人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

熊野詣 PART2 --和歌の霊地 玉津島神社--

2024-05-13 19:13:29 | 旅行

「わかの浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 芦辺をさして 鶴鳴きわたる」万葉集にある歌(巻六919)で、山部赤人がこの和歌の浦で詠んだ歌といわれ、『万葉秀歌』(斎藤茂吉著)にも選ばれています。この歌をみて真っ先に思い出したのが高市黒人作の「桜田へ 鶴鳴きわたる 年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし 鶴鳴きわたる」でした。この歌は私の故郷の歌で万葉集の中でも一番好きな歌です。『万葉秀歌』にも山部赤人の歌と比較されていますので、我が意を得たり。ちょっと嬉しくなりました。これは余談でした。

さてこの玉津島神社は、日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」に登録されています。その案内板には、神亀元年(724)、聖武天皇は紀伊国を訪れた時、干潟に向かって連なる玉津島山のながめに感動して、この景観を守るように命じた。平安時代以降、玉津島神社に和歌の神・衣通姫(そとおりひめ)がまつられ、多くの和歌が奉納された。社殿は、関ヶ原の戦い後に入国した浅井幸長が慶長十一年(1606)に再興、その後に紀州藩初代藩主・徳川頼宣が整備したと書いてありました。さらに玉津島神社のHPをみますと、豊臣秀吉も紀州を平定した時に和歌の浦を遊覧して玉津島を参詣しています。そして「打出て 玉津島よりなかむれは みとり立そふ 布引の松」と詠みました。貴族や知識階級が憧れ続けた和歌の浦・玉津島を訪れて和歌を詠むことで、自分の偉大さを公家たちに納得させようとしました。また「和歌山」という地名は、このとき秀吉が名付けたと伝わっており、明治に和歌山県になったとすれば、クールな話かと思います。

今回のツアーでは、地元の女性の語り部の方に案内いただきました。最初は安産の神様である鹽竃神社、そして玉津島神社です。玉津島神社は前述した通り、和歌が有名な神社であり、山部赤人とか小野小町などの話をされていました。見どころは奠供山(てんぐやま)です。山頂に登れば和歌の浦が一望できる景勝地。古くは聖武天皇、近くは夏目漱石が我が国初のエレベーターに乗ったという話が『行人』に書かれているとのことです。語り部の方は、ガイドになって2年目ということですが、和歌をこよなく愛し、地元愛が強く、この地が日本遺産に登録されたことを誇りに思っており、ほとんどの和歌をそらんじて話されていました。同業の身として興味をもって聞いていたのですが、「好きこそものの上手なり」という格言の通り、和歌への愛、地元愛をもって話される方の話は経験が浅くても、聞く人にとって心地よく感じられました。最近筆者の地元でも日本遺産の紹介に力を入れていますが、オーバーツーリズムは公害だなんて新聞に書かれているようでは、わざわざ訪ねてくれる観光客の方に失礼ではないかと、和歌の浦の語り部の方をみてつくづく反省しているところです。

 

 

 

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