田中雄二の「映画の王様」

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【ほぼ週刊映画コラム】2018年映画ベスト10

2018-12-31 20:42:57 | ほぼ週刊映画コラム

https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1175143

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『シネマディクトJの映画散歩』アメリカ編 イタリア・イギリス編 『サスペンス映画の研究』(植草甚一スクラップ・ブック)

2018-12-29 18:00:36 | ブックレビュー
 1950年代の映画の小型パンフレットを集める中、再会したのがパンフに載っていたJ・J氏こと植草甚一さんの映画紹介だった。


 
 学生の頃、この晶文社の『植草甚一スクラップ・ブック』を何冊か読んだが、その後処分してしまっていた。折り良く、古書店で見付けたので、懐かしさもあって再読してみた。

 ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、ジョセフ・L・マンキーウィッツ、ジョージ・スティーブンス、ジョン・ヒューストン、エリア・カザン、ジュールス・ダッシン、ロバート・ワイズ、シドニー・ルメット…。40から50年代の彼らの監督作が生き生きと語られている。

 そして、J・J氏の映像に対する描写の見事さ、分かりやすいうんちくの披露、文学の知識の深さにいまさらながら脱帽させられた。特に『サスペンス映画の研究』ではグレアム・グリーンについても語られていたので、先に読んだ『グレアム・グリーン ある映画的人生』の文章に欠けていたものが、全てここにあったという感じがして、ちょっと胸のつかえが下りた。

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『グレアム・グリーン ある映画的人生』(佐藤元状)

2018-12-29 07:56:49 | ブックレビュー
 『第三の男』(49)の原作者としても知られる英国作家グレアム・グリーン。映画評論家としても活躍した彼の小説と映画との関係を明らかにしながら、文学と映画の関わりについて考える。惹句は、小説家と映画の終わらない「情事」。



第一部 トーキーの夜明け

第一章 ミドルブラウ(英国中流)のアダプテーション(脚色)空間
『スタンブール特急』(グリーン)と『オリエント急行殺人事件』(アガサ・クリスティ)

グリーンの小説と映画との関係、あるいはアブロブリエーション(盗用)について。
『上海特急』(32・ジョセフ・フォン・スタンバーグ)
『Rome Express』(32・ウォルター・フォード)
『Turksib』(29・ビクトル・トゥーリン)
『グランド・ホテル』(32・エドマンド・グールディング)


第二章 風刺としての資本主義批判
『ここは戦場だ』と『自由を我等に』

グリーンと、同時代の優れた映画監督との邂逅、あるいは映画を介した創造的なコミュニケーションについて。
『恐喝』(29・アルフレッド・ヒッチコック)
『巴里の屋根の下』(30・ルネ・クレール)
『自由を我等に』(31・ルネ・クレール)
『モダン・タイムス』(36・チャールズ・チャップリン)


第二部 ジャンルの法則

第三章 メロドラマ的想像力とは何か
『拳銃売ります』と『三十九夜』

グリーンとヒッチコックの近親相姦的な愛憎関係について。スクリューボールコメディの影響について。
『間諜最後の日』(36・アルフレッド・ヒッチコック)
『サボタージュ』(36・アルフレッド・ヒッチコック)
『三十九夜』(35・アルフレッド・ヒッチコック)

『影なき男』(34・W・S・バンダイク)ウィリアム・パウエル
『或る夜の出来事』(34・フランク・キャプラ)クローデット・コルベール

第四章 聖と俗の弁証法
『ブライトン・ロック』と『望郷』

グリーンのカトリック小説に影響を与えた映画について。
『美しき野獣』(36・ラオール・ウォルシュ)メイ・ウエスト
『Children at School』(37・バジル・ライト)
『この三人』(36・ウィリアム・ワイラー)
『望郷』(37・ジュリアン・デュビビエ)


第三部 映画の彼方へ

第五章 プロパガンダへの抵抗
『恐怖省』と『マン・ハント』

グリーンの小説とプロパガンダ映画について。
『拳銃貸します<未>』(42・フランク・タトル)
『戦慄のスパイ網<未>』(39・アナトール・リトバク)
『ライオンの翼<未>』(39・マイケル・パウエル)
『激怒』(36・フリッツ・ラング)
『マン・ハント』(41・フリッツ・ラング)
『恐怖省』(44・フリッツ・ラング)


第六章 男たちの絆
『第三の男』と『ヴァージニアン』

『第三の男』と西部劇の関係性について。
『第三の男』(49・キャロル・リード)
『駅馬車』(39・ジョン・フォード)
『無法者の群れ』(39・マイケル・カーティス)
『平原児』(36・セシル・B・デミル)
『テキサス決死隊』(36・キング・ビダー)
『ヴァージニアン』(29・ビクター・フレミング)
ゲーリー・クーパー

 フランク・キャプラやルネ・クレールの映画、あるいは西部劇を好んだというグリーンの意外な一面や、『第三の男』と西部劇との関係性が浮かび上がるなど、知的好奇心が大いに刺激されるテーマではあった。映画研究書としては貴重であり、大変な労作であるとも思うが、筆者の文章スタイルに最後までなじめなかったのが残念だった。
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『クリード チャンプを継ぐ男』『クリード 炎の宿敵』

2018-12-28 07:33:02 | 映画いろいろ
 わが“ロッキー祭り”の最後は



 今回、改めてシリーズを振り返ってみて、4までは盛んに「もうやめろ」と言っていたのに、どうも5から、寅さん的なものを感じ始めて、イメージが変わった。というか、同情が増したことに気づいた。で、こちらも寅と満男ならぬ、クリードがロッキーの後を継ぐのだ。こうなりゃ、こっちも最後まで見届けるぜ。

【ほぼ週刊映画コラム】『クリード チャンプを継ぐ男』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2bf9be7203bc09bf89bbebec27dbe1fa

『クリード 炎の宿敵』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/92e9209949e234e74ac70331338a7627
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【インタビュー】『ふたつの昨日と僕の未来』佐野岳

2018-12-27 18:08:43 | インタビュー



「お客さんにこの映画を大きくしてもらいたい」
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1174834

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『ロッキー・ザ・ファイナル』

2018-12-27 09:44:12 | 映画いろいろ
『ロッキー・ザ・ファイナル』(06)(2007.5.22.TOHOシネマズ 六本木ヒルズ)



 原稿作成のため、『ロッキー・ザ・ファイナル』を見た。見る前は、なにをいまさらという思いと、ビル・コンティ作曲のあのテーマ曲を聴くとロッキーが見たくなる不思議な高揚感が相半ばして、正直なところ見ようか見まいか迷っていたのだが、いざ見てみると、お決まりのパターンと思いながらもやっぱり元気が出る。ロッキー同様、自分も年を取ったということか。それにしてもスタローンの人生とロッキーの人生の重なり具合といったら…。こうなるともう分身みたいなものだなあ。

映画検定外伝
http://blog.livedoor.jp/eigakentei/archives/50221860.html
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『ロッキー5/最後のドラマ』

2018-12-27 06:21:22 | 映画いろいろ
『ロッキー5/最後のドラマ』(90)(1991.1.11.丸の内ピカデリー)



 最初の『ロッキー』(76)が公開されたのは高校生の時。感動した、燃えた、続けて2回見た。そんな思い出も、今から思えば遠い昔のこと。つまり、このシリーズが作られ続ける間に、自分自身も、シリーズ自体も、それに携わった人々も、大きく変化したということだ。

 中でも、ロッキー役のシルベスター・スタローンは、まるでロッキーその者であるかのような変転の人生を送っている。栄光の日々もあったが、今の彼は必ずしも幸せとは言えない状況にいる。

 それ故か、完結編(何度目だ)とうたったこの映画のロッキー像は、これまでのどれよりも、スタローン自身が望む理想の姿に近い気がする。少々意地悪な言い方をすれば、結局5本も作って、最初の心に戻っただけじゃないか、とも思えるのだが、人生は回り道の連続で、思ったようにはいかないと思えば、スタローンの姿が愛おしく見えてくる。

 そして、どうやらスタローンが達した結論は、「結局、最後に残るのは愛だけだ」ということ。ポール・マッカートニーの「Only Love Remains」という曲を思い出した。願わくば、今回のハッピーエンドをもって、ジ・エンドとしてほしい。間違っても息子を使った“その後のロッキー”など作らぬように。でも、やりかねないからなあ…。
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『ロッキー4/炎の友情』

2018-12-26 12:04:09 | 映画いろいろ
『ロッキー4/炎の友情』(85)(1986.6.13.)



 宿敵から親友となったアポロ(カール・ウェザース)を、リング上で絶命させたソ連のドラゴ(ドルフ・ラングレン)に挑戦するため、ロッキー(シルベスター・スタローン)はモスクワに乗り込む。

 最初の『ロッキー』(76)が作られてから、かれこれ10年近い月日がたったが、この映画を見て「ロッキーは随分と遠いところへ行ってしまったなあ」という気がした。10年前にロッキー=スタローンが復活させた「成せば成る。やったらやれる」という、アメリカンドリームの輝きはここにはない。

 自分の中では『ロッキー』は第1作で完結している。スタローンにしても始めはそのつもりだったはずである。なぜならロッキーは15ラウンドを戦い抜くことで、人生の価値や伴侶といった、チャンピオンになること以上に素晴らしいものを手に入れたのだから。それ故、勝負の結果などどうでもよかったのである。

 そのロッキーが再び王者アポロに挑戦し、チャンピオンになるという『2』はまだ許せるにしても、『3』、そしてこの『4』までくると、最初の感動は色あせ、単なる見世物としての空しさを感じるようになる。

 加えて、この映画では米ソ関係、強いアメリカの復活といった、政治問題を強く反映させており、人間ドラマは二の次といった感じがする。レーガン大統領が手を貸したなどといううわさも、あながち外れてはいないのかも、と思わされるほどだ。そして、これだけ政治色の強い映画が大ヒットしているのは、これひとえに、ロッキー(米)対ドラゴ(ソ)が繰り広げるボクシングシーンに魅力があるからなのだ。映画がプロパガンダに利用されることは珍しくはないが、最初のロッキーの精神に酔わされた者にとっては残念な気がしてならない。

 と、これだけ否定的な見方をしながらも、この映画を見てしまったのは、ロッキーというキャラクターに対する思い入れの強さ故、見捨て切れなかったところがあるからだ。だからスタローンよ、くれぐれも『5』など作らぬように。これ以上ロッキーを醜くしないでくれ、と願うばかりである。
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『ロッキー3』

2018-12-26 06:16:10 | 映画いろいろ
『ロッキー3』(82)(1982.7.12.川崎グランド)



 宿敵アポロ・クリード(カール・ウェザース)とのリターンマッチに勝利したロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)は、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンとして10度の防衛に成功。その人気は国民的なものとなった。そしてロッキーは現役最後の試合としてクラバー(ミスターT)戦に臨むが…。

 『2』から3年たって『3』製作の話が聞こえてきた。こうなるともう商魂のたくましさを感じさせられて、興醒めするのだが、そう思いながらも 『ロッキー』というタイトルを見ると、つい足を運んでしまう。それは第1作で得た感動の再現を、未練がましく求めているからだろう。

 そして『ロッキー』3部作(多分この『3』で完結となるはず)を見終わって感じたことは、始めからこうして3部作として作る予定だったら良かったのに…ということであった。『1』で完結したものを、ヒットにあやかって安易に『2』『3』と製作したから無理が生じたのだ。

 この『3』にしても、見世物としては、テーマ曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」、ハルク・ホーガンや敵役のミスターTの登場で盛り上がるが、『1』から受けたような人間ドラマとしての感動は薄い。『ロッキー』が始めからただの見世物映画だったら、それでいいし、迫力あるファイトシーンに素直に酔えただろうが、どうしても『1』の出来の良さが思い出されて、物足りなさを感じてしまうのだ。

 そのあたりは、スタローンも感じていたのか、この『3』を、必死に『1』の世界に戻そうと試みているところがあるのだが、成功しているとは言い難い。というわけで、もし『4』が作られても見に行かないだろうとは思いつつ、でもあのテーマ曲がかかると、つい…。
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『ロッキー2』

2018-12-25 11:00:21 | 映画いろいろ

『ロッキー2』(79)(1979.11.7.渋谷スカラ座)



 この『2』製作の話を目にした時は、正直なところ不安を覚えた。何故なら、自分の中で『ロッキー』は、第1作で完結しているからである。

 一人のうだつの上がらないボクサーが、一生に一度のチャンスに自分の全てを懸けて完全燃焼する。「やればできる」という使い古された言葉を実践して見せてくれた。だからこそ同じダメ男としては、すんなりと感情移入することができたのだ。

 そのロッキーが再びリングに上がるという。「何故だ? 彼は完全燃焼したはずじゃないか」という疑問が頭に浮かんだ。しかも続編は最初のイメージを壊してしまうものが多いではないか…。

 だが、そう思いながらも、この続編を完全に無視してしまうこともできなかった。監督と主要キャストは前作と同じだし、ひょっとしたら“いい続編”になっているかもしれないとも思ったのだ。これは前作の余韻があまりにも大きかったせいだろう。

 見てみると、多少の失望はあったものの、前作から続く人間ドラマとしての水準は一応保たれており、ロッキーも結婚し、アポロ(カール・ウェザース)を破って世界チャンピオンにもなったのだから、これで完結だろうと納得できた。

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