人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

ポルトガルワインを試す ーー(26)アズレージョ・ティントーー

2021-07-27 11:02:34 | グルメ

今回の赤ワインはカーザ・サントス・リマのアズレージョ・ティント。価格は1,100円(税込)でメルカドのワインの中でもお手頃価格の一本です。産地はリスボニア地方。ポルトガルの首都リスボンがあるところです。このワイナリーのネーミングは独特で、これまでもラブラドール、フォルティッシモ、パッション、アルガータ・シグネチャー等のワインを試してきました。さて前置きはともかく、このワインの味ですが、貧乏舌の身としましては、どうも値段で味を判断してしまいます。従って飲み始めも恐る恐るとなり、適切は評価ができません。カタログには、フルーツバスケットのような爽やかな香りが立ち上がり、奥行きある味わいに滑らかなタンニン、すぐに1本飲めそうな心地よさ、Tボーンステーキと◎と書いてあります。良心的な店ですね。ワインは値段で評価するなと言っているようです。

さてうんちく話を一つ。ワインの名前になっているアズレージョについて。ガイドブックによれば、アズレージョは装飾タイルのことです。その言葉はアラビア語で「光沢のある小石のモザイク片」を意味します。イスラムのモスクに使われているあのモザイク画のタイルです。15世紀にスペインを経由してポルトガルにもたらされました。そして現在のポルトガルのあちらこちらの壁に使われているコバルトブルーのアズレージョ(装飾タイル)はデルフト焼きのもので、17世紀~18世紀にかけて中国や日本の磁器の影響を受けました。日本の古伊万里や中国の景徳鎮の磁器にあるコバルトブルーの花瓶や絵皿ですね。ポルトガルと日本や中国はユーラシア大陸の西と東の端にある国です。お互いに影響を受けながら文化を発展させている訳で世界は広いようで狭いものです。

ところでこの場を借りて2020東京オリンピックの話題。女子柔道で日本が直接の対戦で負けたのが金メダルを取ったコソボ共和国の二人です。コソボと聞き、20年位前のコソボ紛争の悲惨な映像が蘇りました。アルバニア人とセルビア人との内戦。コソボはユーゴスラビアから独立宣言してから長い内戦を経てやっと2008年に共和国となった国です。面積は岐阜県と同じ1万平方キロメートル超。人口は180万人弱。このオリンピックに共和国大統領が来日したようですが、金メダルを取った二人は国を背負って戦っていました。背負っている重さが全然ちがいますね。強いわけです。

 

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新型コロナ禍の密かな楽しみ ーーポルトガルワインにハマる!!ーー

2021-07-22 19:08:47 | グルメ

今日の新型コロナの感染者数は東京は2000人にせまり、地元神奈川も600人を超えました。この暑さにもめげずに相変わらず繁華街の人出や首都圏を脱出する車の列は減るどころか増えるばかり。小池都知事の必死のお願いも空しく、さてこれから先どうなることやら・・・。

高齢者の身としては、2回のワクチン接種は終わったとは言え、人様に迷惑をかける訳にはいかず、ただただ暑い夏を自宅で過ごしています。新型コロナはともかく熱中症の方が心配で水分補給や扇風機をまわし暑さを凌いでいるところです。冷房はクーラーが故障しており我慢の毎日。せめてもの救いは夏生れで猛暑で有名な名古屋で生まれ育ったこと。夏になると汗腺が全開し放熱してくれるから助かります。

さて前置きはこの程度にして本題にもどりましょう。写真をご覧ください。1月からのポルトガルワイン試飲の途中経過で20本のワインを並べてみました。これでもまだ店に置いてあるワインの三分の一くらい。空き瓶が邪魔にされはじめたので一旦処分することにしました。仲間とワイワイしゃべれないのは辛いのですが、この歳になれば贅沢も言っておれず、人様に迷惑にならない楽しみを見つけるしかありません。外で飲めないので家飲みで楽しんでいます。

ところで20年前のビデオを見つけ出し、SMSで発信し、人をおとしめるような情けないヒトにはなりたくないものです。20年前になぜ言わなかったのか?今は十分社会に貢献する仕事をしているのに・・・。なんとも世知辛く、情けない話が多いことでしょう。そんな思いを込め、一人でも楽しめることをブログにしてみました。アッいけない!!密かではなかったですね。

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鎌倉を知る ーー厳島神社ーー

2021-07-20 08:07:42 | 日記

『かまくら子ども風土記』の台と小袋谷の項に成福寺の隣に厳島神社が紹介されています。もともと成福寺境内の一部で、応神天皇を祭神として八幡さまがまつられ、寺の鬼門よけのお宮でした。昭和になって弟橘媛命をまつる吾妻社、市杵島姫命をまつる弁天社を一緒におまつりして今の厳島神社となったとあります。この厳島神社がある成福寺の裏手の山は、成福寺の山号になっている亀甲山と言います。山の形が亀の甲羅の形をしているからだとも言われているそうです。

最近の北条泰時に興味があり調べていますが、今日も泰時のお墓のある常楽寺を訪ねてから成福寺とこの厳島神社を訪ねました。成福寺横の階段を登れば気持ちのよい広場があり、そこに厳島神社が建っていました。東を望めば常楽寺の裏の台地が見え、今はマンションが邪魔をしてよく見えませんが、昔は北鎌倉から大船、常楽寺までが一望できた場所だったと想像されます。そしてこの厳島神社の名前ですが、昭和につけられたとは言え、平清盛が整備した安芸の宮島にある厳島神社の名前をつけたとは、平氏ゆかりの神社であること意識したとしか思えません。この成福寺・厳島神社、常楽寺はいずれも鎌倉街道沿いにありますが、北条泰時が生きていた時代から北条氏の所領だった山内荘の台地の上に砦みたいな建物があったのではないでしょうか?そうするとこの成福寺もその時代から堂宇が整備されていたかもしれません。

これは妄想ですが、『吾妻鏡』にでてくる泰時が妻の母のために造った墓所は今の常楽寺ではなく、この成福寺ではなかったかと・・・。成福寺は泰時の子である成仏(幼名 泰次)が開いたとされています。

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ポルトガルワインを試す ーー(25)カーザ・ド・ヴァーレ・レゼルヴァ・ティントーー

2021-07-12 08:37:34 | グルメ

既に何回か登場しているミーニョ地方のワイナリーであるカーザ・ド・ヴァーレの赤ワインです。ミーニョ地方、ヴィーニョ・ヴェルデ地方のワインは白ワインが多いのですが、珍しくこのワインは赤。この地方のワインでカタログに掲載されている赤ワインは一本だけでした。店の方に聞くと、20種類以上のブドウを畑で混植した特別のワインだそうです。フィールド・ブレンドとありますので、いろんな畑から摘み取ったブドウを醸造所で混ぜ合わせるのでなく、畑ですでにブレンドされている?その風味は畑で摘み取り混ざった時点で決まるわけですから、まさに一発勝負。素人には理解しずらい作り方のようですが、実際飲んでみると、果実味と酸味のバランスがよく、さっぱりとした味わいで◎の美味しいワインでした。

今年の1月26日の最初の一本から思い付きではじめた「ポルトガルワインを試す」シリーズですが、6カ月が経ち25本のワイン(内3本はポートワイン)を飲みました。今では食事時にグラス一杯のワインを飲むのが習慣になりつつあります。ワイン店メルカドのカタログに掲載されているワインは72銘柄(内スパークリング、ポートワイン等が17銘柄)なのでまだ道半ば。ひそかな愉しみはまだ続けられそうです。

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鎌倉を知る ーー参禅での公案とは?ーー

2021-07-11 08:29:47 | 日記

さて今回は冊子『花園』のコラム「続 白隠の言葉を読む」から感じたままを紹介します。まず禅の言葉で有名な「見性成仏」を私なりに理解しました。そのまま読めば、見性して成仏するということです。まず成仏は、仏になることですね。よくやくざ映画で使われれる「早く成仏せい!!」は死ぬことですが、この成仏は正覚すなわち悟りの境地に達することです。次に見性ですが、この言葉の意味がなかなか理解しずらいですね。このコラムには、「見性とは自性(己の本性)の有り様をしかと見ること」と書いてあります。白隠禅師の『坐禅和讃』に衆生本来仏という言葉が出てきますが、この自性とは人に備わる仏の心とも解釈できます。そうすると見性とは、人に備わる仏の心を如何にして見つけ、悟りの境地に達するかということになります。

禅の世界においてその境地に至る方法は坐禅をすることで瞑想し心を静めことを勧めています。曹洞宗では面壁と言ってひたすら坐るだけ。臨済宗は曹洞宗とは異なり、白隠禅師は「読経や念仏・持戒などあらゆる実践はみな等しく見性に至る道だが、なかでも効果的なのが禅の公案(課題)だとし、公案に参じることで人は容易に疑団(疑い)を起こすことができ、それが見性へ向かう力となる」と言っています。

白隠禅師が参禅初心者に与える公案に「隻手音声」があります。これは、両手を使って叩けば音がでるが、片手で叩いて音をだすにはどうするか?という課題です。白隠禅師はまた、「ひとつの公案に対してただ参究していけば、心は消え、がらりと開けて何もなく、あたかも何ら拠るべき所がない切り立った崖にいるような状態になる。もはや絶対絶命というところで胸がカッカとし、ハタと公案とひとつになって、心身ともに消え失せる。そこから一歩踏み出せば、自ら体験したものしか分からない大いなる喜びを得る。これを見性というのである」と語っています。先ほどの「隻手音声」も答えが無くても坐禅をして必死に考える。夏目漱石は「父母未生以前の本来の面目は何か?」という公案を釈宗演から与えられ、スゴスゴと山を下りたと『門』に出てきます。何か公案の意味が分かったような気がしますが・・・自信はありません。

ただこれまでの仕事のなかでも与え得られた課題を期限までに解決しないといけない状態に追い込まれ徹夜して必死に考えたとき、フッと答えが下りて来る瞬間があります。これも悟りの一つかもしれませんね・・成仏したようです。

 

 

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