武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

現代の記号(色鉛筆作品661)と 妻の愚行

2022-02-26 16:30:54 | Weblog

 

この絵は、今年の2月に出来上がったもので、

最新作といっていい。

記号のようになっている形を見ると、

古代遺跡のような雰囲気もなきにしもあらず。

形そのものは、よく登場していてよく目にしているのですが、

画面一杯にシンプルになったものを見るのは、最近です。

ここ2~3年のこと。

ピンク色は、実物では蛍光ピンクに近い色なのですが、

ちょっとスキャナーが反射してしまいうまく出ていません。

ピンク色華やかな作品です。

 

何を血迷ったか、霊能力のある人に「自分の前世はいったい何なのか?」と、

聞いた時があるのですが、

「中近東あたりで、関所の税関の役人で権力もお金も持っていました」

と言われ、興味がほとんどないので、レレレ?と疑問に思いつつ聞いていて、

「あなたは、あなたのご主人のパトロンでしたよ」とも。

何それ?と思い、「じゃあ、主人は絵を描いていたのか?」と聞くと、

「そうです」と。

わたしは何ゆえに、今の自分の人生があるのか?という興味で聞いたのですが、

重要なことは分かりませんでした。

中近東の文化にも全く興味がないので、

こういう事は適当で、当らぬも八卦、当るも八卦ということで

それを知ったからと言って特になにも益することはないと思うようになり、

前世の興味は以降なくなりました。

しかし、前世でもヒロク二さんは何らかの絵を描く職業についていたかもしれない。

そういうことは、霊能者に聞く前から時々思ったりしていた。

絵を見ているとプリミティブな要素がとても多く、

絵を描き始めた当初から、写実にはあまり興味がなかったことや、

うまく描く以外のことを考え続けている。

私は、冗談で「古代の遺跡の中に、あなたが前世に描いたものあるかもね」

と言ったりして、描いたものを見ては笑ったりしていた。

そして、「やっぱり、あなたは、原始人なんだって」と、言い放ったり。

部屋にある電化製品をじゃまだ!と思ったら、

庭に出して雨のかかるところに放置するようなことをするから、

「原始人」というのもあります。

また、よく秘境の部族の特集を見ても、

「あなたが混じってもおかしくないと思わない?」とか言うと、

「確かに・・」とうなずきかけ、

「いや、きよしが言うには、インドネシアに俺みたいなんがよーさんおるらしいよ」

「武内さんみたいな人一杯いるって、言ってた」

だから、違うそうです。

増殖している武内の姿を想像したら、頭痛がしそうになった。

そんな変人たくさんいる世の中、どうやって生きていったらいいのという苦悩が・・・・。

しかし、気を取り直して、

「もし、自分とそっくりで性格も、考えもそっくりな人がいたら、どう思う」と質問した。

「それは、嫌だねぇ」と。

わたしも自分そっくりの人物がいたらと思うと「嫌かもしれない」。

物凄く嫌ったりしそうです。

鏡を見たくないのだと思います。

欠点がやたら目についたり、言うことに一々腹が立ちそう。

やはり、人はいろんな人がいて成り立っていると思うとホッとします。

そして、欠点を許してくれているだろう友人達に感謝したり。

武内が嫌だと言った気持ちが分ります。

殴ってやりたい存在だったりして。

 

ところで、ヒロク二さんには、いじわるな質問をするのは、すごーく楽しいのです。

その反応が面白くてやめられない。

わたしの娯楽なのです。

こういういたずらめいたことを他の人にもしたことがあります。

その方の場合は、「それは秘密です」と、何色が好きですか?のような質問にも秘密と言われて、

開いた口が塞がらなかった。

びっくりしたのと、その反応が面白すぎてやめられなくなったことが・・・・。

患者であることを最大限に利用して、質問して困らせていました。

その挙句の果て、お詫びと遊び、まぜまぜの気持ちで靴下をプレゼントして罪滅ぼしをと思い、

ヒロク二さんと出かけた時に

「ちょっと百貨店に行きたいから、どこかで待ち合わせしよう」と提案し、

別行動をして、その間に靴下を買っておこうと。

どれが、いいかな?とその人に似合うように選んでいた。

2つ候補があったのですが、なかなか選べない。

真剣に考えている時に「あれ、さほり。こんなところで何してるの?」と見つかってしまい、

あわわ・・・のわたし。

「あのぅ、あなたに靴下をプレゼントしようかな・・・と思って、選んでいたの」と。

「別行動って、そうだったのか」と満面の笑み。

わたしは、作り笑いでごまかす。

「ちょっと今考えているから、外へ出て待っておいて」と言い、

2足の靴下をつかみ、

「こっちの靴下はプレゼント用の包装を、こちらは簡単なプレゼント用に包装をお願い。

 2足買いますから、こっちの靴下は下から分らないようにちょうだい」と。

もう、鼻息が荒く。

お金を払いながら、「何でこうなるの!」と拳でテーブルを叩いた。

けっこうな散財になった。

待ち合わせすることになっていたジャズ喫茶で、

「これ、あなたにプレゼントしようと思いついたの」と白々しく言い、

イギリス製のウールの靴下を手渡しました。

そのプレゼントの君も、ありがとうございますと受け取ってくれたのですが、

「ちょっと、靴下を履いてきて下さいよ」と言っても、

「靴下は、履く順番があるでしょ」とか、

「新しいものは、すぐに履かない。順番があるから」とか、

「その日に履くのを覚えられない」

と真剣な顔して言うのです。

「あの、一回履いてきたらもう二度と言わないでしょう?」とわたし。

「覚えられないって、カレンダーに○印つけてたら」とも付け加えた。

若くて、なかなか2枚目な病院の先生なんですが、

反応が異次元なので、つい食い下がってしまうという。

しかし、いつも反応が意表をつく。

転勤される時も、「どちらへ行かれるのですか?」と聞くと、

「遠いところです」という答えを聞いた時もびっくりだった。

そして、秘密ですとか言われると、かえって知りたくなる。

それで、違う角度からの誘導尋問をこちらはしてスリルを楽しむという・・・。

病気の話はそっちのけになって、先生すら病室出てから、

「病状は、どうだっけ?」と呼び返された時もあるくらい。

その点、我が良人は家に帰ると、プレゼンとした靴下を

「すぐ、履いてみるねぇ~」と言って、

「これが俺にいいと思ったの?」と嬉しそう。

これが、健全な姿だと思う。

しかし、良人に見つかった時、「悪い事は出来ないものだ」と思いました。

真面目な人をかつぐという愚行。

悪趣味な冗談。

誘導尋問による身辺調査。

ゲームみたいなものでした。

良人に見つかったのは「いいかげん、やめなさい」という、

天からのお指図だったのかも。

今から思うと、そうだと思う。

「遊ぶのも終わりにしなさい」とね。

こういうことを思いつくと、ついどこでもやってしまうときがあります。

そういう時、ヒロク二さんが「さほり、いい加減にしたらどうだ」と言われます。

「えっ、あなたが言うか?」なのですが、

他人のことはよく分るのでしょう。

そういう時、わりと素直に聞きます。

そういえば、街にも全然出てなし、人にも会っていない。

今年の春は、出かけたい。

 

 

今年は、水仙は遅かった。

やっと咲き始めました。

↑匂いがいい。

↑小道の横にも。

↑やっと巻いているキャベツ。

ピンクの筋があります。

とても小さいキャベツが収穫出来そう。

食べるところあるのでしょうか?

 

 

今日は、妻のいたずら編という内容。

普段は生真面目なんですが、

どうにかすると、ふざけが過ぎるということをしてしまいます。

いつからこんな性格が・・・・。

第二の性格が現れる時ってあるじゃないですか、

それかな?と思う。

こんな性格だったかな?と新しい自分の性格が垣間見る時ありませんか?

今日もこんな話を読んで下さり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

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地下鉄5月9日(色鉛筆作品660)と推理と情報

2022-02-19 17:22:55 | Weblog

細かく描き込まれた作品なので、画像を大きくしています。

左に「地下鉄」と書き込まれているのがタイトル。

1998年作5月9日に出来上がったもの。

中央に小屋のようなところの中に電車がある。

子供がレールを敷いて、おもちゃの電車を走らせているような感じである。

しかし、謎めいた人物がいて、

無邪気に子供が・・・というようには、ならない。

右上の女性像は、口元から血をたらしているし、

中央の人物は、髪の毛が仏像チックになっているが、

仏様とは程遠い顔。

太陽と闇。

左のほうに見える、男と女。

ミステリアスな雰囲気。

この絵は、武内らしい作品です。

心からそう思ってみています。

 

 

ヒロク二さんは、推理小説が好きな人なんです。

フランス小説も好きなのですが、ホクホクと嬉しそうに読むのは推理小説。

アガサ・クリスティや、わたしが読んだこともない推理小説がアトリエの一角にある。

ハヤカワ創元文庫の縦長の本もよく見かける。

わたしが、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」を読んでいるというと、

「出てきた?」と言い、

妖怪が片隅に座っているように座って、

乞食が物を恵んで下さいというような手振りで、

「ワ・ト・ソンく~ん」と。

その熱演に、ギョッとしてヒロク二さんを見ると、

「阿片窟にいたでしょ」と、ふざけていました。

その熱演の姿は、笑えないぐらい真に迫っていて、

これが、我が良人とは・・・、冷汗が出た。

わたしは笑えませんでした。

ホームズは、時々阿片窟に行ってしまうのですよ。

阿片やコカインを時に楽しむのです。

それを、ヒロク二さんはやったのです。

コナン・ドイルと同時期を生きた作家で、

モーリス・ルブランという「怪盗ルパン」を書いた作家のことも知って、

こちらも読み始めると、ストーリーが時々ごっちゃになってしまい、

「あの宝の地図は、誰が見つけて、どういういわくがあったっけ?」とか、

「あの殺人は、どういう経路だったけ?」と、

犯人探しと、泥棒の話とが重なったりして、どっちだっけ?

と、情けない状態に陥っています。

この2人の作家は、1860年代~1940年ぐらいに活躍して、

コナン・ドイルのほうが5才年長。

この主人公のシャーロック・ホームズもルパンも情報を読むことに長けているわけです。

また、積極的に情報戦にもっていくこともあり、相手をはめて行く手腕がある。

そして、追い詰めると。

そして、最終は大きな犯罪組織との情報戦での心理作戦と、

チェスの駒を動かすように出来事が起こる。そして、また推理。

お互いが追い詰め合い、スパイ小説さながらの様相を帯びてきます。

ホームズの場合は、その犯罪組織のボスと共に、崖から落ちて2人の死で終わる。

ルパンも死ぬのですが、やっぱり生きていたという風に復活するところに違いはあります。

読んだことがないものを読んだので、

つい書きましたが大抵の人は知っているのだと思っています。

アニメで「ルパン3世」というのがありましたが、

アルセーヌ・ルパンの孫という設定になっているようですね。

 

 

しかし、話変わって、わたしの思うことを。

この情報戦というのは、現在進行中で、今ウクライナが危機にあると思うのですが、

「ウクライナ軍がドネツクで地雷爆破」とか、

「ドネツクで大きな爆発音」とかのニュースであっても、

自作自演の可能性があるとも言える。

そんな風にとらえてみたりする。

戦争が起こる前というのは、情報戦の最中にいるものなので鵜呑みにしない。

また、スパイというものが入り込んで何かを画策したりすることが多い。

暴動というのも、組織的に動かしていることって多い。

まあ、鵜呑みにせず、距離を持って見ている。

以前にも書いてしまったが、アメリカの力が弱ったと見て、

中国人民共和国が覇権を握ろうとしているし、

ロシアは、バイデン大統領は腰砕けと見て、強く出ていると思う。

ところで、ウクライナという国のことを考えてみると、

チェルノブイリの原発事故があってから、

反原発になって、原発や核も放棄した国でもある。

やはり寒さがきつい国なので、その後はロシアからパイプラインでガスを輸入していた。

ウクライナは、そのガスの代金を払えないらしくて、中抜きしていたというから、

たぶん経済状態が悪くなっていたのだろうと想像する。

この経済状態が悪くなる原因は、ほとんどエネルギー問題からきていると思うわけです。

元々の原因は。

第二次世界大戦の日本もそうだったと思う。

ABCD包囲網で、Aはアメリカ、Bはイギリス、Cは中国、Dはオランダで、

石油や屑鉄を輸入させないようにして、工業国になりかけていた日本は大打撃を受けて、

農村では貧窮、都会では失業者があふれて、餓死者まで出ていたと。

当時は、石油の一滴が、血の一滴という状態だったらしいから笑えない。

現在の人で、「日本は何故戦争したのだ!」という人は、

当時の新聞、朝日新聞、毎日新聞が戦争を煽る記事を書いたり、

また、そういう風潮にのって世論は戦争だー!となっていったこと。

スパイのことを言えば、実際、ゾルゲ事件なんかがあって、尾崎秀実も有名です。

元朝日新聞の記者で、近衛文麿首相の側近に尾崎秀実がいました。

そして、日中戦争が起こりました。

首相をあやつれるポジションにいた人物です。

スパイ大作戦、ソ連の勝利としかいいようがない。

このような状態を鑑みると、

戦争責任とかで簡単に人や国を攻めたりできないと思うのです。

「戦争反対!」と叫ぶのは楽で、どのように回避したらいいのか?というのを

考えてみては?とよく思う。

話がそれてきたので、推理のほうへ戻ります。

 

アメリカは何とかして、日本を窮地に追いやって、

戦争に参加して欲しかった。その作戦を練っていた。

そこで、ルーズベルトの周りにいた、ソ連のスパイの素晴らしい活躍によって、

それは成功したということ。

またもやソ連の勝利。

ここからが推理の範囲なのですが、

ソ連は日本やアメリカがソ連に向かってきたらどうしよう・・・、と思っていたらしく、

それだったらスパイを世界に蜘蛛のように放ったのがレーニン。

そして、アメリカと日本を戦わせて日本がやられた時に、領地を頂こうぜ!

そうすれば、一石二鳥。こんな感じだったのではないでしょうか?

ところが日本は、ソ連が思っていたより早く白旗を揚げたので、

領地を侵略しそこなったのに未練があり、

終戦してから北海道の領土を取ったのではないか?と。

たぶん日本がもっと長く戦争を続け、もっとズタズタになったところで侵略したかったと。

アメリカは、アメリカで白旗を上げて連絡を入れようとする日本からの連絡を取らないように

逃げ回っていたらしい。

原爆の実験をしたかったのか?

やはりソ連の思惑があったのか?

そしてそのようになったのでしょう。

しかし、どちらもエネルギー問題、資源が根底にあると思っていて、

こういうことを真剣に考えないといけないのだと、

ウクライナのことを考えながら思いました。

エネルギー問題から、紛争や戦争は起こりやすくなるのだと。

 

 

ウクライナもいろいろあって、ロシアの脅威と向き合わなくてはなりません。

ロシアの情報戦に備えて、対処していかなければならないのだと。

特に可哀想な場面を使って、人の同情心を誘ったり、

虚偽の親ロシアの人などの誘導の報道もあるのかもしれない。

子供を使う時は、要注意だ。

やはり、皆子供のことは不憫に思うから、気持ちを誘導されやすい。

意図を読み取らなければならない。

ニュースや情報を見ながら、ホームズのように

「こういうのを新聞で見つけたんだが、これちょっと引っかかることがあってね」

と、自分で推理してみるといいのでは?

ニュースに自作自演って、けっこう多いよ。

知っていた?

現実にわたしもあなたも皆探偵!

どうでしょう?

やりがいあると思うんだけど。

 

↑上の絵の部分なのですが、

ミステリーの本に武内の絵はよく合うと思う。

こんな本の表紙があったらどうかな?

このアナクロさがいい。

 

 

 

そんな日々の夕食。

↑焼いたらお終いの“鯵の開き”

煮たらお終いの“ふろふき大根”

カブとわかめのみそ汁

瑞季と厚揚げの煮物。

華やかさがないけど、ご飯が進むメニューです。

自作の瑞季は、使い切ってしまいました。

質実剛健な食卓。

身が引き締まります。

 

 

 

今日は壮大な妄言にお付き合い下さり、

恐縮です。

推理小説から情報戦、エネルギー問題と

思い込みを書いてしまいました。

わたしなりに平和を願っています。

思い方が一般的ではないかもしれませんが。

こういうのを最後まで読んで下ったかた、

ありがとうございます。

お礼申し上げます。

最近思うけれど、私も少し変わった人なのかも。

 

 

 

 

 

 

 

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girl girl(作品紹介659)と イワシ効果

2022-02-13 14:14:58 | Weblog

「girl girl」というタイトル。

白い空間がめずらしい作風。

色鉛筆で塗り込められている絵が多い中、

こういうあっさりとしたものはめずらしい作品になります。

白いと言いましたが、この白色も鉛筆で一度描いたものを消し去っている。

白ではなく、明るいグレーといったほうがいいのかもしれない。

微妙なトーンの中に、切り裂くようなドローイングが走っている。

この線が画面に緊張をもたらしているようで、

この「飛ぶ少女」にも臨場感を感じます。

1998年作ということから、

エロティックな要のある作品が多い頃といえる。

その頃の絵に「うさぎと繁み」という絵があって、

その絵と再会した時と同じような感触があります。

その絵は可愛く、エロティックな作品でした。

今日の絵は、気に入った方が購入されて今は手元にないのですが、

写真が残っていたので取り上げました。

武内の絵には「飛ぶ」という幻想というか、

オブセッションがあるように思います。

今日のことなのですが、

「俺、疲労なのか?幻想なのか?分らない時があってさ・・」と言われて、

ギョッとしつつ、探りを入れました。

「あなた、今日はいわしを料理するけれど、フライと煮付けとどっちがいい?」と聞いた。

そうしたら、「フライの方がいいな」と即答。

幻想や妄想に溺れていないと思い、一安堵します。

まだ、大丈夫と。

いわしを開いて、フライにしなくては・・・と思うと、

少々めんどくさい。

煮付けの方が簡単なのにと思ったりして。

そんな質問しなけりゃよかったと思っても、後のまつり。

今日は、いまひとつ料理にやる気が出ない日のようです。

 

どういうわけか、テンションが低い。

いつもは、「あっ、これしよう!」とか、

「あれをしよう!」という風に、毎日ひらめきがあって意気揚々と過ごしている。

それのひらめきがなく、空白状態に突入している。

ヒロク二さんの話、長い話を聞いた後は、眠気に襲われて、

「わたし眠くなったから、少しお休みします」と言い、

ほんとうにぐっすり寝てしまった。

話は、まわりの画家達の話で、「元永さんの美術館は出来んのかねぇ」とか、

「その地域の県や市は、どうなんだ」という話から、

「学芸員がいうには、美術館に入ったら日の目を見ないともいうけど・・・」と。

人のことを言っているようだが、自分に一番関心があるのがヒロク二さんだ。

「自分の美術館のことでも考えてるのか?」と聞いた。

「コレクターの人で、俺の美術館を作りたいと言ってくれた人もいるけどね」と言う。

「美術館が出来るって、死んでからの話と違うの?」

「大抵そうでしょうが」

「それより、最近傑作と言える作品が少ないように思うけど」

と続けていった。

「死んでから・・」という酷いことを言ったので、

これではいけないと思い、

「多くの人に作品を見てもらうのは、とてもいいことだと思うよ。

 あなたの作品は、万人向けはしないけど、万人ではない人に勇気を与えると思うからね」

「強烈に、ある人達に訴えかけるものがあると思うよ」と付け加えた。

ヒロク二さんは、なるほどと聞いていた。

幾分か落ち着きを見せているので、やれやれだ。

そこで、もう少し追い討ちをかけねば、と思ったわたしは、

「それで、美術館なんて大層なことを考えているけれど、どういう行動をするの?」と。

「ジーと、家にいて思うだけじゃだめなのと違うの?」

「わたしは、twitterでもしたら?と言っているでしょ。自分からもなんか発信してよ」

急に無言になってきているヒロク二さん。

いつも、口だけがよく動く人なんです。

時々「あなたは、口から生まれたのか?」と言うくらいよくしゃべる。

絵はよく描くのですが、絵を描き終わったら1人でもしゃべっている時がある。

いきなり美術館なんていう話が唐突で、話の後、

睡魔に襲われ、2時間も寝てしまった。

 

その日のイワシフライは、たいそう美味しかったようで、

塩をふりかけて食べていました。

3匹も食べていた・・・・。

イワシって、脳の働きもよくなるので、我家ではよく食べる魚なのです。

賢くなるのでは?

という気持ちで食べています。

好きな魚の1つ。

 

 

この3日間、わたしのテンションが低い理由には、

読書に一段落ついたこともあるかもしれない。

18世紀、19世紀のイギリス文学をさまよっていました。

ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルソー』に始まり、

チャールズ・ディケンズにはまり、『デイビッド・コパフィールド』、

コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』と。

他にもイギリス文学をつまみ食い。

『デイビッド・コパフィールド』では、その頃のロンドンの裏町の庶民の生活や

その頃のテムズ川の異臭とかの様子が克明に書かれていて、興味深い。

人物の描写や会話も魅力的で味わいがある。

また、『シャーロック・ホームズ』では、馬車の行きかうロンドンの街にゾクゾクする。

かの有名な「ワトソンくん」を楽しんでいました。

19世紀頃のイギリスの様子を思い浮かべながら、イギリスの街並みや雰囲気に浸っていました。

もう頭が飽和状態になって、今は頭に新しいことをつめこむのではなく、

「脳に浸透して定着」させている状態なのかもしれない。

頭がジーンとしているみたいなのです。

イワシ効果が発揮されるといいなと思います。

頭の働きが良くなる効果がね。

 

 

庭では、やっと咲き始めたビオラが。

↑やっと3っ咲きました。

左が食べれるスミレ。濃い紫は、種を採取してを繰り返しているが、

ちゃんと濃い紫色の花を咲かせてくれています。

手前は、紫の縁で中心が白いビオラだったのですが、2色にくっきり分かれてました。

わたしの好きな“クラシックな黄色と茶色”のビオラがまだ。

種から植えて、外に出しているので花が付くのがとっても遅い。

今年は、寒いからなお遅いようです。

 

 

テンションがわりと普段高めなので、

こういう日がめずらしい。

その上、ヒロク二さんが必死で絵を描いている横で、

グーグー寝てしまった。

文章は、あいかわらず、話があちらこちらへと行き交う。

最後まで読んで下さったかた、

わけがわからなかったらごめんなさい。

そして、拙い文章を読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

 

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飛ぶ少女(作品紹介658)と 牛小屋での生活

2022-02-06 16:29:10 | Weblog

今日の絵は、1960年代の話を書いたので、

それに合わせて古い作品を取り上げました。

50年前、1970年ごろに描かれた絵と思われます。

クレヨンで、“飛ぶ女の子”を描いています。

この形は、古い絵で度々見かけたので、聞いてみたところ、

「女の子がブーンと飛んでいっているようす」だと。

今は、1本足の女の子を象徴して描いていますが、

この1970年代は、この形だったということのよう。

スカートをはいていて、丸みがあるのが特徴のようです。

わたしは、足先の並び方が好きです。

この形が、たくさん並んでいる絵もある。

ヒロク二さんの絵の中では、ほんの一時のことだったらしくて、

多くはありません。

 

さて、以前ふれたことのある、

牛小屋での生活のいきさつの話を。

ヒロク二さんらしい行動の話。

当人は26か、27歳なのかな?と言っています。

話していることをノートにメモをしているものから抜粋します。

(わたしもマメな人です。)

■以下抜粋

京美堂画廊(神戸)という絵具屋の2階で個展していたんだよ。

1点売れて、いくらで売るかということで、

そういう人が来ていた。それが、島太郎だった。

ある日、私が借りている大倉山の家に戻ったら、

石に腰掛けて、書き物をしながら座っている人がいる。

やっぱり、その人が島太郎さんだった。

とにかく、その文化住宅の仕事場を見て、

「こういうところで絵を描いていると死ぬぞ!」

「うちに来ないか?」ということを言うわけ。

(当時の奥様と幼い双子の子供がいる現場を見て、驚いたのだと思います。

 それと、悲惨な感じだったのだろうか?と思うとその奥様と子供達の方に思いがいく。

 ヒロク二さんより、まわりの人の方が気になります。

 この話では、ヒロク二さんの悲惨はどうでもよい。)

そういうから、「どこですか?」と聞くと、

「淡路島の洲本」という。

すぐ荷支度の用意をして、すぐ淡路島の洲本へ行ったのだけど、

洲本のどこかということを聞き忘れていた。

それで、途中いくすべも分らないまま、

近所の農家の牛小屋の2階を借りた。

牛小屋の2階だから、下に牛がいるわけで、

その牛が俺を蹴ったりするので、「なんでぇ、こいつらは!」

と、思ったりしながらねぇ。

島太郎さんは、本土よりやっと帰還したというのを聞いて、

なんとか会えて、アトリエを借りてもらって、そこに移るわけ。

それが、洲本の宇原で、仁壽堂病院の横の農家の離れですよ。

■抜粋終わり

↑淡路島でのヒロク二さん。

20代です。

左から、武内ヒロク二、洋画家の小松益喜氏、医師であり洋画家の島太郎氏。

ヒロク二さん、あまりおしゃれじゃなくて、初々しい。

なんか、ダサくて。

しかし、なんと!アバウトな感覚で場所もはっきりわからないのに、

行ってしまうヒロク二さんに、呆れたと同時に、牛小屋の2階という考えられない場所。

さらに驚いたことは、「どれぐらい牛小屋にいたの?」と聞くと、

「3ヵ月・・・」という答えが。

3ヵ月も居れるものなのかと、驚いた。

だから、根掘り葉掘り聞いてみた。

60年ぐらい前の話なので、

その頃というのは、海外では1962年に米ケネディ大統領が暗殺されたり、

日本では「鉄腕アトム」が始めてアニメ放映されたという。

高度成長と言われる時代だ。

ヒロク二さんが言うには、

「女がいろいろ来て、食事の差し入れや世話を焼いてくれていたよ」と。

「俺、忙しいのに話はしないといけないし、大変でね」

「日本銀行にお勤めの女性がとても感じが良かった」

と、こんな風にいう。

淡路島という田舎では、牛小屋に画家の人が寝泊りしているという噂が広まり、

いろんな人が見に来たのだろうと想像する。

そして、だんだんルンペンのようになっていく、若い画家の男性の姿も。

ヒロク二さんがいうには、当時の画家仲間でも、

オシャレ派とルンペン組に分かれていたそうで、

「俺達ルンペン組は・・・・」という話から、ルンペンなんですね。

フム、フムと聞いていました。

3ヵ月という期間は、清潔に保つのは難しいだろう・・、ましてや牛小屋。

彼女達は、やりがいと好奇心が満たされて楽しかったのだろう。

わたしなんかも、そんなことがあったら、とりあえず見に行くと思う。

もう、高級な動物園に行く気持ち。

わたしだったら、しっかり観察しつつ、変に冷静な世話人になりそう。

そして、あまり好かれないような気がする。

この頃って、高度成長真っ只中、そしてまだ貧乏ぽくもあったろう。

しかし、時代も勢いがあったろうし、人のおせっかいも楽しそうな感じがいい。

体温や汗臭さを話から感じました。

ところで、1962年にわたしは生まれた。

この牛小屋の頃、赤ちゃんだったわたし。

こう思うと複雑なのですが、結婚した年齢は27歳なので、適齢期で普通だと思っています。

ほんとうに普通なんです。

親に挨拶しに行ったのも思い出されます。

今は、夫に小言を言いつつ、ズーと一緒にいて、たまに主人を褒め、

喧嘩もする時はして、時々尊敬、そして運命共同体。

そんな感じの、普通の妻。

特殊なのは、主人の性格と職業なのだと。

いつもそう思っています。

 

 

冬の庭は少し淋しい。

↑すっかり、花がない庭は冬枯れという言葉が浮かぶ。

その中で、唯一咲いてくれているビオラ。

まだまだ、株も大きくないし、あまり動きがない。

今日は、朝は雪がちらちら降っていました。

今は、新しく花を足す気にもなれず、過ごしています。

今年は、春にじゃがいもを植えてみようか?と思案中。

そろそろ、種芋が出回っています。

また、庭に穴を掘ることになるのか?

そんなことを思いながら、冬を過ごしています。

 

ヒロク二さんの若い頃は、

もっと難儀な人だったかもしれません。

そんなことを思いますが、

絵画に一途な行動には、感動もします。

話を聞いて、笑っているけど・・・。

笑って聞いているわたしの姿を見て、

ヒロク二さんは、真顔のまま。

何で笑っているわけ?という顔で私を見ていました。

 

今日も、最後まで、読んで下さった方ありがとうございます。

淡路島には、4年いたということです。

今日取り上げた絵は、淡路島を後にしてからの作品です。

 

 

 

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