まずは西側の鳥居から話を始めたい。場所は福山城公園庭球場の下(北)でタクシーの運転手が車を停めてよく休憩している所に建っている。
太い柱の側面にはそれぞれ「三菱電機株式會社」「昭和十八年九月吉日」の銘が入っている。戦況が悪化していた時期の建造物で当時市内にあった三菱電機の工場と軍との密接な関係を示すものだ。大鳥居をくぐると備後護国神社(旧阿部神社)が見える。
この道を通って家に帰る際には護国神社に寄ることにしている。現在の繁栄は多くの人達の犠牲の上に成り立っていることを(恥かしき)団塊の世代はすっかり忘れている。大正生まれの人達が自分の子どものことをあまりよく言わないのは親だけでなく英霊をも軽視しているからであろう。
備後郷土史研究においても護国神社は非常に重要な存在だと私は考えている。陸軍の誘致で急速に発展を遂げた福山市の歴史を「悪」と捉えて隠蔽するのが本当に「善」と言えるのか。(自分の意志はどうであれ)民間人も軍に協力していた事実を直視した上で英霊に手を合わせ静かに「国防と憲法」について市民が考えなければならない時期になった。
戦勝国にあてがわれた「憲法」のおかげで平和が維持されてきたと思うのは幻想である。先ずは(なりすましを含めて)左巻きの連中が垂れ流してきた自虐史観を払拭し愚民が洗脳状態から抜けることが大事なのだ。あの「イマジン」を作った男がどういう最期を迎えたかを思い浮かべるがよい。「理想」と「現実」の大きな違いを認識して今は「自衛力」を高める時期だ。