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出世するアナウンサー?

2014-07-02 00:27:49 | 秋田のいろいろ
地方在住者にとって、その土地の出身者が全国区で活躍するのは自慢。血のつながりがなくても。
最近の秋田なら、加藤夏希、佐々木希、壇蜜、生駒里奈など。壇蜜さんは、生まれたのが秋田で育ったのは東京だそうだが、それでも。
この場合の「その土地」とはおおむね県単位。さらに「市町村」や「町・集落」単位で同じならば、ものすごい自慢になるはず。
こういう感覚は、大都市の人には分からないだろう。(「同じ学校の出身」程度ならあるかもしれない)
ただ、笑っていいとものテレフォンショッキングなどで福岡出身のタモリさんが、「福岡の人は、東京などへ出て行く人のことは『故郷を捨てた』かのように突き放して扱うことがある。しかし、その人が東京で大成して帰ると、手のひらを返したように歓迎する」といった趣旨の発言を何度か聞いたことがある(間違っていたらすみません)。地域によっても違うのかもしれない。【2日訂正】活躍する出身者を歓迎しているんだから、その意味においては、よく考えたら秋田と同じことでした。

一方、転勤族や遠方からの進学などで他の土地から来た人にとっては、「よそ者扱い」されていい思いをしないこともある。田舎(とあえて表記します)ならではの閉鎖性によるものか。
そういう人たちがやがてその土地を離れた後、その土地にその人が暮らしていたことを覚えている人はどれほどいるのだろう。
例えば、今の弘前の人で、僕が弘前にいたことを覚えている人は、きわめて少ない。単なる超長期滞在の旅人のようで、少々切なくもある。


「地元出身じゃないのに、その人がいなくなった後も覚えていてくれる人がたくさんいて、しかも誇らしく感じている人が少なくない」という、ある意味幸せな人がいる。
NHKのアナウンサーである。

言うまでもなくNHKは全国組織であり、日本全国すべての県(県庁所在地+α)に出先機関である放送局が存在する。NHKに勤務するアナウンサー職の職員は、全国一括で採用され、全国規模で異動がある。
※NHKの各放送局に所属して出演する人でも、契約キャスター(昔で言うアシスタント)は、各放送局ごとに募集・採用され、異動はない。ただし、契約終了後、NHKの他の放送局と新たに契約して、実質的には「異動」するケースが最近は少なくないようだ。

NHKがアナウンサーなど職員の異動をどのような方針で行っているのかは知らないが、一般的な企業・役所などの異動と同じく、本人の適性・キャリア、人員のバランス、本人の希望などによっているのだろう。
アナウンサー個人個人にしてみれば、当然、全国を渡り歩く覚悟があってNHKに入ったのだろうが、突然もしくは希望外の異動辞令で不本意ながら着任する人もいるかもしれない。


現在、秋田や青森のような県単位でのローカル放送(県域放送)を行う放送局では、
・正職員のアナウンサーを6名配置
・うち1名は40歳代の「放送部副部長」という肩書き
・他の5名は、40代以下の若手~中堅が中心。50代のアナウンサーはあまりいない
・採用されてすぐ(研修後)の新人が配置されることが多い(新人はいきなり大規模な局には配置されない)
・一部の局では、定年退職後引き続き雇用される嘱託職のアナウンサーがいる
が原則のようだ。【↑2014年時点。その後、下の追記のように2023年春に機構再編が行われ、変更点も出た。
【2023年8月4日補足・2023年から放送部副部長という職名がなくなり、原則として「コンテンツセンター アナウンスグループ統括」となったようだ(北海道各局は違うらしい)。また、(2021年頃から?)「地域職員」という任意の県域局とその周辺局でのみ勤務する制度もでき、青森局などにはそのアナウンサーが配置。】

1人のアナウンサーの異動で見れば、
採用・研修→地方局1~2局→札幌・仙台などエリア(ブロック)の拠点局→東京の放送センター
という流れが多く、その後、副部長などになって再び全国を回ったり、人気者になってずっと東京にいたり、アナウンス業務を離れて他のセクションへ異動したりする。
【3日追記】近年は、後述・コメント欄のように拠点局を経験せずに地方局から東京へ異動する人も少なくない。いずれにしても、30歳代までの比較的早期に、一時的とはいえ東京で勤務するアナウンサーが多くなっていると感じる。

ところが昔は、延々と地方局を回るアナウンサーがいて、東京へ配属される人は限られていた気がするし、地方局には40代・50代のアナウンサーがもっと在籍していた気がする。
今なんか3・4年前に秋田局にいた若手が東京でニュースを読むのはあまり珍しくないが、昔は東京からの全国ニュースを読むアナウンサーなんて、ごく限られた人だったと思うし、今より年齢が高い人が多かったはず。
気のせいか、昔の人は老けて見えたのか、NHKの方針の変化なのか。


地方の一般人の中には、その土地のNHKの放送局にいたアナウンサーが、後に全国放送の番組に出演するようになると喜ぶ人がいる。地元出身者が芸能人になったのと同じように。
そういう記憶が蓄積され「秋田放送局にいたアナウンサーは、後で出世する」「秋田局はエリートコースだ」などと言う人もいる。

これは秋田に限った話ではない。
2001年採用で高松→静岡→名古屋の各局を異動している神門光太朗(かんどこうたろう)アナウンサーは、「NHK名古屋放送局アナウンサー・キャスター日記 かんどーブログ」の2012年3月1日の記事(http://www.nhk.or.jp/nagoya-ana-blog/150/111328.html)」において、
高松でも静岡でも名古屋でも、視聴者から、
「NHK高松/静岡/名古屋に勤務したアナウンサーは みんな出世するのよ~」
とそれぞれ言われたそうだ。
「私が出世コースを歩んでいるのか・・・ それとも、 全国どこの放送局でも同様に言われているのか・・・ 謎である。」
としているが、どうやら後者のようです。
視聴者のある種の“地元愛”が形を変えて、このような“伝説”が作られるのだろう。

そもそもNHKアナウンサーの「出世」や「エリート」とはどういうことを指すのだろう。
視聴者にしてみれば全国放送出演=出世なのだろうが、NHK職員としての立場ではアナウンサー職を離れて、ラジオ・テレビに出ない役職になることこそ出世かもしれない。


話が変わって、今度はその土地「出身」のNHKアナウンサー。
全国的には「秋田は訛るから、アナウンサーになるのは不向きだ」と思われるかもしれない。
でも、秋田の人は外面を気にする「いいふりこき」であり、方言と共通語を切り替えて使える人が多いし、訛り矯正・共通語習得は難しくはないと思う。※カン【3日訂正】スガ官房長官のようにクセのあるイントネーションが抜けない人もいるにはいる。
NHK以外では、小倉智昭、山田透(元ニッポン放送)、山王丸和恵、長岡杏子、堀井美香などが全国区で活躍している。

最近のNHKでは、アナウンサーを出身地近くの放送局に意図的に配属する“ご当地アナウンサー”的な人事が行われているようだ。
しかし、秋田放送局には、少なくとも最近は該当者はいない。

NHKアナウンスルームのホームページでは、アナウンサーを「生育地」で検索できる。(アナウンサーによっては複数を登録している人もある)
秋田県で検索してみると5名で、思ったより少ない。
うち3名はあまり印象にない方々。顔や名前はなんとなく知っていた気がするが、秋田出身だとはまったく知らなかった。現在は、大阪、長崎、東京(関連会社出向扱い)にそれぞれ在籍。
あとの2名とアナウンサー職を離れた秋田出身者については後述。



さて、ネット上にはNHKアナウンサーの現在の所属が分かるプロフィールはあっても、異動履歴については分からない人が多い。
昔、秋田局にいて覚えているアナウンサーを何人か挙げてみる。
※以下、一部敬称略。NHKでは「シニアアナウンサー」「エグゼクティブアナウンサー」とか“階級”があるようだが、それには触れません。
※仙台局にいた人などを勘違いしている可能性があるかもしれません。間違い、勘違いがあるかと思います。
【7日補足】以下、「現在はNHK放送研修センターで講師を務めている」という記述がいくつかありますが、同センターホームページの講師紹介に名前が出ていることから判断したものです。しかし、ホームページが最新の状態に更新されていない可能性もあります。

・阿部渉(わたる)アナウンサー
今や押しも押されもせぬ人気アナウンサー。出身は岩手県。1990年入局で初任地が秋田局。今の新人は研修後、夏に各局に配属されるが、当時は4月からいきなり配属されたはず。その後、横浜局を経て後はずっと東京。
2008年の秋田放送会館(秋田局の局舎)の移転新築の際は、そのセレモニーの司会のために秋田へ駆けつけた。
横浜局は県域放送は行っておらず、実質的に東京の放送センターの出先みたいな所なので、阿部さんは純粋な地方の放送局は秋田局しか経験していないことになる。横浜へ異動直後の野球レポートで「横浜市の八橋球場からお伝えしました」と言ってしまったことがあるとか。※八橋球場は秋田市にある。
【2018年11月26日追記】2018年11月23日に開催された、秋田放送会館移転10周年を記念したイベント(一部をテレビでも県域放送)に、阿部さんも参加。その時に「高校野球県大会の途中で秋田から横浜へ異動した。さっそく横浜スタジアムから中継をした際、冒頭で「横浜市の八橋球場です」と言ってしまった。」という話をしていた。以前聞いた時とは、微妙に話が違っている。【2018年12月16日追記】秋田にいたのは1990年(当時は春にいきなり配属されたらしい)から1993年(高校野球予選中だから夏)。

・内藤啓史(けいし)アナウンサー
岡山出身、1977年入局。秋田は3局目で、1985年頃から1990年代初めの在籍。夕方のニュース「イブニングネットワークあきた」も担当。
その後、名古屋局や東京で勤務し、1990年代後半の「堂々日本史」の進行役を務めた。現在は2度目の名古屋局。【8月1日追記】2014年7月に、東京へ異動していた。
秋田局にいた頃、街中で何度かお姿をお見かけし、子ども心に失礼ながら「顔が長い」と思った。学校でも「あの人って、顔長いよね」とちょっと話題になたものだ。
その後、秋田局開局何周年で、ビデオメッセージが放送されたが、その時、「秋田の皆さんお久しぶりです。NHKでいちばん顔が長いアナウンサー、内藤です!」とあいさつしていて、自覚されているようだ。

・福井慎二アナウンサー
今は「ニュースウオッチ9」のナレーションで活躍。(顔が映るのは、祝日の深夜のニュースくらい)
札幌出身、1980年入局。秋田が2局目だから、内藤さんと同じ頃か。

以上、お三方は、視聴者からすれば「出世」したアナウンサーであり、だからこそ秋田にいたことを覚えている人も多いはず。他にもいる。
・杉原満アナウンサー
平日14時台の「お元気ですか日本列島」という全国放送の情報番組に「気になることば」というコーナーがあり、「ことばおじさん」こと梅津正樹アナウンサーが、日本語の使い方や変化を解説していた。
NHKのリストラの一環や梅津アナウンサーの定年・雇用形態の変化などが原因なのか、同コーナーは2012年9月で終了。10月からは「ことばの宝船」としてリニューアルされた。
その担当として、着物に付けヒゲの水戸黄門のような「ご隠居」スタイルで、杉原満アナウンサーという人が登場した。

梅津さんより若く、いったんアナウンサー職を離れて「NHK放送文化研究所」で研究員をしており(2012年6月まで)、アナウンサーに復帰して出演したようだ。
その後、2013年春から番組名が「情報まるごと」、コーナー名が「トクする日本語」に変わり、普通のスーツ姿で出演中。

名前と顔に見覚えがあったが、この方も秋田局にいた。当時はもっと顔がパンパンして、目が腫れぼったかった印象。
東京出身、1982年入局。秋田が初任地ではなく、秋田にいたのはおそらく昭和末から平成初期頃だろうか。

・樋口淳一 元アナウンサー
昭和時代、朝6時台に「明るい農村」という、農山漁村の話題を伝えるテレビ番組があった。
1985年に「にっぽん列島あさいちばん」となり、1988年にはニュースと統合されて「NHKモーニングワイド」内の「にっぽん列島ピックアップ」というコーナーになった。
その「~ピックアップ」のおそらく初代担当だったのが樋口アナウンサー。初めて見た人で、若干斜に構えて勢い良く(?)「おはようございます。 にっぽん列島ピックアップです」とあいさつしていた。【2022年2月28日追記・1989年2月6日放送に出演していたことが確認できたので、初年度・初代担当で間違いない。】
担当したのは1年間だけだったようで、後任は、後に「きょうの料理」のダジャレで有名になる後藤繁榮アナウンサー。

にっぽん列島ピックアップ降板後は全国放送で見かけなくなったと思ったら、突如(直後だったか数年後だったかは忘れた)、「おはようございます。 秋田からニュースをお伝えします」などと秋田のローカルニュースを読んでいて、驚いた。
僕の知る限りでは、東京で全国放送に出ていた人が秋田局に異動して来たのは初めてで、「もしかして左遷させられたの?」とちょっと気の毒に見ていた。
樋口アナウンサーは1951年東京生まれらしいので、秋田に来たのは40歳になる前頃。副部長にしてはやや若いはず。どうだったんだろう。

いつの間にか秋田からもいなくなって、全国放送でも見かけなくなったと思ったら、2000年代後半には山形放送局の局長をされていた。
左遷どころか、これこそ大出世?!
なお、アナウンサーから放送局長になった人は、他にも何人かいる。

樋口さんは、現在は定年退職され、外郭組織の「NHK放送研修センター」で講師を務めているようだ。


ちなみに記者では、「五つ子の父親」の山下頼充 元記者や、国会議員になったアズミ元記者が秋田局勤務経験あり。


次は、秋田出身のアナウンサー。
・谷地健吾アナウンサー
鹿角市出身、たしか大館鳳鳴高校卒【4日訂正・高校は東京?】、1993年入局。
奈良、青森、札幌の各局を経て、東京でニュースや「お元気ですか日本列島」を担当後、仙台局。現在は2度目の東京。

・石戸谷健一 元アナウンサー
大館市出身、大館鳳鳴高校卒。1971年入局、2009年退職後、NHK放送研修センター。
東京勤務が長く、昭和末期から平成初期にかけて昼や19時のニュースを担当したり、1990年代後半には仙台局で「ウイークエンド東北」に出ていた。
放送研修センターのホームページの顔写真では、以前より頭の毛が…

・佐藤淳(じゅん)元アナウンサー
横手市出身、横手高校卒、1982年入局。
1990年代前半は東京にいて、ニュースセンター9時の後番組「ニュースTODAY」と「ニュース21」のレポーターやナレーター、草野満代アナウンサー(当時)とコンビで「モーニングワイド」のメインキャスターを務めた。【8日追記】「モーニングワイド」の平日キャスターは和田・桜井、松平・上田、佐藤・草野と3代変わった。佐藤・草野時代は、オープニング曲の中で世界各国の朝のあいさつが流れていたと思う。
歯切れが良く聞きやすくニュースを読む人だった。
その後、見なくなっていたが、現在は青森放送局局長。
【2016年7月14日追記】
この後、東京へ戻って「アナウンス室専任局長」、さらに2015年6月から「アナウンス室長」を務めている。
アナウンサーとしてはまさに頂点に登り詰めたわけだが、それは県域放送局長よりも格上のポストなのか。
※「アナウンス室長」というのは、「東京所属の」アナウンサーの統括ではなく、「全国のNHKのすべての」アナウンサーの統括という位置づけなんだろうか? 過去には山根基世さんなどが務めている。
テレビラジオに出演する機会はないのかもしれないが、アナウンスの現場なのだろうから、ある意味“アナウンサー復帰”なのかも。
【2017年5月27日追記】その後、2017年6月9日付の管理職定期異動において、アナウンス室長から人事局付に異動。57歳になられたので、役職定年ってやつか?


追記時点のWikipediaでは「大仙市出身」となっている。上の「横手市出身」のソースも当時のWikipediaだったような…
また、1959年生まれであること、「モーニングワイド」は1991~1992年度の出演で、当初は6時台担当だったが、マツダイラ氏がタクシー車内で暴れた不祥事で降板したため、1991年6月から7時台へ抜擢されたことも判明。そう言えばそうだった。(以上追記)


以上、1980年代後半から1990年代前半(=昭和末期から平成初期)に秋田局にいたアナウンサーは、けっこう活躍、すなわち「出世」している気がする。(それ以外の方々が活躍していないというわけでなく)
そして、秋田出身の人は、近隣の局には配属されるが、秋田には来てくれない。意図的なのか本人の希望なのかたまたまなのか…
阿部渉さんも岩手出身で秋田配属だったし、以前秋田にいたリニアさんは山形出身。出身地の近くの県に配属するという傾向はあるのかもしれない。


知る限り唯一、秋田出身(生育地)で秋田局に配属された、しかも女性アナウンサーがいる。20年少し前の秋田を知る方なら、もうお分かりだろう。
・大沼ひろみアナウンサー
生まれは仙台、秋田育ちで秋田高校卒。1988年入局。【2018年12月16日追記】秋田局から転出したのは1991年とのこと。
初任地が秋田局。当時は地方局に正職員の女性アナウンサーが配属されることは極めて珍しく、秋田局では初めてだっただろう。(その後も、2003年の一柳亜矢子アナウンサーだけ。もちろん契約キャスターは除く)
そんなわけで、当時は人気があったはず。
その後、仙台局に異動後は、東京やさいたま局など首都圏内を行ったり来たり(女性アナウンサーはこういうパターンが多い)して、ご結婚もされたそうだ。現在は久しぶりに首都圏を離れて、福井局の副部長。


阿部渉さんや大沼さんのほか、秋田が初任地だったアナウンサーを挙げてみる。カッコ内は入局年・出身地・現在の所属。※全員ではありません。
大沼(1988)、阿部渉(1990)、山田貴幸(1991、新潟、新潟局)、熊倉悟(1993、新潟、東京でラジオディレクター)、村上真吾(1995、大阪・千葉、函館局)、阿部悌(1996、宮城、2度目の秋田局)、三好正人(2001、福島、東京)、片山智彦(2002、福島、山形局)
増子有人アナウンサー(1993、北海道、旭川局)も初任地だと思っていたが、秋田局は2局目か?【2023年8月4日追記・増子さんは2023年夏の異動で、再び秋田へ。秋田局ホームページで「23年ぶりに秋田に帰って来ました!」とコメントしており、最初の勤務では2000年までいたのか。9月12日追記・局ブログに「(前回勤務は)平成8年からの4年間」とあいさつが掲載。1996年から2000年。】

1990年前後は、毎年のように新人が秋田局に配属されていたことになる。(NHK全体の採用人数が多かったこともある)
初任地以外の皆さんも見てみると、秋田局に来るアナウンサーは、東北・新潟出身の人が多く、その後の勤務地は北海道・東北・新潟が多い傾向がある。
函館放送局はアナウンサーが2名しか配置されないが、現在はいずれも秋田局にいた村上真吾、鈴木貴彦 両アナウンサー。

秋田の視聴者としてうれしいのは、秋田局で2度目の勤務をするアナウンサー。
いずれも初任地が秋田局で、2度目は副部長として着任した、山田貴幸、阿部悌(やすし)両アナウンサー。ただし、初任時と2度目では、局舎は移転している。
たくさんある地方局の中から、再び秋田に来たのは、もしかしたらご本人の希望(例えば秋田の女性と結婚したので、妻の実家近くがいいとか)があったのかもしれない。


ちなみに、僕が青森にいた頃、青森局にいたアナウンサーも挙げてみる。新人ばかりで、そうでない人はあまり思い出せない。
三上弥(1994、青森、松江局)、堀伸浩(1996、北海道、北見局)、津田喜章(1997、宮城、仙台局)、横尾泰輔(1998、神奈川、大阪局)
谷地健吾アナウンサーも2局目としてこの頃いた。【2016年8月31日追記】ほかには、児玉隆、八尋隆蔵 両アナウンサーもいたかな。

忘れていけなかったのが、
・津田喜章アナウンサー
青森局→秋田局→仙台局と、東北地方だけを異動していて、僕は、新人の時からほぼ欠かさず見ていることになる。
採用当初は、新人なのに老けて見えるし、眼光鋭く(最初はメガネをかけてなかった??)ぶっきらぼうで無愛想そうだし、さらに当時のホームページでは「青森にはフジ系がなくてビックリ!」なんてNHKらしからぬことを書いていて、ヘンな人だと思っていた。
その後、仙台勤務時に東日本大震災に遭遇、石巻出身であり知人を亡くすなどの経験をし、今なお被災地に寄り添った報道を続けている。
採用時期や年齢からすれば東京経験がないのは珍しいが、しばらくは東北で活躍してほしい人材。

秋田局でアナウンサーのやり繰りがつかなくなった時(野球中継や選挙がある土日など)、仙台や東京からアナウンサーが応援に駆けつけることがあるが、津田さんが来ることが比較的多い。
これは、勤務経験者のほうが地名の読みなどに慣れているからかもしれない。(でも、東京からいきなり来た人でも、それなりに読めるのは、さすがプロだ。)



さて、NHKでは今頃が大規模な異動のシーズンらしい。
秋田放送局が初任地(2010年)だった酒井良彦アナウンサーが春の段階で佐賀局に転出して1名減となっており、さらに緒方宏一郎アナウンサーが東京の別部門へ異動。
代わりに、新人1名と、東京から1名が来て、6名体制に戻った。

東京から来たのは、福井茂アナウンサー。前にどこかで見たことがあったが、BSニュースか?
1982年入局だから、けっこうな「おじさん」。
天気予報の地名のアクセントがまだ少々違ったりするけれど、さすがベテラン、声と読み方がとても聞きやすい。
職階としては、副部長の阿部アナウンサーよりは下なんだろうか?

秋田局にこういう年配のアナウンサーが来るのって、かなり久しぶりだ。
昭和末期に吉野正美アナウンサーという人がいた(万葉集の研究が趣味で本を出版したとか)けれど、それ以来か。
吉野さんは、夕方のニュース「630(ろくさんまる)あきた」のキャスターをしていた。今なら、全国ほとんどの局で、30代前後のアナウンサーが担当しているのと対照的。【4日追記】当時の吉野さんは50歳そこそこだったようだ。今からすれば老けて見えたもんだ。
【2018年12月16日追記】上記、秋田局移転10周年イベントにおいて、阿部渉アナウンサーが初めてテレビ出演して中継した時の映像が流れた。中継が終わってスタジオに戻った部分も少し映り、そこにいたのが吉野アナウンサーで、「新人なので、なにとぞよろしく」みたいなフォローをしていた。

【8月18日追記】この後、夕方のローカルニュース「ニュースこまち」キャスターの中沢圭吾アナウンサーの2週間の夏休み(と大曲花火特番の準備?)のうち1週間(8月11日~15日)、福井茂アナウンサーが代打でキャスターを務めた。秋田局のブログによれば、福井さんは「20年前くらいに、夕方のニュース・いわゆる610のキャスターを他の地域でしていました」そうで、その時以来とのこと。
昨年以前も、副部長が代理キャスターをすることはあった(今年も18日から3日間は阿部副部長が担当)が、年齢的には上記吉野さん以来の高齢キャスターではないだろうか。落ち着いていてとても良かったと思う。


前も書いたけれど、都道府県別の受信料納付率は秋田県が全国トップだとか。
今、秋田局にいるアナウンサーたちが将来どんな「出世」をしてくれるのか期待しながら、秋田県の視聴者は受信料を払っているのです?!
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