武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

Face shadow(色鉛筆作品紹介・439)

2016-12-26 16:32:57 | Weblog


黒い口の所だけが異質な絵。
塗り込めた鉛筆の部分の所だけ、紙が波打っています。
実物もそうなって見えます。

タイトルは「Face shadow」。
形が物語る絵になっています。

12月25日 晴天 クリスマス

我家は、クリスマスはありません。
ヒロクニさんの「私は、耶蘇(ヤソ)じゃない。」という言葉によって、
クリスマスを祝うのは、却下されてしまいました。
しかし、別の目的でクリスマスプレゼントを用意することがあります。
お世話になった人に、クリスマスに便乗してプレゼントを贈るのです。
また、絵画教室がクリスマスにかかると、ケーキ等も特別に用意して、
生徒さんとヒロクニさんと私で、「メリー・クリスマス」と言って楽しく過ごしたりもする。
そういう時は、ヒロクニさんも参加で、楽しくお茶の時間になる。

ヒロクニさんは、キリストって十字架に掛けられた人という以外は、あまり知らない。
「クリスマスってなんだ?」と問いかけられた時は、
「キリストが誕生したことを祝う日」としか私も答えられなかった。
本当に英米文学を理解するには、聖書を読んでいなければ、いけないらしい。

最近知ったのですが、アメリカでは、「メリー・クリスマス」と言ってはいけないことになっていて、
「ハッピー・ホリデイ」と言わなければならないそうだ。
アメリカは確かプロテスタントの人達が、フロンティア精神で、今のアメリカを作った。
映画等でも、七面鳥を焼き、家族で団欒のよきアメリカの情景が、あった。
それが、
「メリークリスマスは、非クリスチャンへの差別となりつつあり、言えないのだそう」。
キリスト教の国でもない、日本では、「メリー・クリスマス」はキリスト教でなくても、
健在である。多神教の日本では、排斥する概念がない。

「メリー・クリスマス」が何故、差別なのか?
それぞれ、自由に自分の神様を信仰して、他人に迷惑さえかけなければいいと思うのです。
それって、「言葉狩り」だと思う。
排斥することではなく、非クリスチャンの人の方も心が狭いような???

最近言われるようになった言葉の一つに、「ポリティカル・コレクトネス(Political correctness)」という
言葉がある。こういうことを、ポリティカル・コレクトネスと言うようだ。

何故、トランプ氏が選挙で勝ったかわかるような気がしました。
アメリカ人は、アメリカのリベラル層のそういうところに、うんざりしていたのかもしれません。
そして、何故隠れトランプ支持者がいたか?トランプを支持していると表明したら、暴力を振るわれるから、
黙っていたのでしょう。選挙のあとのトランプ氏への抗議活動で、トランプ氏のビルのガラスを割る映像や、
アメリカの旗を焼いている映像も見て、この人達は我儘すぎると思いました。

まあ、ヒラリー氏は、ISに武器の提供をしているのがバレてしまったり、アメリカはアメリカで
報道されない、いろんな情報があります。アメリカは、ISの攻撃する振りをしているだけで、
ISを生かしておきたいのがオバマ政権での本音なんです。
ISは、アサド政権と対立しているからという理由ですが・・・。
アメリカは、アサド政権を倒したいということです。
それより、ISを攻撃する振りに借り出されているアメリカ軍人は、本当のことを知らなくて、悲劇に思います。
はっきり言って、資金源を断てばいいのに、石油を運ぶ道を断たない。

情報を読み解きながら思うことは、外交とか政治は囲碁とか、将棋のような感じがします。
メリー・クリスマスから、ややこしい話題になってすいません。
心底、アメリカで「メリー・クリスマス」が言えない事に驚いたのです。





食卓には、うさぎビオラの変わり種と、菊を飾っています。
ブルーや緑っぽい色、赤みという色が出てくるとても変わった品種。
葉の色のようなビオラです。

今年は、チューリップ5色、50本を植えてあります。
春になるのが楽しみです。
毎日、あっという間に時間が経ちます。
やはり、師走なんでしょうね。




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「town」というタイトルの作品(作品紹介438)と大石内蔵助の辞世の句

2016-12-18 17:49:24 | Weblog


タイトルは、「town」と付けられています。
画材は、鉛筆と色鉛筆。サイズはB4

この絵の説明を少し受けました。
「この絵は、従来の自分の絵を編成させている過程の絵だから」と言われました。
すぐにピンとくればいいのですが、私には分かりにくい説明だ。
図頭や言葉は、男性と女性では、大いに違いがあるのでは?と考えてしまいます。
最近、意味不明の受け答えをするらしく、「君、大丈夫?」と、
ヒロクニさんに言われる毎日です。
考えている事が、全く違うようで、会話がかみ合わないことが多い。

そう、私は常に現実的なのであった。
引越しも気になるし、毎日の献立や、ニュースの分析(マスコミに騙されないようにね!)や、
ジル(猫)の病院通いや、小銭を稼ぐ思案などで忙しいのです。
そんなことで、夢想する世界から遠ざかっていくのです。

そんな中、忠臣蔵の話で、我家で会話が盛り上がったことがあり、なんだか変だった。
ヒロクニさんは、テレビはほとんど見ない人なのですが、息抜きに何気にテレビをつけていた。
私は、自分の部屋でぼんやりしていて、テレビの内容が聞こえてくる。
だから、見て無くても大体の内容は分かっていたのです。
番組が終わると、「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が刀を振り回して切りつけたというのはなんやろねぇ~」と一言。
たぶん、その原因のところが終わってからテレビを付けたようです。
即座に、私は、「吉良上野介(きらこうずけのすけ)が、ことあるごとに浅野内匠頭をいじめていたから、
切れてしまったのよ」。と言う。
ヒロクニさん「いじめられていた?」
私「う~ん。もう少しいうと2人の相性が非常に悪かったから、起きた悲劇と言いかえてもいいかも?」
 「江戸で洗練された人が無骨な田舎の人に無性にイライラして、小言や非難を言っていたが、浅野内匠頭には
  さっぱりわからない。一生懸命にやってもかえってイライラされる。これが引き金になったといってもいいかも」。
 「仏教でいえば、2人はそういう因縁があったと私は見ているんですけどね・・・」
ヒロクニさん 「ううむ」。
私 「さっきテレビで、『現代で考えたらただの殺人事件で、ひどいことですよね。』と言っていたけど、
   現代の感覚で比べるのは、間違いだと思うよ。大石内蔵助以下47人は、自分達も仇討ちのあとは、
   切腹する覚悟、死ぬ覚悟でいたのだから、ただの酷い行いと言うことは、間違いだと思うわ」。
  「切腹する覚悟なんて、ヒロクニさん考えられる?切腹って一番苦しい死に方なんだよ。
   中国の古典で自害する時は、大抵首に刃物をあててするけど、以外と苦しくなく楽な死に方なんだって」。
ヒロクニさん「痛いのはいやだねぇ~」。
私 「よく、戦争で木っ端微塵になって死ぬのは、意識がはっきりないから意外と苦しくないらしいよ。
   写真なんかで見ると恐怖だけど・・・」
ヒロクニさん (聞いてない)

私 「仇討ちを終えて、忠義を果たした大石内蔵助の辞世の句がすごくいいから、教えてあげる」。
   (本を取り出し読んで見てと渡す)

   『あらたのし 思いは晴るる 身は捨つる
               浮世の月に かかる雲なし』

   なんともさっぱりしていて、死を前にしてあっぱれというか、潔い。

ヒロクニさん、もうこの辺になると、全然話聞いてくれてません。
いつも「僕が死んだら、さほり○○して、生きていくんだよ」とか、
「俺も、もういつ死んでもおかしくない年齢だから・・」とか、
最近は「もう、棺おけに片足が・・・」とか言うから、死についての心積もりの話の
参考になればと、いろいろ話したつもりなのですが、現実の死は考えたくないようでした。

でも人の事は偉そうにいえません。
私も今だ死について真剣に考えていないように思うから・・・。
昔の人、特に武士は常に死について考えざるを得ない立場おり、また考えていたのだと思います。
そのことが、凄いなぁ~と。

忠臣蔵の話しから、ヒロクニさんと若かりし日、赤穂の城に行った時の時間を思い出しました。
夜の赤穂城を歩きながら、ジョン・ライドンが結成した「パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)」を
ウォークマンで聞いていた。ヒロクニさんに「何聴いてるの?」と言われ、「ハイ」とヘッドホーンを
ヒロクニにあてると「何か恐ろしい音楽きくなぁ~」と言われたのを思いだした。
今から考えると凄いミスマッチ。





我家の家族ジルくん、病院に到着です。
無理やり、顔を上げさせて写真を撮りました。
いつもリュックに入れて、通院です。


病院内では、ずっと下を向いてリュックから出てきません。
しかし、診察と注射が終わったとたん、自分で診察台からリュックに飛び込み、
こんな風に丸くなります。
最近太ってきているので、リュックが重い。






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襤褸の姿(作品紹介437)と、襤褸(らんる)の意味

2016-12-07 15:20:42 | Weblog


この絵が出来上がった時、「ちょっと見て」。と、アトリエに呼ばれる。
「どう思う?」と聞かれる。
妻の心得として、作品に対して聞かれた時のみ「いいとか、よくない」とか言う事にしている。
普段は、あまりなにも言わない。
「どう思う?」と言われた時に限って、私にとっては非常に難しい作品だったりする。
思うことを急にまとめて言葉にするのは大変なのだ。おぼろげな思いを言ってみた。
「なんか枯れた感じがして、そこがいいかなぁ?」と答える。

そこから、ヒロクニさんの朗読が・・・始まる。(いや、解説)
急にフランスの小説家、フローベルの話や、マルセル・プルーストの話が続き、
「ランルの姿」と言う言葉が飛び出したかと思うと、急に日本の画家、村山槐多や青木繁、
長谷川利行に続き、熊谷守一さんが、「長谷川利行のような絵はいい」と言っていた話になる。
話の流れから「ランルの姿」の「ランル」というのは、フランス語で「ランル」という言葉があるのか?と、
思っていたが、後で調べて見ると、ランルは、襤褸という日本語だったのです。

襤褸(らんる=読み方)の意味は、ぼろ。つづれ。
襤褸(ぼろ=読み方)の意味は、 使い古して役に立たなくなった布。ぼろぎれ。つづれ。
                多くは他の名詞の上に付けて 比喩的に、質が劣るもの。
              つぎはぎの(きたならしい)衣服。
              みっともない欠点・失敗

とあり、ボロをまとった姿という風に取れます。
ヒロクニさんは、風狂な人物像のことを言っていたのだと後で分かりました。


12月6日(火)晴れ やや暖かい日

昨日の「襤褸の姿」の話の続きをあれこれと考えていました。
「襤褸の姿」で一番思い当たるのが、私の中では一休禅師であります。
一休禅師は、姿のおいては生涯、ボロをまとい、骸骨の付いた杖を突いていたそうです。
ボロをまとうその姿は、贅沢をしないという仏教の教えであり、
「侘び」「寂び」を実践した人であったということが思い浮かび、
ヒロクニさんが描いた絵もそういう要素があるのだろうか?
そんな事を考えていた。
また、一休禅師は、千利休に影響を与え、茶道に影響を与えた人でもあります。
ということは、茶道は禅宗から派生した文化であるともいえるのではないか?
こんなことが浮かびました。

茶道は、高校生の時に茶道部だのですが、「和菓子」を食べるためだけに入ったので、
茶道のことはあまり知らない。、お茶をされている方は、いろいろ知っているのかなぁ~と、
思い、知らないことってたくさんあるのだなぁ~と痛感します。

茶道を習っているお友達がいるので、聞いてみようと思います。
そんなことを考えて過ごした一日でした。

「襤褸(らんる)」という言葉を知った日でもありました。

そんな日の夕食。


アジの干物と絹さやと豆腐の炒め物。添えているのは、白菜の糠漬け。
きゅうりは、もろみと共に。
絹さやと豆腐の炒め物は、向田邦子さんの料理の本から。
とても簡単で美味しいですよ。
豆腐は、ふきん(もしくはキッチンタオル)で巻いて、水分を抜いておきます。
絹さやは、筋をとって洗っておく。
まず、フライパンにゴマ油を入れ熱します。そこへ豆腐をそのまま入れ、混ぜながら小さくしていく。
豆腐からの水分がフライパンに出てきてから、絹さやをいれます。(茹でないで)
そこへ、醤油、砂糖小さじ1杯を入れ、炒めます。水分がなくなってきたら出来上がり。
絹さやの香りがとても爽やかな一品です。
ヒロクニさんは、「意外と美味しい」と言っていました。



秋は、菊の花が美しい季節です。
ご近所の方がいつも菊を満開にさせているのです。
あまりに美しく、見事なので写真を撮らせてもらいました。
ふかふかな感じがなんともいえません。

そろそろ菊も終わりになってきている時に、一際美しくさいています。

「枕草子」にも菊はよく登場します。
雨が降ったあとの、菊の様子や、宮中での祭事、
重陽の節句・菊の被綿(菊の上に綿をのせて菊の香りを移つして、香りと菊を楽しむ祭事)などの様子が書かれています。
そんなことも思いながら、菊を愛でています。






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