武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

おもちゃ箱(作品紹介774)と 私的家計の節約。

2024-04-27 13:50:14 | Weblog

この絵は、A2サイズになります。

その為に、スマホで写真を撮りました。

今まで使っていたカメラは、動きが鈍くなって時々写真が撮れないというありさま。

スマホで写真を撮りましたが、やや光ってしまいます。

0円の機種変更のスマホなので、写真性能がいまいち。

このような事情がありますが、

なんとか実物に近い色合いをパソコンにて補正しています。

 

トリコロールな色合いで、サーカスのテントのような形が中央にあります。

武内の絵でよく言われる「おもちゃ箱をひっくり返したような」と

言う形容が当てはまる絵ではないかと思います。

黒のクレヨンで描かれたホースのような、バネのような形が、

首を振るおもちゃを連想させます。

また、テントの形の下には、2本の支えのようなものがあり、

それが足にも思えたり。

そう思うと、人物画立っているように見え、

顔がくっきりと認識され、人間ではない「何か」がいる。

そう思いながら、周りの形を1つ1つ見ていくと、

けっこう愛らしい形がうごめいている。

左上の円の部分は、目があり、宇宙の1部のようでもある。

また、右上のチューブの近くにある赤い形は、羽根を広げた鳥?羽根を広げた人?

という感じの形だ。

右下には、植物のような形もある。

いろいろな形が織りなす「おもちゃ箱」

そんなふうに絵を見て頂けたら、嬉しく思います。

 

今、財布の中身が、1,348円だ。

この金額で、4月30日まで乗り切りたいと思っています。

4日間の辛抱です。

今日は、画家の妻の家計対策編ということを書きます。

まず、いつも月初めに使うお金、一ヶ月分を財布に入れます。

そして、残ったらいいな・・、と思う額を財布の中で決めた部分に分けます。

(これが、残らないのですが・・・)

以前は、家計簿なるものを簡単に付けていましたが、

今は、特別な出費だけを記録に残すことにして、細かいことは省いています。

ヒロク二さんは、煙草もよく吸うし、甘いものも好きだし、暖房はガンガンかけるしで、

わたしから言うと「金食い虫」だ。

日常的にお金がかかる。

だから、わたしは「甘いものぐらい控えろよ。」と叫んでしまう。

それは、おやつを食べるのに加速度がついている時だ。

それを見ているうちに、おやつを自分は食べないことにした。

(時々、少量食べる程度)

だから、おやつ代はほとんどがヒロク二さんだ。

洋服は、靴から服までサイズが同じ女友達が、「良かったら着て」と言って、

大きな紙袋にドサッと持ってきてくれるので、それが凄く役に立って、あまり服も買わない。

服を買う時は、「これ、欲しい!どうしても手に入れたい!」と、

かなり強い思いのものを買う。

日常では、服は4段階に分かれていて、

家にいる時の汚れてもいいような服装、

買い物に行く時の見ておかしくない程度の服装、

阪急電車にのる場合の服装、

公の場とか、オシャレをしたという意識の服装に分かれている。

最近は、「まあ、いいか」と思うことが増え、

家の服装で買い物に行ってしまうこともよくあり、緊張感が抜けている。

わたしが洋服を貰うと、ヒロク二さんはチェックしにきて、

「このブラウス着てもいい?」とか言う。

なんか、いじましい。

最近、母にそっくりになっていっているわたしは、

時々化粧品が欲しい。

かなり写りの悪い写真があって、それを見せると

かなりの人が「うっ。」と言う顔をし、笑ったのがいた。

それから、努力でなんとかなる部分は改善しようとしている。

特に薄付きで自然に見える下地とかファンデーションは、どれか?

しかし、若い時から適当な化粧しかしてこなかったせいか、

何を買っていいか、何が自分に合うのかいまいち分からない。

Youtubeで見て、どれがいいのか研究している。

60代は、厚塗りはいけないというのだけが分かったこと。

これがいいかもしれないと言う商品を選び出し、

安くで買おうとメルカリとかを見ると、

いいであろう商品というのは、あまり出品されないし、

出品されても定価に近かったり、すぐ売れてしまうみたいだ。

ということで、来月の予算に組み込むわけです。

スーパーでは、ちらしを見て買いに行くことはしません。

行った時に安くなっているものや、肉や魚はまとめて買うと安い時があり、

その時に「いいな」と思ったものを買います。

そして、冷凍しておく。

食費にお金がかかっていると危機を感じた時は、牛肉を買うのをやめる。

ヒロク二さんが、好きなのですが、おやつ代もあるから、

身から出たサビだと思え!と思いながら、牛肉の前を通りすぎます。

スーパーのカゴが山盛り一杯になっているにもかかわらず、

7,000円ぐらいで収まったら、「よしよし、いいぞ!」と思い、よくやったと思う。

以前は、すぐ10,000円越えていましたが、こんなわざが出切るようになった。

こうやって、節約ぎみにして、なんとか画材にもつなげていきます。

また、節約ぎみにして、必要なものはすぐ買いたい。

今、財布の中身が、1,348円ですけど、

冷凍庫に肉や魚があります。

買い時と思った時のものです。

あと4日は、十分に持つでしょう。

こうやって、期間を決めてお金のやりくりをしています。

思った“おかず”が出てこないとヒロク二さんは文句を言う時がありますが、

そんな時、

「あなた、飢えてないだけでも感謝よ。」と言ってやります。

結婚してから、お腹がすいてしょうがないという経験はありません。

画家という職業なのに、飢えたことがないなんて、

ラッキーだと思うのです。

その他にも、恵まれていると思う事がたくさんあります。

そう思うと、今自分がここにいるという瞬間にも、感謝しなくては・・と思うのです。

やはり、こうやって書きながら、

この瞬間わたしもどこかで不満に思っている心があることにも気がつきました。

身の丈にあったお金の使い方を心がけているつもりですが、

化粧品などを見ていると、身の丈にあってない商品が欲しいと思うこともあって、

どこかで欲がめらめらと燃えているようです。

「もう、あきらめろ」とか、「老いの覚悟を決めよ」とか、そんなところだ。

さあ、瞑想でもして気持ちをニュートラルにしなくては・・・。

 

 

今日は、やりくりの話から、意外にも

自分をとりまく環境に感謝する流れになりました。

お金は本当はもっと使いたいのですが、諸事情で節約生活です。

しかし、この生活で必要なものとそうでないものが、

より分けられることがうまくなったと思います。

食べることで言えば、やや粗食なものを食べることになり、

それで健康を維持していると思う。

節約ということで、外食というものも殆どしません。

ヒロク二さんは、健康診断受けると、やや貧血ぎみらしいが数値に異常なし。

恐るべき身体。

薬も殆ど飲んでいない。

わたしはややコレステロール値が少し高いぐらい。

(遺伝らしい)

健康であるということが、一番大切かもしれないと思います。

健康であれば、すべてよし!

そう思うと、文句は言えません。

最近、ヒロク二さんは歩きを頑張っています。

それで、日常的に文句を言うのをやめてくれたら、なお素晴らしいのですが・・・。

わたしもヒロク二さんに、多くを望まないよう慎む事にしないと。

多くを望むから、ヒロク二に文句を付けたくなる。

とりあえず、健康でいてくれるということに、感謝だ。

 

今日は、わたしの節約術。

決まりは財布に入れるお金と一ヶ月という期間のみ。

後は、臨機応変に。

買わない、買うを調整するだけ。

しかし、うまくいかない月もあったり、凄くうまく行く時もある。

それで、相殺されることも。

ゆるくですが、基本から離れずのやり方です。

何か参考になればいいのですが、どうなんでしょうね。

今日も、最後までお読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

最後はつつじの花。

↑買い物へ行く途中の道にて。

今、つつじがあちらこちらで満開に。

道を歩いていると、つつじの花の匂いでむせます。

香水のような匂いで、けっこうきつい・・・。

こういう経験も初めて。

 

 

 

 

 

 

 

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男と女の夢想(作品紹介773)と 散歩あれこれ

2024-04-19 10:17:06 | Weblog

アクリル絵具使用。

この絵は、夏に描いたのだろうか?

スイカが描き込まれているので、そんなことを思いました。

「giRL」という文字の上に、跳ねている女の子がいる。

目を閉じている表情のためか、静かに滑るような雰囲気だ。

「MAM」という文字の右には、四角い顔をした男が呆れ顔でいる。

口は、一直線で表現され、思いを噛み締めているという感じ。

遠目に見ると、女の子の顔のまわりの暗い青の部分は、

海原と夜の空に思え、そこだけが空間が抜けている。

(色が深く暗いから、奥行きがあるように感じる)

画面の構成は、キュビズムのように捻じ曲げられ、

太陽や赤い惑星、建物がランダムに配置されてはいるが、

夜の静かな海に気が付くとロマンティックな絵にも思え、

恋する頃の不思議な感情を思い出します。

恋をすると感情が平常ではなく、異変を起す。

この絵にある、建物、太陽、惑星、木、すいか、夜の海という組み合わせ。

奇妙なイメージが湧く。

唐突に“すいか“があるというのは、可愛くもあり、

少女の頃の不可解な感覚と言ってもいいだろうか。

そして、絵の強引な構成も特異な感じだ。

絵の中に無理やりギュッとモチーフが詰め込まれ、

空間が斜めなったり、天井から下の向きになっていたりして、輪を描いています。

その隙間から、海が見える。

女の子が、目を閉じているせいか、夢での出来事にも思え現実感がない。

恋をする不思議な時間にも似ている。

恋をした時のエネルギーは、日常とは異なる世界を導き、

破滅の道か?ハッピーエンドか?

行く末が気になるところだ。

過去に、思いつきで特異な行動をしたことがあるわたしは、

この異日常の行動をしたことがあります・・・・・。

そして、不愉快な奴と思われた。

その悲しさよ。

そう、この絵には、恋した人のハチャメチャな思考、

そんな片鱗を感じています。

タイトルは、「男と女」でいいでしょうね。

 

暖かな日が続くようになり、寒さに弱いヒロク二さんも動くようになり、

運動も兼ねて、散歩をしています。

街へ出ると、歩いてしまうのではないかと思い、

地下鉄で三ノ宮に出て、画材を買い、その後は散歩という流れになりました。

やはり、街に出ると自然に歩き、人にも会いたくなるようで、あちらこちらへと。

神戸のトアロード筋にある「木馬」というJAZZ喫茶へ行こうとなり、歩いた。

ところが、毎日の散歩の歩数では身体は思ったより動きが伸びなくて、

途中で休みながら、行く羽目に・・・。

店の扉を開けた時は、どんなにホッとしたか。

↓JAZZ喫茶「木馬」でのヒロク二さん。

顔が疲れています。

眉もハの字になってしまって・・・。

その後、旧知の顔を見て、談話していました。

この日は、7657歩。

普段は、3000歩止まりなので、いつもの倍歩いたということだ。

 

普段よく行く場所は、殺風景な公園なのですが、意外と親子連れの多い公園。

↑シロツメクサが生い茂り、緑が広がっている。

座るところもなくて、うさぎの形の石が1つあるだけ。

鉄棒が3個。

後は、大きな木がランダムにそびえている。

だけど、見晴らしがいい。

↑シロツメクサをこうやってじっくりと見るのは久しぶりだ。

子供の頃、四葉のクローバーをよく探したことを思いだす。

ちょっと踏みつけられている場所の方が、

見つかり易いという統計を子供ながら導きだしたことなども思い出される。

延々とクローバーに関わっていた時期がありました。

子供の頃は、時間の観念が違うのかもしれない。

今は、そんな事していたらすぐ日が暮れてしまうし、そんな悠長な時間を取る気がしない。

そんな気持ちがないのです。

つまらない大人になったような気もします。

 

公園はもう1つ行く所があって、図書館の近くになります。

↑公園の高台から見下ろした所。

このあたりは、楠木町といいます。

そのせいか、本当に楠木が多くて、それも大きな幹のものが多い。

松やつつじも多く植えてありますが、

圧倒的に楠木が目立っています。

↑同じ高台から。向きが変わりました。

変わった桜の名前が付いていましたが、失念しました。

これは、山の方を向いています。

神戸は、海と山がありますので、海側、山側という言い方で方向を示します。

今日は、この公園にヒロク二さんを連れていきました。

神戸はヒロク二さんが幼少暮らした所なので、いろいろ案内してもらえると思っていたのですが、

何故か、わたしが連れまわすことに・・・・。

ヒロク二さんが言うには、

「私が知っている神戸はもうないんだよ。随分様変わりしていて、よく勘違いをしている。

 マンションなんてなかった頃だから。

 頭の中の風景は、しもた屋なんよ。」

ということらしい。

連れていく前に、1人でふらっと歩いて、下見をしています。

今日は、2人で公園の坂道を上っていると、

「おい、本当は1人じゃなくって、男と会っているんじゃないか!」って、

嬉しそうに言うのです。

近頃、劣化が激しくて、母に凄く似てきているわたしに、

そんな心配するなんて・・・。

目の下のたるみも二段になっているというのに・・・・。

もう、「あなただけが、そんな事言ってくれるのよ。」と思うと、

感謝するわ!

「ありがとう。あなた!」

いつまでも、色恋の気分を無くさないところは、夫の凄さだ。

 

 

では、最後に散歩中に見つけた「あざみ」の写真を。

↑道の間の隙間から出ているアザミを見つけました。

花が小さいので、ノアザミなのかもしれません。

葉はひどく尖っていて、触るとチクチクします。

以前の住まいの場所では、アザミが自生することはなかったので、

見つけた時、新鮮な感覚でした。

アザミの下にカラスノエンドウの花が見え、蔓を伸ばしています。

カラスノエンドウが群生して伸びていくさまも好きだ。

それを見ると、新緑の季節の到来を感じます。

カラスノエンドウで笛を作って、よく鳴らしましたが、もう作り方を忘れてしまいました。

その頃より、随分時間が流れたということだ。

わたしがこのように感じるという事は、ヒロク二さんにとっての時間の流れもあるということで、

どんな感じなんだろう?と思うのでした。

 

植物を見ていると、子供の頃の記憶やら感傷やら、いろんなものを思い出していました。

代わり映えのしない野草や雑草に近い植物は、

子供の頃の時間を思い出させてくれるようです。

懐かしい気持ちにというのでしょうか。

懐かしい風が吹きぬけたような感じでもありました。

 

今日は、散歩あれこれになりました。

まだまだ、ヒロク二さんを鍛えないといけない!(笑)と思っております。

都会に近い所に住んでいますが、意外と公園があって驚いています。

細道は入り組んでいて、迷路のようだし。

考えられないぐらい細い通路のような道もあって、変なスリルを感じます。

まだまだ、行ったことがない道が気になる毎日。

神戸散策に励みたい。

では、このへんで終わりたいと思います。

ブログを最後までお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エネルギー(作品紹介772)と 桜と好々爺

2024-04-11 14:03:51 | Weblog

この絵は、アトリエ(仕事部屋)に貼られてるもの。

水が激しく飛び散っているさまにも思えます。

画材は、クレヨンと鉛筆。

階下に行くと、まず目にこの絵が飛び込んできます。

ガラッと引き戸を開けると、なにやらガツンと頭をやられたような衝撃が、脳に走る。

これは、最新作。

どうも武内は、歳をとっても“枯葉”のようにならず、

エネルギーで押し切りそうだ。

86歳になるのですが・・・・。

この「グミ」(お菓子のこと)みたいな形は、よく描いていたのを覚えています。

この形が人のようになったものもありました。

空中に浮いているものもありました。

今回は、対になっていて、よく見ると性別があって男女の違いを感じます。

武内の絵には、女の子(渦巻きヘヤー)や、自画像らしき男性がよく登場しますが、

男と女、恋人または夫婦のような2人の人物もよく登場します。

この絵はそのパターンにあてはまると思う。

この絵を見て、何?というのは分からないけれど、

エネルギーを出している瞬間とか、エネルギーを可視化したものであるのは確か。

見た瞬間に受けるものがある。

弱々しいものじゃない。

当人は、決して力の強い人でもなければ、精神がいつも強いという人でもない。

どちらかと言うと、ロマンティストで軟弱なタイプでもあるけれど、野蛮なところがある。

この野蛮な部分が発揮されたのではないかな?と思います。

“枯葉”にはなれない武内。

しかし、“濡れ落ち葉”にはよくなります。(妻からの弁)

 

 

気温も高くなり、散歩日和。

部屋に篭もりがちのヒロク二さんを連れ出して、

近所の入り組んだ細道を歩いています。

公園のほうを歩くと、お母さんに連れられて、楽しそうに歩いている親子がいました。

歩くのが楽しいと言う年齢なのか、

トットトト、と前のめりになりながらある一定の距離まで歩くと、

振り返りお母さんの所まで手を上げて抱き付きにいっている男の子がいました。

可愛いな、と思って見ていると、

ヒロク二さんは、「やあ!」と言って、その子に挨拶するのですが、

得体のしれない(普通の人には見えない)お爺さんは怖かったらしく、

お母さんのほうへ駆け込んでいきました。

わたしは、「今はおかしな人が多いから、知らない人に声をかけられたら注意しなさいって教えられていると思うよ。」と言った。

まじまじとヒロク二さんを見て、

不審者のような印象を受けてしまうだろうな・・・と、その風貌を見た。

この日は、子供が通る度に、「やあ!」と声をかけるので、

横にいながら、目で「大丈夫よ。」と言い、

頭を下げつつ子供達とすれ違った。

主人も随分変わったな、と思った瞬間でした。

実は、わたし達の家は、幼稚園と隣接していて毎日、子供の声が聞こえて来る。

よく子供の声がうるさいという住人がいるらしいが、

子供の元気な声は、そんなに気にならなくて、保父さんの声の方がやたら耳につく。

保父さんは、子供用の言葉のせいか、なにか変なトーンがあって、

聞いているとおかしい。

しかし、大変そうだ。

だから、子供の声がうるさいという人の気がしれない。

子供に声をかけるヒロク二さん。

なんか平和な感じで、好々爺になったという感じがした。

その公園を降りると、川沿いに桜並木があり、とても桜が美しかった。

天気が薄くもりだったのが残念でしたが・・。

↑この川は、神戸市にある宇治川になります。

↑桜は満開といったところ。

川の横は住宅街。

↑下の方へ垂れ下がる枝。

川底をバックに桜が雲のように。

↑房のように付いている花

 

↑これは、川を上っていったところ。

 

↑いつも思うのですが、桜の花の薄ピンクの色に黒い幹が見えるのは美しい。

くもりは陽射しの心配をしなくていいという利点がありますが、

空が青かったら、もっといい写真が撮れただろうに・・、と思うと残念。

桜を見ると、「西行」が桜が好きだったのを思い出す。

世を捨てたのにこんなに桜狂いで大丈夫だろうか?と思うぐらい好きだったという(笑)

こうやって、イメージを膨らまして、桜を見ていました。

ところが、「桜は、そんなに好きじゃない。」とヒロク二さんに言われてしまって、

途中から1人で花見をしていました。

桜の花は、幽玄的で花びらが散る姿も、はかない美しさがあって好きなわたし。

ヒロク二さんは、今日紹介したような絵を描く人なので、桜とは相性が悪いのかもしれない。

ちょっと・・・・・・。

今、階段をおりて、「どんな花が好き?教えて。」と聞いてきました。

百合と薔薇だそう。

百合は、谷間に生えている百合で匂いのするものがいいと。

確かに、桜とは随分イメージが違う花が好きなようです。

つかの間、好々爺になったヒロク二さん、平和的でした。

しかし、いつ豹変するか分からないから、あまり期待してはいけないと自分に言い聞かせています。

今日は、穏やかな日常の一コマでした。

こういう日もあるのですね。

今日も最後まで、お読み頂いた方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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春の風(作品紹介771)と ジャネーの法則

2024-04-04 18:41:45 | Weblog

薄いピンクと霞がかかったような雰囲気が、いいと思って選びました。

桜が咲いているような雰囲気で。

仮面を持った少女が飛び跳ねています。

その他に3人の人物らしき形があります。

上の方にある形は、走る勢いのせいで、建物の柱に頭をぶつけている人物がいる。

下の左には、星のアンテナを立てている人物が佇み、

右には、バンザイをして走っているような人物、

その周りを囲む水色の形は、肩をいからせたロボットみたいだ。

そして、風が吹く。

今、桜がやっと咲き始めました。

入学式にも桜が咲いているでしょう。

わたしの記憶の中では、小学校1年の入学式の帰り、

桜の木の下で写真を撮ったことが思い出されます。

一張羅のワンピースを着ていました。

臙脂色のビロードの生地に、胸元にビーズとレースが付いているワンピース。

緊張しつつも嬉しいような、恥ずかしいような気持ちで子供心に複雑な思い。

そんな時に風が吹いて、頭上に桜の花びらが舞う。

思い出しながら、「桜の咲く入学式」というのは、

なかなかいいと思いました。

今年は、そんな入学式になる子で一杯でしょう。

桜の頃の入学式、これはとても風情があるよね、とそんなことを考えました。

 

さて、わたしの思いはこうなんですが、

描いた当人は、こんなことを思っていないと思う。

この絵はボールペンで描かれているので、消すという行為は出来ません。

最初は、大きい画面で、街の絵を描こうとしていたと思います。

それが途中からうまくいかなくなった。

どこか失敗した部分が出来てしまったのだと思うのです。

そして、その絵を分割した。

そして、自分がいいと思う部分を残す。

その断片に色鉛筆とアクリル絵具で彩色する。

さらに、気に入らないところを削ぎ落とす。

こういう過程で、作られた作品だと思います。

長年、武内の絵を見てきているので、

ボールペンで描かれたモチーフの大きさで、なんとなく分かるのです。

もともと大きい紙に描いたものだろうと。

最初から、この大きさの小さな画面に描く場合だと、絵が細かくなるはず。

その上、画面の端の残し方がいつもと違う。

そういうことから、読み取れるのです。

どうしても気になる部分は、破り捨てたくなかったのでしょう。

その気になる部分は、少女と仮面の部分と推察する。

少女と仮面のフォルム(形)が一体になっていて、

カーブが流れるようになりながら、足のように思える形は意表をついていて、

残しておきたかったんだと思います。

だから、この絵を描きながら、桜のことを思ったりは全くしていないという訳です。

食下がるように試行錯誤を繰り返して、頭は画面上のことで一杯だったと。

そう考えると、上記の絵に寄せた桜の文章は、わたしの妄想ということだ。

わたしは、最近立派な「妄想家」になっていっているのかもしれない。

時々、自分でも「よーやるな」と思うことが、増えていっているのです。

じかし、イメージを膨らませていく過程は、面白く、

絵を見ていろいろ想像するのは、自由でいいと思うのです。

それぞれの人が、それぞれの思いがあって、

絵を見る自分と対話するのがいいと思うのです。

絵を見ながら、季節と相まって、わたしの中で桜が浮上したという事。

そこから湧き起こった「桜の花と入学式」の思いが、

わたしの中では大切なのよね。

それと、この絵にある風。

ふんわりしていて、どうしても春を感じてしまいます。

 

 

そんな春の日常は?と言うと、

未だ、頭が働かなくて、いつまでも調子がでない。

さあ、「これを片付けてしまおう!」と本の整理をし始めると、

急に眠気が襲ってきて、

「ここまで眠いのだったら、ちょっと寝た方がいいかも。」と思って、

横になると意外なほど寝てしまっている。

すると、夕食の準備の時間だ。

また、別の日は、ヒロク二さんが朝から、「今日は、歩くんでしょう。」と、

着替えて玄関に立っていた。

その顔を見たら、すごく変なのです。

怒っているようにも見えるし、何か不都合に耐えているような表情。

わたしは昼からと思っていたので、

「ちょっと待って。化粧してくる。日焼け止めを塗っておかないといけないから。」と言って、

準備をして1階に下りると、

今度は、ヒロク二さんが寝てしまっている。

昼過ぎになると、制作をはじめていて、服装も股引姿になっていました。

昨年の今頃は、引っ越し先を考えていて、

家探しにあっちこっちの不動産屋に駆け込んでいました。

それを思い出し、今年はちょっとホッとしているのかもしれないと思ったり。

しかし、常に眠気があり、やろうと思うことがはかどらない。

もう、年々1年があっという間で時間が過ぎるのが早い。

この前、引っ越したばかりのような気分だ。

6月が来ると、引っ越して1年が経つことになる。

この時間の感覚が怖い。

子供の頃と違い年を取ってくると、時間が経つのが早く感じられる。

この時間が早く過ぎる感覚のことを「ジャネーの法則」と呼んでいるのを知った。

19世紀の心理学者が発案したそうです。

こういう事らしい。

1歳の時に感じた1年を1/1とすると、2歳の時の1年は1/2となり1歳の時の2倍速く感じるようになるということ。

時間の早さは、年齢に比例すると。

また、これに抗うには、子供のように新しいことを始めるのがいいと、書いてあった。

その他には、年を取ってくると、身体の代謝低下に加えて、新しい体験の不足や、

さらに、未来への期待感が低下していることが、時間が早く感じる要因なんだとも。

同じことの繰り返しも、時間を短く感じさせているということらしい。

また、新鮮な体験や感情の高まりが少ないと、時間は早く過ぎるように感じると。

そう思うと、決まった時間に決めたことをするように、心がけているのはいけない?

わたしは、基本、規則正しい生活を心がけているつもり。

そうしないと、シャキッとしないと思って。

以前、ヒロク二さんから、

「規則正しい生活は嫌だ。」と言われたことがあります。

この発言、驚きでした。

「自由でいたい。」とのたまった。

また、「子供みたいだ。」と、ヒロク二さんのことを言う人がいます。

ということは、わたしと違ってヒロク二さんは時間の流れが遅いのかもしれないと思ったのです。

歳の差婚なので、25年という歳の差があります。

一緒にいて、30年以上経ちますが、精神的にはわたしの方がどんどん歳をとり、

ヒロク二さんはあまり変わらないとしたら、

うまくつりあっているのかもしれない。

そう考えると、ヒロク二さんを見習ったら、時間の経過が遅くなるのかもしれないと思うのでした。

しかし、そういう生活は疲れそうだ。

また、ヒロク二さんのような女にはなりたくないという事もある。

ヒロク二さんは、絵も新しいスタイルをいつも模索しているらしく、

同じような絵は描かない。

ある程度したら、次のスタイルが出てくる。

自分で、新しい刺激を見つけているということか?

夫は、86歳のわりには時間が遅く過ぎていっているのだと思いました。

そう思うと、恐るべし夫だ。

変人だし・・・・。

自分のことを考えている内に、

わたしの場合は、やろうと思っていることがはかどっていないという、

心理的背景があって、時間が特に早く感じるのだと思い当たりました。

なんとか、これを越えなくっちゃと思いますが、なかなか。

もう、壁になってるのかも。

春の空気に揺られるように、ゆらゆらしていると気持ちが安らぎますが、

ものごとが進まないのが難点。

ヒロク二さんから、用事をいいつけられると、「えっ!なんていった?」と答え、

うやむやにします。

 

 

今日は、ピンク尽くしということで、

あじさいのような色のビオラで終わりたいと思います。

↑ビオラなのですが、あじさいのような花色。

時間が経つと、ピンクの色が薄くなっていって、

花びらが、白に近い薄い水色に変化していきます。

不安定なビオラなんでしょうが、「あじさい」の風情。

種を継いで植えるビオラは、驚きがあって育てていて面白い。

ヒロク二さんに「あじさいみたいでしょ。」と言って、

2人で笑っていました。

 

今日は、薄いピンクのイメージが文章を書きながらしていました。

ほんわりと、春の思いにひたっていただけたら、嬉しく思います。

書いている内容が変だから、思えない?

そういうことは、ありえると思っています。

このようなブログを最後までお読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

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