武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

マジックの作品(作品紹介586)と 造形教室の思い出

2021-01-27 16:31:53 | Weblog

この絵が貼られていました。

この絵は、マジックで描かれたもので、これには元の写真があります。

ノートの切れ端にその写真は貼られていて、紙切れの入っている箱で、何度も目にしている。

大切な写真なようで、随分古くなっていて、白黒の写真。

印刷のドットが目に付く写真なのです。

それを見て、描いたようです。

色合いがいいなぁ~と見ています。

他にもマジックインキで描かれたものがたくさんあり、一時ですがこの表現が気に入って、

マジックで遊んでいたと言っていいかもしれない。

この絵では、自分のスタイルにもって行っていて、ヒロクニスタイルの絵が出来ています。

このマジックで描いた絵は、個展で発表したことがなく、作品という意識がなかったようです。

絵も折り畳んだりしていて、扱いが少し雑になっています。

使っているマジックは、ごく普通のよく見るマジック。

↑このマジック。

このマジックは、インクが補充できて、ペンの先も交換出来るので、

足繁く近所の文房具屋を行き来していた。

ペン先まで交換して使う人を初めて知ったというところが新鮮でした。

マジックの重ね合わせの追求が見ていて、感心することしきり。

足し算思考の人の究極の絵なんです。

 

こうやってマジックと戯れていたヒロクニさんなのですが、

ある日家に帰ると、当時飼っていたキタハマ(猫)の顔が、マジックで色とりどりになっていた。

キタハマのその姿にビックリ。

あの可愛いキタハマが、とてつもなく変な猫に変身している。

スラムの猫みたい・・・・。

心が和まない・・・・。ギャーって感じ。

本当に子供みたいなことをするヒロクニさんを、口をあんぐり開けて横目で見た。

↑制作中、こうやって、いつも仲良くいるキタハマ。

こんな風に横で寝ているから、されたのでしょうね。

 

ヒロクニさんにあきれる私ですが、私も似たようなことをしたことがあります。

子供の絵画造形教室をしていた頃の話なのですが、

油絵を教えている時に、ちょっといたずらが好きな子がいて、

私に、筆で顔に絵具を塗った。

よくも顔に絵具をつけてくれたわね。と思った私は、その子にちょんと少しだけお返しをした。

「センセイが、人の顔に絵具をつけた。」ということが新鮮だったようで、

その子の気持ちがすっかり緩み、さらに勢いよく絵具を私につけてきた。

私もお返しした。

お互い「油絵具は、洗っても取れにくい。」ということを知っているので、

「顔は、ちょっとまずい。」という認識から、腕につけることを思いつき、

お互いの腕は、ドロドロに。

洗ってもきれいに落ちない状態の腕のままスーパーに行き、レジのところへ行くと、

心配そうにレジの方が私を見ていて、「どうしたのですか?」と言う。

すっかり打撲と思っていたようで、

すかさず「いや、これは、その、絵を教えていまして、子供が絵具をつけたのが、まだ残っていて・・・。」と、

しどろもどろで説明すると、「ああ、そうだったのですか。」と言い、笑顔に変わった。

「慕われているのですね。」なんて言われて、晩御飯の準備に取り掛かっていました。

ボールペンで腕に描かれた時もあり、この時は「傷口」と思われていたりした。

傷口じゃないとわかると、笑いをこらえてレジを打っている。

こんな調子のセンセイだったので、なにしてもいいセンセイだったのかもしれない。

霧吹きを使ったにじみを生かした水彩画の時は、霧吹きで私のズボンのおしりに霧吹きをかけて、

「先生がお漏らしをしている。」とはしゃいでいる。

けっこうしつこくするので、「気持ち悪いから、やめてくれる。」と言って、

「いい加減にしろ!」「いつまでやる気なわけ?」と叱る。

そうすると、「鬼」「鬼ババ」とか言う。

こんな優しい先生を「鬼」と呼ぶなんて、「なんて子達でしょう・・・。」と、真剣に思っていた。

 

また、ある時、

「センセイ、戦争の時、究極の状態の時は、人は人間の肉を食べたんでしょう?」と、

聞いてくるのがいた。

私は、「さあ、私はそういう話をする人もいるけど、実際にあったということは知りません。」と。

そう言うと、「絶対、あったって。」と言い張る。

その話ばかりするので、今ここで、その話をしなくてもいいだろうと思い、

「N君、君はアレルギーで海老も蟹も食べられないくせに、人間の肉を食べる話なんかするな!」

「あんたは、海老、かに、卵も食べれないくせに!」と、言うとピタリと黙った。

また、N君は、「僕、ここのおやつを食べたら、帰りお腹がいたくなる。」と言い出す時もあった。

「アレルギーの出るものは、出していないつもりなんだけど・・・。」と言う。

「でも、時々なる。」と言い張る。

フッと頭に浮かんだ、N君の作品達。

N君は、頭が良くて、すごくうまい時と、ふざけてダメダメな時がある。その差が大きい。

私は、「わかった。もって帰りたくない作品の時になるのと違うの?」と聞いた。

だんまりである。

N君は、作品を持って帰るのが嫌みたいな日があって、道に作品を置いて帰っているのを見つけて、

私は靴も履かずスリッパのままで、追いかけて、カバンに作品をねじ込んでやった記憶も蘇る。

往来で、スリッパを片方脱いで、おしりにパンチも食らわしといた。

「おまえ、持って帰れよ!」という声と共に。

何だか、急にガラが悪い言葉遣いに変身する時があって、なんかおかしいなぁ~と自分で思っていました。

男の子に怒る時、そうなるみたいなのです。

また、ある時、今度は、T君という子が「この家は、僕達のお月謝で生活している。」

「僕達がやめたら先生は、困るんだ。僕達のおかげだ!」とか、言い出す。

「それは、先生と君達の両親のお約束であって、君達は関係ありません。」と釘をさしておいた。

(実際は生徒の言う通りなのですが・・・)

血迷ったT君が、「僕、やめてやる!」と息巻く。そして、囃し立てるのだ。

ムカッときた私はいつもと違う別の人格の私が出てきて、

「おぅ、そんならやめろや!やめんかい!」「帰れや!」と言って、声のトーンまで低くなって、

また、ガラが悪くなった。

そのT君の前へ行って、その子を小突き「やめろや。」「やめろや。」「ヤメロ・・ヤ。」と迫っていった。

玄関の出口の方に追い詰めた。

その日を境に、その話は二度としなくなった。

そのT君は、毛糸を使った工作をすると、私のエプロンやら、足やらを毛糸で結び、

片方を机の脚に結びつけてくれて、動くと机を引きずってしまう惨事も起す。

動けない・・・・・。クソォ~と思い、

「よくもやったわね。」と言い、ゴジラみたいになって、紐を引きちぎる。

その姿が面白いらしい・・・・・。

ガリバー旅行記みたい。

帰りにノートに評価を書いて、持って帰ってもらうのですが、

私が1つのことしか出来ないとわかると、

ノートを書いている時に話かけて、文章をおかしくさそうとする。そんな風なので、

「もーわかった、頑張りましょうのハンコ押して、最悪って書こうかな?」と言うと、

「それだけはやめて。」という子は、まだいいが、そんな事すら気にしないタイプは大変なんです。

(まあ、感情に流されず、評価は等価にしていましたが・・)

その変わり、字が知性を疑う文字になってしまっていて、メチャクチャ。

父兄は、こんな汚い字の先生のところへ・・・と思って、興ざめなんじゃないかと心配されるのでは?と

よく思ったものです。

 

ヒロクニさんは、子供にとって怖い大人として登場していました。

付いたあだ名が「バンジー」。パンツ爺の略だそう。

夏になると上半身裸で、パンツ一丁で現れることがあって、子供達には強烈だったようです。

女の子から「服着ろー!」と罵声を浴びせられても、知らんぷり。

言われてから、芸術家が上半身裸で写っている写真を額縁に入れて飾り、

「これを見てみろ!芸術家はこうなんだ!」と豪語し、生徒に説明する始末。

女の子は口が達者なので、反論を展開させて、ヒロクニさんと口論よ。

教室では、パンジー(パンツ爺)対 子供達という構図が出来上がっていって、

いじめというか、1人の子が、ある子にちょっかいを出すのを注視していたのですが、

ヒロクニさんの方へ関心がうつったようで、ちょっかいをかけなくなってスッキリに。

ヒロクニさんは、教室の先生ではないのに、父兄が来られるとすぐ私の横にきて、

自分が中心になって話だしたりして、よく分からなかった。

私が先生なので、ヒロクニさんには引っ込んでもらおうかと思い、

後ろで背中をつねって、目配せするのだけど、これが通じない。

すごく、じゃま状態でした。

また、y子ちゃんという生徒は、絵を描き終わっても、いつも長々とアトリエにいる。

理由を聞くと、次に行くバレエの教室が嫌で、長々と滞在してバレエの時間を少なくしているらしい。

「そんなに嫌なの?」と、聞くと、嫌なんだそう。

その話を聞いていたヒロクニさんは、「y子ちゃん、バレエ習ってるの?」と言った後、

黒いタイツ姿だったヒロクニさんは、バレエの踊り、バレエ風につま先立ちで踊っているのだ。

腕をヒラヒラさせて。

T子ちゃんと私は、あきれて見ていた。

T子ちゃんが「気持ち悪い。」と呟く。

思わず「私も・・・」と。ゲロゲロって感じよ。

どんな造形教室なんでしょう・・・・・。こんな教室あるのでしょうか?

 

そして、いつも教室を終えたら、髪振り乱したあとの私でした。

よく、子育てで髪振り乱した姿が・・・・、という表現がありますが、納得できます。

教室の子供達プラス、ヒロクニさんが加わったら、いつも波乱ぎみでした。

でも、子供達とは、それくらいしてみての楽しい部分もあった。

よく、笑っていましたもの。

(ヒロクニさん除く、こっちは大人なんで)

時々、生徒達と一体になって、お腹がよじれるぐらい笑うこともあって、あの愉快な一体感は、忘れられない。

可笑しくて涙を浮かべる程笑っていた子もいて、楽しかった。

その涙する姿をお互い見るといっそう可笑しさがまして、笑いの渦に。

皆がブルブルして、お腹が痛いくらい笑った一体感は、何だったのというくらい。

いい思い出もたくさんあります。

子供っていいよね。

大人の世界も好きだけどね。

 

この人には、何をしてもいい。

そんな風に思われがちな私のようです。

マジックのいたずらから、子供造形教室での数々の思い出話になってしまいました。

よく、話を脱線させてしまう癖があるみたいです。

すいません。

 

庭では、梅の花がつぼみをつけています。

↑季節はきちんと巡るのですね。

昨年も剪定をきちんとしてみた結果が出たのでしょうか?

梅は、枝が真直ぐ伸びる姿が好き。

2月の終わりぐらいから、ピンクが灯るのでしょうか?

いつもひな祭りに合わせるかのように咲く、我家の梅の花なのです。

 

↑そして、夜のピピちゃん。

何か言いに来ています。

この後、膝にぴょこんとのって、ゴロゴロいいます。

抱っこや膝の上にいたら、鳴きやみ大人しくなるピーです。

顔を見ながら、「ピーちゃん、そんなのでどうするの?赤ちゃんみたいじゃないですか?」と、

語りかけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Works・色鉛筆作品紹介585 と 先祖帰りしたビオラの様子

2021-01-21 09:24:18 | Weblog

「この絵のタイトルは、なに?」と聞いたら、

「Worksでいい。」と。

「いや、もっといいタイトルがあるハズだから、思いついた言う。」ということになっています。

この絵も下書きなしに描かれています。

ヒロクニさんは、筆圧が強いので、線を引くと消しゴムで消しても、必ず紙に線の痕が残ります。

その痕があまり見られないということは、一気に描いた絵になります。

形も楽しいが、形のせめぎあいの具合もここちよく、この絵のリズムがなんともいえない。

この形の中に、猫ちゃんもいるそうだが、どれだかわからないのであった。

ヒロクニさんに「私、この絵を見ていると、くつろぐわ。」と言うと、

「そうであるなら嬉しいね。」と言われました。

 

この絵だけではないのですが、ヒロクニさんの絵って「感覚タイプ」の人の絵だと、

よく思うことがあります。

時々で、理論が吹っ飛んでしまう人のことでしょうか?

日常生活でそれをやられると困りますが、絵の中でそうなるのはとても良い事に思えます。

感覚が先行するというか・・・・・。

なんでもメチャクチャがいいのか?という分けではなく、

その感覚というのは、当人なりの蓄積、感覚と呼ばれるものの蓄積があって、

スポンジが水(感覚)を吸収しているような状態。

何かの拍子に、それが唐突に出てくる。

そして、瞬間があるのだと思う。

その感覚が、出てくる瞬間を逃さないことが出来る人が感覚タイプだと。

夕食を終えたあとの会話で、絵を見ながら、ヒロクニさんは、

「知性を超えたものがいいわけで、

知性というのは、前後左右をみながらのものでしかないだろう。」と。

いきなり知性を否定していました。

この一言は、感覚タイプの重要な一面に通じるものがあると思う。

ヒロクニさんの場合は、そのベースになっているのは、普段のメモや毎日の絵を描く行為だと思います。

ヒロクニさんの机に向かう姿は、執念深いというか、粘り強い。

↑こちらは、上記の絵のあと、貼られているメモ。

メモのわりには大きい。

顔のようなものの下に並んでいる黒い形、線が、私にはたまらない。

こういうものが隣の部屋(アトリエ)には、山積み。

 

それと平行して、マッサージの時間が増えています。

「さほり、やって。」て、言って、すでに寝てらっしゃるの。

それでもって、「ここをしたら最後だから。」と言う。

その「ここをしたら最後だから。」のセリフが何回も続く。

私は、「ここをしたら最後って言ってたのに、延々伸びてるぅ!

嘘つきか・・。最後だからって言うから、どれだけ最後を期待してやっていると思ってるの!」と、言う。

「ああ、これで終わりだと期待しているのよぉ。」とも。

私も忍耐強くって、マッサージを45分ぐらいしてから、期待を持たせられるとイライラするのです。

しかし、84歳になっても、腕にお灸もせず、整体とかにも行かず、

まだ、腱鞘炎にもならず、腰痛もなく、やっているのでありがたいのかもしれない。

当人曰く、「若い時、野球をやって身体を鍛えていたのが良かったんだよ。」と言うが、

そんな中学生の頃のことが、今にまで効果が続いているとは、思えない。

子供の頃は、野球選手になるのが夢だったそうで、

中学時代は、放課後になってから野球をするのに学校行っていたという、不登校者。

精神も病んでないし、身体も健康なのに、登校するのに何の支障もないのに、

「席はあるが、見たことがない生徒」として、有名だったらしい。(同級生談)

昔は、不登校という言葉がないので、「ズル休み」を延々していた人なんでしょうね。

登校しないことに対して、まったく不安を感じない精神が凄い。

当たり前なのです。自然体なんでしょうね。

その代わりに、人の出会いがあるようで、そこで成長していっているみたいなんです。

面白いなぁ~と思いながら、横にいます。

 

話が、感覚の人からずれてきたので、話を戻します。

感覚タイプの人の特徴は、おしゃれな人が多く、

話が分かりにくい人という傾向があるらしく、

それは、ヒロクニさんそのものなんです。

話は、聞いていると船酔いをしているような気分になるし、分かりにくい上に長い。

だから、私はゆっくり話を聞くときは、眼の前で、奈良の大仏のように寝そべって、

「この体勢ならいくらでも聞くわよ~ん。Come on! カモ~ン!」と心の中で思い、手でジェスチャーする。

「何でも言ってよ~。」状態を作ります。

心の準備が出来てない時は、座っている身体がユラユラしてきて、

ヒロクニさんの顔のある反対方向のカレンダーを見つめてしまう。

カレンダーを眺めていると、何故か心が落ち着くのでした。

それでも、話続けるヒロクニさん。

話の用語が難しく、「バカにでもわかるように説明して!!」と、言うこともある。

(話の内容が分かるときは、聞いています。)

おしゃれという特徴は、定評がある。

服とかも貰いものが多く、たまにしか買わないのですが、小物をうまく使う。

冬は、マフラーの多いこと。いろんな色を持っていて服装にあわせてしています。

帽子は、外出の時には必ず被る。

(家では、股引姿で、穴の空いた綿のシャツが定番になりますが・・・。)

そして、もう1つの「感覚タイプ」の最大の特徴があります。

あと、自由を重んじる性向。

これも、先ほどの不登校のことで実証済み。

究極のマイペース。

私は、違うと思うのですが、私も話が分かりにくいことがあるらしく、

ちょっとだけ感覚タイプみたいな要素があるらしい。

自分を知るというのは、難しいようで、人のことの方がよくわかるというのも皮肉なことです。

私が知っている自分のことをあげるとしたら、

強情であること。

好き嫌いがはっきりしていること。

面白いと感じたことに関しては、しつこく探究する。

時々、悪趣味な冗談を連発すること。悪いかも?と思ってもしつこく、言うこと。

(過去に「鼻くそ食べたことがありますか?という質問をやたらしていたことがあります。

 ヒロクニさんから、「いいかげんにしなさい!」と言われたことあり)

まじめ。

時々、興奮しやすい。

自分の特徴を思いつくのはこれくらいでしょうか?

あなたは、ヒロクニさんタイプ?

あなたは、私に似ているタイプ?

しかし、自分のことは、分かりにくいものですね。

 

庭のビオラ達を紹介します。

咲き始めです。

↑地植えしたもの。これは、昨年植えた「食べれるスミレ」の種を採取して育てたもの。

小さいですが、花を付けています。

↑こちらは、濃い赤茶色と黄色の花のビオラの種を採取し、育てたもの。

2種類のビオラに分かれてしまいました。

↑後ろのビオラをアップで撮ったもの。

元の花は、紫色はまったくしていなくて、濃い赤色の花が元の花なのですが、

紫色が出てきています。

花屋さんに教えてもらったのですが、掛け合わせて作った花は、

最所は、その両親の遺伝子が出てきて、その次は、祖父母の遺伝子が出てくるそうで、

掛け合わせたものが順番に出てくるのだそう。

先祖帰りをしていくそうです。

このビオラの元は、フリルが入ったパンジーのようなビオラで、赤を主体に色身が混ざったものだった。

次に黄色と茶色のビオラと赤茶と黄色のビオラに分かれたのです。

私は、黄色と茶色が少しかかる花色のビオラが、クラッシックで好きになっていたのですが、

今年は、紫色を多く見ることになりそうです。

あのクラッシックな古典的な雰囲気が好きで、モノねだりしていたので、ちょっとがっかりしています。

それでも、このビオラの種を採取して、次の祖祖父母の代のビオラを見てみようかな?と思っている。

しかし、残念。無念。

↑こちらは、白色に紫の縁があったビオラの種から。

紫色の部分が多く出て、やはり元の花と違う。

↑こちらは、部屋に入れて楽しむムスカリ。

やっはり、花が咲くのは3月頃になるかな?と思い眺めています。

春が待ちどうしい。

 

そんな冬の日の我家の夕食。

↑具沢山のみそ汁。

大根とにんじんを茹でたものを豚肉で巻いたもの。

棒だらの甘辛煮の身をほぐした押し寿司。

かつおのたたき。それに、たまねぎのスライスとねぎの野菜を添えて。

あと、つけもの。(蓋付きの入れ物に入っています。)

↑この押し寿司は、ご飯の間に昆布の佃煮が挟んであって、

上に棒だらのほぐし身とでんぶ、錦糸卵、さやいんげんの塩茹でを刻んだもので作ってあります。

押し寿司の道具を買ったので、挑戦しています。

具材さえ揃えば、おにぎりより簡単みたい。

一気にできあがるところが気に入っています。

味は、普通でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ドローイング・作品紹介584 と コロナについて考える

2021-01-15 13:51:33 | Weblog

この絵は、アトリエでどの絵にしようかな?と、絵の山を見ていたら、

ヒロクニさんから「この絵にしなさい。」と言われた作品です。

ドローイングのような感じもする。

街に人がいる。

人はかなり抽象的になっている模様。

2021と書き込まれているから、新作になります。

 

昨年は、コロナの影響で街に出かけることが皆無に近い状態で過ごしました。

元々、家にいるのが仕事のようなところがあるので、慣れているけれど、

街に出ると、散歩なので、自然とよく歩くヒロクニさんなのですが、

それがないので運動不足を心配します。

神戸の街に出ると、あそこへ行こう、それからこっちへ行ってと、

街並みを楽しみ、視覚的な楽しみに浸る。

この視覚的な楽しみが、ヒロクニさんの絵画の養分である。

だから、地図みたいに思える色鉛筆作品があるのも、独特な街の思索の賜物なのです。

街をスケッチしたりしないが、街角などを自分の思索で再構成していると云ってもいいかもしれない。

 

そんな散歩の量がここ1年、コロナで減ったでしょうか?

私より、ヒロクニさんは、コロナウイルスを恐れています。

その癖、マスクは忘れるし、手洗いだって注意しないと全くしない。

正しく恐れていない典型な方。

まあ、もう少しの辛抱であると思って過ごしていますが、

コロナ騒ぎの背景にある悪意ある報道にも、人々は気がつかないといけないのではないかと思う。

報道の矛盾に気がつくことなく、流されて一緒に同調して、悪い流れにのっている人って、

自分では気がつかず、世の中を悪い方へ導いているのではないかと。

そういう人達の大半は、善良な人でもあるので、何だかやりきれない。

例えば、例を上げると、

『「GO TO トラベル」のせいで、感染が拡大した。』という報道の流れがあって、

「GO TO トラベル」を中止しましたが、中止した後も増え続けているのは何故?とか、

疑問に思いませんか?

一方で、11月から外国からの渡航者の隔離やPCR検査をやめて、入国を緩和していたことは、

報道されないのは何故?と思うのです。

「GO TO トラベル」は、5月頃から?7月頃から始まっていたし、その間に増えていないし、

増えてきたのは11月なんです。

因果関係は、渡航者の入国の緩和にあるのではないか?と、私は考えているわけです。

何故、日本人の行動を規制して、外国人には緩和なのかがよく分かりません。

また、「GO TO トラベル」が中止になったことで、旅館やホテルが利用するさまざまなサービスに付随する

物や人の収入がなくなって、また打撃を受ける人々がいるのも問題だ。

どの国も経済を回しながら、いかに感染を防ぐか?という事に苦労している。

外国のコロナの死亡率を見てみたら、凄い数。万単位ですから。

一番コロナ対策が良策をとったのは、台湾でした。

やはり、中国の危険性をヒシヒシと身近に感じている国は、危機感が違う。

 

日本で報道されない方のニュースを見ると、

中国では、今現在コロナがまた蔓延していて行動規制をしています。

中国では、マンションのような住居を封鎖して、閉じ込めたり、移動も規制している。

中国の外務省発表では、二桁の人数しか発表されていないそうで、

常に嘘が多い中国の発表を信じて、対応している外務省ってなんなのですか?と。

ただの無能としか思えない。

情報は、自分から取りにいく時代です。

最近、「自分の身は、自分で守れ!」

そんな事を思います。

コロナの事を深く考えるという事は、すなわち、情報について考えるいい機会ではないでしょうか?

アメリカの様子も情報を見に行くと、

トランプ陣営&アメリカ軍人VSバイデン陣営&中国共産党になっているようで、

凄い状態で、凄まじい。

こういう言い方はあれですが、アメリカのバイデン側の不正選挙は、

さすが中国共産党byプロデュースだけはあるなぁ~と感心しています。

工作がとても雑で、報道されなければ何でもアリな状態。

今、トランプ大統領やその系列の人々のツイッターを凍結させていて、

日本の保守系のある人達も凍結されているみたい。

さすが、中共プロデュース。言論弾圧も露骨。

ツイッターの株が、暴落しているのも興味深い。

ピピちゃん(猫)の行っている獣医さんが患者がいなくて、私と看護婦さんと3人だった。

その時に話していると、同じ意見なのが分かった。

その獣医さんは、「こういう話をすると、頭おかしいと思われるんです。

だから、普段は絶対こういう話はしません。」と、断言しておられた。

他にも同じことを言われた方がいたので、印象に残っている。

ヤクルトの配達にこられている若い方も、同じ意見で、「こういう話は、あまりしません。」と言われていた。

ご近所の奥様で、ご子息からレクチャーを受けている方も「そうなんですってね。怖いわよねー。」と言い、

口に指をあてて、シーなんだけどねというしぐさを。

表立って言わないけれど、内心知っているという人は意外と多いのかもしれない。

私は、あまり賢くないようで、こうやって書いてしまうのであった。

こういうことを書くと、怒る方や、過激とか言われて、読者が減るのです。

しかし、「もう、良いや。」

やはり、良き方向へ、少しでも物事が流れていくように!という思いから、

開き直ることにした。

ヒロクニさんは、絵に忙しいし、情報面で劣っていても、私がカバーできる。

身を守る注意を私から受けることが出来ます。

(私が間違っていなければの場合)

今やっと、外国人の緩和をやめましたが、中国の春節(2月7日~2月11日)の頃、

中国人が海外へ大幅に移動をする頃に、緊急事態を解いて、入国させそうな予感がしています。

入国禁止の意味がなくなる感じが予想出来て、真に嫌な感じがします。

また、街への散歩が遠のく日々が長くなりそう。

早く、日常が戻って欲しいと思います。

(予想が外れると嬉しいのですが・・・・・・)

皆それぞれ本分がありますので、その活動が精一杯出来て、

実りあるものになる為にも、よき世の中であって欲しいものです。

 

 

冬の庭は、緑ばかり。

その緑も少ない。

↑今、全体はこんな感じ。

あるだけの鉢にビオラを植えています。

それでも、余っているビオラの苗。

↑こちらは、絹さや。

プランターに植えているもの。

プランターなので、日差しが一番当たる所に持ってきています。

畑で植えられているものと比べると、茎が弱々しい。

やはり、土の量がものをいうのでしょうか?

それとも、もっと赤玉土を多くして水はけが良い土の方がいいのかもしれない。

今から思っても遅いので、それは次の時に。

 

↑我家ではみかんが成っています。

とてもすっぱいので、そのままでは食べれなくて、砂糖に漬けて食べます。

皮は、農薬とかがかかっていないので、剥いたものを刻んで、

ブランデーやラム酒に漬けておいて、パウンドケーキに入れたりします。

たぶん、「はっさく」だと思う。

とにかく、店頭のものと違って、すっぱい。

↑高枝ハサミを使って、収穫しました。

まだまだ残っています。

近所の方で、近所で成っているはっさくから「オランジェット」を作る方がおられて、

頂いたことがありますが、作る過程の手間を聞いて気が遠くなりそうでした。

苦味を減らす為に、何度も煮て、湯でこぼしてをくり返し、

それからオーブンで水分を飛ばしてから、湯銭をしたチョコレートをかけるそうで、

チョコレートの湯銭も大変そうで、貰うのが一番と思いました。

チョコレートの湯銭したものを、ケーキのデコレーションのために使ったことがありますが、

チョコレートの温度が下がったら、すぐ固まるので、

うまくスポンジに塗れなくて、ケーキの上でチョコレートがトグロを巻いてしまって、

厚くなったところは、フォークが刺さらなくて、押すとケーキが潰れるという悲惨な

デコレーションケーキが出来上がったことがあります。

デコレーションケーキって、難しいようで、「デコレーションケーキ失敗」で検索すると、

なんかわかるわ~という失敗例がたくさんあります。

思いっきり、笑えるケーキもあったりして、身をよじって笑うこと数十分。

デコレーションって難しいのです。

イチゴのデコレーションケーキを作ったことがありますが、ドイツのケーキみたいと言われたことがあります。

フランス風のケーキだったのですが・・・・。

あまり成功したことがありません。

 

↑ストーブの前でくつろくピピちゃん。

1人で台所のストーブによくあたっています。

最近、毛が黒っぽくなったような?

むっちりと太ったようで、抱くと身体が重くなった。

よく鳴いて、要求の多い甘えんぼのピピです。

「ハイ、ハイ、次はなんですか~。」とか、

「ちょっと私をゆっくりさせてくれないか?」と言ったりして、

ピピもヒロクニさんも同列に並んでいます。

 

 

 

 

 

 

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ドローイング・作品紹介583 と 庭の木達

2021-01-09 08:47:54 | Weblog

年末から正月にかけて、台所に貼られていた絵。

これは、ドローイングになります。

サイズは、いつもより大きめの絵で、A2の紙に描かれている。

走り描きというか、気持ちの動くままに線とか、形を描いていったものになります。

下書きというものをして、写すことのないヒロクニ流は、

こういう運動のような絵を描いて、描いて、気になるところはまた個別にたくさん描いて、

形が決まってきたら、色鉛筆の絵に登場します。

こういうドローイングの類は、未分化なのですが、見ていると気持ちがいいことが多い。

アトリエの紙の山は、こういうものが積みあがっていて、

時々、覗きます。

こういう山が三箇所ぐらいあり、見ていると頭がガチャガチャと音を立てるような感じで、気持ちが忙しい。

激しいのやら、頭がこんぐらがるものや、ユニークなものや、何考えているの?と思うものや、

可愛いと思うもの、この感じが好きと思うもの、これいかん感じーがするわと、

あらゆる感情が沸き起こります。

今回、取り上げた絵は、ちょっと由緒正しい感じで安心して見れるような。

形が、太陽、人、街に思えるので、何となく安心なのです。

 

急に、寒さが強さを増し、冬という感じがしてきました。

ピピちゃんも布団の上で丸くなって、熟睡して動かなくなるので冬が強調されます。

ヒロクニさんは、毎年のことだが、冬になると機嫌が悪い。

しかし、今年は熊さんにはならず、制作に忙しいらしく机の前に座っていることが多い。

ヒロクニさんは、「絵が動くから・・・。」と言っていて、

そういう時は、机に向かって手を動かしていないといけないみたい。

あまりにも疲れたら、仮眠といって寝る。

寝ている時は、私は平和である。

まあ、お歳のせいもあって、人使いが前より荒いから、ホッと一息タイムというところでしょうか。

冷蔵庫の中身をよく聞かれるというのも、増えた。

どういう分けか、入っているものを見つけられないらしい。

そうは言っても、私も冷蔵庫の前で、「何を探しに来たのだったけ?」が増え、怖く感じることがあります。

こういう事って以前は無かったような・・・・。

今年の夏は、冷蔵庫が壊れ、何だか冷えてないような・・・。と思ったことがありました。

このことも「あれ?何だっけ?」と云うノリで、

いや、気のせいよね。と言いきかせていた矢先に、牛乳を飲んだらエグイ味がして、

冷蔵庫は壊れているわけ????と。

(牛乳の腐った味って、吐き気がします。)

電器屋さんに電話して、修理を頼むことにした。

その間、スーパーに行って氷を4袋分ぐらい持って帰って、その氷に塩をして

冷蔵庫の中の上部にのせ、何とかしのぎました。

修理だったら、5000円位で納まると思っていたが、冷蔵庫は15年使っていたらしく、

いきなり買い換えないといけなくなった。

そんな時、「この絵とあの絵はありますか?」とお尋ねのメールが来たのです。

何と、作品を欲しいと言う返事が来て、いいのですか?という気持ちと共に、

タイミングがあまりにも冷蔵庫の買い換える時と一致していて、きつねに包まれたような気持ちになった。

冷蔵庫が壊れただけで、絶望に近いというか、身をよじるような苦しみを感じる我家だ。

この申し出の方は、神戸にある創業25年老舗の味、懐石風創作料理のお店「わ田る」のご主人なのです。

何だか、創作の和食と赤い眼鏡が印象的な主人と冷蔵庫が今でもピッタッと合わさってしまって、

冷蔵庫を見ると思い出すのです。

ご主人の言う「私は、男性ファーストなんです。」という言葉も印象的だった。

私は、「女ガーとかしましく、男女平等ガー。」と言いつつ、

女性を男性より優遇しろという平等を履き違えているフェミニズムの人達が嫌いなので、

「男性ファーストっていいよね。」と新鮮な気持ちになったのでした。

男性はやっぱり女性より精神性の部分で、秀でていることが多い。

女性は、やっぱり現実的な思考の部分で秀でていると思う。

全般的にの話だけど。(例外もある)

そして、男尊女卑的なところがあるヒロクニさんは、

女、即ち妻の書いているブログの文章には興味がなく、私は好き勝手に書いています。

これって、いい関係で快適なのです。

そのご主人も精神についてをヒロクニさんに語ることもあって、

「わ田る」のお料理は、主婦の料理とは全く違う世界のお料理なのです。

次元の違う方に、バーモンドカレーのルーの話をしてしまって、

後からしまった!と思ったことがありました。

友人を誘って、食事を楽しんだことがありますが、

私は、「へー。」「ホー。」と感嘆しきりで、

小鉢で出てきた料理は、「もっと食べたい。」と思い、

今でも小鉢で出てきたお料理が「また、食べたい。」と思い続けています。

気安いお袋の味と違う、別のお料理なのです。

私は、男性って素晴らしいなぁ~と、思う。

そして、違いを発見するのは、とても楽しい。

私は、男性がいい意味で、光って欲しいと思う女なのです。

男女平等よりは、「男女は、協力しあうもの。」という方がいい。

ヒロクニさんをブログでこき下ろす時もありますが、

心のどこかで、しょうがない人だけど、男性の良さがあるからな・・と許します。

「わ田る」の店内で、ヒロクニ画伯の絵がかけられていることがあるのは、

そんな背景があります。

お店のご主人も、ピリリとした感じがする風貌のいい方であります。

 

「わ田る」に、ご興味のある方の為に、住所を置いておきます。

 〒650-0001 兵庫県神戸市中央区加納町4丁目7−26 藤嶋ビル1F にあります。

ちょっと背筋が伸びる感じのお店。それに美味。

 

 

我家の庭も冬に入り、花の少ない季節になりました。

ビオラも朝見ると、凍っていたりして霜が降りています。

↑我家の庭の奥では、ひっそりと万両の木が大きくなってきていて、

赤い実をつけました。

千両という木もありますが、私は万両の木の方が好きなのです。

葉が覆いかぶさるようになっている姿が愛らしく感じるし、

赤い実もローズ系なところもいいようなのです。

たぶん、鳥が木の実を銜えて落としていったものなんだろうけど、

自然に生えてきた所に愛着を感じています。

玄関の南天のところへは、「へこき草」の実を落としてくれていて、

南天にからまっている「へこき草」を取り除いていると、

本当に臭い匂いが充満して、こちらは迷惑などと思っています。

 

↑こちらは、クコの実が成っています。

↑大きく成長しているようで、枝がたくさん垂れ下がっています。

実をちぎって食べてみたら、少しの酸味、甘み?と苦い味がしました。

苦さが口に残って、食べるのは無理と判断。

クコの実の乾燥させたものが売っていますが、美味しいのでしょうか?

杏仁豆腐などに入っていると思うのですが、どんな味だったか思い出せません。

奥に大木になっているように見える木がありますが、夾竹桃と金木犀、クコの木が絡み合っていて、

3種の木の幹が合わさっています。

どの木も植木屋さんの手に負えなくなっていて、

毎年背が伸び続けています。

もう、植木屋さんが、大きな梯子を使っても枝がきれなくて、

途中の幹の部分からばっさりといかないとだめな状態なんです。

こちらに住まれていた奥様が、木がどんどん大きくなるのが好きな方で、

木の先を止めなっかたようで、その名残で私達もそのままにしてしまっています。

代々、こちらの植木の剪定をしている植木屋さんから、その事を教えてもらいました。

時々、住まれていた方の思いを感じるこの家が、とても好き。

どんどん大きくなあれ!と、先住の方の思いに共感しています。

どんどん大きくなあれ!

なんかいい!とてもいい!そんな事を思った冬。

 

 

 

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風が吹く(色鉛筆作品紹介582)と おせちを食べながら

2021-01-02 21:16:41 | Weblog

あけましておめでとうございます。

皇紀2681年 令和3年

今年もよろしくお願いします。

この絵は、どっちの向きが正しいのでしょうか?

お正月らしい絵がいいと思い、この絵を選びました。

爽やかな風が吹いているようで、新しい気風を運んでくれるような作品を選びました。

ところが、この絵。

どちら向きなのかわからない作品なのです。

パッと見、上の状態を疑問なく思っていましたが、

あれ?こっち向きにも見えなくもない。と、後から思うと、そのように思えてきて、

ヒロクニさんに「どっち向きの作品なの?」と聞くと、

「どっちでもいいんだよ。」

「好きな方に向けたらいい。」と、返答が。

だから、選べない両方を紹介しました。

ヒロクニさんの絵は、どちらかというと“爽やか”より、混沌が多いので、

私はこの絵に目をつけていました。

さっと絵を私が保管して置けば良かったのですが、アトリエにあったので、

ヒロクニさんの周りにある紙の山を探すことになって、ガサガサ、ゴソゴソと夜探しのような感じで、

ここにもない、あそこにもない、棚の上か?こんな調子でしたので、

「もう、いいのじゃないか!」と語気を荒げて言われたりしたが、

執念深く探したので、あったのでした。

正月から急に寒さが強まったので、機嫌が悪く、毎年のことなのですが、

「冬になると寒さを呪っている」ヒロクニさんなのです。

その話を聞くと、「冬、寒いのは私のせいじゃない。」と、釘を刺しておきます。

 

話が、それないうちに、戻しておこう。

風が吹くような絵を選んだ理由に、

「今年からは、新しい風が吹く」そうで、このことを書きたかったのでした。

↑元旦の日から、私は、おせちを食べながら、「唯識」を読む。

昨年から気になり始めたインド哲学の「唯識」というものにはまっている。

「薬師寺」で講演された文章を見つけたので、それを自分で冊子にして、年末まとめていました。

これを、おせち料理を食べながら読んでいました。

この冊子を見ると、ヒロクニさんは、

「朝起きたところから、唯識は始まっているからね。」と、問答のように言う。

私は、「これは、一本とられましたな。」と、相槌を打つ。

本当に、朝起きた瞬間から認識がはじまり、意識活動ははじまると云えるのです。

うまく言う。

さすがに、禅宗の寺に壁画を描いたことがある人は違う。

こういう会話ばかりだと、尊敬も出来るし、いい男と結婚したかしら?と思うのですが、

急落するときがあり、人間のクズみたいになるので困ります。

古い言葉で言えば、無頼派な人間になれる要素でもあるので、野卑で好いと云う感じでもある。

芸術家によっては、魅力の1つとして強力なものではあるが、

生前はあまり尊敬されないのが特徴か?

無頼で有名な画家を上げるとしたら、長谷川利行を取り上げます。

私は、ヒロクニさんは、年齢的に無頼をするのは、もう無理と横目で見て言る。

無頼は、しんどいからね。

 

また、話が横道へ行きそうなので、戻します。

まあ、それでも、正月としては、いい始まり。

そんなことを思っていました。

この冊子の中に、地水火風というものが出てくるのですが、

当時の哲学的意味では、

地‥硬い性質

水‥湿り気のある気質

火‥熱や暖かさ

風‥動く性質

だそうで、物質の土や水をあらわすわけではなく、例えをあげると

人間の身体の要素は、地水火風で出来上がっているということだそう。

肉体の中にある硬いもの、湿り気、体温、人は動くということで、

万物の基本的な要素を満たしているというわけです。

2021年から「風が吹く」すなわち、物事が流れるように動く時代になるらしい。

動くということは、旧態依然としたものは流れ去り、違うものが入りこんでくるという風に捉えます。

今世の中を見渡すと、形骸化して、なんの意味もない物も目につく。

そんなものが淘汰されていく時代かもしれないと思っている。

こんな風な時代の中、きっちりとした意志を持つことも大切じゃないかと思いました。

「意志を持って動く。」

どこまでが、自分の意志で、どこまでが周りからの影響なのか?

けっこう突き詰めて考えると、私の意志は、周りからの影響が多く、

置かれている環境、即ち外の世界に対応していった結果の意志ではないかと思う。

哲学的になっているので、まわりくどい言い方になってしまっていて、すいません。

 

私は、こういう風に「新年の抱負」を自分の中から持つという事を思ったのは、初めてで、

人がそうだからとか、人から聞かれた時にとりあえず答えれるようにでもなく、

何となくというものではなく、湧き上がるように思ったのは初めてのことでした。

強く、1つ意欲というか、意志、思いを持つことにした2021年の始まりです。

(内容は恥ずかしいので、秘密ですけど・・・)

強い意志を持って、心に思いを沁みこませてみようと思った新年です。

ここで、「心に思いを沁みこませて」と書きましたが、

この「心」を分析しているのが、唯識というものなのです。

「心」と一言でいうが、心とは何なのでしょう?

「唯識」を読み、そんな見識も深めながら、チョイと頑張ってみようと思った正月でした。

西洋哲学では、カント。もっと遡れば、アリストテレスが近いそうですね。

(どっちも、読んだことないけど・・・・)

 

そのおせちは、こちら。

黒豆、筑前煮、伊達巻、鯖の押し寿司、ほうれん草の胡麻和え、チーズ、オードブル、きゅうりの糠漬け。

黒豆は、圧力鍋で煮ました。わりと短時間で出来るので拍子抜けしました。

初めて作った伊達巻と鯖の押し寿司。

伊達巻は、四角い入れ物がなかったので、アルミホイルと、クッキングシートで容器を作ってみました。

↑こんな感じに。これをオーブンで焼きました。

↑こちらが焼き上がり

↑すのこで巻きました。

これで、出来上がりです。

こうやって、伊達巻に挑戦しましたが、伊達巻ってそんなに好きなものではなかったのが残念。

ヒロクニさんも1切れ食べただけで、食べようとしない。

写真などを見て、作りたくなる料理なんですけどねぇ~。

↑鯖の押し寿司は、この専用の容器さえあれば、簡単です。

鶏そぼろと錦糸卵とさやいんげんをのせて作ってもいいかも?と思いました。

缶詰の魚のフレークを絞って、アレンジしたものを使うのもあり?

 

↑そんな、おせちを作っている私の横で、おねだりで鳴くピー。

おじゃこを上げると、牙を出して、黒目が全開になっています。

黒目が全開なので、また目のある所がわかりません。

顔・・、必死すぎて、怖いわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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