人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

花應院で聞いた「小栗判官と照手姫の話」

2019-09-30 20:11:58 | 日記

藤沢市西俣野に花應院という曹洞宗のお寺があります。花應院では毎年、8月16日と1月16日の2回、お寺が所蔵している地獄変相十王図と小栗判官・照手姫絵巻の絵解きを行っています。小栗判官・照手姫の話は藤沢の遊行寺が有名ですが、この西俣野の地にも古くから伝わっているようです。花應院の近くに、お墓や小栗判官が地獄から蘇った小栗塚、小栗判官を殺した横山大膳の屋敷もあり、なかなか興味深い場所です。

その小栗判官の話は各地に諸説伝わっていますし、歌舞伎や浄瑠璃の演目にもなっていますが、花應院にある絵巻は、「説経」という中世末に成立した口承文芸で、説経師という芸能者によって語られたものに近いあらすじになっています。小栗判官と照手姫のラブロマンス、横山大膳よる小栗判官と10人の家来の毒殺、10人の家来の計らいによる地獄からの小栗判官の蘇り、遊行上人の助けと熊野の地での復活等など、聞く人を惹きつける物語に仕上げられています。

この小栗判官の説経の後に、地獄変相十王図の絵解きで地獄の世界の説経がされますが、地獄から蘇った小栗判官の話を聞いた後であれば、いかにも地獄の様子が真実味を帯びて、聞く人は説経に引き込まれます。

そんなに娯楽のない時代に老若男女が寺に集まり、地獄のおどろおどろしい話を聞けば、子供心に嘘をついたら舌を切られるとか、針千本飲まされるとか言った話を信じるようになるものです。そう考えれば、現代には通じないかもしれませんが、小栗判官・照手姫の話や地獄変相十王図の絵解きも、意義あるものに思えるようになりました。

 

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鎌倉を知る ーー 横浜市戸塚区の五霊神社 ーー

2019-09-29 19:50:15 | 日記

JR戸塚駅西口バスセンターから立場ターミナル行きのバスに乗り10分位で五霊神社前バス停に着きます。この五霊神社ですが、祭神は村岡五郎平良文、村岡公致(きみむね)、村岡致成(むねなり)、鎌倉景成、鎌倉権五郎景政の五柱。はじめは村岡郷宮前村の御霊社を、この地の森織部義秀が勧請し、その後に鎌倉権五郎景政を合祀し、五霊神社となったと神社の由緒書きにありました。

では村岡郷宮前の御霊神社はどこにあるのか、地図で調べてみますと、藤沢市宮前に確かにありました。参拝したことはありませんが、神戸製鋼所工場の隣で、村岡氏所縁の村岡城址や二伝寺などはJR東海道線の線路を挟んで近く、今は東海道線で分断され遠くに感じますが、その昔は同じ地域にあったと思われます。

またこの五霊神社あたりを汲沢といいますが、北の方から宇田川が流れています。この宇田川の水源は戸塚区のとなり泉区中田にある御霊神社の弁天池だと資料にありました。宇田川は途中で境川と合流し、相模湾に流れつきます。また鎌倉を流れる柏尾川も藤沢市川名で境川に合流します。そうしますと、どうも村岡郷といわれる地域は、柏尾川の北、境川の東で、宇田川の水源のある泉区中田あたりまでの広い地域だったと推測されます。

鎌倉にいるとあまり関心なく通り過ぎますが、五霊神社の祭神の一柱である村岡五郎平良文という人物にもう少し焦点をあてる必要がありそうです。村岡氏の系図によれば、桓武天皇からはじまり、平姓を名のった高望王の第五子が平良文で鎮守府将軍村岡五郎とあります。その兄弟は良望の直系が平清盛、良将の子が平将門。そして子孫には鎌倉権五郎景政や三浦義明、和田義盛などの三浦一族、岡崎義実など錚々たる人物がいます。大げさに云えば、村岡良文がいなければ、源頼朝の挙兵は実現しなかったかもしれません。

鎌倉市内や横浜市内に点在する五霊神社や御霊神社、これらを結びつけてみるのも面白いかもしれませんね。

 

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雲の窓から落ちる贈りもの

2019-09-24 17:37:00 | 日記
本日、七里ヶ浜海岸で写した写真です。
タイトルにこだわりました。もう少し待てばもっと光が落ちる写真が撮れたのに残念です。こういう現象を何ていうか、忘れてしまいました。昔の人は天から神が降りる姿を思い描き、絵画の題材にもなったようです。ターナーの絵にありましたか?ダメです思い出せません。

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富士山にかかる笠雲

2019-09-24 08:36:00 | 日記
8時30分頃に湘南モノレールの湘南江の島駅で写しました。富士山にかかる笠雲。天気は下り坂ですね。

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伊勢湾台風から60年

2019-09-23 10:56:22 | 日記

今朝、日経新聞電子版で『伊勢湾台風から60年、高まる「スーパー台風」の脅威』という記事を読みました。もう60年になるのか。そう私が小学校1年生のときでした。恐い思いをしたせいか、今でも鮮明に記憶しています。私が住んでいたのは、まだ名古屋市に合併する前の愛知郡鳴海町。隣は名古屋市南区。台風と高潮被害で5000人以上の人が亡くなった地域の一つです。幸いにも私はまだ子供で、その惨状を目にすることはありませんでした。

和歌山県の潮岬付近に上陸した台風は夜半にわが町の西側を通過しましたが、一晩中、床下から吹き上がる強風に畳が飛ばされないように、子どもながら押さえていたのを記憶しています。当時の家は今と違い、柱は地面に置かれた石の上にのっているだけで床下を塞ぐものはなく、風は自在に吹き抜けていきます。強風が吹き込めば畳が吹き上がり、天井そして屋根も吹き飛ばされてしまいます。幸いにも全壊することなく台風は通り過ぎましたが、床下にいた愛犬ゴロはその後まもなく死にました。これは今でもトラウマになっています。

記事によりますと、潮岬に上陸したときの中心気圧は929ヘクトパスカル。最近千葉県に大きな被害をもたらした15号台風は960ヘクトパスカル(最大瞬間風速60m)なので、伊勢湾台風の大きさは想像を超えるものですが、その台風がわずか60年前に中部地方に上陸していたのも事実です。某電力会社の責任者が記者会見で「想定外の大きさで、被害がここまで大きくなるとは予見できなかった」と話していましたが、どうも納得できません。関東地方にこなかっただけで、過去にはもっと大きな台風が日本に上陸していたことは知っているはずですが・・・。

写真は成就院から見た鎌倉の海岸。15号台風では鎌倉でも停電した地区があったことを、後になって知りました。倒木やがけ崩れのため電柱が倒壊したり、復旧のための重機が近づけなかったようです。戦後長く森の保全がおろそかになっているツケが回ってきたせいかもしれません。

 

 

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