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寮管理人の呟き

福山市神辺町川南の首無し地蔵

国道313号を通り横尾(飴が有名な町)を経由して福山城下へ入る方法が今では主流だが、昔は別のルートがあった。常夜灯の背後の道がそれだ。神辺町丁谷(ようろだに)陸橋と常夜灯の間に公衆電話ボックスがあり、その横から細い道が国道より分かれて山すそを走っている。

神辺町丁谷陸橋から旧道(左)と国道313号(右)を望む

墓地の石仏群

これが福山への往還で私は勝手に「念仏街道」と名付けた。往還に入ってすぐ左手に共用墓地が現れ、前列にたくさんの石仏が並んでいる。

山のふもとの旧道沿いに墓地はある

ゴミに埋もれた念仏碑

更に進むと「南無阿…」という文字が刻まれた念仏碑と石段が見える。石段の上り口で三界万霊塔と奇妙な形の(青みがかった)石が異様なオーラを放つ。

共用墓地へ上がる石段脇に建つ三界万霊塔

私は往還を初めて通った時に三界万霊塔の存在を知ったのだが、隣の石が首無し地蔵だとは夢にも思わなかった。確かに間近よりも少し離れた所から見た方が判別しやすいと思う。

葬一
ムカシ淨玄寺ト云寺アリシヲ今ノ光蓮寺ニ移セシアトナリト云六字名號石アリ小石ニテウテハ鳴ルコト鉦ノコトシ

『福山志料』

共用墓地の一部は光蓮寺(前身は浄玄寺)のもので、このような形になったのは明治に入ってからのことだと聞いた。首無し地蔵(青石地蔵)に関する詳細な記述は『神辺風土記 / 菅波堅次』にあった。

青石地蔵
“川南村誌草稿”は次のように記している。

青石地蔵尊
浄玄寺ニ有リ,九州往還ノ内三界萬霊トアル墓ノ西ニ隣ル
水野日向守勝成公,神辺黄葉山ニ入城ノ後,其処ニテ刀ヲ試ミン爲人ヲ切ラレケルが,其者ヲココニ埋メ菩提ヲ弔ヒ玉フト伝フ,是レ其墓ナリ

 此の地蔵は蓮座の下から肩まで40cmあり,仏頭が何時失くなったかは不明である。材質は火山岩質のものであり,相当摩滅して苔等が附着しており青褐色を呈している。…この首無し地蔵に接して“四生平等”の石柱が立ち,何とも奇妙な光景である。話が嘘なら勝成こそ迷惑な話である。

 青石地蔵の話を本当として憶測すれば,前期福島浪人提弥惣の一件の流伝かとも思える。当時の妙立寺,藤井広昌の住居は何れも丁谷にあり,地蔵の位置はその出口にあたる。

試し切りの話は今となっては確かめようもない。しかし、城下町が神辺から福山へ移行する流れを把握する上で貴重な石造物と言える。旧深安郡神辺町の隠れた宝としてこれからも大切に守っていってもらいたい。

首無し地蔵(青石地蔵)

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