人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

わさび漬を生業とする老舗

2020-10-28 09:04:34 | 日記

東海道歩きでは各宿場にある昔ながらの店にはいるのも楽しみの一つです。JR静岡駅から20分位歩いたところのわさび漬の店「田尻屋」の看板が目につきました。静岡に来ればその土産でわさび漬は買いますが、田丸屋などの名前は目にしてもこの田尻屋ははじめてです。とは言っても好奇心の固まりの旅人(Tabito)としましては何か新しい発見を求め、その店のお薦めを買い求めます。自宅に帰ってから、同封の「元祖わさび漬由来記」なるものを読み、その内容に感心しました。

この田尻屋総本家は創業は宝暦年間の1753年とあります。目の前の富士山が噴火したのは40年前の宝永年間、徳川将軍は9代家重。ちょうど享保改革と寛政の改革の間で比較的落ち着いた時代でした。最初は天然の根わさびの販売でしたが、ぬか漬、みそ漬、酒かす漬等により工夫してわさび漬を創案。そのわさび漬は参勤交代の諸侯や旅人などが買い求め名物となりました。しかし義侠心に富んだ5代目がわさび生産者や卸売業者にその製法を教えたことで、今では後発のわさび漬業者の方が羽振りが良くなったようなことが書いてありました。

それでもわさび漬一筋で260年もの間事業が続くことはすごいことです。実際食べてみますと、これまで食べたことのあるわさび漬と違います。しっとりしてなめらかで、わさびのから味がなんとも言えず上品でした。大量生産では真似できない手造り感のある商品。日持ちもしないため丁寧に作り少量を売ることに徹してきたのだと、勝手に妄想しました。

私は商売と言う言葉より生業(なりわい・すぎわい)という言葉が好きです。広辞苑をひきますと、五穀が生(な)るように務めるわざ、生産の業。世わたりの仕事。家業とあります。一方老舗は、先祖代々の業を守り継ぐこと。先祖代々から続いて繁昌している店とあります。この田尻屋さんは、タイトルの通り、わさび漬を生業とする老舗です。頑なに先祖の製法を守るために店を大きくできなかった。派手さはないけど一流です。こう言った店はさらに9代目、10代目と続いていって欲しいですね。

 

 

 

 

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明治のトンネルを歩いてみました

2020-10-27 19:39:00 | 日記

まさに芸術品ですね。造った人々の苦労が偲ばれます。実に不思議な空間でした。興味ある方は訪ねてみて下さい。

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丁子屋のとろろ汁

2020-10-27 19:30:00 | グルメ

これは丸子で税前1400円でした。食べ方の解説も用意されています。とは言ってもとろろ汁をお椀によそった麦御飯にかけるだけ。いたってシンプルです。お櫃の麦御飯は一人前の量です。おかわりして下さいと言われ、目を丸くしました。一人で来る人が稀なのでしょう。頑張って食べてもお櫃半分でした。そんなに食べれるものではありません。

 
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宇津ノ谷峠の明治のトンネル

2020-10-27 17:19:57 | 日記

なんとも変わった名前です。丸子宿から立場茶屋の集落を登った先にありました。騙されたと思い通ってみましたが、その完成度の高さに驚かせれました。帰って資料をみますと、このトンネルは明治9年(1877)の開通で現存する日本最古のレンガ造りのトンネルで国の重要文化財にも指定されています。最も古いのは明治4年7月に竣工した石屋川隧道(東海道線の鉄道トンネル)ですが、現存していません。このトンネルはレンガがびっしり積まれた全長207m、幅3.2m、高さ3.5mの大きさ。江ノ電の極楽洞(明治40年1907)も難工事のようでしたが、それより30年も前の建造です。完成当時は有料トンネルだったようですが、何のために造られたか興味を持ちました。因みに最古の石屋川隧道は兵庫県神戸市の灘と住吉間の鉄道トンネルです。東海道線の新橋と神戸間の全線開通は明治22年(1889)になりますので、明治9年にはまだ静岡県内は開通していません。もっと調べれば分かるのでしょうが、残念ながらここまででした。

こういう発見があるのも東海道歩きの楽しみです。この明治のトンネルのことは当然ながら『ちゃんと歩ける東海道五十三次(山と渓谷社刊)』にも書いてありません。歩かないと辿りつけないような場所にある日本の宝物。これも東海道歩きの醍醐味の一つです。

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府中城下の安倍川橋

2020-10-27 16:22:55 | 日記

安倍川は府中城下の西側を流れる川で安倍川餅で有名です。橋のところに文化元年(1804)創業の石部屋があります。さらに橋を渡りつつ後ろを振り返ると富士山が見えますが、ひょっとすると道路の中心立てば、橋を一直線に伸ばした方向に富士山が見えるのではないかといつものように妄想がふくらみはじめました。西側の横断歩道のまん中に立ち富士山を探しましたが、残念ながら橋の上部に邪魔されてよく見えません。それでもあとで地図を見ますと、この東海道の先には駿府城跡があります。江戸時代にここに橋は架かっていませんが、東海道を西から歩いて来た旅人は、安部川の向こうにみえる駿府城の天主閣、そしてその背後の富士山の勇姿をみて感嘆したに違いありません。たぶん府中城下を設計した人は、富士山を基準にして街道を通し、駿府城を配置し、天守閣の位置を決めたと密かに思っています。写真のちょっと左に富士山が見えます。徳川家康なら絶対に考えたはずです。

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