人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

ポルトガルワインを試す ーー(24)カーザ・デ・パッソス・アリント・レゼルヴァーー

2021-07-09 08:15:48 | グルメ

ポルトガル北部ミーニョ地方のキンタ・デ・パッソスの白ワインです。このワイナリーは16世紀から続くワイナリーでオーナーのパウロは16代目とカタログに書いてありました。ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝えたころに創業したことになります。本樽発酵後、6カ月間オーク樽熟成。心地よい酸とバニラを思わす樽の味わいとカタログにはありました。ブドウの品種はアリント100%。この地方のブドウはアルバリーニョが多いのですが、このアリントは初めてです。実際に飲んでみて、これまで飲んだ白ワインと微妙な味の違いは感じるのですが、これを言葉で表現するのは難しいですね。ソムリエの人が一口飲んでそのワインの産地や品種などを当てるのをみていると、神業としか思えません。ただ美味しいワインであることは間違いないです。

さて今回は、読売新聞の《日本史アップデート 2021/6/29》にあった「南蛮貿易」の実態という記事を紹介します。それによりますと、南蛮貿易は1511年にポルトガルがマラッカ海峡を占領した時から始まったようです。さらに1526年に博多商人の神谷寿禎が石見銀山を発見、1543年に鉄砲伝来、1549年にザビエル(スペイン人)が鹿児島に上陸、1584年にスペインとの貿易を開始、1587年にバテレン追放令、1624年にスペイン船の来航禁止、1639年にポルトガル人の来航禁止と続きます。ただその「南蛮貿易」の実態は、当時東南アジアで猛威を振るっていた海賊集団「後期倭寇」らの貿易網にポルトガルが新規参入したことのようです。お目当ては石見銀山から産出された銀。その産出量は当時の世界全体の3分の1以上を占めていました。アジア産品を日本に運び、銀と交換して中国に輸出する中継貿易です。さらに最近の研究では、豊臣秀吉が「バテレン追放令」を出した背景の一つには、ポルトガルの奴隷市場に日本が組み込まれていたという事実があり、それを秀吉が警戒したのではないかとも考えられています。

 

 

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鎌倉を知る ーー永福寺跡に開花した中尊寺ハスーー

2021-07-06 20:21:18 | 日記

タイトルだけ見ても何のことやらさっぱり分からないと思います。時代は鎌倉に遡り、文治元年(1189)七月。源頼朝は大軍勢を引き連れ、奥州の藤原泰衡を討伐するために鎌倉を進発しました。そして2カ月後の9月3日に藤原泰衡は郎従河田次郎に討たれてしまい、6日には頼朝のもとに泰衡の首は届けられました。その首を持ちこんだ河田次郎も譜代の恩を忘れ主人を殺害するとは誠に許さざる行為ということで殺されました。この藤原泰衡の討伐に関してはなかなか追討の宣旨が下りず、宣旨なしで出発するというはじめは大義名分のない戦でした。

さてこの奥州征伐と中尊寺ハスがどう関係するかですが、この泰衡の首桶に蓮の花が入れられ、そのハスの花の種が発見され、近年になって中尊寺の池に植えられ、開花したものです。実際私も2009年7月3日にこの中尊寺ハスを見学しています(2020年8月28日付ブログ参照)。昨年、その鎌倉に寄贈された中尊寺ハスが開花したというニュースを記憶されている方もいらっしゃると思います。私自身、永福寺跡の中尊寺ハスは見ていませんが、今年も無事に開花したという記事をみて早速本日出向いたわけです。ただ残念ながら、鎌倉に大雨警報が発令されていましたので史跡永福寺跡には入園できませんでした。それでもなんとか見る手立てはないものかと北側に回りましたら写真の中尊寺ハスをゲットできました。可憐な紅蓮(ぐれん)のハスでした。私が中尊寺でみたハスも紅蓮のハス。DNAは同じです。白蓮でないところが中尊寺ハスの意地を感じました。

   泰衡が残した種がいまに咲く義経(ぎけい)が想いいかばかりかな

やがて永福寺跡の池は紅蓮のハスで覆いつくされるかもしれませんね。それも源義経、藤原泰衡の供養。832年の悠久の流れを感じたひと時でした。

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ポルトガルワインを試す ーー(23)アルリア・ティントーー

2021-07-01 19:07:47 | グルメ

今回はポルトガルの最南端アルガルヴェ地方のワイナリーであるカーザ・サントス・リマの赤ワインです。この産地のワインはこの銘柄だけ、貴重な一本となりました。また同じワイナリーのものは、フォルティッシモ・ティント、ラブラドール・ティントを飲んでいますが、いずれも日差しの強い南の海に似合うパンチの効いた赤ワインでした。このアルリア・ティントは、カタログの「ポルトガル最南、ビーチで有名なアルガルヴェ地方。豊富な日照時間が育む果実味豊かなフルボディ」とあります。確かに色は濃厚な深紅でこれぞ赤ワインだと主張していますし、飲んでみて喉を通るときに感じる渋み(苦味)も最近は癖になってきました。

さてせっかくなのでアルガルヴェ地方をご案内しましょう。ポルトガルの南の端ではありますが、大西洋に面しており、ユーラシア大陸の最西南端のサン・ヴィセンテ岬があります。この岬の名前の由来は、スペインのバレンシアで殉教したリスボンの守護聖人サン・ヴィセンテの遺体を乗せた船がこの岬に流れ着いたという伝説からです。すぐ目の前はアフリカ大陸なので、この岬を訪れた人は断崖絶壁の上に立ち地の果てに来たことを実感したと思います。この地の果てから、さらに大西洋を渡り南米大陸に辿り着いたり、アフリカ大陸に沿ってインド洋に出て中国や日本まで来たポルトガル人の冒険心?野心?には恐れ入ってしまいます。このサン・ヴィンセント岬には行ったことはありませんが、多分この岬に立てば、こういう妄想をしたと思います。

 

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