武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

三つの搭(色鉛筆作品紹介651)と クリスマスの思い出

2021-12-25 11:52:25 | Weblog

ピンクは夕焼け

武内の中では、「夕暮れ」というタイトルが付いたものは

大抵ピンクの色で染まっています。

これも夕暮れの絵かもしれません。

塔のような建物から、

狼煙(のろし)のように煙りが出ています。

積み木が積み上げられたような搭は、

とても可愛く感じられます。

ただ、この塗り込められた色鉛筆の画面から

浮かびあがる亀裂のような風合いがなんとも不思議。

特に茶色の部分では、それがよくわかる。

この亀裂の効果なのか、古典的な風合いになっている。

この皺の効果は、紙を独特なしごき方で、

よれさしているのです。

私が、理解しがたい行為の1つ、

私の世界の七大不思議に入るのですが・・・。

当人は、紙を触ったらどんな紙もすぐしごいてなめしてしまうようで、

「それの紙は、しごかないでいいのとちがうの!」と、注意します。

手が勝手に動いてしまうらしい。

 

今日はクリスマス。

クリスマスの仕事はすっかり干されてしまっているヒロクニ画伯。

クリスマスにまったく興味がないヒロクニさんなので、

我家は、師走、正月に向けて突進しています。

しかし、子供達にとっては、クリスマスツリーもプレゼントも楽しいもの。

子供の絵画教室をしていた頃は、クリスマスのオーナメントをモチーフにしての油絵や、

休憩時間のおやつをいつもと違うものを用意すると、

“いつもと違う”というだけで、「ワーイ!」という声が上がったものだ。

素直で可愛く思いました。

時々、ませた年長の子が「サンタさんは、僕達のお父さん、お母さんなんだよ」と言い、

幼い子が、目を丸くして固まっていたりする事態に遭遇したり。

思わず、「サンタさんは、いますよ」とその子の目を見て、

うなずきながら大丈夫と目で合図したことが思い出されます。

私も子供の頃、母から「サンタさんが夜来るから、明日の朝、プレゼントがあるかも?」と言って

楽しみに寝た記憶があります。

朝起きると長い靴下に角張ったものが入れられていて、その靴下が赤くもなく普通の靴下で・・・。

靴下の形が変形して、随分無理に伸にのびていた。

もう、入れるのに必死な感じがあって、

妹と「どうしてこんな靴下をサンタさんは選んだのだろう?」とか

「これ入れるのサンタさん大変だったのじゃない?」と話していました。

その日は、小さな庭には、雪だるまも作ってあった。

その雪だるまは、マトリョーシカのような形で汚れた部分がなく、

すべらかな曲線で、目も口もボタンもすべてマジックで描かれていて、

とても可愛い顔をしていました。

繊細な感じのする雪だるまでした。

こういうクリスマスは一回だけで、二度はなかった。

こういったらナンだけど、このクリスマスで父はすべてを使い果たしたのだと、

大人になってから分る。

当時、張り切ったのでしょう。かなり。

しかし、マジックで雪に目とか描けるのだろうか?

だけど、描かれていたのですよ。

こんな思い出を思い出すと、子供にはクリスマスは、とても素敵なものだと思います。

いいクリスマスを送られますように!

ピンク色は、クリスマスに合うかなと思い、今日の絵を取り上げました。

我家には、クリスマス感覚は今ないので、何とかクリスマスに合う絵を探してみました。

 

現実に戻ります。

夕方、ヒロクニさんに「文章って読むのは楽だけど、書くのはたいへんだねぇ~」と私。

今は、長編小説、かのファンタジーの金字塔『指輪物語』を読書中。

ちょっと間をおいてから、「確かにそうだ」とヒロクニさんが真顔で言った。

「俺、最初小説家になろうと思ったけど、それ、そうはいかなくてねぇ」と。

ふ~ん、と私。

「でも、書いてみたことはあるの?」と聞く。

どうもあるらしい・・・。

それで、「どんなストーリーだったの?」と。

「いや、それはアプリオリ的な発想で・・・」と。

「その、アプリオとかは何よ。さっぱり分らない。ストーリーを聞いているのォ!」と。

「アプリオリも知らないでそんな事聞くの?」と返事されても分らないので、

「そう、聞く」と強気に出た。

聞くと「心中する話」というではないか。

もう、聞いただけで男女の心中する話なんだろうと察しが付く。

もう、長年いると思考が読み取れる時もある。

かつての恋人の話を何回も話されているから、どうせそれに近い内容と洞察した。

ひつこく問い詰めると、

「歩いていた建物の描写から始めてみて、夙川の海へ出る道をよく知っているから」

「いや、中学生の頃、○○、俺と一緒に歩こうと女性に言ってみたら、

ハイってついてきてくれて、ただ行って、○○帰ろうということがあって、

それをモデルに書き始めたのだけど、うまくいかなくてねぇ~」と。

それを言った後、

「元々、私にはジェンダーはあったんだ」と言ったかと思うと、

「男ってのは、挑んでいくもので、女はいかないものでしょ」とか、

「女はヒステリーだ」と、話が分けがわからない方へ進んでいく。

(あなたは人に忍耐を強いる存在で、ヒステリーを起させる源なんだから、

周りの女性は皆、ヒスを起すのは当然の事なんじゃない?と内心思う。)

また「推理作家にもなりたかった」とも。

そうして、ミステリーの話を延々するのでした。

翌日になって、憑き物が落ちたような顔をして、

「アプリオリなんていって悪かったね。そんな方法論を言っても小説はかけないね」と言いながら、

すまん、すまんと手を出してあやまるのです。

それに驚いたけれど、横目で見て、

「そのアプリオリとやらを行ったら、私の『ねずみの冒険』を聞かせるゾォ!」と脅しておきました。

その『ねずみの冒険』とは、いったい何なのでしょうか?

ややこしい話をされた時に話してやるつもり。

謎にしておきます。

そして、「その指輪物語って何巻まであるの?」と聞かれ、

「10巻」と言うと、

「迷惑やねぇ」とため息をつきながら言うのです。

何で10巻あったら迷惑なのか、その理由は何なのよ!とその言葉の方が謎。

 

そんなことがありながら、正月の料理は何にしようと思案中。

今年は、小鉢で料理を出そうかなと思いついた。

そうすると、新しい小鉢を買いたくなるのでした。

大、中、小の小鉢に料理をのせ、並べた様子を浮かべ、うっとりしています。

この妄想している時間は、とても楽しい。

 

↑食卓の花。

菊を頂いたので、庭の南天と一緒に飾ってあります。

お正月になると、庭の松の木を切って南天と合わせて花を飾ります。

↑ストーブの前でくつろぐピピ。

くつろいでいるにしては、目が怖い。

どうも私が大好きらしくて、周りで常に鳴く猫ちゃんに成長した。

抱っこをしてもらって、撫でられながらジーと見つめると鳴きやみます。

「ピーちゃん、そんなにズーとピーばかり見てられないの!」と言う。

写真にある、こういう顔の時は、遊びたいモードらしく、「ぴー、ぴー」鳴きます。

この名前、とても合っているようで今になって納得なんです。

ヒロクニさんが付けたのですがね。

 

私のクリスマスの思い出やら、

私達のある日の会話や、正月気分やら

まぜこぜになりました。

最後まで読んで下さった方、てんこもりの話を読んで下さりありがとうございます。

 

 

 

 

 

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瞳のある小部屋(作品紹介650)と 洋画家の話あれこれ

2021-12-19 15:24:18 | Weblog

こちらを見つめる目を感じます。

また、小窓がある部屋にいるようで、

古びた喫茶店で静かに過ごしている気持ちがします。

コーヒーのコップも描かれている。

寒い日にストーブが置かれている喫茶店で

静かに物思いをしている一時の時間。

色鉛筆と鉛筆、そしてクレヨンが塗りこまれて、

その色の移り変わりに目がいきます。

この作品は、最近描いたもの。

こういうタッチの作品を見ると、

古い洋画家達の絵を見てきた、描いてきた、武内の時間というものを感じるのです。

油絵のマチエール作りをやってきたということを、

この絵から感じるということです。

 

そういう喫茶店の思い出を。

冬の街を歩くと、少しひなびたような古めかしい喫茶店に入ります。

あまりうるさくないし、ひっそりした感じの。

そこで、画集を広げたり、買った本を見てみたり、

窓があれば道行く人を眺めたりしながら過ごす。

そんな時間をこの絵から思いだしました。

2人でこういう時間を送ることが多いですが、

1人でもこういう時間をよく送っていたことも思い出します。

若い時は、こういう時間を送りながら、ちょっと孤独を感じていました。

この絵は、私にとって、そんな心象風景のようなのです。

 

 

私がヒロクニさんより、知るようになった洋画家について少し書きます。

まず、熊谷守一。

この方の精神を語るとき、「やつは、抜き身で刀を下ろしているからね」と言う。

それを言うときは、必ず立っていて、刀を構えているような感じでいうので、

精神を研ぎ澄ましていることを例えているのか?と。

晩年の熊谷守一の絵を見ると、とてもシンプルで、

何事にもとらわれていない境地にを感じます。

だから、清々しい。

万鉄五郎。よろずてつごろうと読むのですが、「まんてつごろう」とわざと言います。

そして、力を込めて“マン”を強調して教えてもらいました。

こちらは、日本のフォーブから、独自な画風へ発展させ不思議な絵が多くあります。

自画像の頭の上に雲のような形がある絵は、奇妙なのですがなんともいえない魅力を感じます。

寝そべった裸婦の絵があるのですが、

その絵と同じポーズをして寝ているヒロクニさんを見た時、

思わず、「万鉄五郎になってるぅ~」と笑っていうと、

すぐ意味が分ったようで、「そんな事に気づくなんて、さすが!」と言われ、

2人で笑っていました。

↓このポーズ

このポーズで寝転んでいました。

見たらすぐ言ってやるので、寝方を変えてしまったという事があります。

次は、長谷川利行。

この方は武内が師匠という徳山巍氏と交友があったそうで、無頼な画家。

初めて絵を見た時は、「こんな絵があるんだ」と驚きました。

この絵にあるすてばちな精神に恐れおののくと同時に美しさを感じたのでした。

曾宮 一念(そみや いちねん)。

ヒロクニさんが「曾宮 一念は、いいねぇ~」

「曾宮 一念はいいと思ったねぇ~」と、

胡座をかきながら言う時の空を見る眼差しが気になって教えてもらった。

この方野太い線と塊、重力を感じる色の固まりがここちいい。

あまりこういう画風も少ないのかもしれないと絵を見ていました。

鶴岡政男(つるおかまさお)。

こちらは、アトリエに描画が貼ってあって、ユニークな絵だなと思い、教えてもらった。

ユーモアを感じるというのでしょうか?

鳥海 青児。こちらは台所に貼ってある絵か気になってしかたがなくて、名前を教えてもらった。

もう、茶色の美しさ!静物画もただの静物画とは思えない詩情を感じます。

 

その他にもいろんな人がいますが、絵も単純に好き嫌いがあるようで、

興味を引いたり、引かなかったりします。

児島善三郎、鈴木信太郎、菅井汲、坂田一男は、とても洒落ています。

なるほどと思いました。

ヒロクニさんのおしゃれな感覚を認識をしました。

福沢一郎、宮本三郎、松本俊介、村山塊多と来ると、ふ~ん・・・・。

私が好んで見る絵じゃないようという感想を思ったり・・・・。

好みというのは、個性でもあるのでどうしても違うことがあります。

“違い”として認識します。

しょうがないので、無理して賛同はしません。

最後に教えてもらった中で特に印象に残った人に“難波田史男”がいました。

この方は、生きておられたら今、80歳でしょう。

夭折されています。

享年32歳。

この方の本を非常に大切にしていていて、2人で読みました。

「終着駅は宇宙ステーション」という本。

日記なのですが、特に驚いたのは絵柄でした。

私には、とてもヒロクニさんの絵に近い存在に思えました。

絵を一部紹介します。

 

 

↑このような作品群

ヒロクニさんより4年若く、かつ作者が若い時の作品なのですが、

斬新な絵を描く人がいたのだなと思い感心しました。

あまり知られていない画家ですが、こういう絵を描く人がいたということが、

ヒロクニさんには非常に心強くさせるものがあるのでしょう。

枕元に本がよく置かれていた記憶があります。

壁に貼ってある絵や、話す画家のことを知っていく内に、いろんな洋画家のことを知りました。

戦前の生まれの画家の気高い気持ち、

戦中派の新しいスタイルの追求の姿を垣間見ます。

こういうことを感じれるようになったのは、

ヒロクニさんの「何となく絵画教育」の力だと思う。

「何となく教育」いい感じかも?

 

 

 

現実生活では、庭で収穫。

↑庭に自生していた山芋の蔓が毎年延びていました。

“むかご”を収穫していましたが、

もしかして土の中で山芋が大きくなっているかもしれないと思い掘ってみました。

3ヵ所から出て来ました。

洗って、すりおろし、食卓に。

普通に山芋だったので、新鮮な体験でした。

植えていないのに!というところが嬉しくさせる。

たぶん、鳥がむかごを落としていたと考えられます。

しかし、根の多い庭でその多さにたじろぎます。

どうも、蔓ニチニチ草の根がいたるところにまわっている模様。

 

↑庭にあるレタスの葉とサラダ水菜を摘み、

たまねぎのスライスときゅうりの細切りのサラダ。

はまっている食べ方があって、写真にあるとおり、

フライドオニオンナッツのふりかけと、塩、オリーブオイルをかけて食べています。

もう、ドレッシングの複雑な味より、このシンプルさにはまっています。

この時は、「ニンニクを焼いて」とヒロクニさんから言われ、

焼いたのですが、残すので、サラダにトッピングしてしまいました。

それも合うみたい。

ヒロクニさんは、マヨネーズでいいらしく、こちらもドレッシングに飽きているようです。

カルパッチョを作ってみても、わさびと醤油が一番と言われたし。

まだまだ、ヒロクニさんは、まだ髭が伸びていて、

くちびるの横からひん曲がったりしていて、「髭って、曲がるんだー」と驚き。

なんか、バタ臭い感じ。

今日も、絵画制作に励んでいるようです。

 

今日は、私達の中での洋画家あれこれ。

名前ばかり羅列になってしまって、

分り難かったかもしれないと思いつつ。

好き嫌いは、個性の1つだと思っています。

だけど、どこが好きで、

どこが嫌いかというのは掘り下げるのは、

自分を知ることの手がかりになると思います。

そんな感じで身近に絵を楽しんで頂けたらいいと!

最後まで読んで下さったかた、ありがとうございます。

 

 

 

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トーテム(作品紹介649)と 妖怪のような武内ヒロクニ

2021-12-13 13:50:34 | Weblog

お化けのような。

新手のトーテムポールか?

それより、私は武内自身に思える。

手が長く、手が大きい姿もそうなのですが、

後ろから「ワッ!」と言って、肩をつかむ時があります。

そういう時、「ビックリさせないでよ!」と言う。

唐突にそういうことをするので、

何が起こったのかと・・・・。

この絵は、マジックと色鉛筆を使用。

この絵をちょと見ていると、

「この絵はね、マジックで早描きして、どんな風な形が出来るかやってみた」

「この手の部分の形!こういうことがやりたかった」

「マジックはすべるから、速度を出せるでしょ」と。

その手の形は、人を驚かせるための形にしか思えません。

 

実際、武内は人を驚かせることをしています。

明石に居た頃、夜、家に帰って来たら、

「前に歩いている女性がいてさ、後ろからワッと言ってやったら、

 キャーと言って物凄いスピードで走って行って、俺びっくりしちゃったよ」と言う。

はぁ?と首を傾げて、眉間に皺が寄った私。

言っている顔は、物凄く楽しそう。

「ちょっと、その女性相当怖かったんじゃないの?」

「夜道、そんなことに出合ったら恐怖だよ。それも明石公園で」

「その人が可哀想だ」

「私がそんな目に会ったら、許されないわ」

今度は、やぶにらみの目で言った。

非難の目で対抗していましたが、自分のいたずらが成功したという感じで楽しそうでした。

 

またまた、同じようなことをした。

それは、入院している病院で。

入院したと思ったら、ナースステイションの横。

ナースステイションの横は、武内の特等席で、問題児がここに配置されるらしいね。

手術が終わると病院を抜け出して、すぐ家に帰ってくる。

歩いて点滴を付けたまま、ガラガラと歩いて・・・。

家に帰ってきた姿に驚いていると、病院から電話が入る。

「そちらにいませんか?」と。

「います」という返事も毎回したことか。

そんなふうなので、看護婦さんも武内を見張っていて、

紙袋を持って歩いているだけで「武内さーん、どこへいくんですか?」と言われる始末。

そして、若い看護婦さんは私に

「私達もやりがいがあります。看護婦冥利に尽きます」と元気一杯に話す。

もう、看護婦のチェックが行き届きすぎて、

「あいつらは、俺を見張ってやがる」と、憤慨やるかたない顔で言う武内。

私は、内心皆よくやって下さっていると感心しています。

まだ、不服そうに不満を言うには、「俺が寝ていたら、懐中電灯を夜あてやがる」と憤慨な顔。

その翌日、病院に行くと、

「俺、夜に懐中電灯を当てられるのが癪でさ、反対向けに寝てやった」

???な私。

「そしたら、懐中電灯を足に照らしてやがるの。

 そして、後ろからワッと手を上げて脅かしてやったら、

 ギャーって叫びながら、部屋を出て行ってよぉ」と。

笑えない・・・・。

看護婦さんにしたら、「妖怪・武内ヒロクニ」だったでしょう。

懐中電灯の明かりに、足の指が見え、その上脅かされたら・・・。

病院に入院しているヒロクニさんは、行動で人を疲れさせる。

疲れが溜まっていても、家に帰してくれないので、

「もう、疲れたから、ベットに私が寝るから、あなたはブラブラしていてよ」と言って、

私がベットに寝ていたりするようになります。

そういう時に限って、主治医の先生が来られたりして、恥ずかしい思いをする。

もっと恥ずかしいのは、武内がブラブラするのに飽きて2人でいる時、

「疲れているから、休むからもうちょっと寄ってよ」と言って、

2人で仲良くベットで寝ている時だ。

そういう時に限って、また主治医の先生が来るのです。

先生は、可笑しくてたまらないという顔で、笑いをこらえています。

並んで寝ている私達を見て。

横にいるヒロクニさんは、全然平気で恥ずかしいとは思ってなくて、堂々としています。

「先生、何ですか」「ハイ」と構えている。

横にいる私は、笑ってごまかせ状態で、「すいません」とか言っています。

もう、何がすまないのかよく分らない状態。

ヒロクニさんに対処していく内に、わたしも奇異な行動をとらざるをえないというか・・。

それとも、わたしにもそういう要素があるのか?疑問に思ったりする。

いかに疲れをとりながら、病院で武内の世話をするか?の究極の行き着く結果よ。

看護婦さんに被害が及ばないよう、病院にいつも長時間滞在になる結果よ。

と、自分に言います。

それと、同時にいつも看護婦さんって、偉いなと思うのです。

こんな難儀な人でも、心を砕いてくれているのが分ると。

こんな私達なのですが、けっこう看護婦さんは楽しく接してくれていて、

一緒に笑ったり、わたしは看護婦さんと意気投合して連携プレイも。

夫婦喧嘩していて、武内に非難されていると、

「奥さんもよくやっておられますよ」と声を添えてくれたりした時は、

チーンって、鼻をかみたくなったものだ。

もう、夫が病院に入院した時は、ドラマの中にいるようで、人間模様あれこれになります。

 

 

この絵が武内の自画像に思えるわけは、こういうこともあります。

↑以前撮った、ふざけている写真なのですが、まさしく妖怪・武内ヒロクニ。

干しているジーパンの間から顔を出すヒロクニさん。

皆、手を焼く時があるようで、そういう時「ねぇ、奥さん」の声が・・。

ギャラリー島田のオーナーも「忍耐のトレーナー」と言ってらした。

武内は、人に忍耐を強要するときがあります。

それでも、可愛げがある時も多く、芸術に純粋なところで周りは繋がっている。

長所を伸ばせば、短所が霞んでくるかもしれないと思いながら、

長所を数えることにしています。

 

 

↑イギリスのショートケーキ、ヴィクトリアケーキを焼きました。

だから、紅茶で。

置いてある柿は、昨日採ったもの。

色取りで添えてあります。

このケーキは、ブルーベリージャムとバタークリームがはさんである。

↑こちらが断面図。

実は、このケーキはレシピを読み間違えて、卵をあわ立てませんでした。

パウンドケーキの生地という感じの仕上がり。

バターグリームは、フランス菓子と違い、卵が入っていません。

このクリームがイギリス風だなぁ、と思うのはバターと粉砂糖を練っただけのシンプルさ。

バターの風味がそのまま残っています。

下にクリーム、上にラズベリージャムをはさんでいる。

素朴な感じが、いい感じのケーキ。

このケーキは、エリザベス女王が好きなケーキだったらしく、

甘党なエリザベス女王1世は、当時貴重品だった砂糖をふんだんに使っていたということらしい。

しかし、そういうイメージとは裏腹に、歴史を鑑みると、

エリザベス女王は海賊の元締めといってもいい存在で、なかなかしたたかです。

 

↑摘心したビオラを小さなコップに入れて飾っています。

株を大きくするために、長くなっている茎をとって、他の茎が増えるようにしています。

このビオラは、同じ種類の花なのに、色に変化があってまったく同じではありません。

今、花が少ない季節なのですが、咲いてくれている。

食卓に花があるといつもホッとする。

寒くなったと思いつつ、過ごしています。

 

 

 

今日は、武内の変人ぶりを書きました。

こういう病院の態度も当事者でなかったら、

笑えるかもと思い書きました。

こんな私達ですが、これからもよろしくお願いしますというところ。

最後まで読んで下さった方、可笑しな2人の出来事を読んで下さりありがとうございます。

武内ヒロクニさんて、変なエネルギーの持ち主なんです。

入院している病人のくせに元気すぎると思いませんか?

 

 

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CAR(色鉛筆作品紹介648)と 狼男な画家

2021-12-07 15:50:24 | Weblog

“CAR”と書き込まれています。

車を描いています。

描写とは程遠く、抽象的に。

タイヤの大きさが大小様々。

タイヤが自由にあちこちに動いているようで、

道ではなく凸凹の山を登っているような雰囲気。

でも、方向だけはしっかりしている。

ヒロクニさんの生き方って、こんな感じかもしれない。

絵は色鉛筆と鉛筆で描かれ、

紙は伸され、絵の表面はもう色鉛筆が染みこんでいる。

あの例の“紙をしごいている作業”の賜物の絵の表面。

もう、印刷みたい。

描き方が異常な色鉛筆画なのです。

しかし、おもちゃ箱のような感じが楽しくさせてくれます。

 

 

こういう絵を描くヒロクニさんは、今は狼男の風貌だ。

わたしは、「もう、仙人になってしまえば?」というくらい。

「狼男記念」として、アトリエでヒロクニさんの写真を撮りました。

↑夜、アトリエでわたしに話をするヒロクニさん。

手に持っている紙をしごきながら、話をしています。

「俺なんて、紙を年がら年中いじっているだけ」と言い、

「もう、紙の上のことばかりよ。

 そうやって考えると、文字もそうだよね。

 紙の上って重要なんよ。私に取ってはね」と。

話の脈絡が変わって、「童話とか絵と文も紙の上だよね」と言ったかと思うと、

「童話ってさ、山を歩いていると、狼の角を引き抜いて、その舌を引き抜いたとかでしょ」と言う。

狼の角?

角を引き抜く?

舌を引き抜く?

こういうのがヒロクニさんの童話なんだと思うと、違和感が。

こういう時、“わたしはまとも”を痛感します。

攻撃的な童話なんで、ちょっと引きました。

仏教に親しんでいるヒロクニさんは、地獄絵と童話がごっちゃになっているような気がした。

「舌を引き抜く」は、地獄に落ちた時、

閻魔さんが嘘つきの舌を引き抜くってあった。

童話の話で苦々しく思ったわたしは、アトリエの一角の写真を撮った。

↑こちら。

右横にあるテーブルに絵が積み重ねてあります。

描きかけのメモ。

わら半紙のA2の大きいサイズをメモにしています。

こちらは、店頭ではあまり売っていないので、取り寄せています。

童話の話から、矢川澄子さん(海外の幻想小説の翻訳が多い)の話や、

澁澤龍彦氏(フランス文学者)の話、種村季弘氏(ドイツ文学者)になり、

とても話が高尚になりすぎて、固まっていました。

「山を歩いていると、狼の角を引き抜いて、舌を引き抜いたなんてね」の方が面白いよぉ~と、

心の中で叫んでいるわたし・・・。

 

↑アトリエで制作のヒロクニ。

こうやって、制作に励んでいるのが毎日。

最近、部屋の上に針金を渡し、絵を洗濯物のように吊るしています。

 

 

そうして、大正時代生まれの祖母がしていたのを再現した、わたしの料理を食べる日が到来。

↑「ずいきの煮物」

自家製、“芋がら”。(ずいきを干したものです。)

私は子供の頃食べましたので、とても懐かしい味なのですが、

ヒロクニさんは、見かけが怖かったようで、少し手をつけて残しました。

ところが、翌日、残った“芋がら”の煮物がかなり減っていて、

「意外と美味しいね」と。

白ご飯と食べていました。

やっぱり、「意外」という言葉がくっつきます。

そういうものなのか?

■簡単にお料理の過程を紹介します。

下準備がある食材ですので。

↑干した芋茎を取り出します。

ボールに入れ、20分ぐらい水に浸けておきます。

↑こちらが20分後。

この芋茎を固く絞って、沸騰したお湯に酢を小さじ1/2入れたものに

入れて茹でます。茹で時間は、30分。

これをザルにあけ、水にさっと浸け、固く絞ります。

 (この過程がちょっとめんどうかも。)

↑絞ったものがこちら。

これを3cm位に切る。揚げは6mmぐらいの幅に切っておく。

後は、鰹と昆布のだし汁でひたひたにしたものに、みりん大匙1。醤油で煮ていきます。

醤油は、味見しながら好みの濃さに。

家は、甘めが好きなので、小さじ山一杯の砂糖を入れています。

見かけより、美味しい料理です。

“芋がら”は、味としては“ぜんまい”とも少し似ているような気がする。

ぜんまいを薄味にした感じでしょうか?(個人的感想)

栄養価が高いというのもいい。

今は、買うと高いもののようで、けっこうなお値段。

そうなのか・・・・、と。

祖母が作っていた自家製“芋がら”は、

子供の頃は貧乏の証しのように映って、

「おばあちゃん、もう戦争は終わったんだよ。

 時代は変わったんだよ」と、言っていた思い出も。

家の中で広げられていると、時代錯誤な感じがして。

でも、そうとばかりではなかったのだと、思いました。

あの味をもう一度だったのだと。

 

 

今日は、狼男から仙人への道の武内の実物を紹介しました。

毎日、コツコツと絵を描いています。

夫婦漫才に近い、おかしな夫婦の話を読んで下さった方

ありがとうございます。

このブログけっこう長文になって、

読むの大変かもと思っています。

話も飛ぶし・・・。(ペコリ)

 

 

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夜の散歩(作品紹介)647 と 掃除と整理

2021-12-01 15:21:59 | Weblog

楽しく散歩。

夜道を。

男と女。

穏やかさ感じる表情で、ほのぼのムード。

“ふるゆわ“”という言葉が似合いそう。

輪郭がはっきりしないので、幽霊のようでもある。

アクリル絵具とマジックの走り描きなのですが、

牧歌的に感じられます。

 

急に寒さがまし、冬到来がひしひしと感じられる季節に。

12月に入り、師走ももう間近に感じます。

掃除が苦手なわたしは、12月に入ると、たまった汚れを落とすことにしています。

普段から掃除を小まめにしないので、やりがいがある。

埃がたまった場所を一気に一箇所、集中して掃除をする。

たまっている分、する前、した後の雲泥の差を眺めると、

ゴキブリホイホイ(今もあるの?)に集まったゴキブリを捨てたような気持ちになる。

掃除に関しては、いつも気後れがするのでした。

 

ヒロクニさんは、わたしと違ってわりとマメ。

モノの整理をよくする。

モノをA地点から、B地点に移し、それを分類してC、Dに分ける。

そのCのモノを、H地点に移し、DのモノをI地点に。

空いた場所は、箒ではいて掃除。

そして、A地点とB地点には、新しいモノを。

簡単にいうと、あっちこっちにモノを移動させて、部屋の中でまわっている状態。

ところが、あっちこっちに移動させている内に

「さほり、どこへいったけ?どこにあると思う?」と言う。

そうして、なかなか見つからない。

見張っているわけじゃないので、わかるわけがない。

ちらかっているけれど、一箇所にものを留めておくというわたしは、

ゴミのような山からでも、目的のものは出てくる。

だから「重要なモノは、場所を固定しとかないと」と、言うのですが、

モノがある種の、自分がいい感じだと感じる状態が好きらしく、

よく様子が変わっています。

わたしも「あ、あそこのファイルに、あの絵があったよね」と思い、

見に行くと、影も形もなくなって、探しても探しても出てこないことが、

ほんとうにしょっちゅうある。

ファイルの中ですら、移動しているのに驚く。

ヒロクニさんが「それは、こっちで預かっておく」と言うと、

「いいえ、私が保管しておきます」と強く抗います。

そして、「あのA地点から、B地点に移動する整理、

C地点へ行ったら分らない整理が怖いからダメ」と言い、

大事なものは渡しません。

わたしは掃除が苦手でも、紛失は少ないと自負しています。

しかし、性格ってあるのだなと思う。

また、違いってあるなぁ~と。

かつての猫達を思い出しても思います。

1匹目の“キタハマ”は、賢く、お客さんが来ても、とてもいいタイミングで顔を出し、

皆に可愛がられていた。

2匹目の“ジル”は、オスなのに喧嘩が弱く、テリトリーも小さくて、アカンたれだった。

だけど、外が好きで家にはあまりいなかった。

3匹目の“ピピ”は、かつての猫ちゃんとまた違い、なでられるのが好きで、

膝にのるし、抱っこも好きで何よりもかまって欲しい。

スキンシップがとても好き。

そして、わたしにべったり。

以前の2匹の猫ちゃんは、抱っこ嫌い。

あまり触られるのは、好きではありませんでした。

 

ヒロクニさんとわたしにも違いが大きくある。

ヒロクニさんは、絵も細かいけれど、けっこう細かいことを言う。

小言をよく聞かされます。

わたしにしたら「はっ?それがどうしたのですか?」ということが多い。

また、細かいことに目がいっているせいか、

話でも大きくずれている方向へ流れているように感じられることが多く、

「はっ?」と思ったり。

わたしは、大まかなので全体を感じていたいようなのです。

ここまで書いて、自分(わたし)が絶対正しいように書いている自分もちょっと問題なのですが・・・。

全体の捉え方が、間違っていたらどうなのよと。

まあ、ふたりの意見の違いで、物事の捉え方が、誤差が少なくなっていたらいいと祈るばかり。

現実的なところでは、たぶん細かいニュアンスにこだわるヒロクニさんが居なかったら、

わたしは、雑なので、かなり美意識の低い部屋で過ごすことになるのでしょう。

しかし、モノの紛失では、助けていると思う。

部分を補うというのは、

皆、それぞれ、きっと違っているから出来るのかもしれない。

それで、全体につながるというか。

やっぱり、人や動物が、クローンなんて考えると嫌だ。

今日の絵の幽霊(幽霊も魂の姿と思うなら)ではありませんが、

魂が宿っているからこそ、違いがあるのだと思います。

 

 

↑今の猫ちゃん。ピピ。

羽根布団を出すと暴れモード。

捕まえて押さえつけました。

不服そうな顔ののですが、かまってもらって嬉しくもあるようなんです。

顔がヤル気になっていて、男の子みたいに。

 

 

チューリップを一気植えしました。

↑穴を掘って、色取りを考えて並べたつもり。

今年は、白10個、赤10個、ピンク10個、黄色10個、紫10個。

合計、50個。ネットでセットになっているものを買いました。

すべて、一重の普通咲きのチューリップ。

こういう箇所が、庭に4箇所あります。(小さい面積のもある)

来春は、庭一杯のチューリップが咲きそう。

一気にしたから、さすがにクタクタになった。

やはり、小まめなじゃない性格だと思う・・・。

細かいヒロクニさんは、「もう、休んだら?」と何回も言うのですが、

「やめさせないで」と言い、

無視して作業に没頭していました。

↑これが球根。

バラバラになると色がわからなくなるから、

マジックで●印を付けています。

穴に入れて、出したり入れたりとして色味を合わせて植えてみました。

黄色ばかり咲く箇所も作ってみたり。

 

 

今日は、掃除の話から性格の違いに。

はてさて、それで魂があるとの飛躍したブログでした。

このようなトンチンカンな話を最後まで読んで下さった方、

ありがとうございます。(ペコリ)

 

コメント (2)
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