武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

駄天使(色鉛筆作品701)と わたしのハレの日

2022-09-25 15:33:09 | Weblog

この絵は天使なのです。

いわゆるキリスト教に出てくる天使とは、まったくの別物。

堕天使(だてんし)ではなく、駄菓子の“駄”から取った「駄天使」。

この命名は、わたしが考えつきました。

お菓子の包み紙のようなイメージがぴったりだと思ったから。

高級で贅沢な菓子の雰囲気より、キッチュな感じを表すのにいいと。

この絵は、2011年の仁丹堂のカレンダーの絵を思案している時に、描かれました。

カレンダーに使われた絵は、もっと天使に近づいています。

とても変な天使ですけど・・・・。

↑これが、そのカレンダー。

上の絵より細部がはっきりと描かれ、色味も華やかに仕上げている。

武内なりに季節感を入れようと、四苦八苦していました。

この時のデザイナーの方も苦労していたと思います。

この人にどう接していいか?

どう説明したら良いか?

はじめの絵が全く季節感なく唐突だったので、

「もう少し、感じでいいから季節を出して欲しいんです。」と要請が来た。

やりとりしている内に、「5月は新緑の緑でいきましょ。」というふうになり、

この月は、雨とか、ブルーな感じとか、言われていたようです。

それでもどうしてもピッタッとこない時は、

手持ちの絵で合うものを探し、当てはめました。

これが、意外といい感じになったりとして、わたしは胸をなでおろし一息つく。

ヒロク二さんは?というと、

「ナンだって!」と受話器に向かってよく言っていましたね。

その後は、「そうかぇ。」と。

絵は、何日もかけ、一気に仕上げた。

その中から8枚が選ばれ、4枚が手元の絵から。

こういう仕事は締め切りがあります。

だから、一極集中という感じの仕事の仕方だったと思います。

この集中期間は、仁丹堂カレンダー仕様、戦闘体勢で、

その時にする独特の空気を感じていました。

4月のページでは、花が並んでいるだけの絵なのですが、目を引く絵が出来たりして、

普段の仕事では見ない絵が出来上がった。

ふ~ん、と横で感心して見ていました。

こんな事も出来るのだと。

こういう注文の仕事では、今までにない表現が生まれたりします。

苦しまぎわに、どうしょうもないエネルギーが破裂して、

それが新しい表現になっていると言うもの。

今日の絵の天使は、使われなかった試行錯誤の一枚になります。

カレンダーに使われたのは、今日の絵より洗練されている。

私的には、「駄天使」が履いている靴が、いろいろあって、これを見るのも楽しみの1つでした。

 

↑この足の感じが好きなのです          ↑こんなジョギングシューズ欲しい

                        見難いけど・・・。

駄天使の独特な可愛さ、これがたまりません。

顔の表情が、動物の表情みたいだ。

人間ばなれした「無邪気さ」。

やっぱり、「堕天使」ではなく、「駄天使」なんだと思いました。

我ながら、うまく言うと自画自賛。

 

 

秋になった。

未だ、何となく夏の疲れが取れなくて、夕食のメニューが思い浮かばない日々。

突進するように買い物に行き、意外とたくさん買った。

「時間がかかったり、手間の多い料理はしたくないな。」と思っていると、

いつもと違う食材に手が伸びる。

暖めるだけのヤマサのおでんや、調味料を混ぜたりしなくていいクックドゥの商品、

お刺身、豆腐、みそ汁のインスタント等。

いろんなもので一杯になった。

買い物を抱え、「ただいま。」言いながら、ドアを開けて、

「あ~、やっぱり疲れてるわ~。」と言いながら、荷物を渡すと、

「こんなに思いのかぇ。」

「やっぱり、君は凄い。」と言われる。

「何か気分が悪い・・・。」と言うと、

「ちょっと休みなさい。横になりなさい。」と。

横になっていると、

「今日は、もう簡単でいいから。」 

「食事が遅くなってもいいから休みなさい。」

「君もよく頑張っているよ。」

この言葉を聞いて、いつもと違う・・・、どうしたんだろう?と思いながら休んでいた。

いつもは、疲れたと言うと、

「今日は晩御飯はしないの?」と女中が働かんみたいに睨んだりされていた。

その対応に、わたしの心は荒れ、怒りに満ちていた。

「しんどい。」と言うと、速攻で晩飯は作るのか?作らないのか?の質問で、問い詰める。

これが、気持ちの余裕をなくさせ、自分のことしか頭にないのか!となり、怒りに満ちる。

拍子抜けして、今日はおかしいなぁ~。と、思いながら横になっていた。

すると、意外と短時間で持ち直した。

食事の準備にかかりながら、

「優しい言葉をかけてくれたから、早くよくなったみたい。」

「ヒロク二さん、やっぱり優しい対応をしてくれると、直りが早いみたい。」と言ってから、

ここは、強調して覚えこますのだと脳裏に閃き、

「優しい言葉をかけてくれたから、早くよくなったみたい。」

「優しい対応をしてくれると、直りが早いみたい。」を何度も言った。

「そんなものだよな。」とつぶやき、ヒロク二さんは、アトリエに行った。

今日は、いつもと違っていい感じだ。

結婚して30年以上経って、妻疲れている編の初めての優しい対応。

ほんと、初めてのこと。

その日の夕食は、ヤマサのおでん、インスタントのみそ汁、卵焼き、ぶりのお作り。

インスタントのみそ汁は、普段食べないせいか、意外と美味しくて驚いた。

体調のせいか、美味しい果物も食べたくなって、

あのちょい高い“ナガノパープル”という葡萄も、買ってしまい、食後に食べた。

わたしにとっては、ハレの日のような夕べ。

いつもが悲惨な流れだったせいか、とっても幸せな感じがしました。

「幸、不幸は、相対的なものなのだ。」と思いました。

 

今日は、我家のピピで締めくくります。

↑顔がとても分りにくい猫です。

(その上、写真がぼけている)

この写真は、「ぴーちゃん、来てごらん。」とわたしが呼ぶと、

来てしまったピピを捕まえたところを取りました。

「何だ?」って顔をしています。

「こんなはずではなかった!」とも思っていると思われます。

いつも捕まるのに、「ぴーちゃん、来てごらん。」と呼ぶと、

躊躇しながらでも、わたしの方に歩いてきてしまうらしい。(笑)

かまってちゃんな猫なので、誘惑に勝てないらしい。

そんなふうにして、撮った写真です。

 

 

今日は、夏の疲れの最中で、つかの間の幸せ感を書きました。

我が良人の突然変異のことを。

優しい夫を持たれている人は、いいなぁと思いながら。

ヒロク二さんは、優しいところがある人というのは知っているのですが、

日常の中で実行に移すのがヘタなようなんです。

画家という職業のせいか、毎日、自己主張をしているようなものなので、

自分中心が癖ついているのでしょう。

今日もお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城に雨(作品紹介700)と 1つの時代の終焉

2022-09-18 14:36:58 | Weblog

タイトルは、裏に書かれています。

「城の雨」と。

第一印象では、船のように思い、鯨を正面から見たようだ、と思っていました。

この感想も、「何でそんなふうに見えるの?」と思われそうでもある。

「城」を思い浮かべながら、脳内で強引に「城」に結びつけようと足掻くが、

無理でした。

ヘタすると、「カタツムリ」に思えてくる。

わたしの脳裏に残ったのは、愛嬌がある動物を見た時の感触だ。

抽象画なのですが、半抽象に感じてしまい、どうしても「何なのだ!」と

思いながら見てしまう。

最後に残された「何は?」は、

白っぽい後ろの影が、「城」かもしれないと言うもの。

ヒロク二さんの絵は、見るものを悩ます。

だけど、色形(いろかたち)としては、「シューズ(靴)だ。」

これも、突飛な発想に思えるかもしれないが、

こんな感じのジョギングシューズがある。

 

映画監督のジャン=リュック・ゴダールが亡くなった。

「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「中国女」「ワン・プラス・ワン」

「ゴダールのマリア」「ヌーヴェルヴァーグ」と見た映画を思い出す。

前衛的な映画だという思いこみで、当時美大生だったこともあって、

映画館に勢いよく駆け込んだ記憶がある。

シーンの映像が刺激的で美しい。

しかし、話の内容はあまり理解できなくて、「難解な映画だ。」ということだけを知った。

ヒロク二さんと映画にはまった時があり、もう一度見た。

「勝手にしやがれ」は、イカレタ野郎を演じた“ジャン=ポール・ベルモンド”がいかしていた。

フランス映画にしては、軽快なテンポがあり、粋なシーンが多かった。

↑「勝手にしやがれ」のワンシーン。

この時のベルモンドは、若かった。

ちなみにわたしは、ベルモンドの強烈なファン。

 

「気狂いピエロ」もまた、印象的なすてきなシーンが散りばめられており、

インパクトのあり色使いや強烈なシーンがある。

ゴダールの映画の中では、これが一番好きだ。

↑この映画にもベルモンドが主演。

アンナ・カレニーナ扮する悪女というか、正体不明な彼女に巻き込まれ、

ベルモンドは、最後にダイナマイトを顔に巻きつけ、死ぬ。

彼女の持っているぬいぐるみのポーチに憧れ、

自分で編みぐるみで同じようなポーチを作りました。

(あんまり物が入らなくて、使い勝手悪い)

 

「中国女」「ゴダールのマリア」は、はっきり言うと「死にそうだった。」

“わかりまへん”というやつです。

「ヌーヴェルヴァーグ」は、アラン・ドロンが出ていて、

「アラン・ドロンって名画によく登場するよね。名画ばかりに出演して大変だね。」と、

ヒロク二さんに言っていた。

映画を見ながらなので、そんな映画だったのだろうか?

まったく映画の内容が思いだせないのが怖い。

「ワン・プラス・ワン」は、ストーンズのファンだから見た。

ドキュメンタリーな部分は、スタジオでの彼らの様子なので、ファンはいいでしょう。

若い時の彼らの姿が映っているだけでも。

そのドキュメンタリーの合間を縫って、廃車の山で抗議をしている黒人が出できたり、

その他、彼らと何の関係もない意味不明なシーンが度々登場する。

出演した彼らは、「映画の内容?さっぱり分らん。」とインタヴューに答えていて、

正直だと思いました。

2度目見た時は、内容が分らない唐突な抗議のシーンで、イデオロギーだと気がつきました。

時間が経ち、それがわかると途端、古臭く見られないシーンになってしまう。

普遍性を感じる映画が好きなので、とても残念だった。

ゴダールが亡くなる前に、元安倍総理が暗殺されたり、

イギリスのエリザベス女王が死去されて、国葬のシーンを見るたびに、

3人の死が、1つの時代の終焉の象徴的な出来事に思えました。

占星術でも、「土の時代」から「風の時代」に入ったのが2022年。

日本でいえば、平安時代から鎌倉時代に入る頃が、「土」→「風」に当るらしい。

これから、大きな変化を迎える時期になるのかもしれない。

↑イギリス王室の養蜂家が女王の崩御をミツバチに報告する儀式だそう

黒いリボンが巻かれています。

イギリスの刺繍には、ミツバチがよく登場するのが分った気がした。

古くから(古代ケルト)ミツバチは神聖視されていて、ミツバチは家族の一員なんだそうです。

この古びた箱と色もなんともいえない風情でいい感じです。

そういう思いがあって、ミツバチなんだと。

 

 

あっ、そういえば、ジャン=ピエール・ベルモンドも国葬でしたね。

「ボルサリーノ」という映画では、ベルモンドとアラン・ドロンの2人に楽しませてもらったな~と、

愛おしい気持ちになる。

ギャングの映画ですがね。

我が夫、ヒロク二さんはベルモンドの風情が少しあるのかもしれないと、

この文を書きながら思いました。

わたしの目が曲がっているのでしょう。

 

気温の差があるこの季節、バテています。

あっさりしたもの、焼いたら終わりというメニューで乗り切っている。

↑鯵の干物、酢の物、みそ汁、

簡単サラダ(鳥のささ身、きゅうりの千切り、オニオンスライスを混ぜたもの)

苦瓜のフライ(塩をつけて食べると美味しい)

あまり複雑なものは作りたくない!というメニューです。

 

秋を感じるようにと、チーズケーキも焼きました。

↑やはり買うより、作った方が安い。20センチの型。

ヒロク二さんが大半食べます。

クッキーよりケーキの方が、混ぜたらドンと焼けるのでいい。

タルト地は、グラハムクラッカーで。

近頃、「君って、自分で作ったもの美味しそうに食べるよね。」とヒロク二さんに言われます。

すごくうけてるらしく、これ程おかしいことはないと言う顔で。

もう、何度も。

どこが可笑しいのか?

よくわかりません。

 

今日はつい映画の話から、1つの時代の終焉という大げさな内容に。

話が折れ曲がっていくのに、最後までお読み頂いた方ありがとうございます。

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵日記(作品紹介699)と 還暦は身体から鍛えよ

2022-09-10 15:47:30 | Weblog

18cm×12cmぐらいの小さな絵。

この絵は、武内が「このブックみてごらん。2人で遊んだ記録だから。」と言って、

手渡されました中に貼ってあった作品です。

↓そのブックは、こういうもの

スクラップブッグといえますが、中を見ると日記的で、

見ると、こういうことを、あの場所でしていたなぁ~と思い出せる。

そこが、従来のスクラップブックとの違いだ。

上の絵は、写真が貼ってあり、その写真はギャラリーのスタッフだとわかる。

そのスタッフがいた頃に描いたものだ。

1993年作と記されてあり、当時の雰囲気やその当時の空気が伝わってくる。

右上に「hiro」と書き込まれているから、太陽の横の顔は、自画像だ。

自分を太陽神でアポロンのように描いているのに、苦笑する。

でも、こういう武内の感性憎めなくてとても好き。

左に「ナルシズム」と書いてあるものいい。

ロマンティストであるので、肯ける。

「SAHORI」とわたしの名前が多く書き込まれているが、

もう、そういう事に慣れてしまって、「書いてあるなー。(棒)」である。

この頃の絵には、やたら書いてあるから。

今では、名前を呼ばれるイコール、「用事をいいつけられる」に変化してしまい、

わたしは、武内の手足の変わりになる事が多い。

(まあ、ヒロク二さんのお歳もあるからしょうがないこともある)

この絵を見ると、阪急電車に乗って、大阪梅田に出ると、洋書の画集がたくさんある本屋や、

街のざわめきの中、2人で街に身を浸した時間を思い出す。

街の角で武内はよく立ち止まり、「ちょっと待って。」と言い、

道路が交差する所の高架の部分をスケッチする。

そして、「横に人がいてくれると、描きやすいのよ。ありがとう、さほり。」と言う。

2人で話しながらや立ち止まったり、一緒にいてスケッチをする方が、

時間が自然に流れて、人を意識せず集中出来るとは知りませんでした。

ちょっとした驚きだったのです。

この頃は、小さな紙切れと鉛筆をポケットに入れ、

鉛筆は、折れ難いように芯が太く、芯に近いくらい太く削ったものを持ち歩いていました。

その後、珈琲を飲んで休む。

ジョギングシューズのデザインを見るのも好きで、

「これ、見て。」と言われ、曲線の曲がり具合に興奮したり。

どうしても欲しいシューズに巡り合ってしまい、スケートボード用のシューズを購入した。

その靴は、絵に登場。

それ以外にも、ジョギングシューズは度々登場。

わたしは、「この靴がいいのよね。」と言った記憶がある。

このブックの中に描かれている絵を見ながら、過去の時間を振り返りました。

 

↓もう一頁紹介します。

左ページから

■上のスケッチは、散歩している自分でしょう。

 眼差しがあります。

■左下は、雨が急に降ってきた時。

 頭に布を巻きつけています。

■右下は、わたしを描いたもの。

 着ている服が、セーラーになったジャンパー、あの服というのが分る。

 わたしにしか分らないと思います。

右ページから

■左上は、ふすまの前にいるわたしだ。

■左下は、朝食を作って、食べている時のわたしだ。

■右は、「Bがある街」という絵があるのですが、それのメモ。

 神戸の街の絵なんですが、文字からの発想をメモっていたようです。

 

ブルーのノートは、スケッチが多く、もう一方は写真が多い。

写真を見ても懐かしく思いますが、スケッチを見ても、あの頃、あの時となるノートを見て、

良人は、「画家だ。」と思いました。

線の感じから楽しい感じが伝わってくるところから。

ロマンティストのなせる業です。

いつもは、そのロマンを「現実を見よ!」と言い放ち、ぶっ壊すことが多いわたしですが、

今日は思い出が貴重なものに感じられました。

キラキラとした時間を思いだして・・・。

 

秋らしくなってきました。

虫の鳴き声を聞きながら、眠る。

あともう少しすると60歳になる。還暦だ。

ヒロク二さんが還暦の時、はやし立てて「還暦だ!」と言った時、

「よしてくれよ。それが、どうだと言うのだ。やめてくれ。」言われたのを思い出す。

50代の時の方が、身体があちらこちらと悪く、

腰痛や五十肩など、身体のメンテナンス的なことが起り、「中古車みたい。」と思った。

本人には、黙っていたが・・・。

それを1つ、1つ直していって、ヒロク二さんの還暦はとても元気だったと思う。

「年齢には感心がないんだ。」と言い放っていました。

わたしは、60歳といえば随分大人だと思っていたが、そんなに大人ではないなぁ~というもの。

「これでいいのか?」と、ちと思う。

人としての器もたいしたことない。

いい所は、好奇心がある事ぐらい。

ヒロク二さんに年齢のことを言うと、

「そんな歳になってたの。僕、おどろき~。」とふざけた返事。

何事の相談してもあてにならない、射手座の良人だ。

だから、1人で考えてた。

自転車に乗って、駅まで休まずこぎ続けること(緩やかな坂道なので)が、まだ出来る、

読書も集中出来る、料理もおっくうじゃないと、点検してみる。

年齢で一番困るのは、やはり体力や気力だろう。

運動が嫌いなわたしなので、筋力の衰えに焦点を絞った。

精神というのは、どう鍛えていいか分り難いので、まず身体からということで、

すっかりしなくなったストレッチを仕切りなおすことに。

お腹がぺしゃんこになるくらい吐き出す呼吸もいいかもしれない。

60歳を迎えるにあたり、こんなことを考えています。

85歳を迎えるヒロク二さんは、時々、台所の机の手をのせてしゃがんだり立ったりしているよう。

「やるぞー!」という雰囲気はなく、時間の合間に軽い気持ちでしているようで、

見ていてフットワークが軽い。

出来る範囲でやっているという感じが、見ていて暑苦しくない。

今回は、そんな感じで取り組みたいと思い、ヒロク二さんを参考にします。

 

庭では、また朝顔がたくさん咲きました。

↑ヒロク二さんとわたし、2人とも朝顔を楽しみにするようになりました。

朝起きたら、朝顔の話題ではじまります。

「今日もきれいだ。」とヒロク二さん。

↑大きくなってきたひまわりと一緒に。

たいしたことではないが、朝顔も花殻摘みをマメにしています。

種に栄養がいく分を花にまわるように。

↑大きな鉢に4本ぐらい植わっています。

控えめな灯かりがついたような感じで、静かで爽やか。

2人で、「朝顔がこんなにいいとはね。」と言う時は、

清らかな時間が流れているように思われます。

我家は、「清らか」というより、「混沌」に傾きがちなので、

清涼剤のような役目を朝顔がしてくれます。

 

↑こちらは、植えつけたビオラの種。

どんなビオラが咲くのか?春の楽しみの1つ。

 

今日は、めずらしく夫、ヒロク二さんを賛美しました。

妻からは、夫って褒めにくいものなんです。

粗ばっかりが目に入って。

しかし、今日はいい所に目を向けざるを得なかったというか、

確実にいい所があるということを証明したという気持ちです。

長所も短所も表裏一体の関係にあるヒロク二さん。

今日は、表の方を書きました。

今日もブログをお読み下さり、ありがとうございます。

 

 

 

 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地形(色鉛筆作品698)と 射手座の男

2022-09-03 18:15:34 | Weblog

2002年作の色鉛筆画

土着的な絵で、山が配置されている。

6つの山が描かれているのが見てとれる。

土俵入りした山からは、火の玉のようなものが吐き出され、

中心部分には地下水?湖?のようなものがある。

こういう絵のスタイルは、芸術新朝から切り取った「八重山の老婆」が描いた植物の絵から始まったように思う。

会った頃から大切にしていて、時々アトリエで見つけます。

随分古い雑誌から切り取られた絵は、アトリエで移動しているらしく、

見たと思ったら、どこかへ行ってしまうようで見つけられない。

その絵は、木に蛇が巻きついている絵で、色鉛筆で素朴に描かれたものでした。

もう一枚は、植物、小さい花を付けている絵でした。

その絵を見ながら、「この絵は、いい絵なんだよ」と遠くを見る眼差しで話していたのが印象的でした。

「この絵には、命がある」というような事を言っていた。

その絵から、多くの刺激を受け、色鉛筆画を描いていましたが、

この絵もその一枚になります。

「土地」が持つもの。

山が噴火し山々が現れ、そして雨が降り、川ができ、水が溜まり湖になる。

そして、人の営みから、呪術的な要素が加わり、その地の気が作られる。

武内の現代のプリミティーブな絵への試み。

その内容は、鹿児島県徳之島で過ごした幼少期にあるようで、

子供の頃、祖母の話に出てくる「ユワトゥシ神(魔神)」や「ケンムン」を子守唄に聞いて育ったという。

子供の頃、そのケンムンの姿を見たことがあると言う。

大きな体格のいい男で、全身に毛が生えていたと。

「おるんやねぇ」と深くうなずきながら、意味深に言う。

わたしは、妄想のような気がするが、一緒にうなずきました。

そんな幻想やら、民族学からの影響が強い作品だと、捉えて頂ければ幸いです。

時々、そこを越えて、「アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)」に分類されることがある。

わたしとしては、「障害者でもないし、精神病院にも入ったことがないから、似ているようで違う」と思っているのですが、

「武内さん?あのアールブュットの人ね。」と言われると、

「確かにアールブリュットには、興味を持っていて武内は、好きですけど、

 似ているようで違うと思いますが・・・。」と慌てて訂正するわたしです。

何故か、真剣に取り合ってくれません。

また、ある方から、「アールブリュットの作品を収集している方がいますから、紹介します」と

お電話を頂いたことも。

遠距離だったので、叶いませんでしたが、皆こんなふうに思っているようです。

心の中で、「一応武内は、精神病院には入ったことはないから、違うのよ」と強く思います。

 

ヒロク二さんは、占星術では「射手座」。

射手座の本質を読みました。

それが、そのまんま「射手座」の性格。

あまり占いを当てにはしない性格なのですが、そのものなので驚いた。

水色の文字の部分は、射手座の特徴の抜粋です。

自由に生きて型にはまらない

何ものにも囚われずに、自由に生きるのが射手座。弓矢のようにどこかに飛んで行ったまま、帰ってこないようなことも少なくありません。常日頃から誰にも束縛されることなく、自由奔放に人生を歩みたいと思っていて、プライベートにおいて誰かに指図されるようなことも好きではありません。「右に倣え」というのは一番性に合わない言葉。自分の行動に責任を持つことができればいいと考えていて、無責任に自由を謳歌しているわけではなく、そこにはプライドも存在します。

医者のパトロンが現れた時、行き先も聞かず、淡路島ということだけで島に行き、

その途中であった農家の方の牛小屋で過ごすというのも自然なことだと思いました。

学校も自然にいかない。

「右に倣え」も絶対にしようとしない。人にどうおもわれようが平気だ。

それでいて、変に周りから好意的に思われたりもしている。

そういう奴だと認められている。

お世話になった評論家の方のお葬式に行くと言いながら、白いシャツをきている。「せめて黒いシャツにしなさい」と注意しました。ところが、「これでイイって」とスタスタと出かけてしまった。帰ってくるなり、「俺1人だけ。白いシャツ着てるの。」と言いながら、「でも、皆お前らしい、って言ってくれてねぇ」と。褒められていると思っているという・・・。

心にロマンを持っている

射手座は現実的ではない、夢のような非現実的なものにひきつけられる傾向にあり、非現実主義者なところがあります。常識というものに囚われるのを嫌い、ロマンを愛しています。ロマンを追いかけて、センチメンタルになることもしばしば。そのせいで、夢見がちだと思われてしまうことも少なくありません。夢は叶うものだと考えていて、そのためにする行動が、他の人には突拍子もないようなことをやっているように見える時も。射手座は後先考えずに行動をしているようでも、実は意外と考えを巡らしながら動いています。

いつも妄想気味。

その上、センチメンタル。悲しいことにはロマンを膨らませて拡大している。

ロマンに関しては、自分でそのシュチュエーションを作ることすらする。

肺病(結核)が重病の頃。結核を煩った恋人をいつも思って、見舞いに行った話しを聞かされたのを思い出した。射手座の行動そのもの。そうだったのか!と。そして、「悲しくてね」と言う。

突拍子がないようなことはする。台風に合って電車が止まって立ち往生した時、

友人宅へ行こうという事になり、行く道行で大きな倒れた木を見つけて運びたいと言われ、

何故か大雨の中、2人でエッホ、エッホと、肩に木をかけてびしょ濡れになりながら、坂道を上ってその方の御宅へ。「何が嬉しくて、傘もささず女が木を担いでいるわけ?びしょ濡れになりながら・・」と一歩一歩坂を上って行きました。直系15cmぐらいのの木でした。

悩むのは大キライ

基本的に、非常に楽天的な性格をしている射手座。そのため、いつまでも内にこもって考えをめぐらせたりするのは大の苦手。気になることがあればすぐに聞くし、失敗を恐れて行動を躊躇するようなことはありません。常にポジティブで、多少のことに悩んだりはしません。常に新しいことへと挑戦しようとするので、悩みごとは抱えるだけ無駄と考えているところがあります。そのため、射手座は相談相手にはあまり向かないことも。

以前、「あなたって、酷いことを言われても落ち込まないよね~」というと答えが、

「落ち込んでもしょうがないでしょ。それに、時間がもったいないし」

そう、立ち直りが意外と早い。急にノリが軽くなる。

いつも相談をされるのは私で、私の相談には耳を貸さないのもわかる気がした。

興味がないということだ。

嘘をつけない正直者

素直な性格で、嘘をついたり欺いたりというようなことができません。そのため嘘をつくと、ひどい罪悪感を感じてしまいます。どんなことでも、正直に口にしてしまう射手座。場合によっては、知らせなくていいようなことまで話してしまうこともあります。自分の知っていることは黙っておくのが難しいので、そのことでいらぬトラブルに巻き込まれることも。射手座が嘘をつけない人だということは周知の事実なので、信頼できる人としてのポジションを得ています。

一言多いというか、配慮がわからない人だ。

私の実家で夕食を母が用意した時、一日目は歓迎の料理だったが、二日目は、「今日はいろいろあるから、あり合わせで悪いですがね。」とヒロク二さんに言うと、

「今日は残飯整理ですか?」と良人。

母は、「あれはどういうこと!」て、私に向かっていい、キーって地団太ふんでいたということもあった。

 

冒険大好きな好奇心のかたまり

射手座は、とにかく面白いものを求めて動き回るのが大好き。常に何か夢中になれるような、ワクワクするようなものを探して生きています。退屈なのは大嫌いで、いろいろなものに目移りするため、飽きっぽい性格と言われることもしばしば。面白いことのためなら、全く知らない世界にも恐れを抱くことなく飛び込んでいくことができます。

退屈が苦手なのはよく知っている。退屈したら「すぐ、出よう」とその場を離れるか、

そうできない時は、体がソワソワ動いて、目の前の物を触ってみたり挙動不審だ。

 

わたしは「乙女座」なんです。

責任感が強く律儀

乙女座は非常に責任感が強く、与えられた仕事は納期を守り完璧に仕上げようとします。一度引き受けた仕事は決して投げ出さず、壁にぶつかっても乗り越えて最後までやり遂げます。ちょっとした口約束でも適当に流さずに守る、とても律儀な人です。期待をかけられたら全力で応えるのが乙女座なのです。律儀な性格は人間関係に大いに表れます。借りは必ず返すタイプで、一度受けた恩は忘れません。律儀さは悪意に対しても例外ではありません。一見温厚ですが、やられたらやられた分だけやり返します。

責任感は強いと自分では思う。不埒なヒロク二さんを見ると、役割を果たすすもりなのかと、不安になる。

やられたらやられた分だけやり返すとあるが、ヒロク二さんにそれをしようとしている時があるのを自覚します。律儀なので、やられた分を換算してやり返す。嫌な性格です。

誰かの役に立ちたい生粋のアシスタント気質

そう、目立たない方が好み。自分がしていることを人に知られなくてもいい。

正義感が強く頑固な一面も…

正義感が強く、正しいことを信じて貫こうとするのが乙女座です。困った人を放っておけない面倒見の良い性格ですが、時に頑固さが表れてしまうので注意が必要です。正解や正義を優先し過ぎると普段の思慮深さを失い、相手を返って追い詰めることがあるのです。

自分でも頑固なところがあるのを知っています。

父は、「こいつはな。一見大人しいようだが、言い出したことについては梃でも動かんの。

これまた、なんと強情なことか」まいったみたいな顔をして言われたことが。

 

ヒロク二さんは意外と慎重で、心配性で石橋を叩いて渡るところは、違うと思ったり、

乙女座は、几帳面とあるが、わたしは大雑把で部屋も散らかり気味。

大まかに捉えると、そういう傾向にあるという捉え方をしました。

↓基本なので、どの占星術でも大体同じ内容です。

私は、今日の運勢とかは興味ありません。

射手座を見ると、ヒロク二さんはそのままの性格でした。

「自由の人」ということです。

驚きだったのです。

でも、芸術家じゃなかったら、つまはじきにされそうな性格で、

人はうまい具合に適材適所になっているのだと思う次第。

そうなんだと思うと、笑えるような。

 

射手座(いて座)の性格は?10の特徴・トリセツ・恋愛観・男女別解説 | ホイミー

12星座占いでの射手座は、半人半馬のケンタウロスの中で、最も賢く正義感にあふれたケイロンが由来となっています。人間の半身が象徴するのは知性。馬の半身が象徴するのは...

ホイミー

 

私は、考えられない行動をよくさせられているというか、ふりまわされているというか、

多分、1人で生きるより多くのことに遭遇する道を選んだのだと思います。

散歩道で、ヒロク二さんが、電車の枕木の木片を見つけ、「持って帰ろう」と言い出し、

2人で交代で持ち運んだことも思いだしました。

「何で、こんな重いものを持って帰りたいんだと」疲れる身体に鞭打ち、

電車で白い目で見られながら、持って帰りました。

オブジェを作るのに、よく拾い物をするのだけど、後先考えないのが射手座なのでしょうか。

思いついたら、考えるより早くなんでしょうね。

いつも、トホホなわたし。

 

夕方、ひまわりの写真を撮りました。

↑遅い時期に植えつけたので、背が伸びず横に広がっていってような様子。

大きい鉢からははみ出ていますが、背丈が思ったより小さい。

秋も咲くひまわりなので、まだまだ楽しめそう。

今は、ビオラの種を蒔こうと、種まき用の土を買ってきました。

早く蒔かないと成長が遅くなるので、明日には終わらないと!

種まきとか、植え付けって時期を逃したら、いまひとつになるのが分ってきました。

秋は春の準備になります。

来春に咲くチューリップの種類を選んだり、ひとつの切り変わりの季節。

春の庭を思い浮かべています。

 

射手座の性格がそのままだったので、驚いたことを書きました。

性格や性向を見て、芸術家はあっているなぁ~と痛感しました。

そして、私は縁の下の力持ち。

ヒロク二さんの現実の言動と行動と照らし合わせてみました。

人は自分の道をうまく選んでいるのですね。

今日も、文章を読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする