田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

有楽町スバル座閉館

2019-09-30 18:37:55 | 違いのわかる映画館

 ついに有楽町スバル座が閉館するという。

 

 10月5日(土)~10月20日(日)まで「スバル座の輝き~メモリアル上映~」として49本の映画が上映される。お世話になった映画館に別れを告げに行くべきか、とは思うが、こうならないと行かない自分も恥ずかしい。
https://subaru-kougyou.jp/movies/

2011.12.【違いのわかる映画館】vol.15 有楽町スバル座
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/13e77424cb657f42abe1cdff15e69024

 

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【ほぼ週刊映画コラム】『エセルとアーネスト ふたりの時間』

2019-09-30 17:43:35 | ほぼ週刊映画コラム

エンタメOVOに連載中の

『ほぼ週刊映画コラム』

今週は
平凡な日々こそがいとおしい
『エセルとアーネスト ふたりの時間』

詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1201588

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『追跡者』

2019-09-30 08:52:17 | 映画いろいろ
 「ザ・シネマ」日曜朝の西部劇特集。昨日は『追跡者』(71)だった。
 
  
 
 牧場主のブロンソン(リー・J・コッブ)の手下が、町で酔って老人を殺害する。犯人の引き渡しを要求するため、保安官のマドックス(バート・ランカスター)は、隣町にやって来る。だが、この町の保安官のライアン(ロバート・ライアン)は穏健派で、事を穏便に処理しようとするが、法の順守を主張するマドックスはこれを拒否。ブロンソン一味との対立が深まる。
 
 法を守るためなら平気で相手を撃ち、「後家づくり」の異名を持つ、冷徹で融通が利かないマドックス、穏健派のライアン、悪事を働いた手下をかばうブロンソンの対立を通して、正義とは? 法とは?を問い掛ける、1970年代初頭、ニューシネマの時代らしい、重苦しい雰囲気とテーマを持った異色西部劇。原題は「Lawman」。
 
 監督マイケル・ウィナー、脚本ジェラルド・ウィルソンのイギリス人コンビは、チャールズ・ブロンソン主演の『チャトズ・ランド』(72)『狼よさらば』(74)でも、暴力(銃)の連鎖や、正義や法に対する疑問を描いている。また、保安官の在り方や、保安官を排除しようとする町の自警団という点では、『街中の拳銃に狙われる男』(55)『ワーロック』(59)とも通じるところもあるが、後味の悪さではこの映画が群を抜く。
 
 牧場主の手下役で、ロバート・デュバル、アルバート・サルミ、リチャード・ジョーダン、ジョン・ベック、ラルフ・ウエイト、ウィリアム・ワトソン、J・D・キャノン、町の住人役でチャールズ・タイナー、ジョン・マクギバーと、“70年代脇役天国”の住人たちが多数登場するのも見どころ。
 
 そういえば、マドックスのかつての恋人役を演じたシェリー・ノースは、ジョン・ウェインの遺作となった『ラスト・シューティスト』(76)でも、同じような役を演じていたっけ。
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『男はつらいよ お帰り 寅さん』

2019-09-29 06:40:53 | 新作映画を見てみた
 
 小説家となった満男(吉岡秀隆)は、妻を亡くし、娘のユリ(桜田ひより)と二人暮らし。妻の法要で実家を訪れた彼は、母のさくら(倍賞千恵子)や父の博(前田吟)と共に、伯父の寅次郎(渥美清)に思いをはせる。そんな中、満男は初恋の人・泉(後藤久美子)と再会する。
 
 第1作(69)から50年目に作られたシリーズ第50作。満男を主役とした、かつてのシリーズの後半の流れを受け継ぐ形で、彼の視点による寅次郎の思い出(過去の映像)と、現在のくるまや周辺の人々の生活風景を交差させる。
 
 山田洋次監督いわく「寅さんの思い出をスクリーンの中で展開していく映画」。もっとも、寅=渥美清と再会したかったのは、観客よりも山田監督自身だったのではないか、と思わされる。
 
 山田監督が自ら選んだ過去の名場面集的な趣があり、あまりの懐かしさに、見ながら思わず涙があふれる瞬間も多々あるが、ある意味、予想通りの展開で、正直なところ新味はない。その口跡の素晴らしさなど、改めて渥美清のすごさを思い知らされるだけ、という気もする。
 
 娘のユリが最後に満男に言う「お父さんはどこか遠くへ行っていたみたい。お帰り」というセリフは、デビッド・リーンの『逢びき』(45)で、夫が妻に言う最後のセリフとも通じるものがあるし、ラストの歴代マドンナたちの総登場シーンは『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)のラストシーンをほうふつとさせるなど、過去の映画からの影響も見られる。
 
 ところで、オープニングで桑田佳祐が頑張って主題歌を歌っていたが、エンドロールで本物の渥美清版(聴きながら、あまりによくて泣けてきた)を流しては駄目だ。
 
 これでは、チャップリンの伝記映画『チャーリー』(92)の最後で本物のチャップリンの映像を流して、それまでのロバート・ダウニーJrの熱演を台無しにしたケースと同じだ。本物には決してかなわないのだから…。
 
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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』

2019-09-28 21:49:23 | 映画いろいろ
   
 
  
 
 セルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』(68)が、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開に合わせて、原題通りの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』としてリバイバル公開された。
 
 全編165分、もう何度も見ているのだが、実は映画館(今回は丸の内ピカデリー)できちんと見るのは初めて。これこそ大画面で見る映画だと実感した。主役はカルディナーレだったのだ。
 
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『男はつらいよ 寅次郎物語』

2019-09-28 06:00:29 | 男はつらいよ
『男はつらいよ 寅次郎物語』(87)(1988.1.7.銀座松竹 併映は森崎東の『女咲かせます』)

 
 今回は、子供との二人旅ということもあって、久しぶりに渡世人としての車寅次郎の寂しさや切なさが前面に出て、笑いを抑えた、少々苦いものに仕上がっている。

 子供の母親を捜す旅の話と聞いた時は、前田陽一の傑作『神様がくれた赤ん坊』(79)を思い出した。
 
 また、シリーズ中異色の感もあり、山田洋次がこれをどのように描くのか、という興味とともに、寅さんが子供と旅をすることによって、自分自身の子供時代をたどることにもなるかもしれないと、期待したのだが、それは冒頭の夢の部分にとどまり、その点では、期待外れだった。
 
 だが、満男と寅の「伯父さん、人間はなんで生きているのかな」「あ-生まれて来て良かったなって思うことが何べんかあるだろう、そのために人間生きてんじゃねえのか」という問答の形で示される山田洋次流の人生論は、毎度おなじみの、と言ってしまえばそれまでだが、作家がそう信じて語っているだけに説得力がある。
 
 これは、例えばフランク・キャプラの映画にも通じる偉大なる楽観主義であり、山田洋次の頑固さを改めて知らされた思いがした。
 
「人間はなんで生きているのかな」『学校』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/920916d43907e5e90941953e39136e3e
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『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』

2019-09-27 10:41:00 | 男はつらいよ
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』(76)(1983.10.16.日曜洋画劇場)


 この頃のこのシリーズは、最近のように落ち込みを感じさせることもなく、毎度おなじみの古典落語を聴くような、平均した面白さを保っていた。特に、シリーズ中何度か登場する坂東鶴八郎吉田義夫)を座長とする旅芸人の一座と寅さんを絡めるエピソードは、ユーモアとペーソスにあふれ、山田洋次ならではのいい味が出ている。
 
 加えて、この映画はシリーズ中、唯一年上のマドンナの綾(京マチ子)が死んでしまう。病を得た彼女のために、献身的に尽くす寅の姿は、第二作『続・男はつらいよ』(69)で、恩師の坪内散歩先生(東野英治郎)に対して寅が示した優しさにもつながるものがあり、寅のおかしくも悲しい姿が描かれる。
 
 そして、そこに一座による「不如帰」の芝居を入れ込み、名セリフ「人間はなぜ死ぬのでしょう」の答えを、綾と寅の問答として披露する。そこから山田洋次の死生観が浮かび上がるという、シリーズ中、異色のテーマを持った作品として、印象深いものになった。

京マチ子「寅さん、人間はなぜ死ぬのでしょうねえ?」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/964ae097468b9de67ec73799e5becae9
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『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』

2019-09-27 09:15:51 | 男はつらいよ
『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(75)(1988.7.29.金曜ロードショー)


 久しぶりの再見。最近、いまだに続くこのシリーズの価値や魅力を再確認させられながらも、同時にレギュラー陣の老いに寂しさを感じさせられるのも否めないのだが、10年あまり前のこの映画ではみんながまだはつらつとしている。加えて、リリー=浅丘ルリ子が登場する3作はいずれも出来がいいから、久しぶりに、「男はつらいよ」本来の面白さを楽しむことができた。
 
 なぜリリーが出るとこんなに出来がいいのか、と考えてみた。それは、流れ者の寅と唯一同じ世界に生きる女性であり、ほかの高根の花のマドンナたちとは違った味わいがあるからだろう。
 
 そして、何度見ても「これは名場面」と言えるのが、この映画の“たかがメロン一個”から生じる小競り合いである。こうした庶民の持つ悲哀といじましさを見ると、笑いながらも、同時に、自分たちの姿を見せられたような気になってぎくりとさせられる。山田洋次と寅屋一家が作り出した屈指の名場面である。
 
 加えて、最近寅屋一家の中で、前田吟が演じる博の淡々とした存在感の大きさに気づいてきたのだが、この映画でもそれは遺憾なく発揮されており、騒々しい寅、ひたすら耐えるさくら、おろおろするおばちゃん、怒るおいちゃんの姿と相まって、一家が奏でるアンサンブルの妙味を楽しむことができるのだ。
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『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』

2019-09-26 11:55:35 | 男はつらいよ
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(76)(1984.4.10.月曜ロードショー)


(1994.5.)
 飲み屋で貧相な老人と意気投合した寅次郎。実はその老人は日本画の巨匠・池ノ内青観だった。2人は兵庫で再会するが、寅は地元の美人芸者ぼたんに一目惚れする。
 
 『男はつらいよ』シリーズ史上、この映画が最もフランク・キャプラの映画を感じさせる、という話を耳にしたので、久しぶりに見てみた。確かに、ラストで宇野重吉扮する青観が示す心意気が生む奇跡は、甚だキャプラっぽいと言えるかもしれない。
 
 今回は、物故者の多さに愕然とさせられた。思えば20年前の映画だものなあ。中でも、粋な芸者のぼたんを演じた太地喜和子は、マドンナの中で唯一の物故者になってしまった。ぼたんは、リリー(浅丘ルリ子)とともに、寅と一緒になれる可能性を感じさせるキャラクターとして忘れ難い。時折、三橋美智也の「星屑の街」をほうふつとさせる、山本直純作曲の「ぼたんのテーマ」も、ぼたんのキャラクターとよく合っていた。
 
 播州・龍野から東京の青観に向って合掌する寅とぼたんの姿は、通常とは一味違う、名ラストシーンとして記憶に残る。
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『悪童 小説 寅次郎の告白」(山田洋次)

2019-09-26 10:38:47 | 男はつらいよ
 10月からNHKで放送されるドラマ「少年寅次郎」の脚本・岡田惠和への取材前に、その原作となった本書を読んでみた。
 
 
 本書は『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』に連載された「けっこう毛だらけ 小説・寅さんの少年時代」を、改稿、加筆し、単行本としてまとめたもの。『男はつらいよ』シリーズの中では描かれなかった車寅次郎の生い立ちを、本人が語る一人称形式で描く。
 
 映画の設定とは微妙に違うところもあるが、戦中、戦後を背景に、若き日のおいちゃんとおばちゃん、幼少期のさくらの様子、若き日の御前様が寅の養母の光子(映画には登場しない)に惚れていたこと、『続・男はつらいよ』に登場した寅の恩師の坪内散歩先生や、寅の幼なじみの子どもたち(映画には登場しない)の生活ぶりなど、興味深いエピソードが描かれていた。
 
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