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寮管理人の呟き

福山市東深津町5丁目11の辻の坂広場の北側辺りが国鉄の踏切跡

小学生の時分、王子山薬師寺の門前(松原通りの東端)に駄菓子屋(東深津町5丁目6-9)があった。インベーダーゲームが流行した折にはガキがあちこちから押し寄せて来て息苦しいほどだったことを今でも憶えている。

JR西日本の高架

小川に沿って北に進むとJRの高架である。川の右側が辻の坂広場(歩道あり)、左側が車道となる。昭和50年の山陽新幹線開通前は土手の上を国鉄の車両が行き来していた。

桁下1.8mの表示(大型車は通行不可)

母は現在の高架下辺り(井笠・松原バス停の南側)に踏切があったと教えてくれた。電車が来るとおっちゃん(またはおばちゃん)が手動で遮断機を下ろしていたという。

東深津町の松原バス停辺りから辻の坂の信号機を望む(方角は東)

高架下を潜って右折し坂を上る。丁字路に辻の坂という表示の信号機が設置されているが、昔は(高架と平行して)東へ抜ける車道はなく北東方向の坂越えが正規のルート(笠岡街道)だった。

辻の坂の丁字路交差点(信号機あり)

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