある古びた石造物に目をとめた。宝篋印塔(ほうきょういんとう)は明和四年(1767)に建立されたものだった。

宝篋印塔
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市院庄・にらみあいの松

2018年01月17日 | 
滑川橋を渡った先に「あねご」という名のお好み焼き店があり住所が院庄に変わる。道なりに進むと民家の前に「院庄村二宮村組合立双松尋常高等小学校跡」を示す石碑が建立されていた。

小学校跡

機庫

標識

そして寿ぐ介護サービス・津山市消防団院庄分団第六部機庫(辻)の西約150m先で「にらみあいの松」と書かれた木製の案内看板を見つけた。この角を曲がり小道を南に入ったところが院庄東公園だった。

標識2

説明板

公園入口付近に松に関する説明板が設置されており遊具の北側に2本の松が向かい合う配置となっている。森忠政公が院庄に城を築くことを断念するきっかけとなった刀傷事件は歴史ファンの間では有名だ。

松
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市二宮の滑川橋

2018年01月15日 | 
JR姫新線の院庄踏切を再び渡り駅の裏手を経由して旧出雲街道に戻った。吉井川に沿って土手道を南西へ進むと小さな橋が見えてくる。

街道

橋A

滑川(なめらがわ)の河口に架かる滑川橋である。幅の狭い滑川はこの橋のすぐ南で吉井川に合流する(3枚目の写真)

橋B

橋C

山中一揆の首謀者(義民)が仕置きされた場所(院庄川原)とは滑川橋周辺を差すのではないだろうか。橋は架け替えられてまだ15年ほどである。

橋D
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市二宮42‐3・JR院庄駅

2018年01月07日 | 
金光下バス停を通過するとまた追分道標が建っていた。(2枚目の写真の)左側が出雲街道、右側が伯耆街道である。

追分

瓦置場

左の道に入る。すこし先が瓦置場らしき場所だった。私はここで「院庄駅(いんのしょうえき)を見ておくべきだな」と考え直して寄り道したのである。

寺

寺2

浄土真宗本願寺派白道寺(びゃくどうじ)前から道なりに進み駅の裏に出た。ホームで姫新線の車両を待つ人がいたが、何とものどかな風景だ。

駅裏

踏切

院庄踏切を渡り辻を右折し小さな駅舎に到着した。駐在所が脇にあるのは東津山駅(と交番の配置)に似ている。地元の人は既にお気づきかと思うが、最初の追分から伯耆街道を経て西進するのが駅へ行く最短コースだ。

駅前
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市二宮596‐1・首なし地蔵(佐野食品敷地内)

2017年12月29日 | 
青野石油店本社角地に追分道標が建っている。諸藩は分岐点の先に治安維持の目的で重点的に監視員を置くことが多かった。津山も実は例外ではない。

追分道標

本社西隣の佐野食品敷地内に五体の首なし地蔵(山中一揆の義民を供養するために建立)が祀られている。享保十二年三月十二日(1727年5月2日)に行われた重罪人の仕置及び晒し場については『津山市史 第四巻 近世Ⅱ ‐松平藩時代‐(※PDF文書として公開されており誰でも閲覧できる)』の記述が分かりやすいと思う。

食品会社

地蔵

説明板

 三月一二日、藩は徳右衛門ら首謀者の処刑を申し付けた。頭取牧分徳右衛門・見尾村弥次郎の二人は院庄河原で磔、富東谷与七郎・束茅部村七左衛門の二人は獄門、土居村忠右衛門・東茅部村喜平次は死罪とされた。処刑は次のように執行された。早朝六時に、町奉行村山左仲・同書役・同心小頭・支配代官三木甚左衛門・郡代下役が牢屋に出頭した。本来は支配代官は処刑執行には立ち会わないきまりになっていたが、騒動についての幕府への聞こえにも配慮して出役した。郡代下役が処刑ごとに仕置状を読み渡した。忠右衛門・喜平次へは死罪が申し渡され牢屋の討捨場で討首、七左衛門・与七郎へは斬罪が申し渡され牢屋で討捨、首は二宮と院庄との境の川向こうの河原で獄門に掛けられ、悪事筋書札は川岸の道べりに立てられた。徳右術門・弥次郎への磔の「申渡」は牢屋役所で済ませ、両人を牛に乗せ、悪事筋書札を先頭に立てて、町同心・郡代所役人の警護のもとに、牢屋より本町を通り、獄門と同じ場所で磔にした。河原の仕置場へは御徒目付・郡代下役・下目付・郡代所新組・二宮触と院庄触の大庄屋・村々庄屋が立ち会った。

私は地蔵に手を合わせて旧街道を更に進むことにした。残り少ない時間でも院庄地区をざっと見て回ることは可能だと判断したのである。

地図
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市の二宮と中島を結ぶ宮下橋(吉井川)

2017年12月16日 | 
高野神社参道を引き返して瀬島商店前から南下し吉井川沿いに出た。私が津山を旅した時には宮下橋(車道部)補修工事中で「終日全面通行止(歩行者と自転車は通行可)」になっていた。

橋

吉井川沿い

施工業者は地元の近藤組だった(※諸問題が発覚して車両が行き来できるようになったのは予定より2ヶ月遅れの今年6月から)。川べりの道を進むと青野石油店が見えてきた。

石油店
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市二宮601・高野神社

2017年12月02日 | 
随神門を抜け少し歩いて境内に着いた。高野神社の構造は中山造と呼ばれる独特のものである。本殿(入母屋造妻入)正面に向唐破風の向拝が付いているのが見所だ。

社殿

今回の旅では先を急ぐあまり神社や寺院を見て回ることを断念したのだが、ここだけは外せなかった。参拝記念に御朱印と神社に関する資料のコピーを貰っておいた。

参拝記念

縁起

主祭神は彦波限建鵜葺草葺不合尊(神武天皇の御父君・ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)。社殿近くに平賀元義(幕末の国学者・歌人)の歌碑が建立されている。

歌碑
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市二宮・宇那提森のムクノキ

2017年11月27日 | 
津山二宮郵便局前を通過し国道53号の下を潜る。私は完全に見落としていたのだが、津山信用金庫二宮支店の手前(二宮2159辺り)に4つ目の説明板(二宮松原街道御茶屋の跡)が立っている。旧出雲街道を更に西へ進むと美作国二宮・高野神社の石鳥居が見える。

鳥居

顕彰碑

巨木

久山猪八郎氏(二宮信用組合長として地域全体の発展に尽力した人物)の思徳碑の後ろに大きなムクノキがある。昔この辺りは「宇那提森(うなでがもり)」と呼ばれ髙野神社の鎮守の森だった。

説明板

説明板2

記念碑

開発が進んだ結果、巨木はこれだけが残った。私は皇太子殿下御降誕記念の碑に「昭和十年四月」の刻銘があるのを確認して参道を上って行った。

地図
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市二宮・JR姫新線の第一出雲踏切を通過する

2017年11月15日 | 
二宮交差点から西側が松原中町内会になるものと思われる。松風パーキング斜向かい辺り(広崎軽工業所の西約40m)に「二宮松原街道御茶屋の跡」の説明板あり。

説明板(拡大)

踏切

旧出雲街道と交わるJR姫新線・第一出雲踏切を通過。津山グンゼ(二宮2200)の北側(メモリーランド田渕津山店の東約30m)にまた説明板が立っていた。

説明板2

説明板2(拡大)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市小田中の芭蕉句碑

2017年11月09日 | 
石材屋向かいの建物の「地番表示板」を見ると周辺は「西松原町内会」に属していることが分かる。すぐそばの公会堂前に「松尾芭蕉の句碑」が建立されている。

句碑

「雲折々 人を休める 月見かな」という俳句だが、文字の一部は変体仮名で彫られている(越や難など)。後ろの広場がおそらく徳守神社の「西松原御旅所」だろう。

交差点

同神社は元々小田中に建立されていたという。公会堂の隣がだんじり格納庫だった。時間を気にする私は直ちに二宮(にのみや)へと向ったのである。

小田中周辺地図
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市・紫竹川に架かる筋違橋

2017年11月06日 | 
安岡町から見た筋違橋(すじかいはし)。紫竹川に架かる橋で鉄塔のある向こう岸が小田中(おだなか)になる。橋に埋め込まれたプレートには「平成21年11月竣工(※老朽化による架け替え)」の刻銘あり。

橋2

橋3

『津山瓦版』の千人塚の紹介で藩政時代初期には筋違橋近くに御仕置場が置かれていたような趣旨のことが書かれているが、当時の(城下外れの)縄手道沿いは寂しい風景が広がっていたのであろう。

二宮松原街道御茶屋の跡

二宮松原街道御茶屋の跡2

整体院NAOの向かいが「二宮松原街道御茶屋の跡」になる(説明板が設置されている)。更に西へ進むと気色悪い「フランケンおから」のポスターを2枚並べて窓に貼った石材屋があった。

石材店
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市安岡町で再び雨に打たれる

2017年10月31日 | 
津山市茅町の「番原(ばんばら)鮮魚店」と「おおおぎや菓子舗」との間を通過して安岡町に入る。「石本精肉店」を覘くと陳列ケースの奥に「干し肉・煮こごり」の貼り紙がしてあった。備後ではまず見ることのないメニューだ。

精肉店

薬屋

「立石薬品」の横から虫籠窓を配した「池上製綿」を撮影した直後に雲行きが怪しくなった。やっと乾いた服がまた重たくなりよそ様の車庫で雨が弱まるのを待つことにした。

説明板

私はハンカチで顔を拭きながら説明板に目をやった。予定通り城下西端まで来たことに安堵したが、川崎と同様に御仕置場跡の近くでずぶ濡れになる自分の運命にはただ苦笑するしかなかった。

鉄塔
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市西寺町の寺院群

2017年10月07日 | 
赤門を配した臨済宗妙願寺派西巌山寿光寺を過ぎると旧出雲街道街道から少し北に入ったところ(土塀際)に西寺町の説明板と寺町界隈案内図があった。

寺町界隈案内図

寺町界隈案内図(拡大)

西寺町
 城下町の建設期には、武士や町人など、多種多様な宗派の人々が集まり住むことによって城下町ができた。そうした人々の必要に応じて、津山藩は、城下町の東西の端に各宗派の寺院を集めて寺町を作った。
 東の寺町が丘陵上に配置されたのに対して、西寺町では、町人町から続く主要な街道に沿う形で寺町が形成されていった。
 高い土塀と豪壮な建築物が建ち並ぶ寺町は、城下町の防衛施設と位置づけられることもあった。

旧街道

愛染寺

街道を西に進む(4枚目の写真の左側が妙法寺、右側が愛染寺)。高野山真言宗(準別格本山)高室山浄光院愛染寺の(鐘楼のついた)仁王門は見所の一つで平成18年(2006)3月17日に県指定重要文化財になった。天台宗高徳山大圓寺の先から街道は少し曲がってくる。

大圓寺
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岡山県津山市西今町18・作州民芸館(登録有形文化財)

2017年10月02日 | 
扇橋西詰近くにある作州民芸館。大正9年(1920)に土居銀行の本店として建てられたもので平成9年(1997)5月7日に国の登録有形文化財に指定された。

登録有形文化財B

登録有形文化財C

登録有形文化財D

石造と思いきや実は木造である(モルタル壁仕様)。竣工当初は遠くからよく目立っていたことだろう。現在は無料で開放されており私は1階の展示物を見てから寺が密集するエリアに入った。

寺
コメント
この記事をはてなブックマークに追加