人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展を観る

2020-09-25 08:48:00 | 日記

10月18日迄の会期で国立西洋美術館で開催中のロンドン・ナショナル・ギャラリー展を観に行きました。チケットはコロナ対策のため日時指定の予約制です。全部で61作品。作品がロンドンから貸し出されるのは初めての事のようです。それでも1作品2分として2時間位はかかりますので、時間指定と言っても会場は居残り組を含め結構混雑していました。新型コロナの感染を心配する方は避けた方がいいかもしれませんね。

このロンドンにあるナショナルギャラリーですが、つい最近、アマゾンのプライムビデオで放映した3時間位のドキュメントを見た後だったので、より関心をもって見れました。そのドキュメンタリーは学芸員の方の解説や修復作業の様子、特に修復作業では時代背景はもちろん、元はどこに飾られ、その部屋の窓の位置、灯りの様子などまで検証し、修復後の色の濃淡を議論していました。今回の展示作品にも、フェルメールの《ヴァージルの前に座るキリスト》、ヘーダの《ロブスターのある生物》、ベラスケスの《マルタとマリヤの家のキリスト》などがあって、全く知識がないよりは少し鑑賞の視点が変わったと思います。

絵の見方として、例えばバトーニの《リチャード・ミルズの肖像》にあるミルズの顔を見ると「どや顔」です。さらに絵の脇の解説を見ますと、この絵が描かれた時代には、卒業旅行にヴェネチアなどに出かけ、その記念に肖像画を描かせたと書いてあります。そこで近づいてよく見ますと、その左手の指がヴェネチア地方の地図を指しているのが分かります。これは実物でないと気づきません。

またカナレットの《ヴェネツィア:大運河のレガッタ》には、窓からレガッタを観戦する人の顔が細かく丁寧に描かれています、全部の顔が幾つあるか数えたくなります。ターナーの《ポリュフェモスを嘲るオデユッセイウス》はギリシャ神話を知らないと絵の良さが分かりません。ターナーの風景画の光の世界を好む人には少し抵抗があるかもしれませんね。印象派の画家であるルノワール、セザンヌ、モネ、ゴーガン、ドガの絵は一室に納められていました。もっと見たかったのですが・・・。ゴッホの《ひまわり》は今回の目玉でしょうか。同時期に描かれた7枚のうちの1枚と説明にありましたが、なぜ同じ題材で複数枚画いたのか・・・?謎です。

絵の素人なのでまともな解説はできません。残り少ない会期ですが、是非本物を見て、それぞれの絵の素晴らしさを自分の目で確かめてみてください。

 

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鎌倉を知る --北条重時の家訓ーー

2020-09-23 13:21:45 | 日記

北条重時(1198-1261)は鎌倉幕府二代執権である北条義時の三男で兄は泰時です。執権の陰で目立たない存在ですが、1230年から1247年までの17年間は六波羅探題として兄泰時を支え、1247年から1256年までは連署として五代執権北条時頼を支えました。特に六波羅探題として朝廷と幕府を繋ぎ、寺社や夜盗などに睨みを効かせた17年間の功績は大きいです。

この重時が書いた『北条重時の家訓』という書籍を数年前に鎌倉の公文堂で買い求めました。といってもこれまで読む機会もなく、そのまま本棚に眠ったままとなっていました。この本は「六波羅殿御家訓」と「極楽寺殿御消息」の二つの家訓が掲載されているのですが、今回は「六波羅殿御家訓」を読みました。巻末の解説によれば、こちらは重時が六波羅探題を辞めるまでに書かれたもののようです。内容は武士の現実生活のなかでの心得が43条に亘り書かれています。重時は鎌倉幕府では執権に次ぐ実力者ですが、この家訓を読む限り、生活は質素で奢ることなく謙虚、そして礼儀を重んじ、我がことより世間の人の目を憚ることを大事としているようです。たぶんこれは長い間朝廷に近いところで仕事をした結果、そこで身に着けた処世法かもしれません。

一例をあげて見ましょう。

人がいる所で唾を吐くときは、口を塞ぎ、人に背を向けて、畳紙(懐紙のようなもの)に吐き入れなさい。唾を遠くに吐くような輩は、人を憚らぬことで悪いことである。

これと似たようなことは最近世界中でよく耳にします。新型コロナ対策で手を洗いましょう。マスクをしましょう。人に迷惑をかけないようにソーシャルディスタンスを保ちましょうなどです。殊に日本人は人に言われるまでもなく、このことを自然と身につけています。800年近く前に書かれた『北条重時の家訓』も同じ、多分それ以前からあり、日本人の心に脈々と受け継がれているものだと思います。自信をもって誇りにしなければいけませんね。

写真は北条重時の墓のある鎌倉極楽寺です。重時とも関係の深い忍性菩薩の開いたお寺です。今年は新型コロナ対策でお参りできませんでしたが、来年4月8日には是非訪れたく、その終息を願っています。

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露草(つゆくさ)

2020-09-12 08:44:27 | 日記

庭に可憐な露草が咲いていました。ブログの題材にならないかと写しました。露草つゆくさは蛍草とも言います。名前から梅雨の頃の花かと思いましたが、秋の季語になっていますので、この時期に紹介しても季節外れにはならないようで安心しました。『花のことば辞典』によれば、花言葉は「懐かしい関係」。古くは花の青色で布を染めた。「月草」ともいうが「つきくさ」の「つき」は「搗き」で、この花を臼で搗いて染料をとったからと言われています。こんなに小さな花を染料の原料にするのですから、どれほど必要であったか?ところで私は露草というより蛍草の名前に親しみを感じます。NHKで『螢草菜々の剣』を見た印象が強いからでしょうか。主役を務めた清原果耶の演技に惹き込まれました。

さて小さな花を見ますと以前にスミレの花を紹介しましたが、まだ華厳の世界を引きずっています。『華厳の思想』(鎌田茂雄著)の第三章 華厳思想の核心・5 四種の真理の領域 ――四種法界に、華厳思想では真理の領域のことを「法界」と呼ぶが、「法」にはものの意味と真理の意味とがある。ものの世界と真理の世界との関係を説いたのが、四種法界の教えである。そのなか(4)の事事無礙法界という考え方があるが、それは現象の個物と個物とが融通する世界であると書いてありました。なんとも分かりずらい。ほとんど理解できなかったのですが、「三界万霊」の話には興味を持ちました。

「三界万霊」とは、禅寺に行きますと施餓鬼会のときにこの「三界万霊」の位牌が置かれています。鎌田氏は事事無礙法界は三界万霊の世界であるとしています。万霊の霊は霊魂でなく意志であり、意志の力をすべての位牌のまん中に置いてあるのだと。その意志とは何か?ありとあらゆるものに対する感謝の気持ちであるとあります。故人でも生きている人でもすべての生き物、そして生命のない物も対象です。

この考え方はつい最近このブログに書いたような気がしました。そうです眠っていた油絵の話です。そうすると私もさとりの境地に近づいているもかもしれません。「衆生みな仏である」という言葉が思い出されました。

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ビッグウェーブ

2020-09-06 20:49:00 | 日記

9月8日(日)17時30分頃 鎌倉稲村ケ崎の海岸。

年に何度もないビッグチャンスでしょうか。大波を待つサーファーも沢山出ていました。波にのるのも命がけです。大波の前でチャンスを窺うサーファーの姿が見えますか?この波はベテランのサーファーでも無理でしょうね。

大波にのる伝説のサーファーの話を思い出しました。

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台風10号の余波

2020-09-06 20:32:00 | 日記

本日17時過ぎに稲村ケ崎の海岸で写しました。

134号線沿いの海岸に寄せる波を見て、源実朝の歌を思い出しました。

  荒磯に波の寄るを見てよめる
    641 大海の 磯もとどろに 寄する波 破れて砕けて 裂けて散るかも
 
10号台風は伊勢湾台風に匹敵する大きさのようです。68歳の私が小学1年生の時ですから、テレビで解説する方もその恐ろしさを体感している人は殆どいないでしょうね。
大きな被害が出ないことを願っています。
 
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