武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

オートバイ(作品紹介538)と マンディアルグ

2020-01-25 11:14:24 | Weblog

冬に描いている油絵。

紙に油絵具。

使われている紙は、74歳の頃に書かれている日記のようなのです。

裏には、文字と絵があり、

この絵は、文字の上から描いた模様。

長田区明泉寺・・・、

方法はなく・・・・、

フザケタ生き方・・・、

流れ・・・・、

探して・・・・、

B・B美術館・・・等と切れ切れに読めるのですが、

何を書いているかは分かりません。

ヒロクニさんって、普段でもこういう感じの人で、

一緒にいても、分け分からん時が多い。

私としては、理解するより、寄り添う方に重きを置いているので、

「兎に角、一緒に居ればいいんだろう!」なんです。

今は、冬で、冬への文句、不満をいいつのるヒロクニさんの話は、

「どうせたいしたことは、言っていない。」と一決して、一緒にいることに重きを置いています。

こうやって、人の話を聞かない愚妻にひとっ走りの冬です。

案外、悪妻になるって、楽しいことかも・・・、しれません。

ヒロクニさんは、変な人で、何も感じてないこともよくあります。

こんな調子の私に向かって、「君は、オタオタしないのがいい!」と言ってくれます。

 

この絵の左に「オートバイ」と書かれています。

私は、「これは、やっぱりオートバイの絵なの?」と聞いた。

ヒロクニさん「俺の友人に、オートバイ乗りがいるだろ?」「それを描いている。」と。

私は、オートバイに乗っている2人の人の絵と思っていたが、左の部分は、

オートバイの部分だそうです。そう、説明してくれました。

ヒロクニさんの絵は、聞いてみないと分からないことも多く、

いつもつい質問をしてしまいます。

 

『オートバイ』という題名の小説があります。

作者は、ピエール・ド マンディアルグ。

 

こちらの小説は、「あの胸にもういちど」という映画になって有名です。

主演が、アラン・ドロン、マリアンヌ・フェスフル。

マリアンヌは、撮影当時ミック・ジャガーの恋人であり、若くてとても可愛い。

映画は、出来としてはあまり良いとは、個人的には良いと思えないのだが、

ヒロクニさんの書斎(明石の頃)にいつもこの本があった。

マンディアルグの小説が非常に好きだったようで、何度もその話を聞いたように思う。

私は、いわゆるフランス文学は苦手な人であったが、話はよく聞いた。

また、この本を訳している「生田耕作氏」とも若い時に交友があったようで、

この方の訳の本は、ほとんど読んでいたみたい。

フランス文学の名訳で非常に有名な人で、京大名誉教授だという話も教えてもらった。

現在は、神戸での個展は、ギャラリー島田で開催しているが、

もっと以前にした神戸・元町でのパルパローレでの個展では、その生田耕作氏が、

着物の着流しで来てくれたそうである。

この本も、書斎でよく見たと思いだします。

この本の銅版画は、山本六三氏か、アルフォンス・井上氏が表紙を飾っていると思います。

どちらがというのが、ちょっと思いだせません。(間違っていたらすいません)

この2人は、ヒロクニさんが若く、洋画家として出発する絵画仲間だったようで、

井上氏には、「非常に感謝している。」と話すたびにいいます。

山本氏、井上氏は、描写力はもうすでに抜群だったようだが、

ヒロクニさんは2人とは、異質な存在だったようで、

「武内、お前は何か違う。だけど、何かがいい!」と言ってくれてねぇ。」と、ヒロクニさんは、照れくさそうに言う。

途中から、距離をおいて各自の道を歩んで行くようになったようです。

山本六三氏は、没後、兵庫近代美術館で展覧会が開催され、

ヒロクニさんは、「ロクちゃんも、よく頑張ったねぇ。」と言い、若くして亡くなったのを悲しんでいた。

ヒロクニさんの脳裏の「ロクちゃん」は、若い時の姿を思い出しているのが、感じられる。

↓山本六三氏の作品を1点紹介します。

エロスを感じる作品です。

ヒロクニさんが感謝しているという、アルフォンス・井上氏の作品は、

↓こちら

こちらは、死とエロスがテーマ。

繊細な作品です。

 

ヒロクニさんの絵にも、エロスをテーマにした作品はあるのですが、この2人とは、全然違う表現であります。

ヒロクニさんは、私から言うと土人的だ。

家では、すぐ服を脱ぎ、上半身裸になるし、庭にも裸足で出る。

電化製品のボタンを凹む程強く押し、スイッチが奥へ引っ込ます。

使えるトースターをじゃまと思えば、外へ出してしまう。

「雨降ったら、使えなくなるから、ヤメロー!!!」と、私は怒鳴るのであった。

その辺が、表現仕方の差になって、武内は、武内の道を歩んでいったようです。

3人で芸術を熱く語り、試行錯誤していた頃は、青春でもあったようで、

笑い話のようなエピソードも話してくれるます。

ヒロクニさんは、「豚毛の筆を使ったらいいよ。」と言われた時、

豚を思い浮かべ、豚の毛の生えてる様子を思い浮かべて、

「そんな毛のまばらな筆があるのか?」と、ありありと豚の毛の表面を思い浮かべたそうで、

頭の中が??????だったそう。

そんな人なんですが、絵画道60年になり、今、現在に至っています。

 

今日の「オートバイの絵」に使われている‘赤い色’が、私は好きかなぁ~。

「赤い色いいね。」とヒロクニさんに言ったら、

「ライトレッドなんだけどねぇ。」と、言われました。

「ふぅ~ん。」と、思ったのでした。

 

同時に、パソコンをウインドウズ7から、ウインドウズ10に変え、

電話回線も変えてしまって、パニックになっていました。

段々、時代についていくのに、疲れを感じています。

 

そんな時は、ピピちゃんに癒されて、立ち直ることにしています。

↑私が料理をしている時に、後ろでくつろいでいるピーです。

料理の合間に、名前を呼ぶと、顔を上げてこっちを見ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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コミックな作品(作品紹介537)と 2人の間でのポップアート

2020-01-15 15:14:11 | Weblog

朝から、ブルースをかけるヒロクニさん。

ウエストロード・ブルース・バンド (West Road Blues Band) にはじまり、

B・B・キングなど。

朝からは辛いと思う妻。

コミックな感じの作品ですが、古めかしいというかレトロな感じがします。

はじめて目にしたときは、「ガーン・・・。」と、頭を殴られたような衝撃が走りました。

(6B鉛筆と色鉛筆使用。板に、紙を貼り付け。)

 

ヒロクニさんが時々付けるタイトルに、「その日暮らし」というのがあり、

貧乏な我家のことか?といぶかしがった私ですが、

ポップアートがまだアメリカで浸透する前に出た冊子があります。

タイトルは、『One Cent Life』(1964年)。

日本では、「ビタゼニ暮らし」と訳していたようで、ヒロクニさんは雑誌に掲載された部分を

自分で冊子にして大切に持っていたのを見せてくれたことがありました。

「その日暮らし」というのは、どうやら、ここから発想して付けられたものなんだと分かりました。

↓こちらがその冊子の表紙

 

ヒロクニさんは、60年代の頃のポップアートも好きである。

最近は、話題にのぼることも減ったけれど、時折そのニュアンスが出る。

ジャスパー・ジョーンズやロバート・ラウシェンバーグ、アンディ・ウォーホル、

↓ロバート・ラウシェンバーグの作品はこちら

↓こちらがジャスパー・ジョーンズの有名な作品

↓2人でよく見た画集の作品はこちら

↓アンディ・ウォーホルは、こちら


ロイ・リキテンスタイン、トム・ウェッセルマンの絵を一緒に見た。

↓リキテンシュタインの作品はこちら

↓トム・ウェッセルマンはこちら

ヒロクニさんは、ジャスパー・ジョーンズ、ラウシェンバーグが好みで

私は、トム・ウェッセルマンが好みでした。

1980年から1990年は、ポップアーティストのポスターが店頭によく並んでいて、

こんなに人気なんて・・・と驚いたものですが、現在はちょっと忘れられています。

60年代当時は、これが絵画か?と驚かれていたが、現在振り返ってみると、

ロイ・リキテンシュタインなどは特に、古典的な優雅さが感じられます。

ドットや色の選択、線などが、ただの漫画のコミックな線ではなく、

上品になる要素があるんでしょうね。

名作ばかり並べてしまって、書きながら、

ヒロクニさんの絵が見劣りするのではないか?と心配になってきました・・・。(汗)

ジャスパー・ジョーンズの作品は、非常に支持体、絵の表面に全身全霊をかけているのが、

実物を見た時にわかります。

 

今日は、ポップアート紹介のような内容になってしまいました。

ヒロクニさんは、冬なのに、ドローウィングのような油絵を描いています。

また、紹介します。

 

 

↑ヒロクニさんがいる台所で休憩中のピピ。

赤いのは洗濯中なので、襟のある首輪をしています。

今日も、朝、顔をたたいて起こしてくれましたわ。

最近、ペチペチとちょこっと触るではなく、バシバシと殴るような感じになってきて、

目を開けると、ピピの顔がバーンとアップで飛び込んできます。

ほんとに人懐っこいというか、かまってちゃん。

ヒロクニさんも、かまってちゃんだし、2人に振り回されています・・・・。

 

 

 

 

 

 

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モダンな街の絵(作品紹介536)と ゴッホについて

2020-01-08 15:48:09 | Weblog

ノートに描かれた街の絵。

鋭角な角が印象的です。

ヒロクニさんの絵の中では、モダンなタイプ。

 

お正月は、ゴッホの話をしていました。

 たまたま、ツイッターで知ったのですが、ゴッホが亡くなり、ゴッホを支えていた弟テオが亡くなり、

残されたテオの奥様は、生活のために翻訳の他に下宿屋を始め、ゴッホの絵を飾ります。

奇妙な宿屋ということになったらしい。

その話をしたら、ヒロクニさんは、「俺、その話で勇気湧いてきた。」と感激していました。

我家には、兵庫近代美術館から、ゴッホ展のレセプションの案内が来ていてるので、

本当にゴッホの話は、タイムリーだったのです。

 ↑兵庫でのチラシがこちら。

ヒロクニさんは、「いかにもゴッホという絵もいいけど、それ以外の作品にもいいものが多くある。」と言います。

ゴッホの中でも、地味な作品、または精神状態が落ち着いている時の作品に注目している。

展覧会会場でのヒロクニさんは、けっこう足早で、さっと絵を早く見終わってから、

出口の所から、逆流して、気になった作品をじっくり見返すという行動パターンをします。

だから、いつも展覧会会場の中へ入ると別行動になり、逆流してきたヒロクニさんと会うと

ちょこっと絵の話をして、出口で待ち合わせ。

話を戻すと、私の体験もヒロクニさんに聞いてもらいました。

もちろん、ゴッホの絵のことなのですが、

私「あのぅ、ゴッホの絵は、浮世絵そのものに見えるときがあって、すごく驚いたことがあるのよ。」と。

「着物にはまってから、浮世絵とかを本を借りて、多量に見てくると、

ゴッホのひまわりの絵を見た時に、浮世絵そのものに見えた瞬間があって、

ゴッホは、浮世絵をもう身体に沁み透るぐらいの学習をしたのではないかな?と思ったのだけど。」と、言った。

すると、「君が、そう思うのならそうなんじゃない。」と。

「俺は、あんまり浮世絵とか見てないから分からんよ。」と。

↓浮世絵に見えた、ひまわりの絵はこちらなのです。

浮世絵をたくさん見てから、ゴッホ展に出かけてみてはどうでしょうか?

フランスの印象派というのは、日本の浮世絵によって開花したとも言われています。

ゴッホだけでなく、モネ、マネ、ドガ、ルノワール、ピサロ、ゴーギャン、ロートレックなども、そうです。

19世紀後半のパリや、ヨーロッパ各国で開催された万国博覧会で、日本ブームが巻き起こっていた背景がり、

かなりの量の浮世絵がヨーロッパに流れていったのです。

浮世絵というのは、日本では庶民の文化だったので、高値なものとしてではなく、

若いパリの芸術家でも買えるようなものだったというのも、面白い。

そして、浮世絵以上の絵画を生み出していった、情熱が・・・・・。

絵というのも、素晴らしいものをたくさん見る。

鑑賞眼というものを磨くには、『絵を見る量』というのも必要なのかも?と

今、思っています。

 

 

しかし、ゴッホを支えた弟のテオも素晴らしいけれど、

1人息子を残して亡くなったテオの志を継いだ、妻のヨハンナも凄い人だなぁ~と痛感しました。

夫テオが亡くなったあと、周りからは膨大な絵と膨大な手紙(ゴッホとテオの書簡)をさっさと

始末しろと言われても、せず、

『精神を活発にさせておかねばならない。テオはわたくしに芸術について多くのことを教えてくれた。

また、かれは人生について多くのことをわたくしに教えてくれた。子どもの世話のほかに、もう一つ別の仕事を

かれはわたくしに残していった。それはフィンセントの作品である。

それを世に示し、できる限りそれが正当な評価を受けるようにする仕事である。

テオとフィンセントが集めたすべての宝を、それらを子どものために汚されないように保存すること、これもまたわたくしの仕事だ』

と日記に記してあるそうです。

ゴッホ、テオ、ヨハンナ、画家ベルナール等の力によって、今現在、ゴッホ展が見られる事実。

思いが成し遂げられていく過程を知ると、胸が熱くなります。

 

しかし、何百点もある油絵や素描を保管する場所を確保していたことを考えると、

並大抵のことではないなぁ~と思い、画家仲間達で作品の収蔵の話題を思い浮かべるのでした。

ヒロクニさんの絵もどんどん増えるから、部屋は荷物で一杯で、我家も1室が荷物置き場になっています。

ヒロクニさんは、若い頃の油絵は淡路島にあり、その他、散在しながら分布していたりします。

 

お正月は、このような話題をしたり、お雑煮を食べたりと楽しく過ごしましたが、

4日ごろから雲行きが怪しくなり、夫婦喧嘩していました。

子供が愚図るように、「寒いから、死にたい。」とまで言い出し、

台所に居座って、ガスストーブ全開、電気ストーブも併用し、部屋は暑いのに「死にたい。」とか言うから、

「いい加減にしろよ!」と。

そうしたら、何故かおとなしくなって、しゃきっとします。

 

 

↑ピーちゃんの顔のアップです。

顔は黒いのですが、最近くっきりと薄い茶色の部分がはっきりしてきています。

意外なことに気がつきましたが、ピピちゃんは、毛がとても柔らかくて、

撫でると毛が艶々で、光って輪が出来るのです。

しかし、台所にいるヒロクニさんは、ストレスを溜めます。

ピピちゃんが癒してくれているので、バランスを取っています・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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