田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『七人の無頼漢』『ガンヒルの決斗』

2020-12-25 07:06:59 | 1950年代小型パンフレット



 「ザ・シネマ」の西部劇。今週は2本立てだった。まずは、監督バッド・ベティカー、脚本バート・ケネディ、ランドルフ・スコット主演の『七人の無頼漢』(56)。愛妻を殺した7人の無頼漢を追う元保安官(スコット)が主人公の復讐劇だ。

 主人公と、旅の途中で知り合った人妻(ゲイル・ラッセル)との淡い恋がサイドストーリー。脇役のリー・マーヴィンが印象深い演技を見せる。ジョン・ウェインが設立したバトジャック・プロの製作で、当初はウェインが主人公を演じる予定だったという。ウェインとラッセルの関係性を考えると感慨深いものがある。

 この映画は、フランスの評論家アンドレ・バザンが傑作と認めて、その尻馬に乗った?蓮實重彦一派が必要以上に持ち上げたことで、いまやカルトムービー化している。確かに、岩場の決闘シーンでのユニークなカメラワークや、77分という短い時間の中でそつなくまとめた手腕は買うが、それはあくまでも出来のいいB級西部劇という範囲での話だと思う。

 例えば、蓮實氏の『映画 誘惑のエクチュール』に所収された、この映画をはじめとするベティカーの4本の映画の上映時間が77分であることにこじつけた「七つの奇蹟 バッド・ベティカー論」には偏執狂的なものを感じて苦笑を禁じ得ない。





 続けて、蓮實氏が二流とのたまったジョン・スタージェスの『ガンヒルの決斗』(59)も放送された。こちらも上映時間は94分。簡潔で何度見ても面白い。アール・ホリマンのドラ息子ぶりは、『大いなる西部』(58)のチャック・コナーズと重なる。

『ガンヒルの決斗』のパンフレットを入手 ジョン・スタージェスのことを
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f68e684a8122d31213e80c6fa92023be

 

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『イースター・パレード』

2020-12-22 07:59:21 | 1950年代小型パンフレット

『イースター・パレード』(48)(1993.11.25.)



 20数年ぶりにこの映画を見直すきっかけになったのは、和田誠演出、構成の音楽ライブ番組「ソング・イズ・ユー」。その中で歌われたアービング・バーリン作曲の「イースター・パレード」が耳に残ったからである。

 この映画は、戦後、日本で公開された最初の本格的カラーミュージカル映画なので、当時の淀川長治先生や双葉十三郎さんの批評を読むと、彼らがいかに熱狂的にこの映画を迎え入れたのかが分かってほほ笑ましくなる。

 また、この映画は、当初はジーン・ケリーとジュディ・ガーランドの共演で撮られる予定だったのだが、ケリーがけがをして、そのピンチヒッターとして、当時半引退状態だったフレッド・アステアが起用されたらしい。そして、これが、図らずも、この後訪れる“MGMでのアステア”という第二次黄金時代の端緒となったのだ。

 もし、ケリーが予定通りに演じていたら、戦後のアステアの活躍はなかったかもしれないし、ハリウッドミュージカルも全く違う方向に進んだかもしれない。そう考えると、両者の縁の不思議さを感じる。

 また、この映画のガーランドは、抜群に歌がうまくて可憐なのだが、彼女は終生自分の容姿にコンプレックスを抱き、それが薬物中毒の原因の一つにもなったのだという。さらに、この映画は、ガーランドの夫のビンセント・ミネリが、彼女との不仲が原因で監督を降り、振付師出身のチャールズ・ウォルターズが引き継いで完成させている。

 そんな歴史の裏側を知って見ると、アステアとガーランドが「イースター・パレード」(本当にいい曲だ)を歌いながらアベニューを行くラストシーンが、楽しいだけではなく、より感慨深いものとして映り、思わず涙ぐんでしまった。

https://www.youtube.com/watch?v=lYac9O3GYTM

フレッド・アステアのプロフィール↓


ジュディ・ガーランドのプロフィール↓

パンフレット(50・東宝事業部(Hibiya Theatre.No.21.))の主な内容
解説/梗概/イースター・パレード(秦豊吉)/IRVING BERLIN'S EASTER PARADE(佐藤邦夫)/イースター・パレードの美しさ(岡田恵吉)/イースター・パレードの味(淀川長治)/イースター・パレードを観て(矢田茂)/蛇の穴

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『ティファニーで朝食を』

2020-11-18 07:07:08 | 1950年代小型パンフレット

『ティファニーで朝食を』(61)(1987.6.14.)



 ニューヨークを舞台に、作家志望の青年(ジョージ・ペパード)と隣室に住む娼婦(オードリー・ヘプバーン)の恋を描く。

 1960年代初頭、ハリウッドがまだ夢を語り得た最後の頃の一本。今見ると、いかにも甘ったるいラブロマンスという気もするが、女優も男優も当然のように美しく、一種のおとぎ話的な印象も受け、この後に出てきたニューシネマ群のような切羽詰まった緊張感や現実味が薄い分、夢を見ることはできる。

 それとともに、この映画を今も残しているのは、オードリーの魅力、会話の妙や巧みなプロットにも増して、「ムーン・リバー」をはじめとするヘンリー・マンシーニの音楽の存在が大きいと思う。映画自体のできはそれほどでではなくても、音楽が独り歩きするケースは少なくない。そんな瓢箪から駒式の名曲誕生というのも、また楽しいではないかと感じた。

 

『名画投球術』いい女シリーズ2「ちゃんと観たことありますか?」オードリー・ヘプバーン
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f64acdf38588e036985f3da44701ca89

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『昼下りの情事』

2020-11-11 07:11:33 | 1950年代小型パンフレット

『昼下りの情事』(57)(1989.11.26.)

 私立探偵シャバッス(モーリス・シュバリエ)の娘アリアーヌ(オードリー・ヘプバーン)は、父親のファイルから、アメリカの富豪フラナガン(ゲーリー・クーパー)の資料を盗み読みむうちに、彼に恋をしてしまう。監督はビリー・ワイルダー。



 何十年ぶりかで封印が解け、せっかくリバイバル公開されたのに見逃して、結局ビデオで見るはめになった。とは言え、この映画を映画館で女性に囲まれながら見るのはちょっと照れくさい気もするので、一人でニヤニヤしながらじっくりと楽しめたことを良しとするか。何しろワイルダーとI・A・L・ダイヤモンドの脚本が、無理に背伸びをする若い女性の心理を巧みに描いていて、演じるオードリーがかわいく見えて仕方なくなってくるからだ。

 加えて、最初は老けが目立ってどうかなあと思わせたプレーボーイ役のクーパーと、ひたすら悲惨な犬と楽団とX氏とミシェルを対照的に見せることによって、違和感を緩和する巧みな演出、父親役のシュバリエの粋、しゃれたセリフや小道具、音楽効果も見事…と、この映画は、まさに小粋な映画の手本と言っても過言ではないのだ。

 ところで、初対面の時に、フラナガンに名前を聞かれたアリアーヌが「イニシャルはAだけど、アドルフでないことは確か」と答えるが、これはワイルダーとオードリーのナチス嫌いが象徴されたセリフとも取れる。

 *この後、『ビリー・ワイルダー 自作自伝』でこの映画に関する件を読んだら、いろいろと興味深いエピソードがあったことを知った。
・ワイルダーはフラナガン役に、クーパーではなくケーリー・グラントを起用したかった。
・この映画から、ワイルダー映画の共同脚本家が、チャールズ・ブラケットからダイヤモンドに代わったことで、作風に変化が起きた。
・この映画で、かつてエルンスト・ルビッチ、ジョージ・キューカー、ハワード・ホークスらが作った、泡がはじけるようなシャンパンコメディ(スクリューボールコメディ)を目指した。
・恋のベテランである遥か年上のプレーボーイが、ルーキーである少女に手玉に取られるというのは、初期の『少佐と少女』(42)『麗しのサブリナ』(54)にも通じる、ワイルダー好みのテーマだった。etc…。

なるほど。

『名画投球術』いい女シリーズ2「ちゃんと観たことありますか?」オードリー・ヘプバーン
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f64acdf38588e036985f3da44701ca89

オードリー・ヘプバーンのプロフィール↓


ゲーリー・クーパーのプロフィール↓


モーリス・シュバリエのプロフィール↓


ビリー・ワイルダーのプロフィール↓

パンフレット(57・外国映画出版社)の主な内容は
この映画について/ものがたり/オードリー・ヘップバーン、ゲィリー・クーパー、監督ビリイ・ワイルダー/製作余話

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『アパートの鍵貸します』

2020-11-05 07:08:53 | 1950年代小型パンフレット

『アパートの鍵貸します』(60)(1994.6.19.)



 出世のために、アパートの自分の部屋を、会社の上司に密会の場として提供するバクスター(ジャック・レモン)を主人公にしたシニカルなコメディ映画。監督は名人ビリー・ワイルダー。

 今回は、この映画が持つ二重構造を新たに発見した。それは、バクスターの部屋から漏れてくる男女の交歓の声を度々聞かされ、あげくにフラン(シャーリー・マクレーン)の自殺未遂を知った隣の医者夫婦が、全てはバクスターの性だと誤解して、彼に罵声を浴びせるシーンでのこと。

 これまでは「そこまで言われることはないのに…」とバクスターに同情していたのだが、今回は「そう言われても仕方がないことをこいつはしている」ことに気づいた。つまり、彼が出世のためにしている行為も、甚だ非人間的な醜い行為であって、言い換えれば“上司=実行犯”よりもたちが悪いということなのだ。

 というわけで、この映画、よく考えたらひどい話なのだが、ワイルダーはラストでそうした醜さを一気に消して、ハッピーエンドを願う観客の思いをかなえるように作っている。つまり、ワイルダー独特の皮肉を込めた“アメリカ物語”でありながら、ユーモアとペーソスを含んだしゃれた語り口でうまくだましてくれるのだ。だから何度見ても飽きない。これは、同じ噺を何度聞いても飽きない、名人と呼ばれる落語家の語りにも通じるのではないか。

 ところで、初めてこの映画を見た中学生の頃、漠然と「サラリーマンにはなりたくないなあ」などと思ったんだよなあ。

 

ビリー・ワイルダー


ジャック・レモン


シャーリー・マクレーン


『名画投球術』No.13 いい女シリーズ3「かわいい女を観てみたい」シャーリー・マクレーン
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/761dd43fae724252b8d00b08cd7af6b8

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『カサブランカ』

2020-10-28 06:15:54 | 1950年代小型パンフレット

『カサブランカ』(42)(2006.2.7.)



 舞台は、第二次世界大戦下のフランス領モロッコのカサブランカ。ここは、アメリカへ行くためには必ず通らなければならない寄港地だった。そこで酒場を営むアメリカ人のリック(ハンフリー・ボガート)のもとに、昔パリで突然姿を消した元恋人のイルザ(イングリッド・バーグマン)が、夫で反ナチス活動家のラズロ(ポール・ヘンリード)を伴って現れる…。

 この映画、何度見てもバーグマンが演じたイルザという女になじめない。2人の男の間でユラユラ揺れて、態度がはっきりしないからだ。彼女に振り回されるリックやラズロが何だか哀れになってくる。

 もっともバーグマン自身も、なかなか仕上がらない脚本にイライラさせられ、はっきりしないイルザの性格が好きになれず、最後までこの役に感情移入ができなかったという。それ故、完成した映画も嫌いで、ちゃんと見ていないらしいのだ。

 ところで、もともとこの映画はボギー+バーグマンではなく、ロナルド・レーガンとロザリンド・ラッセル(アン・シェリダン説もあり)で映画化される予定のB級の企画だったらしい。それがどうしたわけかボギー+バーグマンになり、複数の人物が手掛けた脚本をハワード・コッチがなんとかまとめ上げたのだという。

 監督はハンガリー出身のマイケル・カーティス。脇役に同じくハンガリー出身のピーター・ローレ、オーストリア出身のポール・ヘンリード、そしてスウェーデン出身のバーグマンが出演することで、図らずも、単なるメロドラマではなく“反ナチズム”を反映した国際的な?戦時映画として仕上がり、後には古典となってしまったという不思議な作品なのだ。小学生の頃、リバイバルされたこの映画のタイトルを見て、訳も分からず“カサブタ”を思い浮かべたのはまた別の話だが。

 さて、ジュリー=沢田研二が歌った「カサブランカ・ダンディ」の阿久悠の詩が、この映画の内容を見事に表現している。

ききわけのない女の頬を、ひとつふたつ張り倒して、背中を向けて煙草を吸えば、それで何も言うことはない。
嬉しい頃のピアノのメロディー、苦しい顔で聴かないふりして、男と女は流れのままに、パントマイムを演じていたよ。
ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった。男がピカピカのキザでいられた。ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった。
男がピカピカのキザでいられた。

しゃべりすぎる女の口を、醒めたキスでふさぎながら、背中のジッパーつまんでおろす、ほかに何もすることはない。
想い出ばかり積み重ねても、明日を生きる夢にはならない。男と女は承知の上で、つらい芝居を続けていたよ。
ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった。男のやせ我慢、粋に見えたよ。ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった。
男のやせ我慢、粋に見えたよ。

イングリッド・バーグマンのプロフィール↓


クロード・レインズのプロフィール↓



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『慕情』

2020-10-21 06:19:56 | 1950年代小型パンフレット

『慕情』(55)(1981.11.12.)

 朝鮮戦争時の香港を舞台に、英国と中国の血を引く女医(ジェニファー・ジョーンズ)と新聞記者(ウィリアム・ホールデン)の悲恋を描く。

 前に見たのは中学生の頃だったから、当然、愛の深さについてなど分かるはずもない。だから、当時の自分の目には、ただの、涙、涙のメロドラマの一つとしか映らなかったのだが、今回は、自分も多少は成長したし、ホールデンの死に際して見たという感慨もあり、なかなかの映画であると感じた。

 朝鮮戦争、混血児、移民といった問題が描き込まれ、その中で、いかにもヤンキー気質にあふれたホールデンと、エキゾチックな成熟した女の魅力を発散するジョーンズの悲恋が語られる。ラストは、ちょっと『風と共に去りぬ』(39)風だし、蝶を使ったシーンは『西部戦線異状なし』(30)をほうふつとさせる。

 また、サミー・フェイン作曲のテーマ曲も、いかにもメロドラマとマッチした名曲だと改めて感じた。何しろこの曲が流れると、映画が非常に盛り上がる。映像と音楽の相関関係の大切さを思い知らされた。

【今の一言】この映画は香港ロケが大きな効果を発揮しているが、これは、1950年代半ばに流行した「ランナウェイ方式」と呼ばれる、外国の収益金を求めて、外国で製作されたハリウッド映画の中の一本に属する。

ウィリアム・ホールデンのプロフィール↓


ジェニファー・ジョーンズのプロフィール↓


パンフレット(55・外国映画社)の主な内容
解説/梗概/監督ヘンリー・キング/この映画の製作者バディ・アドラー/主題歌「恋はうつくしきもの」/スタア・メモ ウィリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ

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『愛情物語』

2020-10-14 07:08:04 | 1950年代小型パンフレット

『愛情物語』(55)(1992.7.)



 ピアニストのエディ・デューチン(タイロン・パワー)の生涯を描いた伝記映画。監督はジョージ・シドニー。

 この映画は、デューチンが音楽家として成功しながらも、妻(キム・ノバク)を亡くし、失意の中入隊する前半と、戦後、息子との関係に悩んだデューチンが、第二の伴侶となるチキータ(ビクトリア・ショウ)に救われ、幸せをつかんだかに見えた矢先に白血病に倒れる、という後半に大別される。

 で、当然のことながら、劇的な展開を見せる後半の方が昔から好きである。従って、この映画に限っては、我が贔屓のノバクよりも“幻の女優”ビクトリア・ショウの方が光って見えてしまうのだ。

 さて、この映画、カーメン・キャバレロのピアノ演奏ばかりが話題になるが、パワーも、指の動きなどは一流ピアニストらしく見せるのだからたいしたものである。まあ、今の俳優は訓練して自分で弾いてしまったりもするけれど、果たしてそれがいいのか、というのはまた別の話だが。見た目では、ジョージ・クルーニーが少しパワーと似ているかなという気がした。

映画的な手法を生かした名ラストシーン。
https://www.youtube.com/watch?v=Tod-F_jdifM

このシーンも好きだ。
https://www.youtube.com/watch?v=61Se7MrKrpY

タイロン・パワーのプロフィール↓

キム・ノバクのプロフィール↓


名画投球術 No.11 いい女シリーズ1「妖艶な美女が観てみたい」キム・ノバク
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/754f3c9be228401cdcee37d2ef9add6c

パンフレット(56・外国映画社)の主な内容
解説/梗概/エディ・デューチンについて/キム・ノヴァク/タイロン・パワー/ヴィクトリア・ショウ

 

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『パリの恋人』

2020-10-10 06:58:26 | 1950年代小型パンフレット

『パリの恋人』(57)(2005.4.1.)



 インテリ娘のジョー(オードリー・ヘプバーン)は、カメラマンのディック(フレッド・アステア)に見出され、パリでファッション・モデルとなるが…。

 スタンリー・ドーネン監督の傑作ミュージカルの1本であるこの映画を再見。今回は脇役、ケイ・トンプソンのうまさが光って見えた。ストーリーは他愛もないものだが、こういう映画に理屈を言ってはいけないのだ。ジョージ・ガーシュインの「ス・ワンダフル」はやっぱりいい曲だなあ。

 以下、フレッド・アステア追悼としてテレビで放送された際のメモを記す。(1987.7.3.)

 フレッド・アステアが亡くなった。前世紀生まれの87歳だというから大往生といってもいいだろう。初めてアステアを知ったのは『ザッツ・エンターテインメント』(74)。というわけで、その全盛期は知るよしもないが、並び称されるジーン・ケリーの映画が結構リバイバル上映されているのに比べると、アステアの映画を見る機会にはあまり恵まれなかった。

 その性か、『バンド・ワゴン』(53)を見るまでは「アステアの踊りは高級すぎてどうも…」という気がして、『雨に唄えば』(52)を始めとするケリーの方に親しみを感じていたのだが、最近、『バンド・ワゴン』や『足ながおじさん』(55)、そしてこの映画を続けて見ることができて、遅ればせながら、共演する女優を際立たせるアステアのダンスの見事さに気づいた次第。

 とはいえ、この映画に関しては、オードリー・ヘプバーンの全盛期、加えて、つい先日『ティファニーで朝食を』(61)を見た、というこちらの事情も手伝って、どうしてもオードリーの方に目が行ってしまった。

 それにしても、昔は随分と年の離れたカップルが何の違和感もなく描かれていたことを、改めて知らされた思いがする。例えばオードリーにしても、『ローマの休日』(53)のグレゴリー・ペック、『麗しのサブリナ』(54)のハンフリー・ボガート、『昼下りの情事』(57)のゲーリー・クーパー、そしてこの映画のアステア…、父と娘と言ってもおかしくはない年齢差だ。それを当然の如く見せてしまう力や存在感が、昔の“スター”と呼ばれた人たちにはあったのだろう。

 加えて、若く輝いていたこの映画を見ると、オードリーにはやはり『暗くなるまで待って』(67)で引退してほしかったと思うのはオレだけだろうか? あららアステア追悼のつもりで見たのに随分話が横道に逸れてしまった。

フレッド・アステアのプロフィール↓


オードリー・ヘプバーンのプロフィール↓


『名画投球術』いい女シリーズ2「ちゃんと観たことありますか?」オードリー・ヘプバーン
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f64acdf38588e036985f3da44701ca89

パンフレット(57・東宝事業課(日比谷スカラ座 No57-14.))の主な内容は
「パリの恋人」におけるファッション紹介/解説/物語/監督スタンリー・ドーネン/オードリー・ヘップバーン/美しき哉、巴里!/ファッション・モデルのNo.1ドヴィマ/フレッド・アステア、ケイ・トムソン/パリの恋人を見て(津田幸夫)/「パリの恋人」に就いて-色彩・音楽・踊りを主として-(野口久光)

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『エデンの東』

2020-10-07 07:00:57 | 1950年代小型パンフレット

『エデンの東』(55)(2010.3.29.午前十時の映画祭)



 この映画を最初に見た時(1979.6.18.東急名画座)は、すでにジェームス・ディーン伝説が確立されていた。ところが実際に見てみると、自分を持て余し、世をすねて、周りを不幸にしながら、結局は父の愛を得、恋人を得るディーンふんするキャルにほとんど感情移入ができず、映画自体もそれほど好きにはなれなかった。逆に、兄のアロン(リチャード・ダバロス)は何てかわいそうなんだと感じた自分は変なのか、などと思ったりもした。

 だが、かれこれ30年を経た今、改めて見直すと、この映画が描いているのはそんな短絡的なものではないと気付かされた。つまり双子のキャルとアロンはコインの裏表のような存在であり、善悪の曖昧さや人間の持つ業の深さを象徴していたのだ。

 話はそれるが、以前、フランスの批評家の影響を受けた蓮實重彦氏の一派が『理由なき反抗』(55)の監督ニコラス・レイを持ち上げたいばかりに、レイと比較してこの映画の監督のエリア・カザンの評価を落とすという暴論がはびこっていた。

 そもそもディーン主演の映画を監督したという共通点だけで2人を比べて優劣をつけること自体がおかしいし、この時期のカザンの演出には演劇的なくささはあるものの、圧倒的な力強さがあると思う。

 蓮實氏には、プレストン・スタージェスを持ち上げたいばかりに、姓が同じだけのジョン・スタージェスを貶めるという暴挙もあった。こういう姿勢は醜いだけなのだが、彼にはそれなりの影響力があり、その言葉を信じてしまう者もいるから困ったものだ。

 この映画に話を戻すと、他にも、ジョン・スタインベックの原作を文学的な香りが残る脚本に仕上げたポール・オズボーン、『黄金』(48)『サウンド・オブ・ミュージック』(65)の名カメラマン、テッド・マッコードの影のある風景描写、テーマ曲だけが有名だが、実は前衛的なレナード・ローゼンマンの音楽など、スタッフそれぞれの仕事も見事だ。

 ディーンはひとまず置いて。他の配役は、女性の微妙な心理を表現しながら、段々きれいになっていく(映されていく)ジュリー・ハリス、善にこだわるあまり不幸になる父親役のレイモンド・マッセイの名演に加えて、保安官役のバール・アイブス、酒場の用心棒役で容貌魁偉のティモシー・ケリーなどの脇役もいいが、圧巻はこの映画でアカデミー助演賞を得た母親役のジョー・バン・フリート。彼女は『暴力脱獄』(67)ではポール・ニューマンの母親も演じていたから、ディーンとニューマンの母を演じた唯一の女優ということになる。

 兄役のリチャード・ダバロスは、役のせいもあるが、いささか影が薄い。そのため、兄弟の役はマーロン・ブランドとモンゴメリー・クリフトが演じる予定だったとか、ディーンとニューマンが最後までキャル役を争ったなど、さまざまな伝説が語られることになったのだろう。

 そう言えば、原田真二の「てぃーんずぶるーす」という曲の中に、「僕は、愛に背中向ける、伏せ目がちの、ジェームス・ディーンまねながら~」という一節があったなあ。

パンフレット(55・小島商事映画部(S・Y PICCADILLY115))の主な内容は
解説/梗概/ジュリー・ハリス、ジェイムス・ディーン/監督エリア・カザン/人の性格と映画の性格(南部圭之助)/此の映画によせる数々の批評/永遠に熱く、消えることのなき青春(小森和子)

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