人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

豊川稲荷

2020-12-30 15:40:47 | 日記

豊川稲荷

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊川稲荷ついて知る

2020-12-30 09:41:33 | 日記

東海道歩きの途中、吉田宿で立ち寄ったのが豊川稲荷です。稲荷信仰と言えば京都の伏見稲荷。子供の頃に親に連れられてお参りしていましたので馴染みはあります。同じ愛知県に生まれながら豊川稲荷は今回が初めての参拝でした。折角なのでこの機会に豊川稲荷について調べてみました。

豊川稲荷は正式には、円福山「妙厳寺」という曹洞宗の寺院です。そしてお祀りしているのは豊川陀枳尼真天(とよかわだきにしんてん)。この豊川陀枳尼真天が稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから、「豊川稲荷」の通称になりました。では荼枳尼とも書きますが、この陀枳尼真天とはいかなる存在か? 仏教の神(天)で夜叉の一種とされ、梵語のダーキニーを音訳したものです。もとはインドの魔女。霊力が強いとされ、ヒンドゥー教から仏教に伝わりました。日本では空海が伝えた真言密教の中では閻魔天の眷属となっています。その後、狐に跨る天女形へ変形し、陀枳尼天と呼ばれるようになりました。さて祀られているのが陀枳尼真天であることは分かりましたが、それがどうしてこの地、豊川の妙厳寺に祀られたのでしょうか?

もとは順徳天皇(第84代)の第三皇子である寒厳義尹(かんがんぎいん)禅師に遡ります。寒厳禅師は文暦元年(1234)頃、曹洞宗の開祖「道元禅師」に参じ、寛元元年(1254)に入宋します。その後、弘長三年(1263)に再度入宋し、文永四年(1267)に帰国しています。時代は鎌倉。風雲急を告げる元寇の頃です。その二度目の航海の途中で陀枳尼真天が真言「オン・シラバッタ・ニリウン・ソワカ」を唱え、降臨したと伝えられています。以後、寒厳禅師はこの真言を唱念し、祈祷するよう弟子たちに教示しました。その後、6代目の弟子である東海義易禅師がこの豊川の地に妙厳寺を開創し、現在に至っています。

ところで京都の伏見稲荷にも江戸時代までは別当寺である愛染寺にこの陀枳尼真天をお祀りしていました。廃仏希釈で祭祀することは途絶え、宇迦之御魂神などを祭神とするようになったようです。しかしこの豊川稲荷は神仏分離を免れ、そのまま陀枳尼真天をお祀りしています。ようやく稲荷信仰と狐がつながりました。

写真は霊狐塚を写したもの。赤い前垂れをした数百の狐の姿は圧巻です。一度お参りに訪れてみてください。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道中で出会えた富士山に感謝!!

2020-12-29 16:21:09 | 日記

東海道中で出会えた富士山に感謝!!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道中膝車 --岡崎から知立ーー

2020-12-27 15:31:49 | 旅行

クリスマスの一日。朝、レンタカーを借りて岐阜県恵那市山岡町まで親の墓参り。最近オンライン墓参りもあるようですが、コロナ禍のやむを得ない方法かもしれませんけど、お墓にいる故人に理解できる筈もないと思い、片道2時間かけて出かけました。

昨日の続き、岡崎を出発したのは13時半過ぎ。本日の行程は知立までの12.2㎞です。写真は矢作川の矢作橋東側から岡崎市街を写したもの。街に架かる虹が印象的でした。

岡崎から知立までの過半は旧東海道を歩きます。とはいっても車道と分離された歩道は少なく、自動車もお構いなく通り過ぎますので、結構神経を使います。街道らしくなくても歩道が整備された国道1号線を歩く方が安心・安全ですね。ところで今日はリュックを知立駅に預けましたので、肩の荷が軽く快適に歩けました。知立のポイントである本陣近くに着いたのが16時。三里半十一町二十二間(12.2㎞)を二時間半で歩いたことになります。これまで一里1時間を目安に歩いてきましたので、肩の荷の軽さを身をもって実感した歩きでした。

後は知立から鳴海までの約12㎞を残すのみ。鳴海は生まれ育った町なのでいつでも行ける場所で、歩く時間も数時間。ということで今回の東海道歩きもほぼ成し遂げたと安堵し、名鉄知立駅から刈谷に行き、JR東海道線に乗換え、三河安城駅からこだま号に乗り、21時過ぎには鎌倉に帰りました。

振り返ってみますと、東海道全行程は百二十六里六町一間(約500㎞、七里の渡しを除く)。所要日数は日本橋から戸塚までが2日間。三条大橋から鳴海までが7日間。今回の戸塚から知立までが14日間。全行程を23日間かけたことになります。ざっと計算して、一日平均約22キロの歩行距離です。かかった費用は???。途中宿泊したのは西行程で亀山に一泊。東行程で浜松、豊橋、知立に一泊ずつ。あとは京都からと鎌倉からの日帰りです。使用したガイドブックは『ちゃんと歩ける 東海道五十三次 東・西編』(山と渓谷社:2014年12月5日初版第1刷発行)。発行から6年経過していますが、ほぼ間違いなく歩くことができました。

何よりも約500㎞を全て自分の足で歩いたことが素晴らしいですね。人間の一歩の力は凄い。すべてのものに感謝です。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道中膝車 --吉田から岡崎ーー

2020-12-27 13:02:21 | 旅行

今日はクリスマスイブ。朝一番にJR飯田線豊川駅そばの豊川稲荷に参詣。そのブログは別の機会に紹介します。8時30分頃に小坂井駅を出発。今日は岡崎までの旅程。御油までは県道496号沿いをひたすら歩き、御油から赤坂にかけては街道らしい街並みを楽しむことが出来ます。なかでも御油の松並木は東海道で一番美しい松並木かもしれません。着いたのは10時半頃。樹齢三百年以上の黒松356本植えられた道が600m以上続いています(国指定天然記念物)。ガイドブックには慶長九年に大久保長安が植樹したと書いてありました。

すぐ隣の赤坂では大橋屋という記念館に立ち寄りました。写真だけで通り過ぎようとしたのですが、ちょうど年末の大掃除をしている地元の方に呼び止められ、記念館の説明を受けました。この大橋屋は元は旅籠鯉屋で、つい最近まで旅館として営業していたこと。御油と赤坂宿は近接し、お互い飯盛り女を抱え泊り客を取り合っていたこと。この飯盛り女は死んだのち戒名をもらって丁重に葬られたこと等々です。そして広重の描いた赤坂宿はこの鯉屋が舞台だと。実際に庭に案内していただき、カメラアングルまで教えていただきました。浮世絵のソテツの木は近くの寺に移植されたこのこと。写真は復元されたソテツと灯篭ですが、広重の浮世絵と比べてみてください。

赤坂を越えますとしばらく国道1号線沿いを歩きます。ここは東名高速と名鉄名古屋本線と国道1号線が平行に走る数少ない場所。12時頃に本宿記念碑という場所でその風景を楽しみながら一休みしました。本宿は近くにある法蔵寺の門前町と栄えたところです。

藤川を過ぎれば岡崎に入ります。徳川家康は天文十一年(1542)12月26日にこの岡崎城で生まれました。生誕478年目の二日前に岡崎を訪れるとは・・・。この家康は今私が最も注目している人物です。日本の政治家はもっと徳川家康から政治を学んだ方が良い。中世史をかじってつくづく思いました。ちょっとわき道にそれましたが、岡崎の城下は二十七曲という構造になっていて各曲り角に「いろはにほへと・・・」という案内の標柱が立っています。それを頼りに曲がり角を探すのですが、本日の終点である中岡崎町に着いた16時半頃には辺りも暗くなり、「へとへと」に疲れてしまいました。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする