広く浅く

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最初で最後のKenji

2018-06-20 00:15:24 | 旅行記
6月9日の大館・弘前への行き帰りに乗った列車の話。
往復とも秋田-大館間は、この日だけ運行される臨時列車を利用した。秋田から大館を経て花輪線・十和田南まで、朝行って夜戻る、全席指定の快速「アカシアまつり号」。これも今回の目的の1つだった。
ちなみに、ちょうど1年前のこの週には、盛岡支社の「ジパング」編成が秋田-大館で大雨の中運行されていた。

「アカシアまつり」は、9・10日に小坂町で開催された。十和田南駅から小坂までは距離があるので、路線バスに乗らないといけない(大館駅からもバスあり)。実際には、複数の旅行会社がツアーを企画しており、列車から貸切バスに乗り換える人が多かった模様。

えきねっとで予約しようとしたら、1か月前で「×」。やはり旅行会社がおさえたか。
一説では14日前や7日前になると、旅行会社の売れ残りが返却されるとか。それを信じて10日前に見たら「△」になっていたので、すかさず予約。今回は2名で乗車したが、並びの席で確保できた。

秋田駅の発車標
秋田駅から花輪線内へ乗り入れる直通列車は、かつての鹿角花輪行き急行よねしろ(末期は無名快速)のほか、今も花輪ばやしなどの臨時列車が年に数回運行されている。臨時の十和田南行きもなくはなかったはず。
今回は「快速」を下に下げて、上段に赤で「全席指定」と表示。初めて見たけど、分かりやすい(全席指定列車で必ず表示しているわけでもなさそう)。【22日訂正】リゾートしらかみでも同じ表示方法になっており、おそらくこの発車標更新時からこれが標準のようだ。
英字
英語でも「Reserved」と赤表示。
列車名は「AkashiaMatsuri」。アカシアは英語(ラテン語由来でしょう)では「acacia」。まつりもMatsuriだから、ローマ字表示なんでしょう。
ちなみに、ここで言うアカシアとはニセアカシア(ハリエンジュ)のことで、アカシアは別の植物。ところが、主にイギリスでは同様にニセアカシアのことをAcaciaと通称するらしい。
ニセアカシアの英名はといえば「false acacia」、つまり英名を直訳して和名が「ニセアカシア」になったようだ。

秋田駅2番線発。
まだ「回送」表示だけど、駅員が横断幕を持ってお見送り体制
今回の使用車両は、水色の3両編成の気動車。
盛岡支社のジョイフルトレイン(団体・臨時列車用)「Kenji」である。宮沢賢治にちなむ命名だけど、なぜそうなのか由来は不明。
以前は緑色の塗装だったのが、5年ほど前に水色に変わった。引き続き岩手県のキャラクター「わんこきょうだい」も描かれる。
正面のLEDに「Kenji」のロゴも表示できるが、今回は「臨時」。それ以外にはKenjiと書かれていないから、名前を知らずに乗った乗客もいただろう。

この車は、旧国鉄が1961~1969年に急行用として大量に製造して全国に配置された「キハ58系」。
東北新幹線開業以前は、急行列車として東北地方のほとんどの路線を走り、その後21世紀初頭までは、一部の路線で主に普通列車として使われた。
そんなキハ58系もここ10年ほどで廃車が進み、JR各社で現役のキハ58系は、このKenjiだけになってしまった。※私鉄や本線走行できない動態保存では、ほかにも何両か残っているとのこと。

Kenjiは、車内外とも、本来のキハ58系とは大きく違う姿に改造されている。

先頭部は大きな窓の展望車風。運転席直後の窓3つ・座席4列(16席)は、かさ上げされた高い位置にある。
乗るのは初めて。
車内後方から(下り先頭車・3号車)
上の写真では前方に壁があり、そこに階段がある。その壁の向こうが、運転席直後の高い4列。
壁より手前は9列(3号車の場合)あり、通路よりは1段(0.5段程度?)高いところに、どっしりとした2人掛けリクライニングシートが並ぶ。窓は固定。

天井中央は、黒いルーバー。原型よりも床が高く、天井は低くなっているわけだが、圧迫感はなかった。
1990年代に特急「白鳥」に使われていた、新潟の485系グレードアップ編成も、同じような構造で、走行中はルーバーがビリビリと振動する音が気になったものだが、Kenjiではあまり音はしなかった。

上の写真の左側前方と、右側手前では、荷棚(網棚)が不自然に途切れている。また、左奥の壁には黒い部分があり、写っていない右手前の壁も同じ。
以前は、黒い部分にテレビがあって、カラオケができたそうで、その視界を妨げないよう、荷棚がないのだった。少し昔の団体列車らしい装備の名残。
座席。枕カバーは盛岡支社が好む不織布製
肘掛けの銀色の部分は灰皿。今は禁煙なので無用の長物。
座席前には網袋とやや小さめで黄ばんだテーブル。座席間隔は一般的な特急普通車並みだが、足元に足置き用の切れ込みがある席と暖房機のせいでない席とがある。
座り心地は、個人的には嫌いじゃない。厚ぼったいわりにはそれほどでもないけれど、みっちりした感じはする。座面の奥行きがちょっと足りない感じはした。
総じて、快速列車としては充分。

もともとのキハ58は、窓が開き、4人掛けのボックシートの車。ここまで改造されていては、昔キハ58に乗ったことがある人でも、知識がなければ、同じ車だとは思わないだろう。
運転席と反対側の壁
壁にはなぜか装飾された帽子。1号車の同じ場所にはリースがかかっていた。
帽子右上の非常ボタンと非常燈(懐中電灯)は、改造前からのものか。デッキの乗降ドアも原型で「自動ドア」の表記が薄れて消えた跡があった。

一方、左に写っている、本来は重い引き戸であったデッキと隔てる通路のドアは、自動ドア化。
このドアって…
この自動ドア、かつての東北上越新幹線200系のものにそっくり。(東海道山陽新幹線の0系では初期製造分は手動だったそうだが、それ以降は同様の自動ドア)
下に銀色の通風孔(?)があって、茶色というかオレンジ色に着色された窓があって、ドアの上には、
自動/手動を切り替える押しボタンスイッチ!
かつての新幹線は重さを感知して開く自動ドアだった(通路にマットがあった)が、これは現在一般的な赤外線検知方式(天井にセンサーがある)のようだ。
なお、自動/手動切り替えスイッチは、名古屋の「しなの」用381系電車にも使われていたが、ドア自体は別物だった。

あとは「便所使用知らせ燈」。国鉄の車両では、円形の電球色のものが主流だった。
(再掲)583系電車
この車は、上の自動ドアの写真で、左手前、照明のすぐ下・天井際にある(消灯した状態)。
点灯時
消灯時は目立たない小さい横長の部分が、点灯すると内側に描かれたトイレマークが見えるという、ちょっと凝ったしかけ。
ぼーっと電球らしきランプが光って古臭いけれど、昭和40年代の国鉄がトイレマークを採用するとは考えにくい。※トイレのピクトグラムは、1964年の東京オリンピック時に考案された。

ネットで画像検索したら、思い出した。
キハ58(の一部?)だったと思うが、これと同じくらいのサイズで、点灯時に「便所(改行)使用中」の文字が浮かび上がる表示灯が存在した。
おそらく、この車ももともとそのタイプで、改造時にトイレマークに換えたのではないだろうか。

トイレそのものは、垂れ流しの和式だったのが、洋式の真空吸引式に改造。タンクに水が貯まるまで1分ほどかかるから、連続して使う時は待ってねとの注意書き付き。2号車はトイレなし、1号車は車椅子対応。
洗面所(手洗い)は、原型と向きが90度変わっているが、鏡はそのままで、横に鏡がある。

Kenjiは、1992年に土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造されて誕生。
でも、当時は真空吸引式トイレなんて鉄道用ではなかっただろうから、当初は循環式に改造されたはず。何度も少しずつ手が加えられてきたのだろう。
Kenjiには、それより前にもジョイフルトレインとしての経歴がある。1987年に改造された、新潟地区の「サロンエクスプレスアルカディア」。
ところが、1988年に1号車が火災を起こして全焼。代替に新たな1号車を入れるとともに、全体を再改造したのがKenji。
また、この火災をきっかけとして、JR東日本の古い気動車のエンジン換装が進められた。


キハ58には、20年前弘前へ行き来する時にお世話になって、ほぼそれ以来の乗車。
動き出すと、穏やかだけど確実な加速、加速をやめた時のエンジン音など、そうそうこんな感じと感覚がよみがえった。
男鹿線などのキハ40系とは10年以上設計時期が違うから、明らかに違う。(両形式ともエンジン換装されていて、原型とはまた違っているだろうけど。)
急行「よねしろ」と同様、奥羽本線を快調に飛ばし、さすが古いけれど急行用車両。

車内の乗客は、ツアー客のほうが多い。あとは個人の鉄道好きや個人でアカシアまつりに行く人がわずか。
3号車は、前から10列ほどはツアー客。前方の高い席も、関係なくツアー客に割り当てられていた。我々一般客は、その後数列。おそらく最後列は車掌権限の調整席で空席。
△マークだっただけに、乗車率はかなり良好。いつかの秋の「きりたんぽまつり号」とは対照的。

停車駅は上下とも、土崎、追分、大久保、八郎潟、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、早口、大館。
奥羽本線内はかつての急行並みで、特急停車駅プラス土崎、追分、大久保。花輪線内はノンストップ。
3号車のツアー客は、秋田駅だけでなく八郎潟辺りまでの各駅から、数人ずつは乗りこんだ(帰りは降りた)。ちゃんと停車する意味があるもんだと感心。


下りは秋田9時03分発、大館10時38分~45分、十和田南11時18分着。
上りは十和田南17時28分発、大館18時07分~20分、秋田2番線20時21分着。
秋田-大館は、下りは快速にふさわしい所要時間だが、上りは2時間もかかって各駅停車より遅い。下りではなかった、停車駅以外での反対列車の待ち合わせがあったためで、下川沿3分、北金岡10分、鹿渡4分(時間はおおよそ)の停車。
上りの大館駅発車標
大館駅では、上下とも主に花輪線が使う3番線に入線。

乗務員は、運転士も車掌も2~3人ずつは乗っていた。
秋田をキハ58系が走らなくなって10年以上(奥羽本線は2002年、花輪線は2007年まで)。秋田支社の乗務員でキハ58系を扱える人も、減っていることだろう。不慣れな形式を扱うための補助や、故障発生時の対処も含めた要員かな。
車掌は、下りの検札のスタンプ(珍しく青でなく緑インクだった)によれば秋田運輸区。
運転士も、たぶん秋田運輸区。旭川の橋をはじめ、トンネルに入る時も警笛を鳴らさなかったので。


製造から50年経つKenji。
ジョイフルトレインに転用されたのが比較的早く、稼働率が低いので長持ちしているのだろうが、いつまで走り続けるだろうか、もう乗る機会はないかもと考えながら、Kenji乗車を楽しんだ。
乗車時点では、8月に臨時列車として三陸方面で運行されることが分かっていて、とりあえずは安泰かと思っていた。

しかし、6月19日「「Kenji」車両まもなく運行終了!」が盛岡支社から発表された。
9月8日の盛岡-一ノ関の団体運行が最後になるようだ。
1号車・キハ58 1505
窓が固定されても、大きさや雰囲気は以前と変わらない。正面よりは側面のほうがキハ58としての面影がある。
2号車・キハ28 2010
キハ58形は走行用エンジン2基搭載なのに対し、キハ28形は1基で、その多くに後付けで冷房電源用エンジンが搭載された。冷房対応キハ28形1両で、自車とキハ58形2両の計3両に冷房電源を供給できる(=キハ58形だけでは冷房を使えない)。
写真手前の1号車寄りには、オリジナルの運転台が残っている。窓が横長になっている部分は、席番なしで座席を円形に向かい合わせられるフリースペース。
【20日補足】国鉄~JRの呼び方では、いっしょに使うことを前提に設計された複数の「形」の集合が「系」。ここではキハ58形とキハ28形でキハ58系を構成していることになるが、国鉄時代はほかにグリーン車もあったし、北海道仕様などの派生形式も存在した。

キハ58 1505は1968年製、キハ28 2010は最初期の1961年製(当初はキハ28 10)で改造前は広島や長崎にいた経歴、キハ58 650は1965年製で山陰にいた経歴があるそうだ。


今年のアカシアまつり号が、キハ58系の秋田支社管内での最後の運行で、自分にとって最初で最後のKenjiかつ最後のキハ58系乗車(県外の私鉄に乗る機会はなさそう)となった。
【21日補足】秋田支社にも、このような臨時列車に使える車両(旧青池編成であるクルージングトレインがあるし、それが使えなければ旧ブナ編成のクルーズ客船向けの編成だって空いているはず。花輪線でも秋田側ならキハ40系でも走行できる)はあるのに、どうして今回、回送が必要な離れた盛岡にいて、古い車両をわざわざ借りてきたのか、考えてみれば不思議。愛好家向けだとすれば、大々的に「キハ58系Kenji」を前面に出すだろうし。なお、愛好家は(自分を含めて)車内・沿線ともちらほら見かけたが、常識を逸脱した行為などは見られなかった。

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3 コメント

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radikoあれば (FMEN)
2018-06-21 23:00:01
JRネタなんですが、きょうのABS「ごくじょうラジオ」で面白いのをやってました。
前も触れましたが、仁井田の旧13の話で、仲谷地の先の道と踏切についてを取り上げてました。
昭和42年に廃止されて、桑谷地に移転したのは初耳。
自分も仁井田だったので、かなりためになりました。
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Unknown (秋田市のho)
2018-06-23 22:25:31
管理人 様


いいタイミングで御乗車されましたですね。

私の個人的な我儘な妄想で、
Kenjiの2号車のキハ28-2010を急行色に戻しまして、
土崎工場のキハ58-75を整備致しまして、
2輌編成で、
リクライニングシートが好きな人はキハ28へ、
オリジナルのボックスシートが好きな人はキハ58へ、
という感じで走ればと妄想致しておりましたけれども、
夢のまた夢でありますね。苦笑
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コメントありがとうございます (taic02)
2018-06-25 00:26:42
>FMENさん
聴いてみました。存在自体知らなかったですが、歴史に埋もれかけていた話ですね。
今ならば、移転扱いだとしても踏切の新設は許されないでしょう。反対に、当時は、踏切廃止により農家の人が不便になることを考慮して、事前に対策をしなかったのかとも感じます。半世紀も経てば、対応も違うのでしょう。

>秋田市のhoさん
良かったけれど少々切ない乗車になってしまいました。
訓練車だったキハ58 75は、土崎に放置同然ながら、いちおう籍はまだあるのでしたね。
急行用だっただけに、ボックスシートも悪くはない乗り心地だった記憶もありますが、もう味わうこともできないのでしょうね。
かつての急行の長大編成など、さらに夢のまた夢ですが、改造車2両と原型を留める2両、どうなるでしょうか。
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