武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

色鉛筆作品紹介(522) と 我家の音楽(ライトニン・ホプキンスとモーツアルト)

2019-08-30 13:49:42 | Weblog

縦向けなのか、横向けなのか?と分かりにくかった作品。

紙を切り張りしたような絵ですが、1枚の絵。

画面の区切り方にハッとさせられます。

赤と黄のせめぎあいが、新鮮。

昨今、ヒロクニさんは、温度が下がると体調を崩しやすく、食欲がなかった。

胃カメラを飲んだら、胃潰瘍が出来ていたらしく、胃薬を処方して貰いました。

この作品は、体調が悪くなってきている過程の時に描かれたものなのですが、

作品は別物のように出来ている。

武内は、時々こういうことを言う時があります。

「作品は、落ち込んでいる時に、意外といい絵が描けるときがあるのだよ。」と。

体調のせいか、怒りっぽくなり、台所で寝るようになり、私は疲れるなぁ~と思っていたのですが、

「僕の部屋(アトリエ)から、めがねを取ってきて。」と言われた時に、この絵を見つけました。

ヒロクニさんの色鉛筆画は、筆圧をかけ、印刷物のように見えるくらい塗りつぶすので、

目もかなりの老眼なので、肩が異様に凝るようです。

(眼精疲労と肩こりから、胃にいくのでは?と、思っていますが・・・。)

あと、ピロリ菌というのもいたらしく、ピロリ菌を退治する抗生物質も処方して貰いました。

医者嫌いのヒロクニさんですが、年齢もあるので、たまには病院へ行ってもらわなくっちゃ!と。

 

しかし、食べてなかったので、病院で点滴をして貰いました。

ちょっと寝てから起き上がると、元気が復活したらしく、「お腹すいた。」と。

そして、アトリエへ行って、紙の整理整頓やら、大掃除を始め、

「ゴミが一杯出た。」と、自慢げです。

点滴って、すごく効くのだと実感しました。

大げさに苦しいと言うが、回復力も非常にあるので、不思議な人と、よく思います。

 

我家では、モーツアルトの魔笛と、ライトニー・ホプキンスのアルバムが交互にかかります。

↓ライトニー・ホプキンスは、こちらのアルバム

 

クラッシックとブルースを行ったり来たりする、我家。

ライトニン・ホプキンスを聴きながら、コロッと寝転がり、

「本物の孤独は深いねぇ。」と。

「深い」は、精神性のことで、奥が深いとのことを言っているのだと思いました。

我家は狭いので、一緒に聴いてしまいます。

私もヒロクニさんに鍛えられているのか、哀愁と淋しさが、リズムと共に。

哀愁や寂しさは、辛気臭くなく、聴いていると果てしなく楽しい。

 

↓モーツアルトはこちらのアルバム

30年前くらいに買ったCDです。

最近、またかけられています。

ヒロクニさんと結婚してから、すぐに購入したと記憶しています。

あまりクラッシクを聴いていなかった私が、急にクラッシク漬けにされたのでした。

(こうして、教育されるというか、ヒロクニさんもビギンズ教授に・・・・・)

魔笛は、ストーリーは、寓話で、日本の王子とか、鳥刺しとか、普通のオペラと違って、とてもユーモラス。

鳥刺しのパパゲーノと恋人のパパギーノの歌のやり取りの曲は、すぐ頭に浮かんでくるくらい。

じめじめと雨の降る天気の中聴くと、一筋の風が吹く。

このオペラは、当時自主上演がなかった時代に、はじめての自主上演という形でモーツアルトが行なった。

劇場主にお金と興行を見込んでの上演だったのです。

モーツアルトは、当時前衛最前線の音楽家だった。

もちろんテーマも、英雄とか時の権力者に合わせたテーマでもなく、「愛」がテーマでした。

 

 

モーツアルトには、いろいろなエピソードがありますが、それは置いておいて、

妻、コンスタンツェは悪妻とよく言われているが、私はそうは思えないなぁ~とよく思う。

モーツアルトもある意味むちゃくちゃな一面がある。

貧乏であったと言われているが、まあまあの収入があったにもかかわらず、大変な浪費家で、賭博でも散在している。

天才がゆえに、宮廷でいい子に出来ず、当時の価値観との問題になったりと、破格の人だったわけです。

ある意味、コンスタンツェにも同じようなところか、モーツアルトの欠陥を気にしない人でなければ、

一緒にやっていけないと思うのです。

悪妻の1つに浪費家で、家計を省みなかったと言われているが、モーツアルトも浪費家だった。

享楽的な性格とも。これは、家計が苦しいのに、湯治に行っている費用をモーツアルトに要求していたことかな?

また、貧乏で暖を取れないときに、夫婦でダンスを踊って身体を暖めたりと。

陽気で、享楽的な性格でないと、こういう行動は出来ないと思う。

「ある種の陽気さ」は、モーツアルトの音楽に流れているの要素みたいなものなので、

これが、壊れない限りモーツアルトにとっては、いい奥さんだったのでは?とよく思います。

たぶん、作曲に悪い影響を与える人物とモーツアルトが判断したり、本能が判断すると、

モーツアルトは、毛嫌いしてお払い箱に迷わずすると思うのです。

モーツアルトの使命は、音楽なので。

そして、その使命を果たしたモーツアルトの音楽は、現代でも演奏され続け、癒される人や、感動する人がいる。

モーツアルトは、35歳の若さで亡くなったが、残された音楽は、いつも輝き、人を魅了する。

コンスタンツェは、モーツアルトに感化され、冗談好きなモーツアルトと同じような感覚になり、

モーツアルト向きな人になったのだと思います。

魔笛は、数あるオペラの中でも、個性的なオペラです。

楽しい。

 

 

ブログは、ひたすら刺繍をしてしまい、更新が遅れています。

やめられない、とまらないなのです。

デザイン画は、下田直子さんの「刺繍のバック」より

一刺し、一刺しが、まだ勉強で、刺繍の奥深さも痛感する毎日。

柳の木が風流で、気に入りました。

 

↑ヒロクニさんが、「刺繍にいいから。」と貼ってくれている中世のレリーフ。

「素晴らしいだろ。」と私に迫ります。

刺繍にどういいのか聞きたいのだが、「分からんのか!」と言われそうで聞けないよー。

右は、ヒロクニさんのメモ。

 

 

↓私が刺繍をしている時に机の下で、熟睡のピピ。

写真ぼやけてますが、パソコンの画面を角度を変えて見ると、見やすくなるようです。

時々、ムニャムニャというときがあって、

見つめてしまいます。

刺繍をしていると、ピタッと、くっ付いてきます。

何故か、くっつき魔に成長しています。

 

雨がひたすら続きますが、気分転換をうまくして、過ごしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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吠える(色鉛筆作品521)と 情婦マノンの話

2019-08-21 18:46:12 | Weblog

3日前、台所に貼られた絵。

この作品は、小さくて、メモのような絵。

怪獣のように吠えてます。

ヒロクニさんは、たまにですけれど、怪獣のように?猿のように?身体全体で怒りをあらわにする時が、あります。

そういう時は、嵐が過ぎ去るのを待つように、私はじっとします。

絵で怒りを表現されているのを見るのは、面白い。

手が付けられない程、起こっている人の近くにいるのは、しんどい。

そうは言っても、私も夫婦喧嘩で「こいつ、いつまでウダウダいっているノダ!反撃してやる!」と、

キッとなって、電話のコードを抜いて、とことん反撃でやりこめたりしたことがあるので、

ヒロクニさんのことをあげつらう事もできないなぁ~とも思う。

ヒロクニさんのなっていないと思うところ、すなわち悪口を本人の目の前で言い放ち、

ヒロクニさんから、「君、そんな男といる自分が恥ずかしくないの?」と、うそぶかれ、

またまた、怒り心頭していた過去を思いだして苦笑いするのであった。

最近は、ほんと喧嘩をしなくなった。

しかし、お互い言いたいことをエネルギーを持って、ぶつけ合っていた瞬間も、

今となっては、懐かしい。

ヒロクニさんて、何でも言いやすい人なのかもしれませんね。

随分前に、ギャラリーのスタッフの方に、「おっさん、何いうとんじゃー!」と言われたこともあり、

上品なスタッフの方は、「私、1回こういう言葉を言ってみたかったのよねー。」と、言われてニコニコ顔。

1回言って見たかったのターゲットが、よりによってヒロクニさんに果たされたみたい。

ヒロクニさんって、偉そうにする時もあるのだが、心から偉そうにしているわけでもないのを、

見透かされているでしょうか?

意外と、度量が大きいところがあるのかもしれないと、思う。

そのことで、怒ったり全くしていませんでした。

 

お盆が終わってやれやれ。

8月15日の終戦記念日が近づくと、戦争の番組が多くなる。

私は、戦争は酷かった。日本が悪かった。という趣向だけの番組は見ない。

戦争については、もっと考えなくてはいけないことが別にあると思っているので、あまり面白くないのがわかっているからなんですが・・・・。

ヒロクニさんは、そんな番組をみていたのか、「戦争を悲惨に語ろうという気はない。」と言い出す。

「俺は、恋人が砂漠で死んで、かかえているという、そういう素敵な物語を作る。」と。

急に恋人?砂漠?と唐突だったので、どうしたのだ?と思っていたら、

マノン・レスコーの小説であり、映画「情婦マノン」の世界に。

 

 

あらすじを紹介します。

この'44年、レジスタンス活動家だったロベールは独兵相手に売春していたために私刑にあいかけるマノンを救うが、

彼女の魅力に囚われ運動からも脱落する。

ロベールとマノンは、共に解放にわきたつパリに向かうが、女は安定した結婚を拒み、

華やかな暮らしのため再び売春することも厭わない。

その上、ロベールの兄は、マノンを米国人の金持ちと一緒にさせようと企んでおり、

それを知ったロベールは逆上して兄を殺してしまった。

そして、逃亡したロベールの後を追ったマノンと共に船に乗り込み、

その身の上話に、船長は同情しユダヤ人と共にパレスチナに二人を上陸させるが、砂漠をゆく一行はアラブの部隊の攻撃を受ける。

そして、銃撃を受けたマノンの担ぎ、砂漠をあるくロベール。

マノンの髪が砂漠の砂を這い、サラサラ音がする。

息絶えたマノンを担げなくなったロベールは、乾ききった砂を掻き分け、

マノンを埋め、愛らしい顔だけを残して・・・・・、

そして、ロベールも力尽き、マノンの上にのしかかり動かなくなった。

この物語は、背景に戦争があり、ヨーロッパでの複雑な情勢がありますが、

愛というテーマがあり、またその愛の形にもペスシズムがあり、ロマンティシズムありで、

ヒロクニさんらしい話でありました。

ロマンは好きだけど、ただ辛気臭いのは嫌みたいですね。

 

 

私も戦争の番組を見ていて、あれ?と思うことがあります。

沖縄の方で、沖縄で遺骨が見つからない人が、戦争の恨みを言い、遺骨のことで泣いておられた。

実は、母方の祖父は、沖縄戦で亡くなっていて、遺骨はないのです。

靖国神社に収められていますが、骨壷の中は空なんです。

その事は、あまり気にしていなくて、母に「遺骨を捜してもらわないといけないのと違うの?」と言ったら、

「もう、今更いいやろ。」と。

「ちゃんと供養のしているし、今更いいやろ。」と。

なんか、さっぱりしたもので驚いた。

祖母も2人の子供を残していった祖父が亡くなって大変だったに違いないが、

再婚して、万が一、子供が出来て、連れ子だからって、

「祖父との子が形見のせまい思いするような思いは、させたくない。」と言う思いが強く、

再婚話がきてもかたくなに断ったそうだ。

後家の一分張りというやつで、生きていくのに精一杯で、戦争中の生活の話はするが、

恨み言は聞いたことがない。

遺族年金が貰えるようになってからは、コツコツと働きながらお金を貯めていたようで、

家を建てた。

人生の前半は、聞くも涙の多難が多かったようだが、後半は良かったと思う。亡くなる前は、

「おばあちゃんは、働いて働きました。皆優しい子供達ばかりで嬉しい。(1人だけ除かれた人物がいるが・・・・)」

母や、孫や、ひ孫に、「ありがとう。」と言って亡くなった。

70年前のことを未だに呪っている人って、前を向いて歩いていないのだろうか?と、私は思います。

 

また、憲法九条を守れの方から、日本軍のことを「鬼子日本」と言う言葉が書いたハガキを貰ったことがあり、

これって日本語じゃなくて、中国語じゃん。と思った。

祖母の話では、まじめすぎるほど、まじめだった祖父。また、戦時中、米をといでも「栄養が減る」と、祖母を叱った祖父。

なんか、祖父のことを「鬼子」と言われているようで嫌な感じである。

歴史の検証も、終戦当時よりもわかってきたことが、たくさんあるので、もっと分かってくることがあると思います。

真に考えなければならないことは、他にあると思っている今日この頃です。

 

 

刺繍熱は収まらず、次の図案に挑戦。

色を決めるのに糸を並べていると、ピピちゃんがドシンと。

刺繍糸は、母から譲り受けたものがほとんどなんですが、少しづつ買い足しています。

猫ちゃんって、どうして人が見ているものの上に乗っかるのでしょうか?

どの猫もよくしますよね。

ピピちゃんは、顔まで洗い出したのでかなり寛いでいます。

 

 

朝顔が3つ。

2苗しか植えていないので、毎日3つ~5つずつ咲きます。

トマトも近くに植えてあります。

 

秋の収穫の楽しみは。

↑むかご

山芋のツルに付いている丸い茶色ものが、むかごです。

昨秋、むかごをみつけて、収穫してみたくなりました。

短めの自然薯の山芋を植えました。

素揚げにして、塩をかけたり、むかごご飯にしたりと楽しむつもり。

栄養は満点らしい。

張り切って植えてみましたが、お付き合いしている畑の方から、

隣のキーウイ畑の中に山芋のツルがたくさんあって、「むかごなんか、一杯あるよ。」と。

むかごは、鳥がくわえて落とすようで、キーウイ畑の中にたくさんのツルが繁っているそうです。

9月の後半、山芋のツルが枯れかけてきたら収穫の時らしく、

楽しみにしています。

 

 

 

 

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夏の散歩 と 夏の食卓(ジャージャー麺・レシピ付き)

2019-08-11 16:38:55 | Weblog

近所を散歩。そして、珈琲屋でひととき。

ヒロクニさんから、「今日は、駅にある珈琲店で、一緒に珈琲を飲もう!」と、誘われました。

ヒロクニさんが、時々1人で珈琲を飲みに行っている珈琲専門店だ。

誘われたので、2人で暑い中、歩いて行った。

なんと!行ったら休日で閉まっていて、誘ったヒロクニさんは顔面蒼白になっていて、

私に悪いと思う気持ちが高まり、それがストレスとなって、今度は怒りの感情に変わってきているのが見て取れた。

ヒロクニさんが、怒ると、言動が一気にマイナス発言に変わるので、それを恐れた私は、

「神戸屋で、サンドイッチが食べたい。」と言った。

という訳で、選んだサンドイッチをヒロクニさんが開けています。

 

長く夫婦をやっていると、夫婦って補完作用で成り立っているなぁ~と思うことがよくあります。

どうしても補い合わなくてはならないという所が出てくる。

例えば、ヒロクニさんは、事務的なことや、料理、パソコン関係、理科系のものが全くダメ。

そのせいか、私は事務的なこと、料理、パソコン関係は、私の分野に。

私は、掃除はいきなり一気にする方だが、ヒロクニさんは実にまめまめしく掃除を日頃からしてくれている。

そのせいで、きれいに保たれている期間が長い。

茶碗を洗うのは、もう自分の仕事と思っているようで、疲れた日でも、「俺が、するから。」と言い、

浸けた茶碗に、洗剤をチューって多量に入れ、「こんな事をしてたら出世せん」とか言っています。

そして、力を振り絞って、茶碗を洗ってくれます。疲れていても、自分がやらなきゃと思っている。

その姿は、修行僧か?と形容したいくらい。

ヒロクニさんの出世って???と聞きたくなるが、ここは、じっと我慢です。

 

2人の大きな違いは、

ヒロクニさんは、じつに細かいところがあり、まめな人で、全体は見渡せないけれど、細かい部分それぞれを合わせて、

総合的な判断をくだす。とても、ロマンチストで、浮世ばなれしているが、中間がないので、爆弾発言をします。

私は、大まかで雑なとらえ方をするが、1つのことを中心にして細かいところをみていき、統合性があるかないかを

判断していくタイプ。以前は空想勝ちな性格だったと思うが、ヒロクニさんの話を聞いて、いかにそれを実現するか?という、

具体的で、現実重視の人になってしまって、ロマン?それ何?食べれるの?という具合に変わってしまいました。

私は、空気が読めないときがあり、爆弾発言をしてしまう時があります。

2人して、爆弾発言するところは、共通していて、私が爆弾発言をしそうな時、何故かヒロクニさんは、

私に、「おかしな事言うなよ。さほり。」と注意するのです。

補完作用なんでしょうね。

ヒロクニさんが撮ってくれました。

私が着ているノースリーブは、浴衣の生地で自作したものです。

洋裁って、大嫌いだったのですが、この柄でどうしても作りたくなって、作ったものです。

最近、すごく痩せてしまったので、なんか皺があちこちにあって、怖いなぁ~と思っています。

 

 

 

突然、夏に食べたくなるジャージャー麺。

家で作ってみました。

夏になると、急に食べたくなる時があります。

■レシピを紹介

 材料(4人分)

 豚ミンチ200g、筍(水煮)80g、椎茸40g、白ねぎ(みじん)大匙3、きゅうり(細切り)2本分

 にんにく(みじん)小さじ4、甜面醤大さじ4、豆板醤小さじ2、水160g、醤油小さじ4、紹興酒大さじ2(なければ日本酒)

 水溶き片栗粉 適量(大さじ3ぐらい)、砂糖 、鶏がらのスープの素 小さじ2、適量、ラー油 好みで、ごま油 好みで

 

■作り方

①餡を作る。まず、材料を分量分用意して、刻みます。しいたけは、干ししいたけを使いました。

 

②大さじ2の油を入れて、豚の挽肉を色が変わるまで炒めたら、しいたけ、白ねぎ、にんにく、たけのこを入れ、

 さらに炒めます。入れた野菜がしんなりとして炒められたら、甜面醤、豆板醤を入れ、軽く炒める。

 全体的になじんだら、水を静かに入れ、鶏がらのスープの素、紹興酒、砂糖(小さじ2ぐらい)、醤油、胡椒少々で味を整える。

 (私は醤油を足した)

 最後に水溶き片栗粉を少しづつ入れ、仕上げます。

③こんな感じに出来上がります。

⑤こうなった餡に、好みで、ラー油かごま油を入れて風味をつけて、出来上がりです。

我家では、うどんを茹でたものに。

刻んだきゅうりを添えていただきます。

お昼は、そうめんばかり食べているので、ちょっと待て!と言うときに作ります。

ヒロクニさん風に言うと、「パンチのきいたヤツ」であります。

お試しあれ!!

 

 

↓庭では、薄いピンクのニューギニアインパチェンスがやっと花数が多くなってきました。

普通のインパチェンスより花が大きく、株も大きく育ちます。

一株しか植えていませんが、まだまだ大きくなりそうです。

写真は、夕方に撮ったので、光が木漏れ日になっていたようで、ニチニチ草に光が当たっています。

 

しかし、暑いですね。

 

 

 

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庭(色鉛筆作品520)と 朝顔の話(秀吉と利休)

2019-08-04 17:08:40 | Weblog

庭の絵(だと思う)

色鉛筆で描いています。使用しているのは、ガランダッシュの高級色鉛筆の油性のもの。

なんと、1本、500円の色鉛筆。

紙を手でなめしてあって、印刷のような感じに表面がなっています。

中央に描かれているのは、コップか?

沢山描かれている土という文字のようなものは、たぶん記号のようなものだと思います。

私には、漢字で土と描かれているように見えるのですが・・・・。

ヒロクニさんは、キリスト教にも肝心がないので、十字架でもありません。

↓我家の庭は、現在ジャングルのようになってきていて、このような感じです。

庭の中央に、鉢でも栽培可能な、フランス産のイタリアトマトの種から大きくした、ミニトマトが繁茂しています。

大雨が降った時に、丈が大きくなって支柱がいらないと書いてあるのに、支柱が必要になります。

奥の方で、ニューギニアインパチェンスの薄いピンクの花咲いています。

いつも、私が庭に出ている様子の事を、「さほりが、何かやっているな、と思って。」と言います。

「何かやっている。」これ以上のことは、考えないようです。

まあ、園芸は、私の大切な孤独な時間かもしれないので、いいのですが・・・・・。

静かに、花がら摘みをしている時が、1番好きな時間であります。

何か、心が落ち着く。

 

ある日、朝顔が多く咲きました。

朝、ヒロクニさんから、「朝顔が、今日はいつもより咲いているよ。」と。

見てみると、いつも1つか、2つしか咲いていなかったのに、けっこう花が咲いている。

朝の清々しい空気と、爽やかな朝顔の姿が・・・・・。

猛暑が続く中、贅沢な気分になったものです。

 

こういうことを書くと、つい思い出すのが、千利休の朝顔の話。豊臣秀吉との。

こういう本を読んだ。「侘び寂び幽玄のこころー西洋哲学を超える上位意識ー」森神逍遥。

ちょっと引用します。

■秀吉が朝顔の花を見に利休の庭を訪れた時の話は有名である。秀吉は、朝顔がとても好きで、

 楽しみに足を運んだのである。ところが、秀吉の大好きなその庭中の朝顔の花を全部、利休が

 「はらい捨」ていたわけである。不愉快にしている秀吉が茶室へ入るとそこに、ただ一輪だけ、

 竹の筒に挿した「あさかほ」が、茶室の床に飾ってあったというわけである。

 

 利休だけはその演出に一人酔っていたが、秀吉には腹正しいものであった。蒸し暑い夏に

 面状に咲きほこる朝顔はとても清々しく心を晴れやかにしてくれるからである。その様な心理が

 利休は自分のセンスに酔いしれて傲慢を為したのである。そのどこにも「侘び」は有されていなかった。

 ただそのセンスは「然び」ていたのである。

 秀吉は一面に咲き乱れる朝顔を楽しみに来ているのに、行ってみたら、全部摘み取られていて、無い。

 部屋に一輪だけ挿してある。そして、利休はそれを指して、これが侘びでございます。と頭を下げるのである。

 秀吉はそこでムカッと来ながらも、自分が教養がないことをよく自覚しているものだから、腹に据えかねながらも、

 そこで我慢するというのが実話である。

 この一輪挿しというのは華道というよりも、茶道の中から生まれた風情である。それも禅の教えからであった。

 この思想は素晴らしいと思う。しかし、何故、せっかく咲き乱れている朝顔の花をすべて取り除く必要が

 あるのか、である。ここに利休の境地の低さが垣間見られるのである。彼は「然び」の演出にばかり拘って

 全く侘びびてないのである。侘びにはその空間に対する愛がなくてはならないが、その行為はそれを

 微塵も感じさせない。この一点のみで、筆者の利休評価は地に落ちるのである。

 

 この文章は、とても大きな問題提起を私にしてくれていて、いつも思い出すのです。

 世間では、この朝顔の件を素晴らしいと大抵書いてあるので、「そうなんだ。」と思い込んでしまって

 いたが、たくさん咲いている朝顔の美しさに触れた時、また思いだしたという次第。

 この作者は、「侘び然びというのは、そのありの儘、その中から感ずる思いなのであって、

 過度の演出をすることではない。況してや自然の花はそのままでいい。いづれ枯れ落ち儚い時を

 終わらせるのであるから。」と。

 そんなことを考えると、生と死という大きな命題に行き着きそうです。

↑ひまわりも咲きだしました。

ロシア種です。ひまわりを見ると、生きる力の方を強く感じます。

ヒロクニさんのいるアトリエの方を向いていて、絵を描いていると「やあ、こんにちは!」と言いそうになると、

ヒロクニさんはいいます。

 

しかし、暑いですね。

我家のピーちゃんは、冷房が好きらしく、一番風がよく来るところでこんなポーズ。

顔に黒い色が集中しているせいか、目をつぶると顔がわからない。

冷房が好きな猫ちゃんは、初めてです。

手の様子が可愛くて撮りました。

 

 

 

 

 

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