武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

望郷(作品紹介48)

2010-10-29 10:37:52 | Weblog

2010年10月作の作品
ボールペン、色鉛筆の作品
映画の望郷を思い出してしまった。

映画「望郷」は、ヒロクニさんに誘われて何度みたか?5回。
「望郷が見たくなった。」と言われて5回目には、「えっ、また望郷。」「いったい何度目?」と大きな声で返答した。何故か、必ず一緒に観なくてはならない暗黙の了解がヒロクニさんにはあって、一緒に観る。映画が始ると内心「あ~あ、またか。しょうがない。」と思うのであるが、途中から画面のカスバ(フランスの植民地)の街の不思議な異国情緒漂う街のありかたに目を奪われ、犯罪の温床になっている様子が映し出されると、映画の魔法に掛かったようになり、人々の片言のセリフ、暗号のようなやり取りを観ているとすっかり真剣に観てしまうのだ。
主役のジャン・ギャバンも粋な犯罪者(ぺぺ・ル・モコ)で、わたしは、すっかりギャバンの味方。刑事のスリマンは、正反対でニヤニヤ笑いながら登場するのだが、その姿の中に刑事魂と辛辣な人間観察能力があり、温情と冷淡さをあわせ持つ複雑な人物だ。2人は、睨みあいを続けていたが、カスバに現れた美しいパリジェンヌ「ギャッビー」にぺぺ・ル・モコが恋をして、パリへの望郷が芽生えたぺぺは、カスバを後に密航を企てるが・・・・失敗に終わり逮捕された波止場でナイフで自分の腹を裂き自害してしまう。その恋人は、ぺぺが同じ船に乗り込んでいたことも何も知らないのである。さすが、何度も観たせいか、あらすじもすっかり覚えてしまっている。

いつもの事なのだけれど、ヒロクニさんは最後のシーンで泣き崩れる。毎回。
そして必ず「そうなんだよね。」「そうなんだよ。」と言って、泣く。ヒロクニさんは、本当に映画を見てよく泣きます。
わたしは5回目に初めて、カスバでのぺぺの情婦のイネスが、ぺぺを失うまいと刑事スリマンに密告した時に、スリマン刑事は「あわれな女だ。」と言い放ち、イネスを見る。その時の表情が忘れられない。哀れと怒りが同居している表情だ。哀れがぴったりと貼りついたイネスの姿。
この部分だけが、わたしにはオーバーラップして胸に詰まった。愛する男と永遠の別れを前に選んだ、選んでしまった密告の行為。
誰だって、イネスになる可能性はあると思いません。明日はわが身と思ったら怖いよ。
わたしだって女だ。目の前のことが大事という女の性を持っている。
武士は、喰わねど高楊枝の方が我慢しやすい。やせ我慢よ。

この作品、ヒロクニ版「望郷」最後のシーンとしては、いかがなものだろう?
ギャッビーが6人もいるのが難点だが・・・・・。
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武内ヒロクニと金十丸

2010-10-24 21:07:22 | Weblog
金十丸、奄美の英雄伝説―戦火をくぐった疎開船の数奇な運命
前橋 松造
南方新社


ヒロクニさんは、この本を最近読むと子供の頃の記憶がはっきりしてきているらしく、「そうだったのかぁ」と事実と自分の記憶をたどりながら人生のあるページを認識している。人は認識を確信する追体験として人に話したいらしく、わたしは、夜お話しを聞いている。
第二次世界大戦の終わり、ヒロクニさんは、この金十丸に乗ったのだった。徳之島生まれだが、この船に乗って集団疎開した時は、硫黄島で教師をしていた両親と共に疎開したと言う。十島村と呼ばれる十個の島々を行き来するのは、十島丸だそうで、三島丸と思い違いをしていたらしい。疎開した次の船は海の藻屑と消え、その記憶を振り返ると「生き残った」と言う言葉しか出てこないそうだ。

ヒロクニさんが、この本で分かった事は、この金十丸は、300t程の大きさで、船体に工夫がされ船体が沈む深さが浅く速度が出る船だった。十島丸は、55t程の船だったというから、かなり大きな船だったらしい。しかし、船だけで助かったわけではなく、船長の前田氏は、豪傑だったらしく、魚雷を避ける船の運航の腕がかなりの力量だったらしく、ジグザグと進んだかと思えば、岩影にひそかに船を寄せ、人々の命を守ったと言う事です。終戦を迎えると共に、アメリカからあの船を運転していたのは誰だ?ということになり、その船長に賛美をアメリカ人が贈ったそうです。
ヒロクニさんは、飛行機からのアメリカ兵の狙撃でも助かった話や、金十丸に乗ったことで無事疎開出来、ガンの余命宣告を受けたにも限らず尿療法で命拾いし、今元気で生きている。(本当は病院に行かないので、分からないのだが・・・)
なんか、この世には法則ってあるのかしら?と思うのでした。
この本は今ヒロクニさんが読んでいるので読めないが、読むつもり。
戦争って嫌だね。

 
生き残っているヒロクニさんです。
家の庭にて 2010年秋
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武内ヒロクニ語録2

2010-10-19 12:02:13 | Weblog

ワインと料理を食べながら、アレコレお喋り

生きることにも、心せき感ずることも急がるる」。と朝食が終わるやいなヒロクニさんは、立ち上がった。
「ちょっと待って、それなに?」と言って、わたしは、紙と鉛筆を持ってきて、ヒロクニさんに書いてもらった。最後の所にプーシキン、「オネーギン」と書いてあった。

アトリエへ行く(たいした移動距離ではありませんが・・・)行きながら、「玉磨かざれば、光なし」って言ってね」と、わたしの前を通り過ぎて行った。

「寺では、盾の両面を見よ。って言ってね。禅寺では大分勉強したんだよ」。(夜の台所)

わたしは「禍福は糾える縄の如し」だ。年配のお医者様から、お金が無くて、涙が出そうなときこの言葉を言われた。「幸福や不幸と思っていることは、縄のように絡み合って、人は今見えている縄のことを騒ぎ立てる。君も大人になりなさい」と。言われた時は、はっきり意味が解らなかったが、最近、解ってきたような・・・・。その先生には、診療代をツケにして貰ったコトを思いだす。そして、先生はわたしの200円程しか入っていない 財布を見せると、「ワシは、そんな額耐えられない。」と言って、自分の財布を取り出し、一万円札を10枚目の前でゆっくり数えて、「これくらい入ってないと、ワシは安心できないな!」とお金を財布にしまったのです。数えてる途中ジーと見てたので、貸してくれるのかな?と勘違いしてしまったわたしは、財布が閉められた瞬間を何故か忘れられないのです。衝撃の一瞬て言う感じ。そして、この先生には、よく叱られた。だけど、優しい先生だったなぁと思う。
ヒロクニさんも診てもらったことがあり、「制作は大変でね、肩から血尿がでたのでは?」と大げさに言う質問に、先生は「ツルハシ持って肉体労働してるのと違うやろ。」と言われて、「そうです・・・・」とヒロクニさんも黙らせた。なかなかの人物でした。




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我が家の引越し(重労働編)

2010-10-15 20:11:08 | Weblog

引越し屋さんに頼んでの引越しは、したことありません。
荷押し車の荷物を前に笑っているヒロクニさん。

震災後、明石に在ったヒロクニさんの家から、引越しをした。
その時は、ギャラリー島田のスタッフだった、Tさんの乗用車一台に乗るものだけ持って。
実家の団地に居候させて貰っていた。そこを出て借家を借りた。
明石にある冷蔵庫や、必要なものをわたしの弟にトラックを借りてもらい運んだ。
団地にある荷物も少量運んでもらった。
それから、家計の状態が悪くなり、家賃を滞納した。同じ広さで3万円家賃の安い物件を見つけて引っ越すことにした。
敷金の高い家だったので、借金にならない内に出て、清算しなければ危ない状態だった。
借りていた家と移り住もうと思った家賃の安い家の距離は、徒歩5分くらい。
大きな荷物は、弟にまたもやトラックで来てもらい運び、その他の荷物はヒロクニさんと2人で荷押し車と自転車で運んだのです。


トホホホと苦笑いのヒロクニさん。

そう、笑っている場合ではなかったのだ。季節は真夏。
その中を、行ったり来たり。その上、折りたたみのきかない大きい木のちゃぶ台が残っていたりして大変だった。そのちゃぶ台は縦にして荷車に乗せ、1人が押しながら、もう1人が片方から倒れないように手で持っていた。近所のブラブラしているおじいちゃんが、私達を奇異に見ているのが分かったが、暑いのと必死だったのが先立ち実行するのみの心境だったせいか、その時は、恥ずかしいという感情は無かった。
荷車と自転車で運ぶ荷物ので、多量に荷物をのせられないので、本気で『リヤカー、どっかで借りられないかしら?』と思いながら荷物を運んでいたのです。ヒロクニさんもわたしもお互い疲れてきて、運びながら喧嘩と厭味の言い合いをしながら荷物を運んだ。「もっと、積まんか!」「頭はどこについてるんや?」「考えんか!」これは、わたしのセリフだ。(怖い・・・)「これを持てというてるやろ!」とヒロクニさんは、わたしに荷物を持たせる。わたしは、重たい荷物をぶるぶると腕を震わせながら持っているうちに、何でこんな思いをしなくちゃいけないのだと思い「わたしの人生どうしてくれる!!わたしの人生を返せ!!」と言った。ヒロクニさんは黙っていた。運ぶのはヒロクニさんの荷物ばかり。怒っていた。
今、時間が経って今思うことの1つは、お互い火事場の馬鹿力を出していたコト。
「わたしの人生はなんなのだ!!」と言った言葉は天にも届いていたのか?
最近、神様はわたしの人生に意味があることを教えてくれています。


リヤカーを借りることが出来なくて良かったと思っています。
だって、そのリヤカーを引くのはわたしに決まっているし、そこまで恥ずかしいことをしなくて良かった。
昼間の出来事ですが、これって夜逃げなのかしら?
9年前の出来事です。
引っ越した今の家は気にいっていて、ご縁が続くまで住みたい家です。
キタハマちゃん(猫)とジルも楽しそうに過ごしています。



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みんな仲良し

2010-10-11 16:45:53 | Weblog

左が我が家のみそっかすジル。
右は、半分のら猫のクッチャン。この猫ちゃんは、斜向かいの老婦人が飼っている猫なのだが、骨折で3月に入院されて、ペットシッターを3ヵ月ひきうけた猫ちゃんなのだが、家に帰ってこれるのかさっぱり分からないので、とりあえず「のら猫」に戻ってもらった。この猫ちゃんは、のら猫→飼い猫→ペットシッター付き飼い猫→のら猫、次のポジションが宙に浮いていて、人恋しいのか、我が家のジルと仲が良くなり「家の子」になりたいらしく、窓を必死でたたいて「入れてくれ!」と嘆願の様子。飼い猫のくせにジルは、何故か夜は外で寝るので、2匹で仲良く寝ているみたい。
猫も一度人の温かさを知ると、忘れられないのかなぁと思う次第です。
ジルの仲良し精神と人恋しいクッチャンがぴったり合わさって、いつも一緒にいます。
最近、「仲良し」という言葉が好きです。
だから、ヒロクニさんにも「もしかして、私達は仲良し!?」と時々冗談を言います。言葉に出して言うと、いっそう仲良しの気分がなんとなく高まりなせんか?


金木犀の咲く頃に、我が家の庭に捨てられていたジル。
来た当初は、こんなに可愛く小さかった・・・・・。
大きくなって、写真写りは厳ついが、あかんたれのジルくんです。
ヒロクニさん曰く、「こいつは、うんこ垂れでたまらんかったね!」「毛並みが他の猫と違ってゴージャスだ」と言って可愛がっている。そして、「俺たちは、4人家族だからな!」と言う。何度も家庭を捨て、絵を選んだヒロクニさんがそんな事を言うのは、以外だと思うと同時に、ヒロクニさんも寂しい人なんだと思い、ちょっと切なくなる。
ヒロクニさん自身の中に、半分野良猫のような気持ちがどこかにあるのだろう。いつも人恋しい人であります。

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我が家の食卓・秋刀魚の塩焼き

2010-10-08 23:10:38 | Weblog

秋は、秋刀魚。
スーパーに並んでいる秋刀魚の目をジ~と見て、新鮮そうなのを買います。
この日の献立は、
にんじんの金平と秋刀魚の塩焼き。昨日の残りの手作り餃子。大豆の煮物。大根おろし。
ご飯があれば、これで十分と思っています。

ヒロクニさんは、秋刀魚の塩焼きにと大根おろしを添えてるのに、大根おろしを先に食べてしまった。
にんじんの金平は、我が家では登場率が高い。こんにゃくでボリュームを出して、少しの豚肉のうまみと醤油、みりん、砂糖少々と一味とうがらしを適量入れて作ります。
最近、ヒロクニさんはにんじんが好きになったそうで、にんじんの金平を食べるといつも「最高!!」といい、
朝は、必ずりんごとにんじんのフレッシュジュースを飲んでいます。(わたしが作るのですが・・・)
我が家は、ペットボトルのジュースは禁止。そういう物は、無駄使いという事になっています。必要と無駄を整理していって、節約してココゾ!という時にお金を使うことにしている。

実は、わたしは、白状すると、ヒロクニさんより耐久生活に強いのです。大学生の時の下宿で冷蔵庫、テレビ、ストーブなし(こたつ有り)、夏は骨董品の扇風機と過ごすという生活を1年間送ったことがあるのです。はっきり言って「年頃の女」とかけ離れた生活をしてしまったのです。若さがあれば、なんでも出来る!!我慢できると思いこんでいた。夏は、すぐカレーが腐るし、なんでも食べきらないともったいないし、女性用の下宿で窓はコンクリートでブロックされていて日は差さないし、夜は大きなナメクジが壁を這うのか、壁が朝起きたらピカピカと模様が出来ているのです。顔にナメクジが這う日があるのでは?と思って寝れない日もあった。テーブルもなくてダンボールの上にパネルを使っていた。みじめだとも全然思わなかったが、家にいるより、友人の快適な下宿か、大学か、遊びに行くかで、憧れの1人暮らしだったのに、なんだか違うわね?と思っていた。そうして、1年経ったので、冷蔵庫だけ親に買ってもらった。『なんと、有り難い!!』と冷蔵庫に感謝したのでした。創意工夫、創意工夫の毎日の下宿生活でしたが、今となっては、懐かしい。わたしは、バブルの頃にお仕事だったので、普通くらいの生活を送っていたのですが、ヒロクニさんと結婚してから、その頃の耐久生活の味がよみがえって来て、「まだいける!!」「まだいける!!」「えぃ!もう少しの辛抱じゃ!」「今は、気を抜いておいてゆら~ゆら~」「ここで、ストップ!」と家計の手綱をとるのです。
しかし、未だもって分からないのは、わたしゃ、何故ワザワザそんな生活を選んでしたのか?その動機が良く分からないのです。そんな経験があるせいか、ロビンソン・クルソーを読むと面白くてたまらないのです。

寒くなったら、アホみたいに石油ストーブを焚くヒロクニさんに合わせる生活は、堕落したような気持ちです。木造の家が温室なるのはもう間じか・・・・・。


猫の手は、役に立たないのよね。
ヒロクニさんも猫もわたしにとってはしょうがない愛すべき生き物。
ジルの手は、大きいでしょう。図体が大きい猫に生長した。
だけど、みんな仲良し精神で猫としての毅然とした態度がないジル君です。

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2011年のカレンダー

2010-10-06 12:47:39 | Weblog

わたしの部屋に飾られた油絵。(変な作品だなぁといつも見ている)

ヒロクニさんは、某社の2011年の小さなカレンダーの仕事を引き受けた。
今から、猛スピードで12枚の絵を描く態勢に入っている。
まず、毛布にくるまって寝ていた。次は、正座をして読書。なんか様子がいつもと違う。これは、すでに仕事態勢に入っているということ。
それが終わると、「サホリ、甘い卵焼き焼いてくれないか?」と手を合わせて、わたしの方を見て合掌している。
そう、時間は午前12:00過ぎ。結構疲れているのだが、「卵焼きを焼けばいいんだね」。と、砂糖で甘くした卵焼きを焼いた。途中、ヒロクニさんは、「いつものように、クルクル巻かなくていいよ。フライパンでぐちゃぐちゃになっているやつでかまわない。」と遠慮がちに気を使っている。普段は、午後11:30頃に、いきなり「うどんが食べたい。」と言うだけで、威圧的に言う。わたしは、ふとんの上でゴロゴロしていて、もう寝る態勢に入っていて、聞こえなかったことにして無言。すると、大きな声で「うどんを作ってくれ。」と言ってくるから、素直に「今は、嫌。寝たい。」というと沈黙が・・・・。

「ものには言い方がある」とは、よく言うが、ヒロクニさんは、卵焼きを焼いて欲しいことをうまくアピールしたのが良かった成果だと思う。なんとなく、12:00を過ぎていたのに、素直に聞いてあげたくなった。

今日も忙しかった。
壊れたガスファンヒーターを自転車にくくりつけ、(自転車の荷台にグルグル巻き)
大阪ガスまで持って行き、(持ち込むと1500円安くなるのだ)
洗濯、食事の準備、買い物、荷物の整理、
個展の搬出(1人で)
そうして、晩ご飯の仕度。
お風呂に入って、このブログを書いている。

わたしは、この仕事が完成するまで、ヒロクニさんをなるべくいい気分にして、いい仕事をしてもらいたいと思っています。
来年のカレンダー楽しみにしています。まだ、一枚も絵は、出来てないのだけれど・・・。

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雨の日の音楽(ロック編)

2010-10-03 17:03:27 | Weblog
最終日は秋晴れ。宝塚でのミニ個展が終わり、今日は、しとしと1日中、雨。
今日は、ヒロクニさんは結構いい雰囲気で、家のCDをあれこれかけている。
武内ヒロクニ音楽あれこれ編であります。

Fully Unleashed: Live Gigs
Rhino Handmade
Rhino Handmade

「オレは、こういうロックって好きなんよ」。
「金とか、そんなの入ってない奴らでね」。
「ローリング・ストーンズとかとは、全く違っていいでしょ」。
「こういう思いが好きなんだ」。
「ジャズや、クラッシクもいいけど、ロックの面白さってのは、こんなアルバムにあると思うね」。
と、話してくれた。
こういう思いとは、言葉にするのは難しく、「一見は発見にしかず」で聴いてみて下さい。わたしは、なるほどと思いました。
だけど、このCDアマゾンで10,878円のお値段なのです。

Getting Ready
The Right Stuff
The Right Stuff

これも、雨の日にあう。
わたしは、あまり音楽に詳しくないのですが、このCDがかかってると、いつも「どのジャケットのCDをかけているのか?」と見る。今日で5回目同じことを思っている。このアルバムは、わたしは好きなんだなとやっと認識した。ミーハーなわたしは、アルバムのジャケットを見る度に、カッコイイ感じでないので印象に残らなかったようです。このCDの音は、とてもカッコイイのです。


マーティン・スコセッシのブルース
Sony Music Direct
Sony Music Direct

この音楽は、4時頃かかっていた。このアルバムは夜にかかることが多い。
乾いた音で、哀愁をおびたメロディがいい。この音楽を聴きながら、コーンウィスキーなどを飲むのはいかかがなものだろうか?
コーンウィスキーとは、もちろんトウモロコシから出来たウィスキーで、とても飲みやすい。軽い味が魅力のバーボンです。埃っぽいアメリカ南部の街を思い浮かべて聴きます。いつも西部劇のシネマの街です。ヒロクニさんは、全くそんなことは、知らないだろうけど。

今から、どのCDが次々かけられるのだろうか?
何故か、ズーと台所にいるヒロクニさんです。いつもは、ズーとアトリエなのに・・・・。
CDは、台所にあります。




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