人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --円覚寺の佛牙舎利塔ーー

2020-02-28 16:41:43 | 日記

円覚寺正続院の門前に「佛牙舎利塔」と書かれた石柱があります。左面には「従大唐國能仁寺拝請」、裏面には「寛政四年壬子十月十五日」、右面には「征夷大将軍源実朝公」の文字が見えます。歴史探訪の楽しみは、この四面の情報からどれだけ妄想を膨らませ、過去に想いを馳せるかにあります。

まず舎利というのはお釈迦さまの遺骨のこと言います。そして佛牙とありますので、これはたぶん歯であることが想像できます。次に思うのは、このお釈迦様の舎利(歯?)が何故に円覚寺の舎利殿に収められているかです。次の手掛かりは、大唐國能仁寺拝請の文字ですが、この舎利は中国の能仁寺から請来したものであることが分かります。では何のために、誰がわざわざ中国から舎利を請来させたのでしょうか?そこで征夷大将軍源実朝公が登場します。とはいっても、円覚寺の創建は1282年なので、円覚寺は実朝の時代にはなかったはずですが・・・?

そこから記憶を頼りに資料を漁るわけです。『生誕八百年記念 源実朝』(鎌倉市教育員会・鎌倉国宝館編集)の中に、三渕美恵子氏の ー源実朝の遺跡伝承ー がありましたので、紹介します。

あるとき実朝は、自分が中国能仁寺の開山である南山道宣の再来であることを夢に見た。同時に鶴岡八幡宮の良真僧都と明庵栄西も同様の夢をみたので、実朝は能仁寺の仏牙舎利の請来を思い立ち、良真・葛山景倫ら十二名を遣使の結果、ようやく目的を果たし、これを大慈寺に安置した。大慈寺が退転ののち、北条貞時は、大休正念とはかって円覚寺に舎利殿を建てて、この舎利を移した。

これで凡その経緯が分かりました。次はこの石柱が建てられた寛政四年(1792年)という時期です。将軍は徳川家斉で松平定信が「寛政の改革」で幕政の立て直しを図っていました。そして鎖国時代にも関わらず、ロシアの南下政策により、ロシア船が根室に来たという記録もあります。石柱が建てられたのは、何か別の事情だと思いますが、その背景をいろいろ想像するのが醍醐味でしょうか。

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鎌倉を知る --円覚寺妙香池の虎頭岩ーー

2020-02-22 13:25:28 | 日記

中島敦の短編小説『山月記』の書き出しは次のように始まります。

隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

この『山月記』の内容については多くはふれませんが、巻末の解説によれば「詩人になりそこねて虎になった哀れな男の物語」ということらしいです。ただし円覚寺妙香池の虎頭岩とはなんら関係ありません。単なる虎つながりで取り上げました。中島敦は享年33歳。その格調高く芸術性のある作品の評価は彼の死後に高まったようです。このブログにおいても泉鏡花のところで一度取り上げています。

ところで本題です。写真はその虎頭岩を写したもの。円覚寺は幾度となく拝観し、この虎頭岩もみていますが、今回のようにはっきりと虎の顔がイメージできたのは初めてでした。立春を過ぎ、少し力強くなった陽光がつくりだした影のせいで、口、鼻、少し瞑った目そして耳の形もはっきりしています。妙香池の畔で休む虎の姿が、人間の記憶をすっかり無くし、虎そのものになった李徴の姿に重なりました。そして妙香は「えもいわれれぬ妙なる香、また、仏の法の功徳をたとえていう語(日本国語大辞典)」の意味です。虎の姿も、なんともうっとりして休む姿に見えてきました。またまた妄想です。

 

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鎌倉を知る --東慶寺と夏目漱石『初秋の一日』ーー

2020-02-20 21:23:05 | 日記

東慶寺の山門の階段下に夏目漱石の「参禅100年記念碑」があります。その記念碑には『初秋の一日』の抜き書きが載せられ、漱石ファンなら一度は読んだことのある文章です。漱石が中村是公と大塚信太郎の二人の友人とともに東慶寺の住職である釈宗演を訪ね、15年前の参禅の記憶を懐かしむ様子が漱石らしく書かれています。

その『初秋の一日』には記念碑に載せられていないところもあり、その部分も大変興味深いので、ちょっと紹介させていただきます。漱石が東慶寺を訪ねたのは明治45年9月11日。あいにくの雨の一日。その雨も身にまとわりつくような糠雨。鎌倉駅から人力車で護謨合羽を用意して東慶寺に行きました。文中に「彼らはその日の侘しさから推して、二日後に来る暗い夜の景色を想像したのである」とあります。二日後は9月13日ですが、何の日か想像ができません。最後に「御大葬と乃木将軍の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である」と。ここではじめて明治天皇の大喪の礼が9月13日に執り行われたのがわかりました。

そして夏目漱石の肖像写真で良く使われるが腕に喪章を付け、悲しげな表情で椅子に寄りかかっている写真です。この写真の撮影日は1912年9月13日とウイキペディアにありました。漱石が45歳の時の肖像写真です。漱石が生まれたのは慶応三年2月9日ですから、まさに漱石は明治とともにこれまで生きてきたことになります。写真の表情は「悲しげ」というよりも、「感慨深い」思いに浸っている表情かもしれません。

『初秋の一日』の短い文章の一つでこれだけ妄想が広がるとは。漱石恐るべしです。

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鎌倉を知る --円覚寺と夏目漱石『門』ーー

2020-02-20 17:19:42 | 日記

梅の香に誘われて、夏目漱石の『門』を片手に北鎌倉の円覚寺と帰源院そして東慶寺を訪ねてみました。以前は夏目漱石の参禅体験の様子が知りたくて、その個所の拾い読みだったのですが、今回は最初から通して読み、漱石の生涯のなかで『門』がどの時期に書かれたかも調べました。ただ三部作と言われている『三四郎』と『それから』は残念ながら未読です。

ストーリーは友人の妻を奪って駆け落ちし、その負い目から大学を中退、身を隠すように勤務地を変えて暮らす夫と妻。そして偶然に耳にした裏切った友人の消息と突然のニアミスに心を乱し、禅門に救いを求める主人公の心の葛藤を描いた小説です。夏目漱石は明治40年に朝日新聞社に入社し、明治41年に『三四郎』、明治42年に『それから』。そして明治43年に『門』の連載をはじめました。連載小説となれば読者受けするものが求められたのでしょうが、夏目漱石はこういった男女間の不義不貞を描いたものは不得手だったと思われます。相当のストレスだったのでしょうか、『門』連載後に胃潰瘍で入院し、修善寺で命にかかわる大量吐血をしました。

『門』では、”一”からはじまり、”一七”で裏切った友人と再会するかもしれないとの恐怖心に襲われ、「彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した」そして「宗教と関聯して宗助は坐禅という記憶を呼び起こした」とあります。ここで唐突に坐禅の二字が出てきます。連載の読者は宗助と安井との再会、お米の心の乱れを期待したと思いますが、夏目漱石は強引な幕引きをはかりました。”一八”から”二二”にかけての円覚寺での参禅の様子はちょっと難しい。この部分を書くことが夏目漱石の良心だったかもしれません。

終章”二三”では、お米が「本当に難有いわね。漸くの事春になって」と話し、それに宗助は「うん、然し又じきに冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。・・で終わります。

写真は明治28年12月に坐禅のため10日間ほど逗留した帰源院の山門です。

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映画 “CATS”を観る

2020-02-05 09:18:27 | 日記

怖いもの見たさでCATSを観にいきました。劇場公開後の評判はあまりよろしくなく、興行成績もイマイチで、本当に評判通りならどうしようなどと、思いは複雑です。

ミュージカルのCATSの初演は1980年。私はその評判を聞き、1985年頃にロンドンで観ました。チケットが取れず、ダフ屋から高いチケットを買い、席に着いたら目の前に舞台がなく騙されたかと焦りました。しかし開演すれば舞台が突然動き出し、一転してロンドンの場末の世界が広がった演出に驚き、素晴らしく美しいミュージカルに惹き込まれたことを覚えています。

そのCATSが映画化されるということはかなりの冒険です。猫のコスチュームはどうするのか、狭い舞台をどうスクリーンにひろげるのか、CGの技術が発達するなかで現実と虚構のバランスをどう取るのか等々・・・です。私の観た感想ですが、周りの評価はともかく、大きなスクリーンで繰り広げられる音楽、ダンス、それぞれの猫?の表情、舞台では見られないロンドンの街の様子など。特にテムズ川に架かる鉄橋の線路上で繰り広げられるタップダンスは印象的でした。大いに堪能でき、また食わず嫌いにならなくて良かったと思いました。

評判が悪いのは、擬人化した猫?に賛否があるようです。人間?猫?の尊厳が傷つけられたとか、グロテスクだとかです。日本人の私はこの擬人化した動物の姿をあまり気にしないのですが、抵抗のある人もいるかもしれませんね。完全CGのライオンキングならOKですが、CATSはNG。そんなことを思い劇場をあとにしました。

写真は円覚寺で写した猫さまです。CATSのポスターがあればそれにしたかったのですが、掲示されていませんでした。冷たいですニャン・・・。   And say  a cat is not  a  dog.

 

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