人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

熊野詣 PART1 --和歌山市内の雑賀崎--

2024-05-12 21:01:29 | 旅行

チャンスがあれば行きたかった熊野詣でが4月25日(木)~27日(土)にかけて遂に実現しました。鎌倉と京都の違いはあるにしても、後白河上皇は33度、後鳥羽上皇は29度、待賢門院は9度、北条政子は2度上京した際にかかさず熊野詣に行っています。今のように便利な交通手段はなく、徒歩と船旅で京都から20日以上かけて熊野三山を巡りました。天皇は京都から離れられませんので、譲位して上皇になってからの旅行です。まだ元気なうちに譲位する目的の一つにこの熊野詣があったともいわれています。決して楽な行程ではないのにもかかわらず、彼らを熊野詣に駆り立てた熊野三山のご利益、魅力はなんなのか?百聞は一見に如かず。やはり自分の目で確かめるしかありませんでした。

今回は新横浜駅発7時39分ののぞみ109号に乗車し、新大阪駅に9時48分に着きました。そこからバスの旅です。紀伊半島の西側を巡るのははじめてで見るものすべてが新鮮です。特に関空の近くを通った時には大人気なくちょっと声が大きくなりました。やはり老化している脳細胞にとり、たまにはこういう刺激が必要です。

今日最初の訪問先は雑賀崎。どこかで聞いたような名前ですね。実は1年前の4月15日にこの雑賀崎漁港である大事件がありました。私はすっかり忘れていましたが、衆院補欠選挙の応援で現地入りしていた岸田総理大臣に爆発物が投げ込まれたのがこの場所でした。日本遺産にもなっている静かな風光明媚なところですが、こんな事件で有名になるとは思わなかったでしょうね。まさかツアーで事件の現場を案内するわけもなく、ここは日本のアマルフィ海岸として有名になった景勝地です。和歌山市のHPの情報ですが、令和4年7月に放送された『世界一受けたい授業』というTV番組でAIによる世界遺産そっくり度ランキングで1位になったようです。アマルフィ海岸は映画のなかで見たことがありますが、正直ちょっと無理があるかなと・・・。日本のアマルフィ海岸なんてこじつけなくても十分に見ごたえのある景勝地でした。これもHP情報ですが、万葉集に「紀伊国の 雑賀の浦に出て見れば 海人の燈火 波間に見ゆ」と歌われています。この場所は、太平洋から大阪湾への入口、加太の瀬戸とか紀淡海峡(友ヶ島水道)に近く、潮の流れの激しいところでしたので、古くから潮待ちの船が多く係留されていたのではないかと思われます。

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