見出し画像

寮管理人の呟き

福山市地吹町の旭観音堂(その1)

下井手川(ながれ川)に架かる鴨原橋を渡り旭観音堂前に到着した。川沿いに建つ石碑が気になった私は石碑に刻まれた文字を目で追った。「時津浪寉之助 明治二年巳八月…」と書いてある。

下井手川左岸に残る石組(鴨原橋北側)

下井手川右岸に残る石組(鴨原橋北側)

側面を調査している時に橋の北側(両岸)に古い石組が残されている事にも気付いた。鞆鉄道の路線の遺構と思われる。観音堂に孫を連れて歩いてきたお婆さんに私は声をかけた。

「おはようございます。古い話をお聞きしますが、この石碑は何ですか?」

「それはねー。お相撲さんのお墓らしいですよ」

「何でまたここに…」

「私も詳しいことは知りません」

「この辺りを鞆鉄のちっちゃな汽車が通っていたんですか」

「はい、ここを通って交差点の方へ行ってました」

「やっぱりそうなんだ。で、この川は下井手川と言うらしいですね」

「川の名前までは…分かりませんが、福山空襲の際には火を逃れてこの川に入って亡くなられた人が多いんですよ」

「失礼ですが、お母さんは昭和何年生まれです?」

「七年(※1932)です。この辺りは丸焼けになりました」

「では空襲を経験された…」

「ええ。住んでいたのはここではなく三菱の寮(※紅葉町)で、中に居たら助からんと判断して建物から出ました。布団を投げてもらって下へ避難して九死に一生を得ました。それでも焼夷弾の直撃を受けて死んだ人が一人いましたね」

「………」

下井手川右岸に建つ力士の墓(時津浪)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「郷土史」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事